第37話:会敵
結局、初日は候補のピックアップと間引き作業で終わった。
ジーンの正確な射撃と、ガロードの〈サイレス〉のおかげで、他の群れを刺激することなく作業は滞りなく進む。
狩ったオックブルから魔石と、当面の食料となる肉を回収する。
グリフォンが現れなかったこと以外は、順調すぎるほどだった。
その晩。
俺たちは草原の真ん中でキャンプを張る。
ジーンが手際よく火を起こし、昼間に狩ったばかりの新鮮なオックブルの肉を串に刺して焼き始めると、香ばしい匂いが、夜風に乗って漂ってきた。
焚き火で肉を焼いている俺たちに対して、エステルだけは目に涙を浮かべて憤っていた。
「ひどいですわ!あんなにも可愛らしいウシさん達を食べるなんて!わたくし、絶対にいただきませんわ!」
そう言ってプイとそっぽを向き抗議してきた。
(可愛らしい、ねぇ…猛獣相手によく言うぜ……)
俺が無視していると、ジーンが手際よく焼き上げた、香ばしい匂いを漂わせる串焼き肉が完成した。
ガロードは言うまでもなく、既に一番デカいのにかぶりついている。
「まあまあ、そう言わずに……ほら、エステルちゃん。焼きたてだよ。冷めないうちにどうぞ」
ジーンがエステルに肉を差し出す。
エステルは、さっきまでの勢いはどこへやら、漂ってくる匂いに誘われるように、おずおずとそれを受け取った。
やはりというべきか空腹には逆らえないらしい。
そして、一口。
「まぁ…!なんともジューシーで、柔らかくて……美味しいですわぁ♡」
数分前の憤りは完全に消え去り、エステルは至福の表情で肉を頬張っていた。
(……変わり身、早ぇな、オイ…)
俺は深く溜息をついた。
二日目。
俺たちは朝から岩陰に隠れ、ひたすら空を監視し続けた。
だが、どれだけ待っても、広大な青空にグリフォンの姿は現れなかった。
時間だけが虚しく過ぎていき、俺の中で焦りが募っていく。
(クソッ……本当にここに来るのか?俺の読みは正しかったのか?このまま無駄足になったら、時間も金も大損だぞ……!)
そんな俺の気も知らず、他の連中は完全にリラックスモードだった。
「まぁ、ウシさん、今日もご機嫌麗しゅう。ウシさん、昨日からわたくしたちが見守っておりますのよ?憎っくきグリフォンのお食事になんてさせませんわっ!ふふっ、そうですわっ!あなたのことは二代目ウシさんと名付けて差し上げますわね!」
エステルは、囮であるはずのオックブル……二代目ウシさん?の近くまで行き、呑気に話しかけて遊んでいる。
グリフォンの索敵には〈リード〉は使わない。
風を操るグリフォン相手では逆探知される可能性があると考えてのことだ。
そもそも見通しの良い空を警戒するのなら〈リード〉を使う意味がないしな。
ガロードは、やることがないと知るや警戒する素振りも見せず、草地でゴロリと横になり、呑気に昼寝を決め込んでいる。
そして、一番タチが悪いのが、やはりコイツだ。
「それでね、アリアちゃん。その酒場のウェイトレスの瞳は、まるで夜空に輝く二つの星のようで……ボクが愛を囁くと、彼女は頬を染めて……」
俺の横で、ジーンが延々と中身のない話をペラペラと話し続けている。
(……頼むから、黙っててくれねぇかな……)
思考に集中したいのに、このナルシストの甘ったるい声が、容赦なく俺の集中力を削いでいく。
(落ち着け、俺。焦りは禁物だ。狩りってのは、待つのも仕事のうちだ……)
俺は自分にそう言い聞かせるが、視界の端で呑気に過ごす仲間たちの姿が、無性に俺の神経を逆撫でするのだった。
三日目。
痺れを切らし始めた俺の焦りを嘲笑うかのように、平原の空はどこまでも青く、そして静かだった。
岩陰で空を睨み続けて、もうどれくらい経ったか。ジーンは他の群れの動向を確認しに行っている。
後方では欠伸を噛み殺しながら、エステルが「ふああ……今日も、いい天気ですわね……」などと呑気なことを呟いている。
ガロードに至っては……岩に寄りかかって、完全に寝ている。
(クソッ…ほんとに来んのかよ、グリフォンは……。このままじゃ、マジでただのキャンプ旅行じゃねぇか……)
俺の堪忍袋の緒が、ブチリと切れかかった、まさにその時だった。
遥か上空。
青いキャンバスに描かれた、ほんの小さな黒い点。
最初は鳥かと思った。
だが、その動きが違う。
悠然と、しかし獰猛な意志を持って、円を描きながら降下してきている。
間違いない、翼を持つ大型の捕食者だ。
「ん…?お、おい!お前ら!やった、来たぞ!グリフォンだ!」
俺が声を張り上げると同時に、今まで寝ていたはずのガロードが、弾かれたように飛び起きた!
その手には既に、マノンに打ち直されたばかりの、幅広の長剣が握られている!
(おいおい、早ぇよ!戦闘準備だけは一流だな、コイツは!)
だが、ガロードはそのまま、隠れている岩陰から飛び出そうと、臨戦態勢で身を屈めた!
「待て待て待て!このバカ、作戦聞いてなかったのか!」
俺は慌ててガロードの肩を掴み、強引に引き戻す!
「よく聞け、まずはジーンと合流してからだ!逃げられないように、グリフォンを地上に引きずり下ろす必要がある!」
俺は逸るガロードの目を真っ直ぐ見て、最高の切り札を切ってやった。
「いいか、ガロード!今夜はご馳走だ!あのグリフォンの肉でな!だから、確実に仕留めるためには、作戦どおりに動け!」
ピタリ、とガロードの動きが止まった。
そして、ハッと目を輝かせながら、俺に向かって何度も何度も、力強くコクコクと頷いてみせた。
(食いモンが絡むとチョロいな、てめぇは!ほんとに扱いやすくて助かるぜ……)
「あれが……!あのときのグリフォンですのね!!ここであったが百年目ですわ!!ウシさんを返してくださいまし!!」
ようやくガロードを制御した思ったら今度はエステルが騒ぎ始める。
俺は、これ以上余計な騒ぎを起こされる前に、その細い体を問答無用で小脇に抱え、背負っていたマジックバッグを肩にかけ直しながら走り出した!
「ジーン!」
「わかっているとも、マイ・リーダー!〈ミラージュ〉!」
既に待機していたジーンと合流すると同時に、奴の魔法が発動する。
俺たち四人の姿が、ふわりと陽炎のように揺らめき、周囲の景色に溶け込んだ。
「きゃっ…!」
驚くエステルの声。
だが、次の瞬間にはその声も聞こえなくなる。
「ガロード、〈サイレス〉!」
俺の指示に、ガロードが無言で頷く。
フッ、と空気が揺らめいたかと思うと、エステルの騒ぐ声も、俺たちの荒い息遣いや地面を蹴る足音も、完全に世界から消え去った。
視覚的にも、聴覚的にも、俺たちは完全に気配を絶った。
半径1mという、息が詰まるほど狭い範囲に密集しながら、俺たちは歩調を合わせ、慎重に、しかし迅速に、事前に定めておいた射撃ポイント……マーキングしたオックブル『二代目ウシさん』を見渡せる、別の岩場へと向かう。
空を見上げると、グリフォンは既に狙いを定めたようだ。
翼を大きく広げ、滑空しながら、一直線に『二代目ウシさん』へと向かってきている!
(クソッ、思ったより早い!このままだと、射撃ポイントに着く前に狩られちまうぞ!)
想定より、グリフォンの動きが速い。
この距離からでは、いくらジーンでも……!
俺が焦りの色を浮かべると、隣を歩いていたジーンが、俺に向かってパチン、と余裕綽々のウインクを飛ばしてきた。
(……てめぇ、この状況でまだキザな真似しやがって…!)
だが、その目は本気だった。
「問題ない」と、その視線が雄弁に語っている。
ジーンは歩きながら、背負っていた複合弓を手に取り、マノンに作ってもらったという、あのズシリと重い『鋼鉄矢』を、こともなげにつがえた。
(……やるんだな?ここでっ!)
俺は手を上げてメンバーを制止する。
既にジーンの右目の前には〈レティクル・プリズム〉による照準レンズがセットされている。
光と水による視覚強化。
この距離でもしっかりと標的を捉えているようだ。
グリフォンが、狙いを定めた『二代目ウシさん』に向けて、翼をたたみ急降下を始める。
その速度は、さながら天から放たれた巨大な矢の如しだ。
(疾ぇっ!だが...!)
俺の脳裏には、先日のカマド村で見せつけられた、あの神業じみた曲芸射撃が浮かんでいた。
来る場所がわかっていれば、コイツは相手が『矢』だろうと外さねえ!!
ジーンがギリリ…と引き絞った弓から、鋼鉄の矢が放たれる。
…ゥン───!
矢が俺たちの〈サイレス〉の効果範囲外に出た瞬間、それまで無音だった世界に、空気を切り裂く鋭い風切り音が鳴り響いた!
弾丸と化したグリフォンが、オックブルに激突するかどうかの際、ジーンの放った矢は、まるで喉元に向けて吸い寄せられるかのように、正確無比な軌道を描いて飛んでいく。
(よっしゃ!ドンピシャだ!!)
……かに見えた。
完全に捉えたはずの矢は、グリフォンの喉元に届く寸前、まるで見えない壁に弾かれたかのように、僅かに軌道を逸らす。
(なっ…!?軌道が……!?あれは……風か!!)
グリフォン自体も、矢の攻撃を予期していたわけではない。
ただ、獲物であるオックブルという巨体への上空からの突進攻撃。
その衝突に備え、己の身に纏っていた烈風の渦…無意識の『風の防護』。
それが、ジーンの必殺の一矢の軌道を、僅かに、しかし致命的に逸らしたのだ。
鋼鉄の矢は、本来貫くはずだった喉元ではなく、分厚い筋肉に覆われた右翼の付け根に、深く突き刺さった!
空中で突然走った激痛に、グリフォンは甲高い悲鳴を上げ、大きくバランスを崩す。
そして、なすすべもなくそのままの勢いでオックブルと激突し、凄まじい土煙を上げながら、錐揉み状態になって地面を転がり落ちた!
「……くっ」
ジーンは、狙いを外したことにショックを受けているようだ。
その完璧な横顔が、わずかに悔しさに歪んでいる。
「十分だ!ジーン!!」
瞬間、俺は小脇に抱えていたエステルとその背中のバッグを、まとめて地面に投げ捨て、ガロードと共に一気に駆け出した!
「わっ、わわあですわぁ!?」
背後から、そんな情けない悲鳴と、ジーンの「……すまない。次は外さない」という、プライドを傷つけられた低い声が聞こえてくる。
(飛び立つ前になんとか翼にダメージを与えねえと!!)
不意打ちの衝撃から立ち直ったグリフォンが、土埃の中から猛然と身を起こす。
その血走った鷲の目が、一直線に突貫してくる俺とガロードの姿を正確に捉えた。
「キュィァァアアア!!!」
耳を劈くような、金属的な絶叫。
奴の敵意が咆哮となって炸裂すると同時に、巨大な翼が凄まじい風圧を生み出す。
まるで分厚い空気の壁だ。
真正面から叩きつけられた暴風に、俺たちの突進の勢いが露骨に削がれていく。
「ぐっ…!この、クソ鳥がっ!!」
思わず悪態が漏れる。
足元がぐらつき、一歩踏み出すごとに倍の力が要るようだ。
体勢を立て直したグリフォンは、この機を逃さず空へ逃れようと翼を大きく広げ、地面を蹴る。
「待ちやがれっ!!」
舌打ち混じりに叫び、最後の力を振り絞って肉薄するが、その爪が大地を離れる方がほんの僅かに早かった。
(クソ、このまま飛ばれたら面倒なことになる……!)
だが、浮き上がろうとしたグリフォンの巨体が、まるで天から見えざる拳で殴りつけられたかのようにガクンと沈んだ。
奴の頭上、何もない空間から凄まじい下降気流が叩きつけられ、その頭を地面に縫い付けている。
この無口野郎の〈エアブロウ〉か!
「よくやった!〈エンチャント・フレイム〉ッ!」
好機は逃さない。
瞬時に魔力を練り上げ、曲剣に炎を纏わせる。
強化黒鉄から打ち直された剣は、以前とは比べ物にならないほど安定して魔力を伝えてくれる。
燃え盛る二振りの火剣が、周囲に陽炎を生み、揺らめかせる。
火属性と風属性の共有特性である〈発散〉。
絶えず循環しグリフォンの全身を覆う『風の防護』も〈エンチャント・フレイム〉によって付与された〈発散〉の性質によって、その効力を打ち消し突き破る。
ガロードの風が稼いだ、ほんの数瞬の隙。
それだけで十分だ。
飛び立つのが僅かに遅れたグリフォンの翼の付け根に、灼熱の刃が深々と突き立った。
ジュッ、と肉の焼ける音と、羽毛の焦げる鼻につく匂い。
だが、奴の羽は見た目ほど燃え広がるわけではないらしい。
炎はすぐに勢いを失い、傷も見た目よりずっと浅い。
……どうやら風の防護だけでなく純粋な肉体的強度と魔法抵抗も高いらしい。
それもそうだ。
この巨体で宙に浮かび、自在に羽ばたくのは並大抵の筋密度では成しえない。
しかし、それでも。
致命傷には程遠くとも、激痛にはなるはずだ。
何より、翼が傷つけば即座に飛び立つことはできまい!!
「逃がすなよガロード!今夜は焼き鳥だ!!」




