第36話:ゴロゴロ
ここから第五章です。
パチッ……と、焚き火が小さく爆ぜる音で、意識が浮上した。
(……もう時間か)
寝袋から這い出し、凝り固まった体を伸ばす。
夜気は冷たいが、頭は妙に冴えていた。見張りの交代時間だ。
ローテーションは、ガロード、ジーン、そして俺の順。
エステルは役に立たないので論外だ。
焚き火のそばには、当番のジーンが起きていて、やけに様になった仕草で火を弄っていた。
「おや、アリアちゃん。ボクが起こしに行くまで、もう少し休んでいてもよかったのに」
「テメェに起こされるなんて、想像しただけで目覚めが悪くなりそうだからな」
俺は大きなあくびを噛み殺しながら、ジーンの隣に腰を下ろした。
「ふふ、緊張してるのかい?」
ジーンが、こちらの心中を見透かしたように尋ねてくる。
「…………」
図星だった。緊張しないわけがない。武具の強化もだが、パーティランクの上昇、素材の収入による費用の回収もしなくてはならない。このグリフォン討伐は、今後の〈ジョーカー〉の活動の進捗に大きく関わってくる、重要な一戦だ。
「大丈夫さ。なんてったって、このボクが協力するんだからね!」
ジーンは、自信満々に胸を張った。
「おまえのその自信は、どっから来るんだよ……」
「フッ……実力に裏付けられた、ボク自身からさ」
態度はムカつくが、たしかにコイツの弓の腕は本物だ。
光と水の魔法は旅や冒険においても有用で、光源確保に飲料水確保と、非常に助かる。
一流のパーティでもやっていける実力があるだろう。
バカだが、それを補えるほどの実力があるのは認めざるを得ない。
そうなると、一つ疑問が浮かび、俺はそれをそのまま口にした。
「……お前は、なんでカマド村で狩人なんてやってるんだ?」
「おやおや?それは暗に、この素晴らしいボクの才能を褒め称えているのかな?」
「うるせえ」
ジーンは少しだけ真面目な顔になり、遠くを見るような目をした。
「もちろん、ボクは世界に羽ばたくべき才能を持ってはいるけれどね。カマド村で、やることが残っているのさ」
「やること?」
「ああ。マダムへの大恩を……まだ返しきれていないからね」
「マダム?……ああ、マノンの姐さんか」
軽薄そうな言動とは裏腹に、受けた恩を返すとは。
意外だ。
ちゃんとしている。
俺はパチパチと小さく爆ぜる焚き火に、追加の小枝を投げ込んだ。
「それで、その恩ってのは?」
「ボクに興味を持ってくれるのは嬉しいけれど、少しはミステリアスな部分を残した方がモテるからね」
ジーンはわざとらしくウインクを寄越す。
「どうしても、というのなら……今度ゆっくりと、ベッドの上で教えてあげてもいいけど?」
「……俺が剣を抜く前に、早く寝ろ」
「おやおや、照れちゃって……まぁ、マダムからも頼まれたからね。邪悪なグリフォン討伐は、このボクに任せておけばいいよ、アリアちゃん」
「"ちゃん"はやめろつってんだろ」
コイツと話していると、緊張しているこっちがバカらしくなってくる。気が抜ける。
……もちろん、悪い意味でな!
「それじゃあ、ボクも少し休ませてもらおうかな」
ジーンは俺の顔を見てニコリと笑った後、スッと立ち上がった。
……まぁ、ジーンなりに、俺の緊張をほぐそうとしてくれたのだろうか。
「……おい」
「ん?何かな?」
振り返るジーンにこう告げる。
「お前のテントは、あっちだ」
(油断も隙もねえ……全く、どこまでも気が抜けるヤツだ……)
結局、何事もなく夜は明けた。
魔物の襲撃もなければ、ジーンが俺のテントに忍び込んでくることもなかった。
平穏な夜だったと言えるだろう。
「そろそろ出るぞ」
ガロードとジーンを起こす。
もちろんエステルにも声をかけたが、すーすーと呑気な寝息が聞こえてくるばかりだった。
俺たちが手際よくテントを畳み始めても起きる気配はない。
(……ったく、緊張感の欠片もねぇな、コイツは)
俺はその無防備な額に、パチンッ!と容赦なくデコピンをかました。
「あだっ!?く、曲者ですわっ!?」
飛び起きたエステルが寝ぼけ眼で騒ぐのを無視し、俺たちは朝食の準備に取り掛かった。
夕食のスープの残りをバッグから取り出し温め直す。
エステルが言うにはメニューは、ガロードがファルメルで大量に買い込んだパンとサラダらしい。
俺がガロードに「出せ」と促すと、ヤツは一瞬、マジックポーチを抱え込み、僅かに嫌そうな…いや、露骨に嫌そうな顔をした。
(つーか、そのポーチに入りきらねえほどに食料蓄えてんだろうが……)
とはいえ、これはガロードが自費で買った食料だ。
俺はしょうがねーか…と保存食をバッグから取り出そうとするが、その隣からエステルが、実に無邪気な笑顔で言った。
「ガロード様、わたくしは、あの可愛らしいヒヨコちゃん型のパンが食べてみたかったんですの!きっと、とっても甘くて幸せな味ですわ♡うふふ、皆様でいただくと絶対美味しいですわね♪」
その言葉に、ガロードは渋々といった様子で、しかし観念したように、ポーチから次々とパンを取り出し、中央に敷いた布の上にドサドサと放出し始めた。
出てくるわ出てくるわ……。
(……なんだかんだ、仲良いのな、コイツら。)
腹ごしらえを終え、俺たちはタリア平原を目指して進軍を再開した。
道中、衝突事故的な戦闘はいくつかあった。
岩肌に潜んでいたゴブリンや、縄張りに侵入したと勘違いしたアイスウルフなどだ。
だが、単独の戦闘力だけでいえば金等級にも引けを取らないであろうガロードとジーンという実力者を抱える俺たちにとって、その程度の魔物は敵ではなかった。
ガロードが突っ込み、ジーンが射抜き、俺が残党を片付ける。
エステルは…わーですわ!きゃーですわ!と騒いで応援している。
…………うん、邪魔にならなければそれでいい。
俺たちは危なげなく突破していく。
問題は、魔物よりもむしろコイツらの相手をする方が、遥かに大変だということだ。
エステルは珍しい植物を見つけるたびに立ち止まって話しかけ、ジーンは道端の花にいちいちポエムを捧げ、ガロードは隙あらば食料を探して隊列を離れようとする。
(マジで、引率の教官か何かかよ、俺は……!)
そんな、精神をゴリゴリと削られるような行軍を続け……そして、ついに。
視界が開け、冷たく乾いた風が吹き抜ける。
俺たちの目の前に、見渡す限りの広大な緑が広がった。
「あの時の場所ですわ…!到着いたしましたわ~~っ!!」
タリア平原は、想像していた以上に広大だった。
遠巻きに眺めても、黒い豆粒のようなオックブルの大きな群れが、いくつか点在しているのが見える。
これが「渡り」というやつか。
ここからさらに群れ同士が合流して、もっと巨大な集団になっていくらしい。
魔物の増え方にはいくつか種類がある。
代表的なのが、魔素溜まりから飽和して生成される〈ポップ〉と、生まれた魔物同士による〈繁殖〉だ。
あとは分裂だったり、死体や物が魔物化したりすることもあるらしいが、そのなかでもオックブルは主に繁殖で数を維持しているのだろう。
そして同時に、この広大な平原は、他の大型魔物……例えばグリフォンからすれば、格好の餌場というわけだ。
俺たちは少し距離を置いて様子を窺う。
近くにいたオックブルは、こちらを見て逃げ出したり、襲いかかってきたりはしないものの、チラチラと視線を送り、明らかに警戒している様子だった。
(意外と警戒心が強いのか?オックブルでさえ、こんなにも警戒するのなら、もっと賢いグリフォンはどうなんだ……?)
一抹の不安がよぎる。
奴らは空から、遥かに鋭い目でこちらを見ているはずだ。
(……そういえば)
俺は、エステルのあの荒唐無稽な話を思い出す。
コイツは、オックブルにしがみついて空の旅をしたはずだ。
その距離まで、コイツが警戒されずに近づけたのは何でだ?
(…………アホだからか?警戒する価値もないと思われたか?)
俺がそんなことを考えていると、エステルが「わぁ〜!広いですわ〜!」と歓声を上げ、草原に駆け出した。
そして、あろうことか、そのまま草原に寝っ転がって、コロコロと楽しそうに転がり始めたではないか。
ガロードも、それを見ていたかと思うと、無言でその隣に寝転がり、同じようにゴロゴロと転がり始めた。
(……アホが二人)
俺が呆れて見ていると、ジーンが横からスッと現れた。
「おそらく、『匂い』だね」
「匂い?」
ジーンが言うには、焚き火による火の匂いや、道中の戦闘による血の匂いを野生の魔物は敏感に感じ取って警戒しているらしい。
「解決策は、こうさ」
そう言うと、ジーンも二人に倣って、実に優雅な仕草で草原に身を投げ出し、ゴロゴロと転がり始めた。
(……アホが三人に増えた)
ああ、そうか……ああやって、草原の草の匂いを体中に擦り付けて、俺たちの匂いを上書きするのか。
「アリア様〜!とっても楽しいですわよ〜!」
エステルが手を振ってくる。
おそらく、以前もこうやって草原で転がり遊んでいたのだろう。
その結果、匂いが消え、オックブルに警戒されることなく近づけた、と。
なるほどな。理屈は分かった。
(くそっ……!非常に、非常に遺憾だが……どうやら、このアホどもに混ざらないといけないらしい)
俺は、平原の中でも比較的乾いた草地を選び、意を決して寝転がった。
(ひんやりして、もさもさして……意外と心地よいな、コレ……)
思わず気が緩みそうになるのを堪え、俺もゴロゴロと転がり始める。
これは、決して遊んでいるわけじゃない。
グリフォン討伐に必要な、重要な作戦行動なのだと、俺は自分に強く言い聞かせた。
しばらく草原で転がり続けた効果はあったらしい。
さっきまで遠巻きにこちらを警戒していたオックブルたちの視線が、明らかに和らいでいるのが分かった。
草の匂いで俺たちの匂いが上書きされ、危険な存在ではないと認識されたようだ。
とはいえ、比較的おとなしいオックブルも魔物だ。
Eランクは十分に危険な猛獣レベル。
不用意に近づいて、あの丸太のような足で蹴飛ばされでもすれば、大怪我じゃ済まないだろう。
「まぁ!ウシさんですわ!お久しぶりですの〜!」
(お前がいってるのは別人...いや別牛?だろうが)
感動の再会とでも言わんばかりに駆け寄ろうとするエステルのバッグを、俺は咄嗟に掴んで引き戻した。
「あだっ!?」
「バカ!下手に刺激するな。まずは観察だ」
こういうのは、専門家に聞くのが一番だろう。
俺は、したり顔で群れを眺めているジーンに視線を向けた。
「おい、ジーン。専門家の意見を聞きたい。グリフォンが狙いそうなのは居るか?」
「おやおや、ボクは愛の狩人だからね。魔物は専門外なんだけどね」
ジーンは気取った仕草で髪をかき上げる。
「よし、お前はもう帰っていいぞ」
「フフ、まぁ待ちたまえよ。狙うとしたら……これは恋愛の駆け引きにも通じる所はあるね」
ジーンは顎に手を当て、勿体ぶった口調で語り始める。
「例えば、集団から孤立している女の子には、声をかけやすいんじゃないかな?一人、喧騒を離れ、もの憂げに佇む魅力的な女性。そこにボクは声をかけるのさ。『素敵なレディ、よければこのボクと――』」
(なんなんだ、その例えは……)
俺はこの男の思考回路が本気で理解できなかったが、言わんとしていることは分かる。
(……要するに、群れから孤立していて、なおかつ肉付きがよい個体を探す、ということか)
グリフォンだって、わざわざ危険を冒して群れの中心に突っ込むよりは、手近で安全な獲物を狙うはずだ。
だが、この膨大な数だ。
条件に合致する個体はいるだろうが、それをグリフォンが狙う確証はあるのか?
この広大な平原、いくつか候補が出るだけでも、どこで張り込むべきか絞れなくなる。
俺がそう考えていると、ジーンが事も無げに言った。
「簡単さ。候補以外は、間引けばいいのさ」
(なるほどな)
他の候補を狩ってしまえば、グリフォンが狙う獲物は必然的に絞られる。
もとより孤立している個体なら、他のオックブルを刺激して群れ全体が暴走するリスクも少ないだろう。
それに、ジーンの弓なら、遠距離から静かに仕留めることも可能だ。
(狩人としての経験は、伊達じゃねぇってことか)
俺たちは手分けして、ジーンの言う条件に合致する個体をいくつかピックアップした。
そして、ジーンの的確な指示と、ガロードの無駄のない動きで、他の候補を静かに、群れを刺激しないように狩っていく。作業はスムーズに進んだ。
そして……最後に残った、その中でも特に肉付きが良く、のんびりと草を食んでいる一頭に狙いを定める。
「よし、アレだ。マーキングするぞ」
「わたくしにお任せくださいまし!」
エステルが自分の髪につけていた派手な赤いリボンをスルリと引き抜くと、鼻歌交じりにそのオックブルに近づいていった。
そして、手慣れた様子で、その太い尻尾に素早くリボンを結びつける。
オックブルは、少しだけ尻尾を振ったが、特に気にする様子はない。
(……妙なところで役に立つな、コイツ)
俺たちは、その『リボン付き』のオックブルが見える範囲で、上空からは見えないような大きな岩の影を待機場所として選んだ。
草や枝でカモフラージュを施し、監視体制に入る。
グリフォンは昼行性だ。
狩りなら、目の効く明るいうちに行うだろう。
あとは、奴が現れるのを待つだけだ。




