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自由のアリア  作者: カラノニジ
第四章:自由とは不自由から生まれけり
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第35話:『自由』

 

 パチパチと、焚き火の燃える心地よい音が、静かな夜の闇に響いている。


 俺は、割り当てられたテントの中で寝袋に潜り込み、早く眠りにつきたかった。

 だが、隣の寝袋に入ったエステルが、どうにも落ち着かない様子で、小さな声で話しかけてくる。


「まぁ、アリア様! ご覧になってくださいまし! お星さまが、まるでダイヤモンドを散りばめた天国の絨毯のようですわ! なんてロマンチックなのでしょう!」


 テントの天窓越しに見上げれば、手が届きそうなほど近くに、無数の星が瞬いていた。

 確かに、エステルの言う通り、息を呑むほど美しい夜空だ。


 ……だが、今の俺に、それを心から楽しむ余裕はなかった。


「……ああ、そうだな」


 面倒くさそうに、それだけ返す。



(綺麗だな。だから、もう頼むから、黙って寝かせてくれ……)



(……今、外の見張りは、ガロードか。アイツ、ちゃんと起きてるんだろうな? 何かあっても、声も出さねぇし、どうやって知らせる気だ? 目覚ましの代わりに風魔法ブッ放したり……は流石にないよな……? 〈リード〉で警戒はしてるだろうが……やっぱり不安だな)



「こんなにも素敵な夜空の下で、こうして眠りにつけるなんて……冒険者というのは、本当に素晴らしいお仕事ですわね!」



 俺は溜息をつきたいのを堪え、適当な相槌を打とうとした。

 だが、その前に、エステルが不意に俺を見て尋ねてきた。



「アリア様は、どうして冒険者になろうと思われたんですの?」



(……なんで、か)



 その問いに、俺は少しだけ言葉に詰まった。

 実家の息苦しさから逃げ出した……それが本音だが、こいつに話すわけにはいかない。


 俺が黙っていると、「……アリア様?」と、エステルが不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。


「……理由、ねぇ。なんだろうな」


 俺は、テントの天窓から夜空を見上げるふりをして答える。



「……まぁ、ありがちなヤツだよ。『自由』ってのが、欲しかったのかもしれん。誰にも、何にも縛られずに、自分の力だけで生きていく……そんな生き方に、ただ憧れただけだ」



 自分の過去を巧妙に隠しながら、当たり障りのない、しかし半分は本心でもある答えを返した。


「まぁ、自由! とても素敵ですわねっ!」


 エステルは、なぜか自分のことのように、目を輝かせた。

 そして、少しだけ寂しげな表情になり、ポツリと呟いた。



「……実は、わたくしも……お屋敷にいたころは、ずっと、ずっと『自由』というものに憧れておりましたの……」



「お前がか? 話を聞く限り、それこそ何不自由ない、金持ちのお嬢様だったんだろ?」



 俺は、少しだけ意地悪く、しかし純粋な好奇心から尋ねてみた。


「……金持ちの、それもエリュクシオン家とかいう名家の娘だったんだろ? 何がそんなに不満だったんだ?」


 エステルと出会って、もう何日経ったか。

 だが、こんな風に、互いの過去に少しだけ踏み込んだ話をするのは、これが初めてかもしれない。


「ええ、たしかに、欲しいものは、言えば何でもすぐに侍女が用意してくださいましたし、お父様もお母様も、それはそれは、とっーーても優しかったですわ!」


 エステルは、そこまでは本当に嬉しそうに話した。だが、すぐにその表情が曇り、声のトーンが落ちる。



「毎日、朝から晩まで、家庭教師の先生がいらして、作法に歴史、音楽に詩、それにダンス……たくさんのことを、お勉強させて貰えましたわ。それはもちろん、恵まれた……とても幸福なことだと理解しておりますわっ!」



「……でも、わたくしが、お屋敷の外に出られるのは……月にたった一度。教会へ礼拝に行くときだけでしたの。それ以外の時間は、ずっとお屋敷の中……。それに……」



 エステルの声が、さらに小さくなる。


「……少しでも、テーブルの角に足をぶつけて青痣でも作ろうものなら、すぐに専門のお医者様が大勢飛んできて、まるで大怪我でもしたかのように大騒ぎになるんですの……。転んで擦り傷なんて作ったら、もう大変……」


 エステルは、俯いて自分の手を見つめている。


「……なんだか……『わたくし』自身のことを見てくださっているというよりも……『わたくしの体』が、絶対に傷つかないように、まるで、ガラス細工か何かのお人形のように、大事に、大事に……ただ、守られているような、そんな気がして……。いつも、息が詰まりそうでしたわ……」


 エステルの語る『恵まれた』環境は、俺にとっては、異常な束縛と、歪んだ過保護にしか聞こえなかった。


(なるほどな……)


『体が傷つかないように』。


 そりゃあ、息も詰まるだろうし、世間知らずにもなるわけだ。

 牢屋って言葉に、あんなに異常に怯えてたのも、こういう経験があったからかもな。

 変なところでネジが飛んでるのも、こういう環境で育ったせいかもしれん……。


 初めて、このアホで、能天気で、とんでもなく手のかかるお嬢様の、その奇行の裏にある、歪んだ背景のようなものを見た気がした。

 ほんの少しだけ、本当に、ほんの少しだけだが、同情のような気持ちが、俺の中に湧き上がってきた。


(……まぁ、それでも、やっぱり面倒なヤツだってことには変わりはねぇんだがな……)


 俺は、何と声をかけるべきか分からず、ただ黙って、隣で俯いているエステルの気配を感じていた。

 テントの外では、パチパチと焚き火の爆ぜる音だけが、満天の星が降る静かな夜に、やけに大きく響いていた。


 俺が黙り込んでいると、エステルは少しだけ悪戯っぽい、子供のような笑みを浮かべて続けた。


「……ですから、わたくし、時々、我慢できなくなってしまって。何度かこっそりお屋敷を抜け出したり、月に一度の礼拝にお出かけした際に、ちょっとだけ寄り道をして『冒険』してみたりしておりましたのよ! うふふ」


 楽しそうに語るエステル。

 だが、その笑顔の裏にある息苦しさを、俺は少しだけ理解し始めていた。


(やっぱり、ただのお淑やかな箱入り娘じゃなかったわけか。抜け出して冒険ねぇ……。それで、あの無駄にタフな体力と、ゴキブリ並みの生存能力が、知らず知らずのうちに身についたってのかね……)


 俺は内心で呆れつつも、妙なところで納得していた。


「もちろん、その度に、わたくし付きの護衛の方々は、お父様にこっぴどく叱られていましたけれど」


 エステルは、少しだけ申し訳なさそうに……だが、どこか楽しげにそう付け加えた。


「……護衛はたまったもんじゃねぇだろうな。胃に穴が開く思いだったろうぜ。苦労が目に浮かぶ。ご愁傷様なこった」


 エステルは、楽しかった『冒険』の思い出を語るように続けたが、すぐにまた、ふっと表情を曇らせた。


「でも……そうやって、わたくしがドキドキしながらお屋敷に戻ると、お父様もお母様も、わたくしがどこで何をしてきたかなんて、ほとんどお聞きにならなくて……」


 エステルの声が、また少し小さくなる。



「ただ、いつも真っ青なお顔で、わたくしの体を隅から隅まで調べて、『エステル! 体は大丈夫なの!?』『どこか怪我はしていない!?』『まぁ、泥んこになって! 変な病気をもらってきてはいないでしょうね!?』って……そればかりでしたわ……。わたくしが、どんなに新しい発見をして、どんなに心が躍ったかをお話ししようとしても、最後まで聞いてくださることは、ほとんどありませんでした……」



(……心配なのは『体』だけか)



 俺は、確信に近い思いでそう感じた。

 娘がどんな気持ちで、どんな経験をしてきたかよりも、ただただ『無傷か』『病気じゃないか』ということだけが、彼女の両親にとっては重要だったのだろう。


(そりゃあ、『お人形扱い』されてるって感じるだろうな。自分の心なんか、どうでもいいって言われてるようなもんだ。息も詰まるはずだぜ)


 エステルの感じていた息苦しさの正体が、俺の中で、よりはっきりと、重みを持った気がした。


(まぁ、たしかにコイツは……腹は立つが、黙ってりゃ、かなりの美人だ。そういう、年頃の娘を持つ親が、心配しすぎる気持ちも、分からんでもねぇかもしれんが……)



 一瞬だけ、そんなありふれた親心を想像してみる。



(……いや、それにしたって度が過ぎてる。普通じゃねぇだろ。ただの心配性とか、過保護ってレベルを超えてるんじゃねえか? 何か、特別な理由でもあるのか……? エリュクシオン家ってのは、何かヤバい家系なのかね……?)


 俺は、エステルの過去の断片から垣間見える、その歪んだ家庭環境に、何とも言えない、重苦しいものを感じていた。

 かけるべき言葉も見つからず、俺はただ黙って、テントの布地をわずかに揺らす夜風の音と、遠くでパチパチと控えめに燃える焚き火の音に、耳を澄ませていた。


「ですから、わたくし、アリア様のおっしゃる、『自由』というものに憧れるお気持ち、とってもよく分かりますの!」


 エステルは、さっきまでの沈んだ表情から一転、子供のようにキラキラとした目で俺を見た。


「たしかに、お屋敷を飛び出してからは、怪鳥様に攫われたり、ワイバーンさんの巣で一夜を明かしたり、ドッカーン! と爆発に巻き込まれたり、狼さんに追いかけられたり、アリさんの巣に落ちたり、牛さんに乗って空を飛んだり……それはもう、怖くて不安なこともたくさんありましたけれど……」


 そこまで一気に捲し立てて、エステルはふふっと、まるで面白い冒険譚でも語るかのように楽しそうに笑った。


「でも、今、こうしてアリア様や、ガロード様、それにジーン様と一緒に旅ができていることが、わたくし、とっても、とっても楽しいんですものっ! 毎日がドキドキハラハラで、新しい発見や驚きばかりで!」


 エステルは、心の底から、本気でそう感じているようだった。

 その純粋なまでの輝きに、俺は少しだけ目を細める。


「ふふっ、アリア様も、そうでしょ?」


 悪戯っぽく、俺に同意を求めてくる。



(……楽しい、か……)



 俺は、エステルの屈託のない問いかけに、一瞬だけ、自分のこれまでを振り返った。



 俺は、あの息苦しい実家という名の牢獄から逃げ出して、その日その日を生き延びるために、ただ必死に依頼をこなしてきただけだ。


 クソみてぇな毎日の中で、ほんの少しでもマシなクソを探して、汚れて、傷ついて、がむしゃらに剣を振るって……気づけば、首にはこの銀色のプレートがかかってた。




 そこに、『楽しい』なんていう、そんな綺麗な感情が入る隙間が、果たしてあっただろうか……?




 だが、今のこの状況は…………。



 この、どうしようもなく手のかかる連中との、奇妙な旅は…………。


「…………ああ、そうだな……」


 俺は、テントの天井を見上げたまま、静かに、しかし嘘偽りなく答えた。


「……少なくとも、退屈してる暇は、全くねぇな」


 俺の答えに、エステルは「やっぱり! そうですわよね!」と、花が咲くように笑った。だが、その笑顔は、すぐに翳りを見せ始めた。


「……ああっ……でも……」


 エステルの声のトーンが、急に落ちる。

 ふぁあ……と、あくびをしながら話を続ける。


「……わたくしが、こうして楽しく冒険させていただいている間にも、きっと、お屋敷では……お父様も、お母様も……わたくしのことを、すごく、すごく心配なさっているに、違いありませんわよね……」


 声も、どんどん小さく、か細くなっていく。

 そして……スースー……と、まるで魔力灯の魔石が切れたかのように喋るのをやめ、穏やかな寝息が聞こえ始めた。


 俺は、そのあどけない寝顔を、呆れた様子で静かに見つめていた。

 すると、エステルの唇から吐息のようにか細く、小さな小さな声が漏れた。



「……ごめんなさい」



 それは、遠い故郷で自分を案じているであろう両親へ向けた、偽りのない、小さな謝罪の言葉のように、俺の耳には確かに聞こえた。



(……………………)



 俺は、何も言わずに、ただエステルの寝顔を見つめていた。

 この、世間知らずで、能天気で、とんでもなく手のかかるお嬢様。


 だが、その心の奥底には、親を思う気持ちや、罪悪感も、ちゃんとあるのだ。




「……一方的に話しておいて、先に寝落ちかよ。本当に身勝手なやつ……まったく」




(……本当に、どうしようもなく、手のかかるヤツだ。だが……)




 俺は、静かに決意を固める。




(……仕方ねぇな。なんとかして、コイツを、あのご両親とやらの元へ……無事に送り届けてやんなきゃな。どんなに面倒なことになっても、どんなに危険な道のりになったとしても……それが、コイツと出会っちまった俺の……いや、ただの、俺自身の意地、みたいなもんなのかもしれん……)




 俺も、ゆっくりと目を閉じた。

 テントの外からは、今なおパチパチと燃える焚き火の音と、時折聞こえる、ガロードの見張りの気配だけが、静かに伝わってくる。


 俺の意識も、深い眠りの中へと、ゆっくりと沈んでいった。


第四章:自由とは不自由から生まれけり(完)

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