第33話:思わぬシナジー
ファルメルを出て、俺たちはタリア平原を目指し、最短距離を進んでいた。
つまり、道なき道だ。
ゴツゴツした岩肌が剥き出しになった地面は、所々凍りついていて非常に滑りやすく、一歩一歩、足元に神経を集中させなければならない。
歩きにくいこと、この上ない。
だが、物理的な歩きにくさ以上に、俺の精神を削ってくるのは、このどうしようもない仲間たちの存在だった。
「まぁ!ご覧になってアリア様!あの岩の形、まるで眠っている巨人のようですわ!」
「わぁ!小さなお花!こんな寒い場所にも咲いているんですのね!なんて健気!」
エステルは、まるで遠足にでも来た子供のように、何かを見つけてはキャッキャとはしゃぎ回り、時折、道の脇へと勝手に走り出していく。
その度に俺が怒鳴って連れ戻す羽目になる。
後ろからは、ガロードが、平らな場所を見つけるたびに「……シート、広げるか?」と言わんばかりに視線をチラチラと送ってくる。
マジックポーチからは、既にレジャーシートの端が見えている。その度に俺が「まだだ!」と睨みつけて制止する。
「ふふっ、ガロード君は寡黙だね」
一番タチが悪いのがこの男、ジーンだ。
「世のレディたちが放っておかないだろう?彼女たちは足りない情報を自分の良いように埋めてくれるからね。多く語らない方がモテるのさ!」
「ああ、エステル、君のその太陽のような笑顔が、この凍てつく荒野をも照らし出すようだ…」
ジーンは聞いてもいない恋愛のコツとやらをガロードに語り、エステルにはくだらないポエムを捧げている。
ガロードやエステルに飽きもせず声をかけるだけならまだいい。
問題は、その愛の言葉だか、自画自賛だかを俺にも延々と垂れ流し続けていることだ。
「アリアちゃんも、そんなにツンツンしていないで、ボクの熱いハートを受け止めてくれてもいいんだよ?」
「寡黙な方がモテるんだろ?せっかくだ、縫い付けてやろうか?」
「おやおや、手厳しいね」
(……ああ、なんて『穏やか』なんだろうな、この旅は……)
道中は、驚くほど穏やかだった。
魔物の気配は、今のところ全くない。それは非常に結構なことなのだが……。
魔物の一匹も出てこないというのに、なぜこんなにも疲れるのだろうか。
寒さなんて、もはや気にする余裕すらなくなっていた。
そんな時、俺はふと、重要なことを確認し忘れていたことに気づいた。
(……そうだ、グリフォンの警戒対策。あのキザ野郎、結局どうするつもりなんだ?まさか、本当にノープランじゃねぇだろうな?もしそうだったら……)
俺はチラリと、近くにあった切り立った崖下を見下ろした。
(……ここから、一人くらい、"不慮の事故"で滑落しても、誰も疑わねぇかもしれん……)
俺は、隣を歩くジーンに努めて冷静な、しかし若干の殺意を込めた声で尋ねた。
「おい、ジーン。そんなことよりも、だ。グリフォンに警戒されずに近づく策は、ちゃんと準備してあるんだろうな?」
「ん?ああ、そのことかい?」
ジーンは、俺の内心の殺意など微塵も感じていないかのように、自信満々に胸を張った。
「もちろんだとも、アリアちゃん。この天才的なボクに、抜かりなどあるはずがないじゃないか。ふふっ、ボクのこの、罪深きほどに魅惑的なスマイルと、神に愛されたとしか言いようのない弓の腕以外の、『とっておきの特技』を披露するのは、これが初めてかもしれないねぇ?」
「特技ぃ?なんだよ、それ……弓以外にもなんかあんのか?……まぁ、期待はしねぇがな」
「それじゃあ、刮目してくれたまえ……いくよ……〈ミラージュ〉」
ジーンが、そうクールに呟くと、スーッ……と、まるで陽炎のように、その姿が揺らぎ始めた。
次の瞬間には、完全に景色に溶け込むようにして消えてしまった!
「……おおっ!?」
(消えた!マジかよ!?どうなってんだ!?)
俺は思わず目を見開き、ジーンが立っていた場所を凝視する。
だが、そこには何も見えない。
「すごいですわっ!ジーン様が消えてしまいましたわっ!まるで妖精さんの悪戯のようですわ!面妖ですわぁ!?」
エステルも目を丸くして、キョロキョロと辺りを見回している。
俺たちが驚き、ジーンの消えた場所を探していると、後ろから、ふぅ、と呆れたような溜息が聞こえた。
ガロードだ。ヤツは、モソモソとパンを齧りながら、俺たちがさっきまでジーンが立っていた場所……つまり、何もないはずの空間を、無言で、しかし正確に指差した。
(ん?あそこを指差してる?どういう意味だ……まさか)
次の瞬間。
何事もなかったかのように、しかも妙なキメポーズを取りながら、ジーンが再び姿を現した!
「やぁ。驚いたかい?ボクはここだよ、可愛い子猫ちゃんたち」
(移動してなかったのか!)
俺とエステルは、再び驚きに目を見開く。
「ふふっ、タネ明かしをしてあげよう」
ジーンは得意げに説明を始める。
「ボクはね、光と水のダブルの魔法使いでもあるのさ。今の〈ミラージュ〉は、空気中にあるわずかな水分を操って、ボクの周りに極小のレンズの層を作り出し、光を複雑に屈折・拡散させて、あたかもボクの姿が完全に消えたかのように見せる……非常に高等な迷彩なのさ。ふふふ…ああっ、神はボクに、この類稀なる美貌と、百発百中の弓の腕だけでなく、こんなにも繊細で高度な魔法の才能まで与えてしまったというのか……!天は一体、ボクにどれだけのものを与えれば気が済むんだろうか……!?」
(…………自分で言うな、バカが)
「……まぁ、そこのガロード君には、残念ながら、この完璧なミラージュも見破られちゃったみたいだけどね」
ジーンは少しだけ悔しそうにガロードを見た。
「君のその、鋭い索敵能力…なかなか大したものだよ」
なるほどな……光を操る迷彩か。
〈認識阻害魔法〉ってやつだ。
たしかに、普通の肉眼じゃ、完全に消えたように見えるだろうな。
目の前で使われてなお、位置が掴めないとは……驚くべき精度と言うしかねぇ。
だが、ガロードは〈リード〉……空気の振動で周囲を探る、音波探査みてぇな魔法を、ほぼ常に使ってる。
その場から一歩も動いていないジーンの存在なんざ、隠しようもなく丸わかりだったってわけか。
(チッ、結局、風魔法相手には全く通用しねぇのかよ、この見掛け倒しが!)
俺の期待は、早くも萎み始めていた。
……だが、グリフォンは見えてるオックブルが狙いだろ?
〈リード〉なんざ、わざわざ使うのかは疑問だ。
警戒されている状態ならともかく、獲物を前に油断している状態ならコイツの〈ミラージュ〉は、グリフォンの目をごまかすのには、十分に有効かもしれねぇ……!
それに、ガロードが常に周囲を警戒してくれてるなら、俺たちが奇襲を受ける心配も減る。
ジーンのミラージュで獲物に接近し、ガロードのリードで周囲を警戒する……悪くない布陣だ。
俺は、それぞれのメンバーの能力を、どう作戦に組み込むべきか、再び頭を悩ませ始めた。
……もちろん、ジーンの自画自賛は完全に無視して、だ。
「ふふっ、わかっただろう?」
ジーンは得意げに胸を張り、自慢の特技について補足説明を始めた。
「この〈ミラージュ〉を使えば、ボクを中心に半径1mくらいの範囲なら、複数人まとめて姿を隠せるってわけさ。これで、どんな敵の監視の目も欺けるって寸法だね。まぁ、効果範囲から出たら普通に見えちゃうけどね。だから、ボクに、こーんなふうにピタッと密着していれば大丈夫さ…!」
ジーンが手慣れた様子で俺の肩に腕を回すとそのまま抱き寄せやがった。
(…半径1m…四人で隠れるとなると、かなりギチギチにくっつかねぇとダメか…しかも、コイツと密着!?反吐が出るぜ…!)
ジーンをほとんど殴りつける勢いで押し返しながら俺は内心で悪態をつく。
「ああ、でも注意点はいくつか。まず、この魔法は制御が非常に繊細だからね、移動すれば多少は揺らいでしまうし、そこまで速くは動けないよ」
(そりゃそうだ。これだけ複雑な魔法、追従させるだけでも大変だ。早歩きが精々ってところか……)
「そして、これはあくまで視覚をごまかす魔法だからね。残念ながら、音だとか、匂いだとかまでは、消し去ることはできないのさ。まぁ、このボクのように、常に美しく、エレガントに、そして静かに行動すれば、全く問題はないのだけれど」
ジーンは、またしても自分の髪をかき上げながら言った。
(音と匂いは消せねぇ、か。あくまで迷彩だもんな。美しく行動?ふざけんな、てめぇが一番チャラチャラしてて騒がしいだろうが!)
俺がジーンの自画自賛に辟易していると、隣でエステルが目を輝かせていた。
「まぁ!わたくしも消えてみたいですわっ!ねぇ、ジーン様、お願いできませんこと?」
(好奇心だけは、本当に人一倍旺盛だな、コイツは……)
「もちろんだとも、ボクのエンジェル。君のためなら、どんな魔法だって使ってみせるとも。……いくよ、〈ミラージュ〉!」
ジーンが再び魔法を使うと、エステルの姿も、ふわりと周囲の景色に溶け込むように消えた。
「わぁ!すごいですわ!わたくし、今、消えておりますのね!?まるで空気になったみたいに!……あら?でも、こちらからは普通に周りの景色が見えますのね!うふふっ!ねぇ、ガロード様、ガロード様!わたくし、今どこにいるか分かりますか!?」
エステルは、自分の姿が見えないことに気をよくし、いつも通りの、よく通る声でガロードに話しかけている。
ガロードは、もぐもぐとパンを食いながら、やれやれといった風に、実に面倒くさそうに、声のする方……つまり、エステルがいるであろう空間を、無言で、しかし正確にピシャリと指差した。
「……………………ですわっ!?」
エステルは、あっさりと自分の位置を見破られたことに、相当なショックを受けたようだ。
ミラージュの効果が切れたのか、ジーンが解いたのか、姿を現しながら、信じられないといった顔でガロードを見ている。
「だから、ガロードには効かねぇっての!聞いてなかったのか、このアホは!しかも、あんなデカい声出してりゃ、索敵魔法なんぞなくても、俺だって分かるわ!」
(……コイツをどうやって黙らせるか、本気で考えねぇと、音でバレるぞ、これじゃ……)
俺がそんなことを考えていると、ガロードがチラリと俺の方を見た。
そして、次の瞬間、エステルが「なぜ分かったんですの!?ひどいですわ!ず……」と騒ぎ始めた、その口が、パクパクと動くだけで、全く声が聞こえなくなった!
それだけじゃない。
エステルが悔しそうに地団駄を踏む音も、着ている服の衣擦れの音すらも、完全に消えている!
(ん?声が……消えた?物音も?なんだ……?音だけが、完全にシャットアウトされてる……?……まさか、ガロードか!?)
俺は驚いてガロードを見た。
ヤツは相変わらず無表情でパンを齧っているが、その目に、わずかに「これでいいか?」と言いたげな光が宿っている……。
エステルは、自分の声が出ないことにようやく気づくと、完全にパニック状態になっている。
「──────────────!?───────?──────?!」
身振り手振り、口をパクパクさせて、必死に何かを訴えようとしている。
その様子を見て、俺は理解した。
(〈サイレス〉……!風魔法で、術者の周囲の空気の振動そのものを強制的に停止させて、音の伝達を完全にシャットアウトする…!あの、空気の振動を探る〈リード〉とは、まさに正反対の魔法!コイツ、そんなことまで無詠唱でできんのか!)
そして、俺の頭の中で、とんでもない閃きが生まれた。
(待てよ……?)
ジーンの〈ミラージュ〉で、視覚的に姿を消して。
ガロードの〈サイレス〉で、聴覚的に音を消す……。
これなら、ほぼ完璧な隠密行動が可能になるんじゃねぇか!?
(すげぇ……!これは使える!マジで使えるぞ!!まさか、このキザな弓使いと、食いしん坊の〈沈黙〉という、この間抜けコンビが、こんなに強力な隠密能力を生み出すなんて……!)
初めてだった。
どうしようもないメンバーだとばかり思っていた、この組み合わせの、そのとんでもない有用性に。
俺は心の底から感動していた。
鳥肌が立つほどの興奮だ!
(……欲を言えば、エステルと、ついでにジーンには、常時ずーーーーーっと〈サイレス〉かけといてくれねぇかな……?静かになって、最高なんだが……)
そんな、とてつもなく不謹慎な願いが、一瞬だけ頭をよぎった。
やがて、〈サイレス〉の効果が切れたのだろう。
「びっ、びっくりしましたわ!!急に声が出なくなってしまうなんて!いったい何が起こったんですの!?」
エステルが、ようやく声を取り戻し、ケホケホと咳き込みながら騒いでいる。
だが、俺の頭の中は、この〈ミラージュ〉と〈サイレス〉の隠密コンボを軸にした、新たなグリフォン討伐作戦の可能性で、一杯になっていた。
これなら、あるいは……!警戒心の強いグリフォンにも、気づかれずに接近できるかもしれん!
確かな手応えを、俺は感じ始めていた。




