第32話:明日はどっちだ
覚悟を決めて、懐から金貨を取り出した俺は、震える手で……というのは少し大げさだが、心の中では泣きながら代金を支払った。
そして、ギルドのプレートに記録されている自分の預金残高を思い浮かべる。
(……えーっと、18,700ガルドから、13,000ガルド引いて……残り、ご、5,700ガルド……!? おいおい、さっきまで二万近くあったのに、一気に一万ガルド以下かよ……!)
あまりの減りっぷりに、冷や汗がドッと噴き出す。
ここからさらに、マノンの姐さんへの追加の酒として〈竜火酒〉を買うなら1,500ガルド……。
ジーンへの謝礼は、いくら包めばいいんだ……?
グリフォンの魔石の価値を考えたら、最低でも数千ガルドは渡さねぇと、後が怖いかもしれん……。
……クソッ、マジで金が足りねぇ!
……ジーンへの謝礼は、俺個人の金から出すんじゃなくて、パーティ〈ジョーカー〉の、共有の経費としてちゃんと管理するべきだな。
今後も、こういうパーティとしての出費は必ず出てくるはずだ。
エステルの生活費だってそうだ。
金の管理はしっかりしねぇと、あっという間に破産だぞ、これは……。
俺は、リーダーとしての責任という名の、さらなる気苦労のようなものを、ひしひしと感じ始めていた。
(……まぁ、念願のマジックバッグは手に入れた。物資も揃った。金はほとんどスッカラカンになっちまったが……金なんざ、また稼げばいい! まずは、グリフォンだ! あの魔石さえ手に入れれば……!)
俺は、購入したマジックバッグを、改めて肩にかけ直した。思ったよりは体にフィットする。
デザインが可愛いのが、気に食わないが……。
……ほんとだぞ?
(よし!)
気持ちを切り替え、俺は店を出た。
酒屋の〈樽処ワース〉へ行き、店主のドワーフに贈った酒の反応が上々だったことを伝え、同じものをもう一本購入する。
1,500ガルドは痛いが、武具の加工費が高級酒二本分の3,000ガルドで済んだと思えば格安だろう。
仮に〈鉄細工・鉄心〉で作ろうもんなら鍛冶職人一人を数ヶ月も抱えなきゃなんねぇ。
そうなれば諸々の費用込みで数万ガルドくらいは必要だったかも知れねぇからな。
格安……そう、思うしかねぇ。
次の戦いに向けて、やるべきことはやった。
あとは、あのバカども……エステル、ガロード、ジーンと合流して、いよいよタリア平原へと出発するだけだ。
待ち合わせ場所の通行門前に着くと、そこには既に、やけに大きな風呂敷包みをいくつも抱えたガロードと、その隣でニコニコしているエステルの姿があった。
そして、少し離れたところには、澄ました顔で壁に寄りかかっているジーン。
だが、よく見ると、そのキザな首元に、妙に赤い、見覚えのない痕が残っている。
(……なんだ、あの風呂敷包みは……デカすぎるだろ……。それに、ジーンの首のアレは……まさか)
俺が訝しげに見ていると、エステルがホクホク顔で駆け寄ってきた。
「ふふっ、ご期待くださいませっ、アリア様! こちら、〈陽の果て亭〉のご主人が、わたくしたち〈ジョーカー〉の新たなる門出を祝して、特別にご用意してくださった特製お弁当なんですのよっ!」
エステルは誇らしげに、ガロードが抱えている、山のような包みを示す。
「わたくしもほんの少しだけ、つまみ食い……ではなくてっ、味の最終確認をいたしましたけれど、とっーーーっても美味しかったですわぁ♡ もちろん、わたくしがお願いした、おにぎりも、たっっっくさんありますのよっ!」
エステルはガロードの方を見てニコニコしている。ガロードも、大事そうに包みを抱え直し、ウンウンと満足げに頷いている。その目には、早く食べたくて仕方がない、という光が宿っているように見える。
「……いや、そうじゃなくてだな……」
俺は頭を抱えながら尋ねた。
「なんで、それをガロードのマジックポーチに入れないんだ? そっちの方が、運ぶのも楽だろうが」
俺が当然の疑問を口にすると、
「え?」
「?」
ガロードとエステルが、二人揃って、心底不思議そうな顔で首を傾げた。
そして、エステルが答える。
「なぜって……それは、もちろん、もうポーチには入りきらなかったからですわっ!」
「……ん?」
(はぁぁぁぁ!? 入りきらない!?)
あの〈鐵喰い〉の素材すら入ったサイズのポーチに、弁当が入りきらないだと!?
どれだけ特注してきたんだ、お前らは!!! しかも、昨日入れた〈鐵喰い〉の素材分の容量は、確実に空いたはずだろうが!?
まさか……その空いたスペースすら、全部、弁当とおにぎりとパンとクッキー、あるいは串焼きで埋めやがったってのか!?
俺は怒りを通り越して、もはや虚無感に襲われた。こいつらの食欲は、底なし沼か何かか。
(……こうなったら仕方ねぇ……)
俺は肩にかけていた、買ったばかりの背負い型マジックバッグを外し、エステルに手渡した。
「……エステル。俺もマジックバッグを買ってきた。入りきらない弁当は、こっちに入れろ」
「まぁ! こちらにも刺繍が! なんて可愛らしいバッグですこと! 素敵ですわ! ありがとうございます、アリア様!」
(刺繍はどうでもいいんだよ! それより中身だ!)
「いいか、よく聞け」
俺はエステルの肩を掴み、真剣な目で言い聞かせる。
「今後、パーティの共有物資……こういう食料とか、テントとか、その他の道具の管理は、全部エステル、お前に任せる。戦闘中は、絶対にこのバッグを肌身離さず持ってろ。無くしたり、壊したりしたら……どうなるか、分かってるな?」
非常に、非常に、心の底から遺憾で、不安しかない決断だったが、他に選択肢はない。
「まぁ! わたくしにも、ようやく皆様のお役に立てる、大切なお役目が! 嬉しいですわ! お任せくださいまし、アリア様! このエステル、命に代えても、この素敵なバッグをお守りいたします!」
エステルはぱぁっと顔を輝かせ、意気揚々とバッグを背負い、その場でくるりと一回転してみせた。
(ああっ……! 12,000ガルドもした、俺のなけなしの金で買ったバッグだぞ! 頼むから、そんな雑に扱うな……!)
まぁ、気にしても仕方ない。
どうせこれから、もっと酷い扱いを受けることになるだろう。
俺は諦めの境地で、天を仰いだ。
気を取り直し、俺はジーンの方を見た。例の首の痕が、やはり気になる。
「それで、ジーン……おまえ、その首の赤いのはなんだ? どこぞの虫にでも刺されたか?」
「おやおやっ、アリアちゃん、気づいてしまったかい?」
ジーンはわざとらしく首筋を押さえ、やけに色っぽく視線を送ってくる。
「これはだね、ボクという情熱の花に引き寄せられてしまった、儚くも美しい一匹の蝶が、名残惜しそうに残していった、熱い熱い接吻の……」
「いや、いい。もういい。説明するな。頼むから静かにしろ」
俺は、ジーンの長ったらしい、そして十中八九嘘まみれの言い訳を、冷たく、そしてきっぱりと遮った。これ以上、こいつのバカ話に付き合うのは時間の無駄だ。
「ふふ、花は近寄ってくる蝶たちを拒むことはできないのさ……」
「……」
(だが、あの短時間で、本当に『愛の狩り』とやらを成功させやがったのか……? ある意味、その行動力だけは、大したヤツかもしれん……。方向性は、最悪としか言いようがないが)
「おやおや、妬いちゃって。ふふっ、可愛いなぁ、アリアちゃんは」
…………もう、コイツには何を言っても無駄だ。
(……ああ、そうか。俺は、こいつらの、このどうしようもない奇行や言動に、もう慣れてきちまったのかもしれんな……。いちいち腹を立てるだけ、エネルギーの無駄だと、どこかで諦め始めてる……)
そんな恐ろしい自己分析が頭をよぎり、ゾッとする。
(いや、違う! 断じて違う! 俺は、俺はまだ正常だ! おかしくなんてなってない……はずだ……! 絶対に!)
俺は、自分に強く、強く言い聞かせた。
そして、パンパン、と手を叩いて、三人の仲間……もといバカどもの注意を無理やり引いた。
「よし! グダグダしてても始まらねぇ! 準備はいいな!? 目指すはタリア平原! 忌々しいグリフォンを狩りに行くぞ!」
俺は、このどうしようもなく手のかかるパーティ〈ジョーカー〉の面々を引き連れ、本当の冒険へと向けて、今度こそファルメルの街の門を後にした。
果たして、俺たちの明日はどっちだ……。
今はもう、前に進むしかない。




