第27話:大事な仲間(釣り餌)
「ま、待て!」
俺はハッとして、思わずその背中を呼び止めようとした。
(クソッ……! あの腕は絶対に必要だ!)
その時だった。
「アリア様〜〜〜っ!」
間の抜けた、しかし今はどこかホッとするような明るい声と共に、工房の方からエステルが、ニコニコと笑顔で手を振りながら、こちらへ駆け寄ってきた。
「マノンお姉様が、剣の修理、もうすぐ完成するからって、お呼びですわよ〜っ!」
その、屈託のないエステルの姿を認めた瞬間。
去ろうとしていたジーンの動きが、まるで魔法か何かで石にされたかのように、ピタリと止まった。
その顔からは、さっきまでのキザで自信満々な笑みが完全に消えている。
まるで信じられないもの、あるいは、この世のものとは思えない美しいものを見るかのように、目を大きく見開いて、エステルを凝視している。
「……ラ……」
(……ラ?)
そして、ポトリと。
さっきまで自慢げに肩にかけていた、串刺しのガリオンバードの束が、力なく地面に落ちた。
「……っ……か、可憐だ…………」
ジーンは、なにかを言いかけたが、まるで言い直すかのように、そうか細く呟いた。
(は……? 可憐……? 誰が?……エステルのことか!? このアホお嬢様が!?)
次の瞬間、ジーンはまるで何かに憑りつかれたかのように、エステルに向かって駆け寄った!
そして、驚いて固まっているエステルの目の前で、騎士物語に出てくる王子様もかくや、というような、実に芝居がかった仕草で、恭しく片膝をつき、その手を取った!
「ああっ……! 麗しの君……! なんという奇跡……! 貴女に今、この場所で出会えたことこそが、今日までボクが生きてきた、ただ一つの理由だったのだと、今、この瞬間に理解したよ……!」
その目は、さっきまでの冷たさや計算高さは微塵もなく、熱っぽく潤み、エステルだけを映しているように見える。
「どうか……どうか、明日からを生きる理由を、このボクと、共に探してはくれないだろうか……!」
(うわぁぁぁ…………!! サブイボが止まんねぇ……!! なんだそのクサすぎるセリフは! 聞いてるこっちの身が縮むわ!!)
俺が強烈な嫌悪感と寒気に襲われていると、当のエステルは、突然のことに完全にパニックを起こし、ジーンに手を取られたまま、怯えたようにブルブルと震え始めた。
「ふぇぇぇ!? な、な、な、なんですの、いきなり!? ち、近いですわ! きっと人違いですわ!? こ、怖いですわ、アリア様〜〜っ!!」
エステルは、涙目で俺に助けを求めてきた。
(怖い……? よかった……!! コイツ、こういうキザで押し付けがましいタイプには、ちゃんとドン引きするのか! まともな感性持ってて、心底安心したぜ!)
そして、同時に、俺の頭に悪魔的な閃きが走った。
(……待てよ? ジーンは、エステルに完全に一目惚れ状態……? あのアホお嬢様に?――これは……使える!!)
俺は、怯えるエステルの肩をそっと抱き寄せ、自分の後ろに庇うように立つ。
そして、ニヤリと、実に意地の悪い笑みを浮かべて、跪いたままのキザ野郎に言ってやった。
「……ほう? 俺の『大事な仲間』に、何か御用かな? 狩人さんよぉ」
さあ、絶好の交渉チャンスだ。この色ボケ野郎を、どう料理してやろうか。
俺がエステルを庇うように前に立つと、エステルは俺の後ろに隠れながら、ひょっこりと顔だけ覗かせた。
その仕草は、まるで怯える小動物のようだ。
(……黙ってさえいれば、本当に顔だけは良いんだよな、コイツは。黙ってさえいれば……)
「な、なんですのっ? アリア様……あ、あの方は……? なんだか……わたくしを見ていないような……」
エステルは、小声で俺に囁きかけてくる。
あの厳ついオロンやマノンには、あんなに初対面から馴れ馴れしかったくせに。
ジーンには警戒ちゃんとするのか。
コイツも意外と、見る目がある……のかもしれねぇ。
(……まぁ、あのキザ野郎の異常さに、本能的に危険を感じ取っただけかもしれんが)
そんなエステルの怯えた様子を見て、ジーンはうっとりとした表情で天を仰ぐような仕草で言った。
「ああっ、そんなに怯えないでおくれ、ボクのエンジェル。ふふっ……無理もないか。このボクは、愛を狩る狩人……その鋭い眼光と、溢れ出る魅力に、か弱い君が射竦められてしまうのも、ある意味では仕方のないことかもしれないね」
(………………バカだ、コイツ。マジモンの、救いようのない、ド級のバカだ……)
俺は確信した。
エステルもガロードも大概だが、やはりコイツも、その二人と肩を並べるバカかもしれん。
なんで俺の周りには、こうも規格外のバカばっかり引き寄せられるんだ……。
エステルにガロード、ジーン……。
そして、こんなやつらに頼らないといけねえ状況ってのが、なんともやるせねぇぜ……。
まさか、俺自身が、そういうのを呼び込む体質だとでもいうのか……?
(いや、考えたくもねぇ……!)
本気で自己嫌悪に陥りそうになるのを、必死で堪える。
……今は、目的を達成することが最優先だ。
俺はエステルに小声で囁き返した。
「いいか、エステル。苦手なのは分かる。正直に言って、俺だってコイツのこと、腹わたが煮えくり返るくらい嫌いだ。ぶん殴りてぇ。だがな……空飛ぶグリフォンを倒すには、どうしてもコイツの弓の腕が必要なんだ。だから、少しだけ我慢して俺に協力しろ」
「で、でも……あんな誠実そうな、お方を騙すのは……」
(何を言ってんだ! どう見ても誠実とは正反対だろうが!)
誠実の対義語の欄にジーンって書き加えてもいいくらいだ。
全くこいつの感性はよくわからん。
「これは、お前の『牢屋行き』を回避するための、重要な作戦でもあるんだぞ!」
最後の言葉が効いたのか、エステルは渋々ながらも、しかし決意を秘めた目で、小さく頷いた。
……よし。
俺は再び、まだポーズを決めているジーンに向き直った。
「さて、ジーン」
俺は、わざとらしく、芝居がかった口調で切り出した。
「お前に話があると言ったな。実はな……この、か弱くも、天使のように美しいお姫様……エステルは、あの忌々しいグリフォンと、それはそれは深~~~~~~い、悲しい因縁があってだな?」
俺は、意味ありげに言葉を切り、ジーンの反応を窺う。
「……奴に、かけがえのない、とても大切な『友人』を、無慈悲にも奪われたんだ。なぁ? エステル」
俺が目で合図を送ると、エステルは一瞬キョトンとしたが、すぐに思い出したように、みるみるうちに顔を曇らせ、大きな瞳に涙を溜めて訴え始めた。
「そ、そうですわ! 思い出すだけでも胸が張り裂けそうですのっ……! あの恐ろしくて、無慈悲なグリフォンは……っ! わたくしの大切な、大切なお友達……ウ、ウシさんを……っ!」
(……って、おい! コイツ、演技じゃなくて、本気で悔しがってやがる! その牛のこと、マジで友達だと思ってたのかよ!? 純粋すぎるだろ……!……ま、まぁ、結果的に好都合だが……)
「わたくしの目の前で、無抵抗のウシさんを、あの鋭い爪で掴み上げて、空高く連れ去って……! わたくし、何もできませんでしたわっ! 何より、何よりもっ……あの時の無力だった自分が、悔しくて、許せませんの! うぅ……!」
エステルの本気の悲痛な訴えを聞いたジーンの顔色が、劇的に変わった。
さっきまでのキザな笑みは完全に消え、代わりに深い同情と、燃えるような怒りがその顔に浮かんでいる。
(……相手は牛だけどな)
「な、なんだって!? ああっ、なんてことだ! こんなにも可憐で、か弱く、そして天使のように美しい君の、その純粋な心を傷つけ、悲しみの涙を流させるような、そんな邪悪な存在が、このイドリアの空を舞っているというのか! 許せん! ボクが、この愛の狩人ジーンが、断じて許さんぞ、グリフォン!!」
ジーンは本気で憤慨し、ギリギリと拳を握りしめている。
(えっ……チョロ!)
チョロすぎるぞ、コイツ!
エステルの悲劇に、完全に感情移入してやがる! バカと純粋は、ある意味最強かもしれん……。
そして、このバカばっかりの状況に、俺の頭も本気で痛くなってきた……。
俺は、この茶番劇を早く終わらせたい一心で、最後のダメ押しをする。
「……そうだ。だから、頼む、ジーン! 俺たちに協力してくれ! この子の……エステルの、奪われた笑顔と、亡き友ウシさんの無念を晴らすために……!」
(……オエッ、なんだこのクサすぎるセリフは! 俺、今、自分で何言ってんだ!? 恥ずかしくて死にそうだ……!! 早く終わってくれ……!!)
俺は、自分で言っておきながら、猛烈な自己嫌悪と羞恥心に襲われていた。
……だが、自分でも恥ずかしくなるような、このクサい説得は、目の前の色ボケナルシスト野郎には驚くほど効果があったらしい。
ジーンは芝居がかった仕草で胸に手を当て、熱っぽく宣言した。
「……わかった。ボクに任せてくれたまえ。キミの、そして、このボクの心を射抜いた、か弱くも美しい天使の涙のために……このボクの神聖なる矢が、必ずや、その空を穢す邪悪なグリフォンを打ち砕いて見せるさ!」
(……よし、落ちた! なんて間抜けなやつなんだ……! チョロすぎる!! 相手は牛なのに!!)
俺が内心でガッツポーズしていると、周りの村娘たちが「そんなっ! ジーン!」「私たちのそばにいて!」「行かないで!」と、最後の抵抗とばかりに騒ぎ立てる。
「止めないでおくれ、ボクの可愛いレディたち」
ジーンは、悲劇のヒーローを気取って、彼女たちに手を広げて見せた。
「ボクは今……か弱き者を守るという、騎士道にも似た、聖なる義憤に燃えているのさ! この地に蔓延る邪悪を討ち払い、必ずや、この村に、そしてボクの天使の心に、平穏を取り戻してみせるさ……! それまで、どうかボクのことを、ここで健気に待っていておくれっ……!」
(あー…………もう、いい加減にしてくれねぇかな、この茶番劇……。早く終わってくれ……つーか、エステルはどうした……? 早速浮気かよ)
俺は心底うんざりしながら、このクサいメロドラマが早く終わるのを待った。
「よしっ、話は決まったようだね!」
すっかりその気になったジーンは、やる気に満ちた表情で俺たちに向き直る。
「早速出発しようじゃないか! その忌々しいグリフォンの根城は、一体どこなんだい!?」
息巻くジーンに、俺はやや疲れた声で冷静に答える。
「まぁ待て、そんなに焦るな。まずは、俺の武器を受け取りに、さっきの工房に戻る。それに、いきなりグリフォンに突っ込むわけにもいかねぇだろ。ちゃんと作戦会議も必要だ」
「工房? ああ、マダム・マノンの所かい?」
意外にも、ジーンはあっさりと頷いた。
「奇遇だね、ボクもちょうど、このガリオンバードを彼女に届けに行くところだったのさ。マダムの弓の調整はボクが見ても惚れ惚れするほどの完璧さだが、ちと気難しくてね。こういう手土産が、機嫌を取るのには効果的なのさ。いいだろう、同行しようじゃないか」
そう言って、ジーンはキラリと、爽やかな……と本人は思っているであろう笑顔をこちらへ向けてきた。
(マダム・マノン? コイツ、マノンと知り合いだったのか。しかも鳥を届けに? 狭い村の住人だ。知ってて当然っちゃ当然か……まぁ、都合がいいが……)
俺の後ろに隠れていたエステルが、ひょっこりと顔を出した。
「そうですわ! あのウシさんの仇を取るためですもの! よろしくお願いいたしますわねっ、ジーン様っ!」
そう言って、エステルはジーンに向かって、にこりと笑顔を見せた。
「はう……っ」
ジーンは奇妙な声を上げ、まるで心臓を撃ち抜かれたかのように胸を押さえ、よろめいた。完全に、エステルの笑顔にノックアウトされている。
(うわぁ……)
一方、そんなジーンの過剰な反応を見て、エステルは困ったように俺を見る。
(そりゃそうだよな! キモいもんな! よしよし、それでいい! まともな感性で安心したぜ!)
……てか、なんなんだこのメンバーは!!
食い意地しかねぇバカ、世間知らずのアホ、節操なしの色ボケ……!
グリフォン退治だぞ?
ほ、本当に大丈夫なんだろうな……!?
前途多難すぎる……!
俺は、悪化していく頭痛に耐えながら、深い深い溜息をついた。




