第26話:ジーン
俺は壁から背を離し、村娘たちに囲まれて、さも得意げに狩りの自慢話をしている、あのチャラチャラした狩人の方へと、ゆっくりと、しかし確かな目的を持って歩き出した。
(さて、どうやって話しかけたもんか…。まずは、あの女どもをどうにかしないとならねぇか…?)
俺は愛想笑いを顔面に張り付けて、集団へ近づいていく。
村娘たちに囲まれて上機嫌に喋っていたキザな狩人…ジーンが、話の途中でピタリと口を噤み、俺に気づいた。
「…ガリオンバードたちが水辺で油断して魚を食らった、まさにその刹那、ボクの放った一本の矢は、風を切り裂き、寸分の狂いもなく、三羽の急所を正確に──…」
そこで言葉を切ると、ジーンは芝居がかった仕草で、ゆっくりと俺の方へと向き直った。そして、値踏みするような視線を俺に送ってくる。
「おや…?なんだい?ボクに何か用でもあるのかな?……ふぅん、見ない顔だね。この村の子じゃないのかい?ひょっとして、ボクの華麗なる狩りの噂を聞きつけて、遠くからわざわざ会いに来てくれた、新しい子猫ちゃんかな?」
そう言うと、ジーンは自分の金髪の前髪を、指で軽くクイッと跳ね上げ、極めつけに、パチンッ、と効果音が鳴りそうな、実にわざとらしいウインクまでしてきた。
張り付けてあったはずの愛想笑いが上から順に剥がれ落ち、ついには真顔になる。
(………………………………は?)
一瞬、俺の思考が完全にフリーズした。
そして、ようやく意味に理解が追い付いた後に来た。
ザワワッと全身の身の毛が逆立つような、強烈すぎる嫌悪感が、腹の底から込み上げてきた。
(こ、こ、子猫ちゃん……だと……!?キッッッッッモい……!!!キモすぎるぞ、コイツは!!!!)
反射的に、腰に手が伸びる。だが、そこにあるはずの愛剣の感触はない。そうだ、マノンに修理に出しているんだった…!
(クソッ!!!剣さえあれば…!剣さえあれば、今、この場で、この気色悪いナルシスト野郎を、あのガリオンバードみてぇに串刺しにしてやるところだったのに…!!)
俺はギリッ、と奥歯を強く噛み締め、自分の表情筋が完全に凍りつき、能面のように動かなくなっていくのを感じた。殺意が沸騰しそうだ。
同時に、俺の頭の中で、けたたましく警鐘が鳴り響いていた。
(やめとけ!コイツはヤバい!見た目だけじゃねぇ、根っからの危険人物だ!絶対に関わるな!今すぐ引き返せ!)
俺の本能が、全力でそう叫んでいる。
この男を仲間に引き入れるのは、あのガロードやエステルを抱えるのとは別種の……そして根っこの部分で同じような……致命的な破滅を招くかもしれない、と。
だが……!
(だが、あの弓の腕は……!一矢で三羽を射抜く、あの異常なまでの腕前は……惜しい!グリフォンを確実に仕留めるには、どうしても、コイツの力が必要になるかもしれねぇ……!)
目的達成のためには、この吐き気を催すような不快感を、乗り越えなければならないというのか…?
(クソッ…………!!仕方ねぇ…………!!)
俺は、沸騰しそうな怒りと嫌悪感を、奥歯を噛み砕くほどの力で、理性で無理やりねじ伏せた。
あくまで、目的のための『駒』として利用するだけだ。用が済めば、さっさと切り捨ててやる。そう割り切るしかない。
俺は、凍りついたような無表情のまま、目の前の薄ら笑いを浮かべるキザ野郎に、できるだけ冷たく、低く、心を殺して、平坦に、事務的な声で話しかけた。
「…………アンタが、ジーンか。少し、話がある」
「ああ、もちろんさ」
ジーンは、やけにキラリと白い歯を見せつけながら、芝居がかった口調で答える。
「ボクは、かわいい子猫ちゃんのお願いとあらば、いつだって聞いてあげる準備はできているとも」
(………………殺すぞ、この野郎………………)
俺の額に、くっきりと青筋が浮かび上がるのが自分でも分かった。こいつの存在自体が、俺の神経を逆撫でする。
周りの村娘どもが、「何よ、あの馴れ馴れしい女…!」「ジーンは私とお話する約束だったのに!」「さすがジーンね、誰にでも優しいのね!」などと、ギャーギャー騒ぎ立てるのが、さらに俺の苛立ちを増幅させた。
(順番待ちなんざするか、ボケェ!!)
俺はこのやかましい取り巻き連中と、目の前のキザ野郎をまとめて無視し、ジーンを真っ直ぐ睨みつけて、単刀直入に本題を叩きつけた。
「グリフォン討伐に協力してほしい」
俺の言葉に、周りの女どもが、今度は文字通り金切り声を上げた。
「グ、グリフォン!?危ないわ!そんな魔物、聞いただけで恐ろしいのに!お願い、そんな危険なこと、やめてちょうだい、ジーン!」
「そうよ!私、心配で夜も眠れなくなってしまうわ!」
「ちょっとっ、私が先だって言ってるでしょ!ジーンは私を守ってくれればそれでいいのよ!」
「私を置いていかないで、ジーン!」
(………………ああ、もう、うるせぇ!!!!耳障りなんだよ、てめぇらは!!)
俺は、我慢の限界を完全に超え、腹の底から、普段の俺からは想像もつかないような、ドスの利いた低い声を出した。
「うるせぇな、てめぇら!少し黙ってろっつってんだろ!!」
俺が発した、殺気にも近い気迫に、さすがの能天気な村娘どももビクッと体を震わせ、一瞬にして静まり返った。
シン、と静まり返った気まずい空気の中で、ジーンだけが、ククッと喉を鳴らして面白そうに笑っていた。
「やれやれ……これはこれは、見た目に反して、とんだじゃじゃ馬な猫ちゃんだったようだね。ふふっ、馬なのに猫?これはなかなか面白い」
(……面白がってんじゃねぇぞ、このクソ野郎が……!)
「それで……?グリフォン討伐、かい?」
ジーンは芝居がかった仕草で肩をすくめる。
「確かに、このボクの、神に愛されたとしか思えない弓の腕にかかれば、空飛ぶグリフォンだろうが、伝説のエンシェントドラゴンだろうが、一発でその心臓を射抜くことだって可能だろうけどねぇ」
(ハッ、よく言うぜ。ドラゴンを一発だぁ?口から出まかせも大概にしやがれ)
周りの黙らされたはずの娘たちが、小さく「キャー!すごーい!」などと囁いているのが聞こえるが、俺は冷めきった目で、その自画自賛を聞き流した。
ジーンは、取り巻きたちの小さな歓声に満足げに頷くと、スッと表情を変え、俺に向き直った。その目は、さっきまでのふざけた光はなく、値踏みするような、冷たい光を宿している。
「でもね、子猫ちゃん。残念だけど、ボクがそれにわざわざ協力してあげる『理由』が、どこにあるのかな?」
その言葉は、明確な拒絶だった。
あるいは、相応の金品か、B級へ挑むだけの対価の要求だ。
ふざけた態度だが、まともなことを言われるとそれはそれで腹が立つ。
(……チッ。正論だ。相手はB級。命懸けだ。相応の理由なく協力してくれるワケがない。面倒くせぇ野郎だ。だが、ここで引き下がるわけにはいかねぇんだよ……!)
俺は、ジーンの値踏みしてくるような挑戦的な視線を、真っ向から受け止めた。そして、口の端を歪め、不敵な笑みを無理やり作って答えてやった。
「理由、ねぇ……。例えばどんなモンがお好みなんだ?そんなもんがなけりゃあ、挑戦できねえって?」
俺はジーンの目を真っ直ぐに見据え、挑発するように続けた。
「それとも何か?『神に愛された』弓の腕でも流石にB級相当のグリフォンは怖いと見える。……当てる自信がねぇとか?もしかしたらと思って声をかけてみたが……こりゃ、そのガリオンバードだって怪しいもんだな。そこらの店で買ってきたやつかもしれねぇ」
(さあ、どう出る、このキザ野郎)
俺の挑発に、ジーンは一瞬だけ眉をピクリと動かしたが、すぐに余裕の笑みを浮かべた。
「ふっ、やれやれ…挑発しているつもりかな?面白い。そんなにボクの実力が知りたいのなら……いいよ、特別に見せてあげよう」
そう言いながらジーンは数歩、距離を取る。立ち止まるや、背負っていた、使いこまれているものの鈍く黒光りする複合弓を、まるで手品のように素早く手に取った。
そして、矢筒から一本の矢を引き抜くと、こともなげに弓につがえ、狙いを……真上へと定めた!
パシュッ!
鋭い風切り音を残し、矢は凄まじい速度で空高くへと射ち上げられ、あっという間に民家の三角屋根の上の広く高い空の、さらにその上へと消えていった。
(…何をする気だ?)
「〈レティクル・プリズム〉」
(魔法……水!?)
ジーンの顔前に水泡が浮かぶと、瞬時に揺らぎは消え、照準レンズが如く右目を覆う。
俺が訝しんでいると、数瞬の間を置いて、遥か上空で、太陽の光を反射したのか、矢が一瞬キラリと光った。
矢は重力に従って、凄まじい落下速度で、正確に俺の頭上めがけて落ちてくるではないか!
(なっ!?曲射!?しかも、俺を狙って…!?)
咄嗟に身構える俺。
だが、ジーンは慌てる様子など微塵も見せずに、既に二の矢をつがえ、弓を引き絞っていた。
そして、落下してくる第一矢を正確に見据え……放つ!
ヒュンッ!パァンッ!!
放たれた第二矢は、寸分の狂いもなく、落下してくる矢を捉える!
俺の頭上で激突した二本の矢は、乾いた音を立てて砕け散った。
木っ端微塵になった矢の破片が、キラキラと光りながら俺の周囲に降り注ぐ。
(………………!!)
言葉も出なかった。
なんだ、今の曲芸は。
恐るべき動体視力とそれを補強する精密な魔法制御!
何より、落ちてくる矢を空中で正確に撃ち落とす、人間離れした弓の技量……!
周りの村娘たちが、「キャー!ジーン素敵ー!」「今の見た!?すごーい!」と、甲高い歓声を上げている。
俺は、ただ呆然と、その神業としか言いようのない光景を見上げていた。
(コイツ、本当にとんでもねぇ弓の腕前だ……!)
嫌悪感とは別に、その実力だけは認めざるを得ない。
「おっと……どうやら、撃ち抜いたのは矢じゃなくて、君のハートの方だったかな?」
ジーンは、してやったりという顔で得意げに弓をしまい、またしてもキザなウインクを飛ばしてくる。
そして、満足したのか、取り巻きの娘たちを引き連れて、さっさとこの場を去ろうとする。




