第22話:マノン
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翌朝。宿の質素なテーブルには、昨日エステルがパン屋で恵んでもらったパンの耳が並んだ。今日の朝食はこれらしい。
「パンミミかよ……まぁ、タダ飯なのはありがてぇが……」
「まぁまぁ!そう、おっしゃらずに!是非ともお食べになってみてくださいましっ♪」
俺は不承不承、その硬そうな切れ端を手に取って齧る。
……もぐ……ん?
(……意外と……いや、普通に美味いな、コレ)
噛めば噛むほど、小麦の甘みが口の中に広がる。
この分だと、エステルが熱望していたクッキーとやらも、相当美味いのかもしれない。
隣を見ると、エステルが「やっぱり美味しいですわ~!」と、実に幸せそうにモキュモキュと頬張っている。
単純でいいな、お前は……。
ひょい、パク…もきゅもきゅ……。
宿を出て待ち合わせ場所へ向かうとガロードが、無心でパンの耳をむさぼり食っていた。
……お前もかよ。
美味そうに食いやがって、そんなに気に入ったのか?
「おはようございますわ!ガロード様~!本日のおやつは……あのクッキーですわねっ!」
「……!(コクコク)」
(ブレねぇな、お前ら、食い物に関しては本当に!!)
「わたくし、昨夜は楽しみで、なかなか眠れませんでしたわ~♡」
「布団に入って三分で寝てたろ」
やれやれ、腹ごしらえを済ませ、カマド村へと向かうべく、ファルメルの街はずれにある乗り合い馬車の停留所へと向かった。
(乗り合い馬車かぁ……この騒がしいお嬢様連れてるってのに……)
俺の嫌な予感は、ものの見事に的中した。
大して変わり映えもしない雪景色だというのに、馬車に乗り込むなり、エステルは窓の外の景色に大興奮。
「まぁ!ご覧になって、アリア様!あちらの木々の枝ぶりが、まるで踊っているかのようですわ!」
「あちらの岩肌は、厳しい自然が作り出した芸術ですわね!」
「馬車って、なんて素敵な乗り物なのでしょう!あら?そういえば、車輪ではなくてソリになっていますのねっ!画期的ですわ~っ!!」
道中、ずっとこの調子だ。
「おい、エステル!少しは静かにしろ!他の客の迷惑だろうが!」
俺が何度注意しても、その効果はせいぜい数分。すぐにまた、「まぁ!」だの「素敵ですわ!」だの騒ぎ始める。
そして何より腹立たしいのが、周りの乗客たちの反応だ。俺たちの様子を見て、クスクスと微笑ましそうに笑っている。中には、「元気な妹さんだねぇ。お姉さんは大変だ」なんて、的外れな声をかけてくるヤツまでいる始末。
(姉妹じゃねぇっつーの!!誰が姉だ!!)
俺は内心で怒鳴り散らしながら、早くこの地獄の移動時間が終わることだけを、ただひたすらに願った。
ようやく馬車が目的地のカマド村に着いた。降りるのは俺たちだけだったが、驚くべきことに、エステルはあの短い時間で、乗客全員とすっかり意気投合していたらしい。
「エステルちゃん、気をつけてな!」
「元気でねぇ!」
「またどこかで会えるといいねぇ!」
別れを惜しむ乗客たちに、エステルも「皆様もお元気で!ごきげんよう!」と、涙ながらに手を振っている。
(……なんなんだ、コイツのこのコミュ力は……ある意味、尊敬するぜ……)
俺は、初対面であろうと相手の懐にすぐさま入り込む、その異常なまでの対人スキルに戦慄すら覚えた。
村の入り口には、腕組みをしたオロンが、既に待っていた。相変わらずだな。
「おっ!来たな!約束通り、時間ぴったりじゃねぇか!」
オロンは俺の顔を見るなり、すぐに期待のこもった目で尋ねてきた。
「で、酒は?例のブツはちゃんと持ってきたんだろうな?」
「ああ」
俺は懐から、昨日苦労して手に入れた〈竜火酒〉…別名『ドラゴン潰し』の角瓶を取り出し、オロンに差し出した。
「アンタが言ってた『上等なヤツ』だ。これで文句ねぇだろ」
オロンは瓶を受け取ると、ラベルを見てニヤリと口角を上げた。
「ふおおっ!こいつは正真正銘、〈ドラゴン潰し〉じゃねぇか!いいぞ嬢ちゃん!これなら間違いねぇ!…………まぁ、アイツの機嫌がよければ、の話だけどな」
ボソリと、オロンは最後にそんな不穏な言葉を付け加えた。
「機嫌がよければ……?どういう意味だ!?ちゃんと酒は用意したろ!」
「ま、昔、色々あってな…」
(やっぱり、一筋縄じゃいかねぇ、厄介な姉貴なのか!?クソッ!)
俺の不安が再び頭をもたげる。だが、それ以上に厄介な会話が、隣で始まってしまった。
「オロンおじさま!ごきげんよう!今日も、その太陽のように輝かしいお髭が、とっても素敵に決まっておりますわねっ!あら?でも、今日の編み込みは、昨日とは少しだけ違いますのね!こちらの編み方も、なんとも渋くてダンディで、これまた素敵ですわっ!」
(はぁ!?編み込みが違う!?どこがだよ!?俺には昨日と全く同じに見えるが!?)
「おうっ!エステルの嬢ちゃん、よく分かったな!さすが、見る目があるじゃねぇか!これはな、『戦斧結び』っていう、ワシらの中でも気合の入った編み方でな……」
オロンは、実に嬉しそうに、自慢の髭を撫でながら解説を始めた。
(違うのかよ!?マジか…?というか、なんでコイツら、髭の編み込みの違いなんぞで、こんなに盛り上がれるんだ!?)
……もういい。この二人の会話は、俺には完全に理解不能だ。理解しようとすること自体が、時間の無駄だ。
俺は、再び始まったカオスな会話を、半ば諦めの境地で眺めながら、大きく、それはそれは大きな溜息をついた。
(……ったく、いつまで髭の話で盛り上がってんだ、コイツらは……早く、その姉貴とやらに会わせてくれ……)
永遠に続きそうな、オロンとエステルの髭談義にうんざりし、俺は二人に背を向け、目の前に広がるカマド村へと視線を向けた。
ファルメルのような、石やレンガでできた堅牢な壁も、物々しい門もここにはない。ただ、古びて所々朽ちかけたような、粗末な木の柵が、村の外周をぐるりと囲っているだけだ。高さも大してなく、本気を出した魔物なら、それこそイノシシ程度のヤツでも簡単に突破できちまいそうだ。
(……こんな柵、ほとんど気休めじゃねぇか。魔除けのつもりか?)
村の入口には、これまた古めかしい木のアーチが立っていて、辛うじてここが村の境界であることを示している。もちろん、見張りの姿なんてどこにもいやしない。
(まぁ、普通の街や村なら、魔石を使った魔除け結界が張られてて、魔物はそう簡単には近づかねぇって話だが……)
あの、街灯やら城門やら何やらにも使われている、便利な魔石技術の一つだ。
それにしても、この村は随分と心許ねぇ守りだな。
結界がちゃんと機能してるなら、こんな飾りみてぇな柵でも問題ねぇのかもしれんが……。
万が一、魔石のエネルギーが切れたり、装置がイカれたりしたらどうすんだ?
いや、そんな滅多な話は聞いたこともねぇが……。
やっぱり、こういう辺境の貧しそうな村じゃ、結界を維持するだけで手一杯で、立派な壁なんぞ作る金も余裕もねぇってことか…。
村や街、街道に設けられる〈魔除け〉は屑魔石を動力に働くもので構造としては、比較的、単純なため、故障などは滅多にない。
そのため〈魔除け〉が機能している限り、明確な目的を持ってやってくる魔物や知能が高い魔物以外は、生活圏を脅かすことは稀だと聞いたことがある。
柵や防壁というものは防衛目的というよりも生活圏の区切りとして用いられるのだろう。
(人ってのは、見えない安全よりも目に見えて守ってくれるものに安心感を感じるってことなのかね…?たとえ、それがこんな粗末な木製の柵でもな)
目に見える防御があまりに薄いことに、俺は少しだけ不安を覚えた。
こんな場所で、本当に腕利きの鍛冶屋なんぞが暮らしているのか…?
柵くらい直してやりゃいいもんを……。
柵の内側に目をやると、意外なことに、思ったよりも多くの家が点在しているのが見えた。てっきり、狩人や山師が数人、寄り集まって暮らしているだけの、もっと寂れた集落を想像していたんだが、もう少し生活の匂いがする。
どの家も、ファルメルで見たのと同じ、雪深いイドリア地方特有の、屋根に雪が積もりにくいように、急な角度がついた尖がり屋根をしている。煙突からは、白い煙が細く立ち上っている家もいくつかあった。
(さて、目的の鍛冶屋……オロンの姉貴とやらは、この村のどこにいるんだか……)
俺は、まだキャッキャウフフと髭の話に花を咲かせている二人をギロリと睨みつけ、「おい、ジジイ!さっさと案内しろ!」と声を荒げるのだった。
オロンに案内され、俺たちはカマド村の中を進んだ。そして、村の中でも一際煤けて古びた、しかし妙に頑丈そうな作りの家…おそらく工房も兼ねているのだろう、その家の前でオロンは立ち止まった。
(ここか……随分と年季が入ってやがるな……)
オロンは、扉の前で一度、小さく深呼吸をした。何かを覚悟するような仕草に、俺の嫌な予感がますます強まる。
そして次の瞬間、オロンはその小さな拳で、まるで攻城兵器のように扉をドンドンドンッ!と力任せに叩き始めた!
「うおおおい!マノン!いるか!?俺だ!オロンだぞ!開けろ!!」
家の中から、ガサリ、と何かが倒れるような物音と慌ただしくピィピィと鳥の囀るような声がしたが、扉は開かない。
(……居ねえのか?…いや、気配はあるな。居留守かよ…面倒くせぇ姉貴だな、オイ)
「マノン!聞こえてんだろ!いるのは分かってんだぞ!?いるな?いるにちげえねえ!さっさと扉を開けねぇか!グズグズしてっと、お前の大事な酒蔵の酒、全部俺が飲んじまうからな!どうせ味なんてわかんねえんだろ!?」
オロンが、本気の脅し文句を叩きつけると、しばらくの間の後、ギィ……と、重く軋むような音を立てて、扉がゆっくりと、少しだけ開いた。
そこから現れたのは、オロンよりも拳一つ分くらいは大きいだろうか、しかし同じようにずんぐりとした体躯の、燃えるような赤い髪を無造作に後ろで束ねた、ドワーフの女だった。
だが、その顔は酒のせいで真っ赤に上気し、目は虚ろ。足元は覚束なく、千鳥足で扉に寄りかかっている。そして、呂律が全く回っていない口調で、悪態をついてきた。
「んあぁ……?なんだい!オロンじゃないか!"朝っぱら"からギャンギャン騒々しいねぇ!あたしゃ今、世紀の大発明のアイデアを練ってるところなんだよぉ!ヒック!」
(うわ……マジかよ……完全に出来上がってやがる……!もう昼だっての…!)
プン、と強い酒の匂いが漂ってくる。間違いない、"昼間っから"ベロベロに酔っ払っている!
(これがオロンの姉貴かよ……!)
マノンは、ふらふらと顔を上げ、焦点の定まらない目で、オロンではなく、なぜか俺の方をじーっと見つめた。そして、指を突き立てながら言う。
「……それから!あたしゃ、あの時の〈地精酒〉を勝手に開けやがったの、忘れてちゃないからねぇ!!今度、あたしの秘蔵のお酒に指一本でも触れてみやがれ、この……って、あれぇ~?なんだいオロン、あんた、ちょっと見ない間に、ずいぶんと……まぁ、背が高くなっちまったじゃないかぇ~?ヒック!」
そう言って、俺に向かって、ヘラヘラと笑いかけてきやがった!
(はぁ!?俺がオロン!?目ん玉腐ってんのか、この酔っ払いババア!!性別も髪の色も身長も全然違うだろうが!!!)
怒りを通り越して、もはや呆れるしかない。隣を見ると、エステルが目を輝かせている。
「まあ?あれがオロンおじさまのお姉さまですのね!なんとも豪快で、それでいてお優しそうな方ですわっ!」
(優しい……!?どこをどう見たらそう解釈できるんだ!?この酔っ払いのどこが!?お前の目は節穴以下か!!)
そして、その後ろでは、ガロードがこのカオスな状況などどこ吹く風とばかりに、どこから取り出したのか、大きな食パンの一斤を、そのまま豪快にワシワシと丸かじりしている。
(………そしてコイツは通常運転か。食パン一斤丸かじりって………お前も大概だな、本当に…………)
(クソッ……!なんだってんだ!せっかく腕利きの鍛冶屋かもしれねぇヤツに辿り着いたと思ったら、昼間っからベロベロの酔っ払い!しかも、俺のこと弟と間違えてやがる!これじゃあ、話なんかできやしねぇじゃねぇか!!!)
俺は天を仰ぎ、深い、それはそれは深いため息をついた。そして、このどうしようもない状況を招いた元凶であるオロンに向き直り、怒りを込めて詰め寄った。
「おい、オロン!!どうなってんだ、これは!?コイツ、完全に酔っ払ってて、話にならねぇぞ!これがアンタの言ってた『腕利き』か!?ふざけんのも大概にしろ!!」
俺がオロンに詰め寄ると、オロンは悪びれもせず、マノンに向き直って叫んだ。
「おい、マノン!まだ『酔いが足りねえ』のか!俺はこっちだってぇの!」
(…………はぁ!?酔いが足りない!?どう見てもベロベロに酔っ払ってるだろうが!逆だろ、逆!このクソジジイ、姉貴のことになると、まともな判断もできなくなるのか!?それとも、ドワーフの基準だとアレでもシラフ扱いなのか!?)
俺が内心で激しくツッコミを入れていると、オロンはさらに続ける。
「客を連れてきてやったんだ!ちったぁシャキッとしやがれ!」
「客ぅ?あんだって?余計なことすんじゃないよ、オロン!」
マノンは、完全に出来上がった顔で忌々しげに顔を歪め、
「あたしゃねぇ!自分の気に入った客の仕事しか受けねぇ主義なんだ!さっさと帰んな!」
そう吐き捨てると、バタン!と無慈悲にもドアを閉めてしまった。




