第21話:〈竜火酒〉
……さて、ここが最初の関門だ。俺はゴクリと喉を鳴らし、パーティ〈ジョーカー〉の明灰色のプレートを門番に提示した。
(頼む……!スムーズに通してくれよ……!変に疑われたりしたら、計画が全部パーだ……!)
門番は、差し出されたプレートを一瞥し、次に俺たちの顔をジロリと見た。特に、昨日いなかったはずのエステルをジロリと確認したが、その愛嬌にやや顔を緩める。その後、登録情報と照らし合わせたのか、あるいは単に面倒だったのか、「……よし、通れ」と、意外なほどあっさりと通行を許可した。
(………通った……!よしっ!問題なしか!)
俺は内心でガッツポーズし、安堵の息を深く、深く吐き出した。パーティ登録、ちゃんと機能してるじゃねぇか。まずは第一関門クリアだ。この調子で、国境も……いや、それはまだ気が早すぎるか。
「ささ、ガロード様!わたくし、とっても美味しそうなクッキーのお店を知っておりますの!今朝見つけましたのよ!まずはそちらへ参りましょう!」
街の中に入るや、エステルはガロードの腕を引っぱって、パン屋か菓子屋がありそうな、賑やかな通りへと駆けていってしまった。
ガロードも、特に抵抗する様子はなく、むしろ少しだけワクワクしているような……いや、気のせいだな、きっと。
(……クッキーねぇ。あのオロンの姉貴に、本気で紅茶とクッキーとやらを持っていくつもりかよ、あの二人は……。まぁ、ガロードがそれで大人しく言うことを聞くなら、今はそれでいいか……?)
俺はもう、あの二人の行動原理を深く考えることを、完全に放棄した。理解しようとするだけ無駄だ。
「さて、俺は酒だ」
問題は、どんな酒を用意するか、だ。オロンは「上等なヤツ」としか言っていなかった。
(オロンの姉貴……ドワーフの、しかも女鍛冶屋か。やっぱりドワーフらしく、喉が焼けるようなガツンとくる強い蒸留酒あたりがいいのか?それとも、意外と繊細な味覚の持ち主で、年代物のエールとか、果実酒とかを好むかもしれん……いや、あのオロンの姉貴だぞ?十中八九、前者だな……たぶん)
だが、確信はない。下手に安物や好みに合わないものを買っていって、機嫌を損ねてもマズい。
明日の昼まで。
時間はあまりない。今日中に目的の酒を手に入れねぇと。
俺は、クッキーを求めて人混みの中へ消えていった二人とは別の方向へ、ファルメルの商業地区にあるであろう、まともそうな酒屋を探して、一人歩き出した。
商業地区を少し歩き回ると、オーク材で作られた、いかにも頑丈そうな扉と、大きな樽の形をした看板を掲げた酒屋〈樽処ワース〉を見つけた。中を覗くと、カウンターの奥には、立派な黒い髭を豊かに蓄えた、恰幅の良いドワーフの店主が客と談笑している。
(お、ドワーフの店主か。こりゃあ、当たりかもしれんな。話が早そうだ)
俺は、他の客が店を出るのを見計らって中へ入り、カウンターへと進んだ。
「おい、オヤジさん。ちょっと聞きてぇんだが」
店主は、ドワーフ特有の無骨だが、どこか人の良さそうな顔をこちらに向けた。
「おう、嬢ちゃん、なんだい?」
「ドワーフに、贈り物として酒を持ってこうと思うんだ。相手は、まぁ…相当に気難しいらしいんだが……何かオススメはねぇか?できれば、上等なヤツがいい」
俺の言葉に、店主はニヤリと、その黒髭を揺らして笑った。
「ほう、ドワーフに贈り物かい。そりゃあ、中途半端なモンじゃ満足しねぇだろうな。んまぁ、ワシらドワーフは、基本どんな酒でも美味しくいただくがな……相手が『気難しい』ってんなら、これ以上のモンはねぇだろうよ」
そう言って、店主はカウンターの後ろにある、年代物の酒が並んだ棚から、ひときわ重々しい雰囲気の、大きな茶色い角瓶を取り出した。ラベルには、俺には読めない古いドワーフ文字と、猛々しい竜の絵が描かれている。
「こいつは〈竜火酒〉…別名『ドラゴン潰し』って呼ばれてる代物だ」
(竜火酒…ドラゴン潰し、ねぇ。名前からして、ヤバそうだぜ…)
「ワシらドワーフの、まぁ、魂の故郷の味ってやつだな」
店主はどこか誇らしげに言う。
「アルコール度数が高すぎてな、あのデカくて頑丈なドラゴンだって、これを飲めば一発で酔い潰れてひっくり返る……って言われてるシロモンだ。さすがのワシらドワーフでも、これを毎日ガブ飲みするような命知らずはいねぇがな……だが、特別な日の祝いや、気合を入れたい時、そして、目上の者や腕利きへの贈り物にすりゃあ、間違いなく喜ばれる。相手が、本物のドワーフならな」
店主はそう言って、意味ありげに俺の顔をじっと見た。
「ただし、嬢ちゃん」店主は真顔に戻る。
「アンタみてぇな、ひょろっとした人間…特に若い娘さんが飲むのは、絶対にやめとけよ?一口舐めただけで、翌日の昼まで気持ちよく気絶してぇってんなら、止めはしねぇがな…わっはっは!」
豪快に笑い飛ばすが、目は笑っていない。本気で警告しているのが分かる。
(…それはもう、毒物なんじゃねぇのか…?)
「…あと、こいつは『竜火酒』って名前の通り、ものすごく揮発性が高い。火を近づけたら、そこらの火薬なんぞ目じゃねぇくらいの大爆発を起こすぜ。扱いには、くれぐれも気をつけな」
(大爆発…!?やっぱ飲みもんじゃねえだろっ!!…とんでもねぇ代物だな、こりゃ。だが、これなら、あの気難しそうなオロンの姉貴も、文句は言わねぇかもしれん…)
俺はゴクリと喉を鳴らす。
「……で、値段はいくらだ?」
俺が尋ねると、店主は無言で指を一本……そして、もう片方で五本立てた。
「150ガルドか……」
そんなもんか…まあ、安くはない。
ギルドの酒場なら、エールが30杯も飲める値段だ。
「おいおい嬢ちゃん、冗談言っちゃいけねえよ…1,500ガルドだ!」
「せんごひゃ…!?はああああ!?」
(高っけぇ!?足元見てねぇだろうな!?だが…他に選択肢もねぇし、オロンのジジイも『上等なヤツ』って言ってたし…クソッ…)
うーんとしばらく唸りながらも、俺はついに覚悟を決めた。
「……よし、分かった。それを一本、貰う」
懐から金貨を取り出し、カウンターに1,500ガルドを置く。だが、その手は恨めしくもなかなか離れてくれない。
(これで機嫌良く話を聞いてもらえなきゃ、マジで割に合わねぇぞ…!)
店主は「毎度あり!」と満足げに頷くと、竜火酒の角瓶を丁寧に贈呈用の厚手の布で包み、「いいかい嬢ちゃん、本当に火には気をつけるんだぞ。ただの火傷じゃ済まねぇからな」と、最後にもう一度、強く念を押してからこちらに寄越す。
ズシリ、と確かな重みのある角瓶を受け取る。
(持ち運びも気をつけねぇとな…これは、俺が自分で、厳重に管理するしかねぇな……)
俺は店主に軽く頭を下げ、礼もそこそこに酒屋を出た。
これで、明日のカマド村への手土産は確保できた。
ズシリと重い〈竜火酒〉の角瓶を慎重に抱え、俺はようやく宿〈白羊の夢〉へと戻った。ちょうどエステルとガロードも戻ってきたところらしく、宿の前で鉢合わせた。二人とも、やけに満足げな、ホクホクとした顔をしている。
(…なんだ、その顔は。目的のクッキーとやらは、無事に買えたのか?)
俺の疑問を先読みしたかのように、エステルが目をキラキラと輝かせて駆け寄ってきた。
「アリア様!おかえりなさいませ!聞いてくださいまし!わたくしたち、街でとっても素敵なパン屋さんを見つけましたの!そこのおかみ様が、もう、それはそれはお優しい方でしたのよ!」
エステルは胸に手を当て、うっとりとした表情で続ける。まるで吟遊詩人か何かのように。
「わたくしたちが、お店の前に並んだ美味しそうなパンを眺めておりましたら、『あらあら、お腹を空かせているのかい?』と、声をかけてくださって…なんと、焼きたての、それはそれは香ばしいパンの耳を、こんなにたくさん、分けてくださったんですのよ!」
見ると、隣のガロードが、大きなパンの耳を、実にもっさもっさと美味そうに頬張っている。たしかに、良い匂いがする。
「しかも、『これを食べて、しっかり頑張るんだよ』って、温かい励ましのお言葉まで頂戴してしまって…!わたくし、本当に、本当に感激してしまいましたわ…!」
(……パン屋の前で眺めてたら…?いや、違うな。十中八九、ショーウィンドウに顔をくっつける勢いで張り付いて、二人してヨダレでも垂らしてたのを、見かねたおかみさんが、哀れに思って恵んでくれたってところだろうな)
俺は、エステルの感動的なそしてエステルフィルターを通して過剰に脚色された美談を、脳内で冷静かつ現実的に修正した。
(腹を空かせた、みすぼらしい兄妹かなんかにでも見えたんだろ、どうせ。まったく、ガキじゃねぇんだぞ、お前らは……)
俺が呆れていると、エステルはさらに興奮した様子で付け加えた。
「それで、わたくしたち、おかみ様のそのあまりのご厚意に感激してしまいまして!ガロード様が『これも何かの縁だ』とおっしゃって(いや、絶対に言ってねぇだろ!)お店の美味しそうなクッキーとパンを、棚が空っぽになるくらいの勢いで、それはもう、たっっっくさん買い占めてくださいましたのよ!これで当分、おやつには困りませんわ!うふふ!」
エステルが嬉しそうに言う横で、ガロードが、中身でパンパンに膨れ上がった自身のマジックポーチを、ポンポンと満足気に叩いている。
(買い占める勢い……だと……?どんだけ食料を備蓄する気だ?いや、どうせ数日のうちに、全部一人で食っちまうんだろうが……!)
もはや、驚きを通り越して、ある種の感心すら覚えてしまう。その食欲、ある意味才能だ。
(……はぁ…………)
俺は、深い、深いため息をついた。
……あの〈鐵喰い〉との死闘は何だったんだ?
手に入れた大金も、この二人の食費と、これから起こるであろう……いや、ほぼ確実に起こる、トラブルの処理で、あっという間に消えちまいそうだ。
(……もういい。今日はもう終わりだ。考えるのはやめだ。寝る)
俺は、ホクホク顔で戦利品?のパンやクッキーを眺め、味見している二人を残し、自分の部屋へと向かった。買ってきた〈竜火酒〉の瓶を、割れないように慎重に枕元に置く。
後追いで部屋に戻ってきたエステルを連れ立って風呂に身体を沈め、ブクブクと息を湯に溶かす。
明日はカマド村か…。あのオロンの姉貴とやらに会って、鍛冶の目処がつけば…それでいい。それだけを考えよう。
俺は布団に潜り込み、無理やり目を閉じた。この、どうしようもなく手のかかるアホ……仲間たちと共に、金等級を目指すなんて、本当に可能なんだろうか…?
俺の抱える不安は、疲労と共に、夜の闇へと沈んでいく……しかなかった。




