第15話:牢屋
もう夕方か。いつまでもベッドで腐っているわけにはいかない。やることは、山積みだ。
あのウルトラCプラン…パーティを結成して金等級を目指す、という無謀な計画を実行するには、俺とエステルだけじゃ話にならない。
最低でも、もう一人。
いや、金等級という途方もない目標を考えれば、信頼できて腕の立つメンバーがもっと必要だ。
それから、武器の修理と、あの素材の加工だな。
良い装備ってのは、それだけで戦力に直結してくる。
〈鐵喰い〉との戦いだって上等な装備があれば、もっと楽に倒せたかもしれねぇ…。
腕のいい鍛冶屋が必要だ。ファルメルに居るか…?
鍛冶屋といえば、ドワーフ…あのオロンのジジイに心当たりはねぇか?
(〈双子の腕輪〉返すの忘れてたしな…ついでだ、聞くだけ聞いてみる価値はあるかもしれん)
やるべきことが次々と見えてくる。
(まずは……コイツをどうにかしねぇとな)
俺はベッドから起き上がり、部屋の隅で呑気に窓の外を眺めて鼻歌なぞ歌っているエステルに向き直った。
はじめに取り掛かるのは、目の前の厄災お嬢様への説明と脅しからだ。
「おい、エステル」
俺が低い声で呼びかけると、エステルは「はい、なんでしょう、アリア様!」と、満面の笑みで振り返った。その能天気さに、早くも頭痛がぶり返しそうだ。
「ちょっと大事な話がある」
真剣な、そして有無を言わさぬ口調で告げる。笑顔のまま小首を傾げるエステルに、俺はさらに言葉を続けた。
「いいか?これは、お遊びでも、お泊まり会の相談でもねぇ。お前の、そして、この俺の…首が飛ぶかどうか、って話だ。ふざけた態度は取るなよ」
少し脅すような口調になったのは仕方ないだろう。コイツには、それくらい言わないと伝わらない。この能天気なお嬢様にも伝わる言葉で話す必要がある。
(そうだ…『牢屋』という言葉を使えば、少しは真面目に聞くかもしれねぇな。昨日はやけに怯えていたし……)
エステルに、俺たちが置かれている絶望的な状況…すなわち、彼女が『不法入国者』であり、俺がその『手引き犯』、あるいは『誘拐犯』として疑われかねない立場にあることを、骨身に沁みるまで説明してやる必要がある。そして、二度と余計なことを口走らないように、きつく、きつく釘を刺しておかねば。
俺は、まだきょとんとしているエステルを、真剣な、そして少しだけ脅すような目で、改めて見据えた。
「いいか、エステル。今から俺が話すことを、よーーーーーく聞け。そして、一言一句、頭に叩き込め。分かったな?」
「はい!わかりましたわっ!わたくし、こう見えても暗唱詩は得意でしたのよ。『紅く燃える大地にたつ、全てを滅ぼす灼眼の邪龍、黒き衣がはためき魔の者を集う~』って、これは第三楽章の…」
(何が暗唱詩だ!いい加減にしろ、このアホは!)
俺はエステルの的外れな言葉を遮るように、低く、しかしはっきりと、その言葉を口にした。
「……牢屋」
「!!」
効果は抜群だった。エステルの動きがピタリと止まり、顔からサッと血の気が引くのが分かった。
「ろ、牢屋が……な、なんですのっ……?」
明らかに怯えた声で、エステルは俺を見上げてきた。
(……おっ、効いたな。これで少しは話を聞く気になったか)
俺は、その怯えた顔を真正面から見据え、ゆっくりと、しかし有無を言わさぬ口調で説明を始めた。
「いいか、エステル、よく聞け。牢屋だ。下手すりゃ、お前は牢屋にぶち込まれることになる……最悪な。冷たくて暗くて、それに…お前が嫌がってる、トイレもない場所だ」
エステルがゴクリと喉を鳴らすのが見えた。
「そうなりたくないなら、これから俺が言うことを、お前の『お友達』としてのアドバイスとして、よーーーく聞くんだ」
俺は一呼吸置いて、核心を告げる。
「まず……第一に、お前が今いるこの場所は、お前の故郷、エトノーシア法国じゃない」
「…へえ?えっ、ええええ!?ですわっ!?では、わたくし、一体どこに…はっ!?まさか、わたくし、本当はあの落下で死んでしまっていて、ここは天国か、あるいは地獄か何かなのでして…!?いたっ、いたたたたた!痛いですわ、あいあひゃま(アリアさま)!」
パニックになりかけて訳の分からないことを口走るエステルのほっぺたを、俺は遠慮なく、もう一度、強めにつねってやった。現実を教えてやる。
「痛いだろ?なら、まだ生きてるし、ここは天国でも地獄でもねぇ。いいか、ここはイドリア帝国だ。お前は、あのワケの分からん空の旅のせいで、国境を越えて、この国に落ちてきたんだ」
「そ、そうでしたのね…!イドリア帝国…存じ上げておりますわ!ならば、早く馬車を用意していただいて、お父様に連絡を…!」
「待て。話は最後まで聞け」
俺はエステルの言葉を冷たく遮る。
「お前は、正規の入国手続きを踏まずに、このイドリア帝国に入ってきた。それはつまり、『不法入国』だ」
「ふ、不法入国、ですわ!?」
エステルの顔が、さらに青ざめる。
「そうだ。そして、この国の法では、不法に入国した者は裁かれ、罰せられる。簡単に言えば……『牢屋』行きだ」
「い、いやっ、嫌ですわぁ!?牢屋は冷たくて暗くてっ、それに、おトイレもないのですのよ!?話しかけても誰もいませんし…!絶対に嫌ですわ!!」
エステルは本気で怯えきって、ブルブルと震え始めた。
(やれやれ…ようやく話を聞く気になったようだな)
「そうだろうな、俺もごめんだ。だから、そうならないために、お前はこの事実を、誰にも、絶対に知られずに隠し通さなくちゃならない。いいか、ここが一番重要だ。よく聞け」
俺はエステルの目を真っ直ぐ見て、言い聞かせる。
「お前は、今日この瞬間から家に帰るまでの間。エステル・リーゼロッテ・エリュクシオンではなく、『ただのエステル』だ!……いいな?」
エステルは、涙目でコクコクと必死に頷く。
「そして、もし誰かにお前の出自を聞かれたら、『自分は元々イドリアの出身だ』と答えるんだ。適当な村の名前でもでっちあげておけ。そう言っておけば、少なくとも、今すぐ不法入国の罪で牢屋に放り込まれることはない」
(コイツの家から捜索願いが出てるかもしれねぇが、国境を無視して空から来るなんて、普通は考えられねぇからな。国外ならなんとかなるだろう…)
「だから、いいか?自分の本当の名前や、エリュクシオン家のこと、エトノーシアに関すること、そして、空から降ってきたなんていう、ぶっ飛んだ話は、絶対に、誰にも話しちゃならねぇ。俺と、お前だけの秘密だ。分かったな?」
「は、はいっ!わかりましたわっ!牢屋は絶対に嫌ですもの!わたくし、必死に、必死に、口を噤んで耐えきってみせますわっ!!約束いたします!」
エステルは涙目で、しかし固い決意をみなぎらせた表情で、力強く何度も頷いた。
(…ふぅ。これで、少しはマシになったか?とりあえず、このアホお嬢様が、自ら墓穴を掘る心配は減った…と思いたいが…)
俺は、一応の目的を達成したことに、ほんの少しだけ安堵した。
だが、この天然で、世間知らずで、おまけに悪運だけは異常に強いお嬢様が、本当に秘密を守り通せるのか…一抹の、いや、かなりの不安は、依然として拭えなかったが……。
エステルへの状況説明と口止めを、一応は完了した。
俺はふと、さっきからの疑問を口にしてみた。コイツがあれほどまでに『牢屋』という言葉に怯える理由は何なのか。
弱みを握る…というほど悪辣な考えがあったわけじゃねぇが、今後のためにも知っておいて損はないだろう。
「…それで、エステル。さっきから気になってたんだが…」
俺が切り出すと、エステルは「は、はいっ!なんでしょう!」と、まだ少し緊張した面持ちでこちらを見た。
「なんで、そこまで牢屋が怖いんだ?普通じゃねぇビビり方だったが。何かあったのか?」
俺のその質問に、エステルの顔が再びサッと青ざめ、ブルブルと小刻みに体を震わせ始めた。
「そ、それは……わ、わたくしにとって、思い出したくもない、恐ろしくて、惨めで、そして、とてつもなく寂しい体験が……うぅ…」
そして、エステルはトラウマを無理やり掘り起こすように、ぽつり、ぽつりと、その「恐ろしい体験」とやらを語り始めた。
なんでも、以前、お屋敷での生活に退屈し、「庶民のお買い物」というものを体験してみたくて、こっそりとお屋敷を抜け出したらしい。変装したつもりで庶民の服を着て街に出て、可愛い髪飾りを見つけ、それを買おうとした、と。
だが、その道中で、見るからに怪しい露天商に捕まってしまい、「絶対に幸運を呼ぶ魔法の壺」だの、「どんな病も治る秘薬」だのといった、胡散臭い品々を、言葉巧みに売りつけられたらしい。世間知らずのエステルは、それをすっかり信じ込み、持っていたお小遣いを、ほぼ全て巻き上げられてしまったそうだ。
(……やっぱり、アホだ、コイツ…)
だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。
エステルが買わされた壺や薬が、実はとんでもないガラクタ…どころか、中には毒物に近いような危険な代物も混じっていたらしく、それをちょうど見回りに来た憲兵に見つかってしまった。そして、あろうことか、エステル自身が、その怪しい品々を売りさばいていた悪党だと誤認され、その場で逮捕されてしまったというのだ。
「わたくし、必死に『違います!わたくしはエステル・リーゼロッテ・エリュクシオンですの!!』って、何度も何度も訴えましたの!でも、庶民の服を着て、怪しげな壺や薬を持っていたわたくしのことなど、誰も信じてはくれなくて……身分を証明するものも外していましたし、保釈のお金も、ありませんでしたし……」
エステルの声が、涙で震え始める。
「それで、結局……わたくし、み、三日もの間……あの、冷たくて、暗くて、じめじめした、石造りの牢屋に入れられてしまいましたの……」
(……なるほどな。そりゃトラウマにもなるわな。世間知らずが裏目に出て、詐欺師にカモられた挙句、あらぬ疑いをかけられて牢屋にぶち込まれた、と。…まぁ、正直、100%自業自得な気もするが……)
「お食事も、硬くてパサパサのパンと、生ぬるい水だけでしたし…おトイレもなくて、本当に不潔で…それに、夜は風が鳴って……でも、でもですね!」
エステルは顔を上げ、涙ながらに訴える。
「一番辛かったのは……話し相手が、誰もいないことでしたわ……!」
(…話し相手?)
「わたくし、生まれてこの方、一人で静かに過ごすなんてこと、ほとんどありませんでしたもの…!いつもお父様やお母様、それにメイドさんや家庭教師の先生だっていたんですの!それなのに、牢屋では、本当に一人きり……看守の方も居なくて…寂しくて、寂しくて、気が狂いそうでしたわ…!」
エステルは、再び俯いてしくしくと泣き始めた。
「…二日目には、もう限界で……壁のタイル一枚一枚に、『ハンス』とか『アンリエット』とか、名前をつけて……ずっと、ずっと、お話していましたのよ……うぅ……ひっく……」
(壁のタイルに名前つけて、お喋りねぇ……相当キてたんだな、コイツ…。にしても)
「捕まって看守がいないなんてことあんのか…?飯は出てたんだろ…?」
「あ、あれ…たしかにそうですわね……?で、ですけれど、誰もいなかったはず…ですわ…ぽそぽそのパンとぬるい水は確かに…とにかく、今思い出しても、本当に恐ろしくて、寂しい体験でしたわ……っ」
エステルは完全に怯えきって、肩を震わせている。
話を聞いて、エステルの異常なまでの『牢屋』への恐怖の根源は、完全に理解できた。
同時に、コイツが本当に、驚くほど何も考えていない、ただの世間知らずのお嬢様だということも。
少しだけ、ほんの少しだけだが、同情しないでもなかった。
そして同時に、確信した。
『牢屋』って言葉は、やっぱりコイツには特効薬だな。
……今後も、有効に使わせてもらおう。
俺は、一つ溜息をつき、まだ肩を震わせているエステルに、ぶっきらぼうに、しかし少しだけ真実味を込めて言った。
「……フン。まぁ、ご愁傷様なこった。同情はしねぇが、話は分かった」
そして、改めて釘を刺す。
「だが、これで理解できただろ?下手なことすりゃ、またあの『壁のタイルとお喋り』するハメになるかもしれねぇってことだ。二度とゴメンだろ?」
エステルは、涙で濡れた顔を上げ、何度も何度も、強く頷いた。
「なら、俺の言うことを、今度こそしっかり聞け。いいな?」




