第12話:不法入国者
本当なのだとしたら、コイツは一体……。
とんでもない悪運の持ち主か、それとも、歩く厄災みてぇな女なのか…?
ズキリ、と腰の痛みが、この非現実的な話が現実であることを思い出させる。俺はこの女が原因で昨日は意識まで失ったんだ。
俺は床に座ったままのエステルを、改めてじっと見据えた。さっきまでの純粋な怒りとは違う、別の感情…疑念と、混乱と、そしてある種の畏怖が綯い交ぜになった感情で。
そして、静かに、問いかけた。
「…………おまえ……一体、何者なんだ……?ただの貴族の箱入り娘じゃ…いや人間じゃねぇだろ……」
俺の、怒気を含んだ問いかけにも、エステルは全く怯んだ様子を見せずにニッコリ笑って答える。
「わたくしはエステル・リーゼロッテ・エリュクシオンですわっ!」
それはさっき聞いた。
「エリュクシオン家はご存知でしょうか?きっと、お父様もお祖父様も貴方様のような勇敢で素敵な方にお会いすれば、大変お喜びになりますわ!是非とも、わたくしのお屋敷にいらしてくださいまし!たくさんお礼をしてくださいますわ!」
(……エリュクシオン?……知らねぇな。だが、この自信満々な口ぶり…相当な名家か?クソッ、ますます面倒くせぇ匂いがプンプンするぜ……)
「ああ、それなのに、わたくしったら、貴方様の大切なお名前をまだお伺いしていませんでしたわね…っ!本当にそそっかしくて…てへっ☆」
舌をペロリと出すな、無性に殴りたくなる。
俺が名乗るのを渋っていると顔を覗き込むようにして間抜け面で微笑んでくる。
どうやら名乗らなければこのクソみたいな状況は進展しないらしい。
「……アリアだ」
どうせ偽名だ。教えたって問題ないだろう。
「アリア様!アリア様。アリア様?ふふっ素敵な響きですわね!」
確かめるように連呼する。
そして、少し頬を赤らめ、もじもじしながら続ける。
本当にコロコロと忙しないやつだ……。
「昨晩は、成り行きとはいえ、アリア様のお部屋にお泊まりさせていただきましたから、今度は是非とも…その…わたくしのお部屋にもいらしてくださいまし!わたくし、お友達をお屋敷にお呼びするのは初めてで、とっても緊張いたしますのっ!お泊まり会!なんて素敵な響きなのかしら!」
(誰が友達だ!誰がお泊まり会だ!この状況を理解しろ、少しは!!)
俺の心の叫びなど届くはずもなく、エステルはさらに続ける。
「善は急げ、ですわ!さあ、わたくしのお家のある第二聖門へ参りましょう!ここから何時間くらいで着くのかしら?馬車を使えばきっとすぐですわねっ!」
「……だいにせいもん……?」
(正門?正門に第一も第二もあるもんか。区画の名前…?どこだ、それ……いや、待てよ……『せいもん』…聖門?聖門ってのは……エトノーシア法国の〈精霊教〉の守る六門のことか?)
「……え?…………は?」
背筋に、今まで感じたことのない悪寒が走った。
(エトノーシア……!?嘘だろ…?まさか、コイツ、法国の貴族なのか!?)
あのワケの分からん空の旅で、国境を越えて、このイドリア帝国まで飛んできたってのか!?
どれだけの距離あると思ってやがるんだっ!?
だ、だとしたら……コイツは、正規の国境通過手続きを踏んでいない……『不法入国者』!?
しかも、ただの不法入国者じゃない。他国の、それもかなりの名家と思われる貴族令嬢だ!
そして、俺は……昨夜、宿のオヤジに、コイツを『連れ込んだ』と、とんでもない勘違いをされている……!!
(マズい……!!マズすぎるぞ、これは!!!!)
ただでさえ、俺は軍に逆らって実家から逃げ出してきた身だ。こんな国際問題になりかねないトラブルに巻き込まれたら、もう……!
不法入国者の手引きをした犯罪者……いや、それどころか、他国の貴族令嬢を誘拐した極悪人に仕立て上げられかねない……!!
ザッ……と、全身の血の気が引いていくのが分かった。頭の中が真っ白になり、冷や汗が背中を止めどなく流れ落ちる。顔面蒼白ってのは、きっと今の俺みたいな顔色のことを言うんだろう。目の前が暗くなるようだ。
(お、終わった……完全に終わった……。俺の人生、詰んだ……)
俺が、ベッドに座り込んだまま、あまりの事態の深刻さに頭を抱えて打ちひしがれていると、エステルが心配そうに…いや、おそらく実際に本人はそう思っているのだろう。俺の顔を覗き込んできた。
「どうかされましたの、アリア様?急に元気がなくなってしまいましたわね?……あっ!もしかして、お腹が空きましたの……?」
(腹……?腹が減った、だと……?この、俺の人生が崖っぷちに追い込まれた、絶体絶命の状況で…………?)
俺は、もはや怒る気力すら湧いてこなかった。力なく、かぶりを振る。
「…………いや…………もう……なんでもねぇ…………」
ただ、絶望的な気分で、この能天気で、歩く厄災の塊のような女を見つめることしか、できなかった。
(……エトノーシアに、帰す……?どうやって……?)
顔面蒼白のまま、俺は必死に頭を働かせた。この厄災の塊みてぇなエステルとかいう女を、どうにかして故郷のエトノーシア法国へ送り届けなければ、俺の身が危うい。だが、その方法が、まるで見えてこない。
アニュラス大陸。北のイドリア帝国、東のガルドア王国、西のアイラン皇国、南のエトノーシア法国。
中央の"大穴"の周りに環状に繋がった四つの大国。その詳細な地図を頭の中で書き起こす。
正規のルートは……。
東回りなら、ここイドリア帝国からガリア山脈を越えて国境からガルドア王国に入り、ガルドア平原をずーっと抜けてアヴァンドゥルン大橋の国境を越え、エトノーシア東大森林へ…か?
西回りなら、魔導列車で西に…その後、パンタリオン山脈の国境を越えてアイラン皇国入り、猛暑のレッドラインとグレートバレー大熱砂を越えてグリーンピークからエトノーシア西大森林……。
(どっちにしろ、最低でも二回、各国の国境検問所を通らなきゃならねぇじゃねぇか!)
俺の思考はそこで行き詰まる。
検問……。
そうだ、国境検問がある!コイツは、身分を証明するものを何一つ持ってねぇ!
怪鳥にリュックごと持ってかれたとか言ってたじゃねぇか!
しかも、そもそもイドリアに入国した記録すらねぇんだ!
そんなヤツが、どうやって出国許可を得る?
検問で即、不法滞在者として捕まって終わりだ…!
正規ルートは、完全に詰んでるじゃねぇか……!!
冷や汗が、額から首筋へと流れ落ちる。
(……となると……残された道は……まさか……)
嫌な予感が頭をよぎる。
イドリア帝国の、真南。四大国の中心に存在する、忌まわしき大穴。
魔の巣窟。深淵〈アビス〉。
(……アビス越え……か?馬鹿言うな!あんな純魔素が吹き出して、魔族どもが巣食う魔境を、人間が…しかもこんな世間知らずのアホお嬢様を連れて越えられるわけがねぇだろうが!)
アビスは〈勇者〉と呼ばれる各国の最高戦力ですら、未だに完全踏破できていない未知の世界だ。人間にとっては猛毒の瘴気が絶えず吹き上げ、高位の魔族が跋扈している。まさに、死地そのものだ。
(アビス越えなんて、自殺行為だ!絶対に無理だ!)
だが、他に道はあるのか…?
(……国境破り?いや、それこそ無謀だ。二箇所の国境警備をどうやって突破する?不可能だ)
どのルートを選ぶにしても、問題はもう一つある。
(どっちにしろ、このアホお嬢様一人じゃ、宿から一歩出ることすらできやしねぇ。護衛が必要だ。それも、ただの護衛じゃダメだ。国境をどうにかできるコネがあるか、あるいはアビスを越えられるだけの実力を持ったヤツが…)
そして、その"実力者"が、不運にも今、このお嬢様の目の前にいる俺に、白羽の矢が立ってしまう可能性が、限りなく…いや、100%に近いという、絶望的な現実。
(クソッ!!なんで俺がこんな目に遭わなきゃならねぇんだ!!不法入国の手引きだぞ!?バレたら禁錮何十年喰らうかわかったもんじゃねぇ!!しかもその後は実家に強制送還だ。逃げたってイドリアからも、エトノーシアからも追われることになるかもしれねぇ!しかも、アビス越えなんて、冗談じゃねぇぞ!?死ぬ!絶対に死ぬ!)
いっそ、このままエステルをここに放置して、俺だけ夜逃げ同然にファルメルから、いや、イドリアからトンズラするか?
そもそも俺がイドリア帝国の国境を越えられるのかも確証はねぇ…。
掲示されていた軍の手配書を見るにこの辺り一帯には俺の名前と背格好しか伝わってなかった。あんな杜撰な手配書なら、俺と実際に会ったことのない下っ端連中になら捕まりはしないだろう。
だが、俺の顔を知る上位の軍関係者が国境に滞在していたら話は別だ。
(…ダメだ!宿のオヤジに顔と偽名とはいえ、名前を知られちまった…。それに、このアホお嬢様が捕まったら、どうせペラペラと俺のことを喋りやがるに決まってる…!)
進むも地獄、退くも地獄。
完全に八方塞がりだ。
(……どうすりゃいいんだ……どっちに進んでも、破滅しか見えねぇじゃねぇか……!!)
俺は、明確な解決策を何一つ見いだせないまま、ただただ迫り来る最悪の未来の予感に打ちのめされ、頭を抱えるしかなかった。ズキズキと痛む腰のことなど、もはやどうでもよくなっていた……。
(……とにかく、ここにいても何も進まねぇ)
俺はズキズキと痛む腰と頭を抱えながらも、無理やり思考を切り替えた。いつの間にか、日は高く昇り、昼が近い。
宿を通してギルドに俺の滞在場所は伝わっているはずだが、治療院に寄ってからギルドへ向かうとガロードには言ってなかった。
痺れを切らして迎えに…は来ねぇとは思うが入れ違いになってもめんどくせぇ。
まず治療、それからギルドで報酬の受け取りだ。ウジウジしてる暇はねぇ。
「ギルドへ行く。ここで待ってろ。勝手なことするなよ?」
「え…ええ!?わ、わたくし一人ですの!?わたくしもご同行いたしますわ…!!」
「ええい、ややこしくなるから待ってろって!」
しがみつくエステルを引き剥がして部屋の扉を開け、部屋に押し込める。
「は、早めに戻って来てくださいまし…!!」
エステルが騒ぐが「静かにしてろ!」とだけいうと宿を出た。
治療院へ向かう道すがらも、頭の中はエステルのことで一杯だった。
どうやって、あのアホお嬢様をエトノーシアに帰す…?
ギルド…そうだ、冒険者登録!エステルに冒険者登録させちまえば、とりあえずの身分証にはなるか?それなら国境の検問も…!
(…いや、待てよ)
すぐにその考えの甘さに気づく。
エトノーシアの、それも貴族の娘を、イドリアの冒険者にする?
俺とは状況が違うんじゃねぇのか…?国籍が二重になったらどうなるんだ…?
継承権…があるのかは知らないが、そういうのが仮にあったなら、エトノーシア側が黙ってるわけねぇ。
(…下手をすりゃ、外交問題だ。ダメだ、この手はリスクが高すぎる…)
あーでもない、こーでもないと考えを捏ねくり回している間に治療院に着き、予約していた旨を告げて、治癒士の前に座る。温かい光属性の治癒魔法が、体の打撲痕や傷に当てられていく。心地よいはずの光が、今の俺にはどこか遠いものに感じられた。
(ああ、クソ…どうすりゃいいんだ…。いっそのこと、コイツをどこか遠い山にでも連れて行って、遭難したことにして……いや、ダメだ。あの女、怪鳥に攫われ、ワイバーンに連れ去られ、大爆発に巻き込まれ、グリフォンから落ちてもピンピンしてるんだぞ?下手なことしたら、余計にややこしいことになって、俺の前にひょっこり帰って来かねん……)
「はい、大きな傷の治療は終わりましたよ。まだどこか痛むところはありますか?」
治癒士の穏やかな声に、俺は思わず、正直な気持ちを漏らしていた。
「……頭が痛い」
「え?頭ですか?昨日の怪我で打った覚えでも…?」
「……いや、こっちの話だ。気にするな」
治療院を出て、少し軽くなった体でギルドへと向かう。報酬を受け取らねば。金はいくらあっても足りねぇ状況になりそうだ。




