第108話:ないものねだり
村の入り口に、門はなかった。
正確には、『門だったもの』が、内側に向かって倒れていた。
柵は根元からへし折れ、畑は作物ごと踏み荒らされている。折れた木の断面はまだ白く、生木の匂いがした。
「壊れてから時間は経っていない。昨夜から今朝ってとこだね」
ジーンの見解に同意する。
俺たちがエルピノで呑気に寝ていた、その間。
広場の手前で、全員の足が、一瞬止まった。
荷車が横倒しになっている。
扉という扉が、内側へ叩き割られている。
燻りの煙が、崩れた家の骨組みから細く上がっている。
そして、人が、倒れていた。
……いくつも。
踏み荒らされて、土と見分けがつかなくなりかけた姿で。
「――スタンピード……っ」
ニーコは、顔を青くしている。
スタンピードというには小規模。
だが、多種多様な魔物が集結し、それぞれが勝手に、宴の続きをやっている。
村は、まだ『食われている』最中だった。
路地の奥で、先程も見た狼……ウォーグが二匹。何かを取り合って唸り合っている。
穀物庫だったらしい建物からは、中型の猪。タスクボアが尻だけを突き出して、中を漁る音。
どこかの家の中で、板の砕ける音と、咀嚼の音。
視界に入るだけで、七、八……いや、壁の向こうにもっといる。
そして広場の一番奥。
デカい。
民家の屋根に届きそうな巨体が、畜舎の残骸の前にうずくまっていた。たるんだ灰色の皮膚が、呼吸のたびに波打つ。マウンテントロル。
そいつは地面の窪みに溜まった血だまりに鼻先を突っ込んで、ず、ず、と啜っていた。
(家畜の血か。……胸糞悪い)
転がった山羊らしき死骸から察する。
頭上では、白い影が旋回している。一羽じゃない。十数羽。翼のあるヒト型の輪郭――スノーハーピィの群れが、村の上空を回りながら、透き通った声で啼いていた。
「ハーピィが、こんな低地に……」
「山から降りてきたのね」
ガロードが俺を見た。目が「アレをやるか」と言っている。
「ダメだ。生存者がいるかもしれねぇ。瓦礫ごと吹き飛ばす気か」
ガロードは一拍置いて頷いた。不満げな色はない。ただの確認、って顔だ。
さて……どう掃除する?
一匹一匹は、大した敵じゃねぇ。
ウォーグとスノーハーピィはE+。タスクボアはD-。
中でも一番の大物マウンテントロルはC-だが、それでも〈ジョーカー〉と〈暁の剣〉。
金等級と銀等級の二つのパーティが雁首揃えてりゃ対応できない相手じゃない。
問題は数と、この地形だ。
敵は村中に散らばって、壁と路地と煙が視界をぶつ切りにしてる。
全部を目で追える立ち位置なんざ、この村のどこにも存在しない。
「建物の中には入らせるな、追い出して潰す。ニーコ、エステル、広場の真ん中に立て」
「ふぇ!? ど、どどど真ん中ですか!?」
「お前らが立ってりゃ、勝手に出てくる」
「また『餌』ですの~っ!?」
「あちこち潜んでる魔物どもが、どこから襲ってくるかもわかんねぇ状態で、お前らがうろちょろすると標的がブレるんだよっ! だったらハナっから纏まっておいてくれた方が対応しやすいって話だ! エステル、ニーコに引っ付いてろよ?」
薄情に聞こえるだろうが、これが合理的だ。家々の中に残った連中を一軒ずつ潰して回る暇はねぇ。
それに――もし床下や物陰に生きてる村人がいるなら、魔物を屋内から引き剥がすこと自体が救助になる。
せいぜい騒いで、敵の注意を牽いてくれ。
「ガロードはニーコに釣られて出てきた奴を蹴散らしてくれ、間違っても家屋を壊すなよ? ジーン、見渡せる位置から援護射撃。ランサ、悪いが東の列を――」
「ちょっと!」
フィリスが割り込んだ。
「指図しないで。西側はもらうわ! 勝負……忘れないでよね――行くわよ、二人とも!」
フィリスは俺にウィンクを投げ掛ける。言うが早いか、三人はもう走り出していた。
ランサが盾を掲げて先行し、リンベルの指が既に紙面を滑っている。
(……ほんっと、負けず嫌いだなオイ)
そこからは、乱戦だった。
ニーコの気配に釣られた連中が、家々から、路地から、壁の穴から、バラバラに湧いて出てくる。
ウォーグが三方向から同時に広場へ躍り出る。
ガロードの〈エアブロウ〉が一方向を丸ごと薙ぎ、ジーンの矢が屋根の上から二匹目の眉間を抜き、三匹目は俺が〈シャドウステップ〉で回り込んで斬り捨てた。
ほら見ろ。個別なら、こんなもんだ。
だが、終わらない。
斬ったそばから、視界の外で音がする。
西の路地で石壁の砕ける音とフィリスの怒声。背後で穀物庫の板壁が内側から爆ぜて、猪が突っ込んでくる。
扉からじゃねぇ、壁からだ。行儀なんてあったもんじゃない。
「ニーコさんっ! み、右! 右ですわっ!」
「ひ、ひぃっ、〈リアライズ〉ぅ!」
悲鳴と共に展開した大盾が、猪の突進を正面から受けて軋む。
〈リアライズ〉から伸びた支柱が地面に突き刺さって、突進による衝撃を受け止める。
すかさずガロードの風が横合いから叩きつけ、体勢の崩れたところを俺が首を落とす。
連携……と呼べるかは怪しいが、まぁ、回ってはいる。
視界の端、屋根の上のジーンが、路地裏に矢を送り込みながら軽口を叩いている。
西からは、規則正しい破砕音。
「壁!」
「〈ロックウォール〉!」
あっちは声だけで戦況が分かる。楽なもんだ。
俺は広場を軸に走り回る。
こぼれた個体を潰し、ニーコの盾の死角を埋め、家の中から生存者の代わりに飛び出してくる魔物を迎え撃つ。
ここからでは戦況全体は見えない。
見えないなりに、耳と経験で盤面を組み立てるしかない。
――異変は、その最中に来た。
追加のウォーグを一匹斬り伏せ、返す刀で次の剣線を合わせた……はずだった。
瞬間。
――――。
……ズ、と世界が跳んだ。
気づいた時、剣線は狙いからわずかにズレて空を切り、目の前のウォーグの爪が、俺の肩口を掠めていた。
「ぐっ……!?」
咄嗟に身を捻って浅く済ませ、返しの一刀で仕留める。
(……今の、何だ!?)
ほんの一瞬、意識が途切れた。
しかし、いつ途切れたのかすら頭が認識していない。
途切れた瞬間から、戻った瞬間の映像の切れ目でそう推測しただけだ。
目眩、あるいは眠気……。
(いや……例えるなら――くしゃみだ)
くしゃみをした瞬間、意識も動きも、ほんの一拍だけ途切れる。
自分では止まったつもりすらないのに、確かにその一瞬だけ、すべての身体機能が停止する。
一瞬の仮死状態。
俺の意識は今、一瞬、勝手に『飛ばされた』。
「ランサ! 左!」
フィリスの声が向こうから飛んだ。
見れば、あの堅実の塊が、槍を構えたまま半拍、棒立ちになっていた。
本人が一番驚いた顔で立て直し、遅れて左の一匹を弾き飛ばす。
……俺だけじゃない。
ただの疲労や油断による注意散漫ってわけじゃないらしい。
(てことは……スノーハーピィの鳴き声か!)
頭上の白い群れは、素知らぬ顔で旋回を続けている。
スノーハーピィの鳴き声には『精神阻害』の効果があるというのは聞いたことがある。
実際に受けるのは初めてだが……体感すると一時的に意識が刈り取られているような感覚だ。
声は戦場全体に聞こえているが、全員に効いてるわけじゃない。
今も、平然と動いてる奴の方が多い。
だが、不規則に、バラバラに、誰かの動きが一瞬止まっている。
リンベルの指が紙面の途中で迷子になり、詠唱不発。
ニーコの盾が受けの角度をしくじって、弾かれかけた。
(止まる奴と、そうでない奴の違いはなんだ……?)
十数羽のどれが、誰を狙ってるのか分からない。
見上げ続ければ分かるかもしれないが、地面の敵はその間も待っちゃくれない。
空を見れば地上、地上を見れば鳴き声に意識を持っていかれる。
(……なるほど、厄介だな。雑魚のくせに、乱戦に混ざると、この上なくイヤらしい!)
「ジーン! 上を減らせ!」
「ああ、任せてくれたまえ!」
屋根の上から矢が走り、一羽が白い羽根を散らして落ちる。
だが、二射目――弦を引き絞った静止の頂点で、ジーンの体が固まった。
指を滑り抜け、放たれた矢は、あらぬ方向へ流れて消えた。
そして、棒立ちのジーンにハーピィ達が帯になって群がる。
拘束時間が長い。
脅威とみて、集中攻撃されてんのか!?
「おいっ! しっかりしろっ! ちっ……〈ファイアボルト〉!」
炎の矢が先頭集団を離脱させるが数が多い!
「……くっ」
ようやく覚醒したジーンは、眼前に迫るスノーハーピィの鉤爪に肩口を抉られながらも屋根から転がり落ちるようにして身を躱す。
「……いてて、レディに言い寄られるのは慣れているハズなんだけれどね」
軽口の声が、珍しく硬い。
最悪の相性だ。引き絞りから解放までの、あの張り詰めた一瞬を飛ばされたら、どんな名手でも当たらねぇ。
(チッ……対空はジーン頼りだってのに……!)
「火っ――」
あちらでフィリスの声。
だが、リンベルの指はちょうど紙面の上で止まっていた。飛ばされてる。
エンチャントは来ない。フィリスは既に振りかぶっている。
「ちっ――!」
拳がそのまま狼型の横っ面を捉えて吹き飛ばした。
(……通るのかよ、素で。出鱈目な威力しやがって)
だが、今のでハッキリした。
『言えば来る』を疑わない速さ――信頼の上に乗った連携にほど、この精神阻害は致命的に『刺さって』いるらしい。
『来るはず』の信頼が、不規則に抜け落ちるからだ。
ウチは、皮肉なことに、いつも通りだった。
やりにくいのは間違いないが……連携上は何も変わらない。
誰かが一手遅れる。そこからはアドリブ。
……毎回やってることだ。
笑えねぇ皮肉だな、おい。
広場の奥で、血を啜り終えたトロルが、のそりと顔を上げた。
鼻の頭が、赤い。
血に濡れた鼻面が、ゆっくりと、こっちを向く。
腹の底に響く唸りに、村中の雑魚どもの動きが荒くなった。
時間がねぇ。あのデカブツが混ざる前に、ハーピィの声を無効化する!
「ガロード! ジーン!」
俺は叫んだ。
「――〈サイレス〉だ!」




