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自由のアリア  作者: カラノニジ
第一章:繋がれぬはずの銀の首輪
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第Ex話:受付嬢アネットの受難その①『逃した婚期』

※一章読了を想定した番外編です。初めての方は第1話からどうぞ。

──────────────────


「……はぁ」


ファルメル支部・冒険者ギルドの受付カウンターで、私——アネット・レクベルは、今日何度目かわからない溜息をついた。


窓の外には、また雪が降り始めている。イドリア帝国の外縁部、ガリア山脈の麓にあるこの街は、本当に雪ばかりだ。寒いし、空気は乾燥してるし、肌はガサガサになるし……。


(……最悪よ、本当に)


私は、カウンターの下に隠し持っている手鏡をこっそり取り出し、自分の顔をチェックする。28歳。ギルド職員としてはまだ若い方だけど、女としては……。


(あと二歳で三十路……!)


……いや、自分を甘やかすのはやめよう。現実を受け入れなくては…。

正確には、あと一年と一ヶ月だ。


鏡の中の自分を見て、また溜息が出そうになるのを必死でこらえた。


思えば、三年前までは良かった。首都エテル・イドリアの本部勤務。周りには優秀な冒険者も、ギルドの上級職員も大勢いて、出会いのチャンスには事欠かなかった。


あの頃は、それなりにモテていたのだ。何人もの冒険者から声をかけられたし、同僚の職員からも食事に誘われた。


でも、私は選り好みをしてしまった。


「もっと素敵な人がいるはず」「まだ若いし、焦る必要はない」


そう思いながら、次々と断っていった。


そして、気づけば……。


(あの頃の私に、今の状況を教えてあげたいわ……!)


きっかけは些細な『ミス』だった。


本部の上級冒険者パーティへの依頼仲介で、報酬額をほんの……ほんの少し色を付けただけ。相手は金等級パーティ〈蒼穹の翼〉。リーダーのエリックの気を引こうと、ちょっとだけサービスした。


もちろん規則違反にならない、受付に任されている裁量の範囲内だった。


なのに、同じパーティのあの女……!


副リーダーの魔法使い、セリーナ。いつもエリックにベッタリくっついていた、あの女。


わざわざ依頼主に『ギルド職員が依頼料を過剰請求している』だなんて尾ひれをつけて、チクったせいでことが大きくなり、ついには本部長の耳にまで届き、私は「地方で経験を積んで来い」という名目で、このファルメルへ左遷されたのだった。


(……あの女、絶対に許さないんだから……!)


「アネットさーん、この書類の処理お願いしまーす」


同僚の声に、私は慌てて手鏡をしまい、笑顔を作る。


「はい、すぐに!」


(……三年よ、三年。もう十分すぎるほど経験は積んだわ。そろそろ本部に戻してくれてもいいじゃない……)


カウンター業務を続けながら、私は心の中で何度も本部への異動願いを反芻する。


だが、現実は厳しい。


この辺境支部での実績を作らなければ、本部は私を呼び戻してくれない。そして、その「実績」を作るチャンスが、なかなか巡ってこないのだ。


大きな功績を上げた冒険者の支援。新人の優秀な冒険者の発掘と育成。あるいは、難しい依頼の円滑な遂行……。


(でも、この辺境じゃあ、そんなチャンスは……)


そんなことを考えていた、まさにその時だった。


「アネット」


低く、重い声。


振り向くと、支部長のオズワルド・グリムが、いつになく険しい表情で立っていた。五十代の、頭の薄くなった小太りの男。普段は温厚だが、今日は明らかに様子がおかしい。


「し、支部長。どうされました?」


「……ちょっと、執務室に来てくれ。大事な話がある」


(大事な話……?まさか、異動の話!?)


胸の高鳴りを抑えながら、私は支部長の後をついて行った。


執務室のドアが閉まる音が、やけに重く響いた。


支部長は自分のデスクに座ると、分厚い書類の束を取り出し、ドンッ、と音を立ててテーブルに置いた。


「……本部から、通達が来た」


「つうたつ……?」


私の声が期待で上ずる。


支部長は、苦虫を噛み潰したような顔で、書類の一枚を私に差し出した。


そこには、本部長の署名入りで、こう記されていた。


『ファルメル支部の冒険者ランク分布について、銀等級以上の割合が著しく低い。これはギルドの冒険者育成能力の欠如と判断せざるを得ない。早急に改善策を講じること』


「……え……」


思わず、間の抜けた声が出た。


支部長は深く、深く溜息をついた。


「……つまりな、アネット。本部は、この支部が冒険者をちゃんと育てられていないって、遠回しに批判してるんだよ」


「そ、そんな……!」


「銅等級ばかりで、銀等級が育たない。これは、依頼の斡旋が適切じゃないか、あるいは育成体制に問題があるか……どっちにしろ、支部の能力不足ってことだ」


支部長は頭を抱えた。


「このままじゃ、支部の評価が下がる。下手すりゃ、俺の首も飛ぶかもしれん……」


(……それって、つまり……私の異動願いも……!)


私の顔が、サッと青ざめる。


支部長は、さらに書類をめくりながら続けた。


「だから、考えたんだ。この支部で、銀等級に引き上げられそうな銅等級の冒険者はいないかってな」


支部長の指が、ある名前の上で止まった。


「……そこで、白羽の矢が立ったのが、こいつだ」


私は、その名前を見て、思わず声を上げそうになった。


『銅等級冒険者:ガロード』


「ガロード……さん、ですか……?」


「ああ、そうだ。こいつの戦闘力は、間違いなく銀等級、いや、それ以上だ」


支部長は、ガロードの達成した依頼についてまとめたのであろうファイルを開いた。


「見ろ、この討伐記録。すべてソロで達成している。しかも、毎回大量の素材と魔石を持ち帰ってくる。先月なんて、アイスウルフを六体も仕留めてきた」


単体ならD-のアイスウルフだが群れ扱いなら、その脅威度は二段階上昇しD+に引き上げられる。


(……確かに、戦闘力だけは本物ね……)


銀等級の戦闘力の基準は最低でもDランクの魔物をソロで攻略できるレベル。ガロードは、その点では完全にクリアしている。……というより、戦闘力だけを見れば金等級と比較しても遜色ない狩猟歴だ。


「でも……」


私は、恐る恐る口を開いた。


「ガロードさんって、その……コミュニケーションが……」


「ああ、知ってる。一言も喋らない。依頼主との打ち合わせも一切しない。だから……討伐依頼しか受けられない」


支部長は苦い顔をした。


「本人も等級に興味がないみたいでな。だから、今まで銅等級に据え置かれてたんだ」


(……そうよね。ガロードさん、ギルドに来ても依頼書を見て、討伐の印だけ押して、黙って出て行くだけだもの……)


「でも、戦闘力は申し分ない。風魔法が使えることも確認されている。あとは……協調性、だな」


支部長は、私を真っ直ぐ見据えた。


「アネット。お前、ガロードの担当受付だったな」


「は、はい……」


嫌な予感が、背筋を走る。


「お前にこの件を任せる。ガロードを、銀等級に引き上げろ」


「……え?」


「銀等級への昇格には、ギルドとしても承認を出すだけの実績が必須だ。つまり、ガロードに実績を積ませる"教育係"を誰かに押し付けなきゃならん。その交渉と、依頼の手配、そして昇格試験までの一連の手続き……全部、お前が担当しろ」


私の頭が、真っ白になった。


「ちょ、ちょっと待ってください!なんで私が……!」


「お前が担当受付だからだ。それに、お前が一番、冒険者たちとのコミュニケーション能力が高い。この無理難題を押し付けられるのは、お前しかいない」


(そんな……!)


冒険者の等級上昇には戦闘力はもちろん実績と評価が考慮される。

銅等級までは戦闘力さえあればスムーズに上がれる。ガロードもこのタイプだ。

だが、銀等級からは違う。勅命依頼のほか、場合によっては貴族や領主の依頼も任されることがある。

故に戦闘力だけでなく、依頼の成功率、普段の素行、その他の要因も考慮される。

つまりは『最低限』のコミュニケーション能力は持っていないといけない。


ガロードが今まで銀等級に昇格させられていないのは、その最低限を割っているからに他ならない。


支部長は、さらに畳み掛けるように言った。


「……それにな、アネット。お前、本部に戻りたいんだろう?」


「……!」


図星を突かれ、私は言葉を失った。


「この任務を成功させれば、間違いなく大きな実績になる。本部も、お前を無視できなくなるだろう。異動願いも、通りやすくなるはずだ」


支部長の言葉が、私の心を鷲掴みにした。


異動。本部への帰還。そして……出会いのチャンスが溢れる、都市部での生活。


(……婚期……!)


二十八歳。残された時間は、そう多くない。


このまま、この辺境で三十路を迎えるなんて……絶対に嫌だ!


「……わかりました」


私は、拳を強く握りしめた。


「やります。絶対に、ガロードさんを銀等級にしてみせます!」


支部長は、満足そうに頷いた。


「頼んだぞ、アネット。お前の将来も、この支部の評価も、全部この任務にかかってる」


(……プレッシャー、重すぎるわよ……っ!)


だが、もう後には引けない。


私は執務室を出ると、すぐさま作戦を練り始めた。


(まず、教育係を引き受けてくれる銀等級を探さなきゃ……)


ファルメル支部には、銀等級の冒険者が数名いる。


その中で、ガロードの教育係として最も適任なのは……。


(〈暁の剣〉の、フィリスさん……)


〈星砕〉のフィリス。銀等級のパーティリーダー。彼女個人も銀等級で実力も、統率力も申し分ない。


…ただ、懸念がないといえば嘘になる。


彼女は、気が強くて、短気で、そして何より……プライドが高い。


(………〈勅命〉で、お願いするしかないわね)


ギルドの〈勅命〉。拒否すればものによっては罰金、奉仕作業、報酬減額、一部施設利用規制……。なんらかのペナルティが科される、強制力のある命令。


これを使えば、フィリスも断れないはずだ。

今回の件について支部長から私の持てる裁量、権限を大幅に拡張してもらっている。支部長もそれだけ本気だということだろう。


(ごめんなさい、フィリスさん……でも、これは私の将来……いえ、婚期がかかってるの……!)


私は、勅命書の作成を始めた。

胸の奥に、小さな罪悪感が芽生える。


(……でも、ガロードさんって、ただコミュニケーションが取れないだけよね。戦闘力は確かなんだし、フィリスさんなら大丈夫……きっと……)


でも、それ以上に、都市部への帰還という希望が、私を突き動かしていた。



翌日。

私は、フィリスを呼び出し、勅命書を手渡した。


「……は?」


フィリスの顔が、見る見るうちに険しくなっていく。


「ちょ、ちょっと待って。これ、本気で言ってるの?あの〈沈黙〉の、ガロードの教育係を、私たちがやれって?」


「はい……。これは支部からの命令でして……」


「はぁ!?なんであんなコミュ障の面倒を、私たちが見なきゃならないのよ!」


フィリスの怒声が、ギルド中に響き渡った。


(……ああ、やっぱりこうなるわよね……)


私は内心で溜息をつきながらも、必死に笑顔を保つ。


「フィリスさん、お気持ちはわかります。でも、これは勅命なんです。拒否されると、ペナルティが……」


「知ったこっちゃないわ!一言も喋らないヤツと、どうやって連携しろって言うのよ!」


周囲の冒険者たちの視線が、好奇と同情の色で私たちに注がれる。


(……無茶を言ってるのはこっちだってわかってるわよ!……でも、ここで引き下がるわけにはいかないのよ……!)


私は、心を鬼にして、勅命の内容を説明し続けた。


「ガロードさんの戦闘力は、既に銀等級相当です。ただ、協調性の部分で……その、少し指導していただければ……」


「少しって……あんたね。喋らないヤツに、どうやって指導するのよ」


フィリスは呆れたように言った。


「でも、戦闘に関しては問題ないんでしょ?ソロで討伐依頼をこなしてるって聞いたわ。なら、実地訓練で何とかなるんじゃないの?」


(……そうよね。ガロードさん、戦闘力だけは本物だもの。きっと、大丈夫……)


私も、フィリスも、まだこの時点では楽観視していた。


ガロードは、ただのコミュニケーション不全の相手。


少し変わっているけど、実力はある。


その程度の認識だった。


そして、最終的に。


「ハァ……しょうがないわね。……わかったわ、どっちにしろ勅命依頼じゃ断れないんでしょ?全く………」


フィリスは、忌々しげに勅命書を受け取った。


(やった……!)


内心でガッツポーズをしながらも、私は平静を装う。


「ありがとうございます、フィリスさん。それでは、訓練の日程ですが……」


そして、私はフィリスたち〈暁の剣〉と、ガロードを、フロストウィング討伐という名目の訓練任務に送り出した。


(これで……これで、うまくいけば……!)


希望に満ちた気持ちで、私は彼らの背中を見送った。


この時の私は、まだ知らなかった。


この任務が、予想を遥かに超える大惨事になることを。


そして、その尻拭いをするために、私がさらなる無理難題を押し付けることになるということを……。


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