#95
「魔王が現われれば、この世界の破滅はほぼ確実に訪れます。世界の行く末……破滅を防ぐことが出来るはただお一人、リリアーネ様しか居られぬのです」
私を真っ直ぐに見つめた神父様の瞳はどこか切実な祈りを含んでいるような気がして、少しだけ息が詰まりそうになる。
アノンが私の背中にそっと手を回してさすってくれた。
「少々論理が飛躍しているようにも取れるが……そもそも、魔王というのは実在するのか? 建国神話にも悪魔やそれに従う魔族の話はあるが、魔王が世界に破滅をもたらすのならば、何故神話時代に世界が滅びなかった?」
お姉さまの疑問に少し考え込んだ神父様は、ややあって口を開く。
「そうですね……神話以降、記録の限り魔王が世界に現われたことはありませんから、確かなことは言えませんが、魔王が何故世界を滅ぼせなかったのかという問いには一応の考察があります。神話時代は今よりも人口が少なかったことが要素の一つとして挙げられるでしょう」
「人口?」
「魔王を含め、悪魔というのは呼び出した者の想いの強さと、呼び出した地点で犠牲になった魂の多さで強さが決まると言われています。神々が超越したお力を持っておられることは事実ですが、被害が大きくなる前に退けることが可能だったのは、そもそも一所に集う人間の数、つまり召喚の為に犠牲になる魂の総量が少なかったからでしょう」
神話時代……建国の頃の正確な人口は記録にも残っていないだろうけれど、ここ数十年で農業や工業の技術が急速に発展しつつあることは確か。
当然、町の規模もより大きくなりつつあり、北部の主要な都市でも、あぶれた人が作り出したスラムは領主たちにとっては大きな課題となりつつある。
「つまり、人口が増えた今は魔王が強くなりやすい、と」
エルヴィンが納得したように頷いたところで、お姉さまがもう一つ神父様に質問を投げかける。
「もう一つ、リリアーネという名前自体は、そう突飛な名前ではない。勿論ありふれた、というほどでもないが、その名前を持つ者は多いはず。なぜ、私の妹がその神託のリリアーネだと?」
確かに、神父様が話してくれた神託には、単に「リリアーネ」としか言われていなかった。
私の名前は百合の花由来で、これは北部でもそれ以外でもそこそこ人気のある名前だと言える。
それを考えると、一発で私のことを神託の該当者だと断定してこられたことも疑わしく思えるのは自然なことだ。
その問いに、神父様は顔を歪め、答えたくないという風に口を閉じたが、少しして観念したようにお姉さまを見つめる。
「……それは、閣下。貴女様が魔王を召喚しうる可能性が最も高い人物の一人だからですよ」
「おい、マーガレット様になんて失礼なことを!」
「良い、神父様は私が尋ねたことに答えただけだ。つまり、私の傍にいるリリアーネを探したわけか?」
エルヴィンがたまらず、といった風に立ち上がって怒鳴ったのを、お姉さまが片手で制す。
エルヴィンは神父様を睨みながら座り直したが、神父様は動じずに肩をすくめただけだった。
「要はそうなりますね。魔王の配下である悪魔の一部は、今も邪教徒を利用しこの世界に干渉していると言いますが、魔王を召喚するための術は、並大抵の人間には発動できません」
魔王を召喚するには、正確な術の手順を踏むだけでなく、次の条件を満たさなければなりません。
そう言うと、神父様は指を三本立てる。
一つ、この世界を深く憎んでいること。
二つ、神を恨んでいること。
三つ、大きな魔力とそれに耐えうる精神力を持つこと。
「一番目と二番目の条件は、誰にでも達成し得ないことは無いですが、魔力と精神力は生まれつきの素質があります。魔王召喚でなくとも、禁術を使えるだけの魔力を持つ者は限られていますから」
教会が把握している限り、国内でそれが可能な魔力量はたったの五人。
そのうち四人は貴族ですから、動向を抑えることは不可能ではありません。
神託で告げられた名前の少女が丁度、その候補の一人であるブルーメ公爵に引き取られたとあっては、無視することはできないでしょう。
冷静に告げる神父様にエルヴィンが詰め寄る。
神父様は少しだけ罪悪感を表情ににじませて視線を逸らす。
「ガイ、お前何故それを俺に言わなかった?」
「あくまで可能性に過ぎないことで警戒させるわけにはいかない。……私だって主家のお嬢様には健やかにお過ごしいただきたかった。普段は別に魔力暴走の傾向が無いか担当の司祭が確認するくらいだったし、一生知る機会が無ければそれでいいと思ったの。けれど」
そうはいかなくなってしまった。
どこか悔しさを滲ませて、神父様は拳を握り締めた。
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次回更新予定 9/14




