#67
いつも間に合わないですみません、ホント……
ビリーが姿を消し、気配さえ分からなくなったのとそう間を置かずに、扉が開く。
いつもより、ほんの少しだけ早い歩調に、微かな恐れと、焦りが表れていることに気付けるのは付き合いの長い私くらいのものだろう。
彼は胸ポケットに入れている懐中時計を取り出して、時間を確認している。
懐中時計の金に、黒い宝石は良く映え、部屋の窓から差し込む西日を反射した。
私は、彼の様子がどこかおかしいことには何も気付かないふりをして、いつも通り、『兄様』に向かって微笑んだ。
「ユリウス兄様、おかえりなさい」
「……子爵は?」
「つい十分前にお帰りになりました。書類はこちらに」
私は、手に持っていた封筒を彼に手渡した。
ユリウス兄様は、封筒をじっと見つめてから私に視線を移すと、僅かに目を見開いた。
ぐっと、距離を詰め、今にも接触しそうなほど近くで私の目を覗き込もうとする。
「そうか。助かった。……ミディ、お前」
カタッ
物音がして、机の上の置物が倒れた。
……恐らくは、ビリーが注意をそらすためにしたことだろう。
「兄様?」
「いや、何でもない」
ユリウス兄様は、ハッとしたように私から離れて服を整えた。
私のことも探るような目つきで見てくることも察しつつ、あくまで、何も気付いていないという体を維持して、話を振る。
「そうですか? なら良いのですが。……お嬢様はどうでしたか? 私がお嬢様を納得させられるようにお話しできれば良かったのですが……」
頬に手を当て、参ったと言わんばかりに首を横に振ると、少しだけホッとしたように浅い息を吐いてから、ユリウス兄様は私に同意した。
「お嬢様のあの様子では無理だろうな。取り敢えずは引き下がったようだが、また同じことを言うようなら呼んでくれ。……心配するな。私が必ずお前の親の仇を討つ。……何を犠牲にしようと」
最後に、消え入りそうな声で絞り出したそれを、聞かなかった振りをすることは叶わず、私はこれまでの人生で最も最悪な悟りを得てしまう。
私の表情が変わったことに気付いてしまったユリウス兄様は、胸を締め付けるような顔でほのかに笑った。
それ以上の追求を避けるように、私の呼びかけを遮って彼は部屋の外を指し示す。
「兄様」
「もう、仕事に戻ったらどうだ? きっと仕事がまだ残っているだろう? ……それとも、まだ私の仕事を手伝ってくれるのか?」
そう言った彼の瞳が酷く揺れているのを、私は直視できなかった。
私と一緒に、堕ちる気はないんだろう?
言外に彼が示したのは、つまり、そういう事だ。
そして、私が返す答えを、彼は最初から知っている。
「いえ、すみません、これから執事長の所へ行かなければいけないのを忘れていました!」
彼の期待通りの答えを出せたのだろう。
ユリウス兄様は、にこやかに頷いてわざわざ扉を開けてくれると、退出を促した。
「そうだと思ったんだ。早く、行きなさい」
「はい、失礼します。……兄様、大好きですよ」
去り際に、それを言わずにはいられなかった。
私の決意の為に、必要な一種の儀式。
ユリウス兄様は表情を消した。
「……私もだ」
部屋を出て、足早に角を幾つか曲がり、人目に付かない端の部屋に入り込む。
壁に体重を預けて、ずるずると座り込む。
ぼろぼろと涙が出るわけでもないのに、胸がどうしようもなく苦しくて、顔を両手で覆って嗚咽する。
ビリーの気配が濃くなり、私の目の前でおろおろとしていることを理解しながら、私は淡々と告げる。
「あなたが言った通り、私に呪いをかけたのも彼で間違いありません。あの人の懐中時計に宝石なんて付いていませんから」
彼が閣下の目に留まり、側近へと昇進した祝いに、私と祖父で直した彼の父の形見である懐中時計を、彼は常に持ち歩くと約束してくれたのに。
洗練されたあの王都風の装飾が為された懐中時計にはめられた、確かに護符が反応しているのは、目で確認しなくとも分かっていた。
彼には、復讐が一番大事だった。
私は、私を責めなかったあの方が私を責めてくれるくらいにはあの方を守れて当然の存在に、なりたい。
違いは、ただ、それだけだった。
それだけが、道を、分けた。
「……大丈夫か?」
ああ、自分が情けない。
決して幸福ではない人生を送ってきたはずの主を傷つけ、自分の半分も生きていない少年に心配させて。
ビリーが恐る恐るといった風にかけてくれた声に返した自分の声は、想像していたよりもずっと、硬かった。
治まらない動揺と、叫びだしたいほどの劇場を誤魔化すように、早口でまくし立てる。
「覚悟はしてましたから。たとえ親の仇を討つためであっても、主家に対しての裏切りはあってはならないことです。お嬢様やあなたのようにエルヴィン卿を信用してはいませんが、『ユリウス・カルスト』が行ったのは家中に敵を受け入れる行為。ならば、私は公爵家に仕える者として、執事長の孫として、裏切り者を許すわけにはいかないんです」
両手を顔から離して、目の前でパンっと叩く。
ぐっと体に力を入れて立ち上がり、無理矢理にでも笑ってみせた。
そう、私は選んだのだから、もう立ち止まってはいけない。
主人の為に尽くす、使用人としての道を、全うするんだ。
「さあ、早くお嬢様の所に戻りましょう!」
「……分かった」
大好きでしたよ、ユリウス兄様。
いつもお読みいただきありがとうございます。




