#57
また、間に合わなかった、だと……
「お姉さま、どうかお気をつけて」
「ええ。……リリもね」
早朝、まだぼんやりとする視界を何とか誤魔化しつつ、お姉さまと抱き合い、言葉を交わす。
短時間とはいえしっかりと休んだ私と違い、お姉さまはほとんど休んではおられないだろう。
使用人たちは口をそろえて「公爵閣下なら平気ですよ」などと言うけれど、これから戦うことになるかもしれないのに、とても心配だ。
「閣下、そろそろお時間です」
抱き合う私たちに控えていた騎士の一人が駆け寄ってきて声をかけた。
その見覚えのある顔を見て思わず体が硬くなる。
クラウス・ゼノンだ。
クラウスの武芸の腕前が優れているというのは、若くして大勢いる騎士団の中からお姉さまの側近になれるくらいなので言うまでもない。
反乱を鎮めるために必要な戦力として招集されたのだろう。
私への言動はともかくとして、お姉さまへの忠誠心は疑いようがない人の一人ではあるので、戦場への同行自体は異論無い。
「ですが、出立前に少しだけよろしいでしょうか?」
「あ、なら私はもう……」
何やら用があるらしい彼にも、私は必要以上に傷付くつもりはないので、お姉さまから離れて下がろうとする。
けれど、クラウスが私を引き留める。
「いえ、お待ちください。私が用があるのはリリアーネ様ですから」
「私、ですか?」
……また、嫌味だろうか?
いや、さすがの彼でも散々お姉さまにお叱りを受けてなお、お姉さまの前でそんな行動をとるほど愚かではないはず。
だとしたら、一体何が目的なのだろう?
黙り込んだ私の顔を覗き込み、お姉さまが心配そうに言う。
「リリ、嫌なら断っても良いのよ。嫌なことを言われた相手なのだから譲歩する必要は一つもないのよ?」
「……いえ、大丈夫です。何でしょうか、ゼノン卿」
首を横に振り、大丈夫だとお姉さまに笑いかける。
どんな内容であれ、これからお姉さまの為に命をかけて戦う人だ。
多少の嫌味くらいなら聞き流してあげよう。
そんな決意と共に、私は彼に用件を尋ねる。
「リリアーネお嬢様……」
一瞬の間の後、彼は勢いよく上半身を百八十度折り曲げた。
「先だっての無礼、誠に申し訳ありませんでした!」
「え」
思わぬ展開に呆気に取られてしまった私に向かって、クラウスは朗々と述べる。
「本来、どんな事情があれど主の行動に異を唱えるならばそれなりの道理が無くばなりません。しかし、私はただ己の身分を誇るだけで真の騎士たる心構えがまるでなっておりませんでした。自分の使える家の方であるにも関わらず、いえ、そうでなくとも、ご自身の生まれも知らず、初めて家族と対面なさった方に対してお耳に入れてはならないような妄言だったと自省しております」
「えっと、その」
「勿論、私の謝罪はただのけじめに過ぎません。お嬢様に簡単にお許しいただこうとも、許しを得られるとも思ってはおりません。ただ、何も言葉にしないまま戦場へ旅立つことは私に猶予をくださった閣下にも、お嬢様にも不義理であると判断しました。お嬢様のお連れになった少年……ビリーと言いましたか。彼に対しても、閣下の安全を理由に行き過ぎた行為を為してしまいました。そちらの件も含めまして、帰還の際には改めてお二人に謝罪する機会を頂ければと」
淀みなく謝罪の言葉を述べる姿は、実のところ、その場限りの言葉ではない、本心からの言葉に見える。
それでも、すんなりと受け入れられないのは、巻き戻りの前の彼の仕打ちも、今回のビリーや私への言動も、言葉一つでなかったことに出来るほど、軽いものではなかったからだ。
「……一つだけ、質問をしても?」
「なんなりと」
神妙に頷いたクラウスに向かって、問いを投げかける。
「どうして、謝罪をしようと思ったのですか? 貴方はお姉さまに諭された程度では私やビリーへの見方を変える人ではないと思うのです」
血統主義や、貴族主義というのは、その価値観が正しくないと疑う事すら苦痛になるものだ。
いくらお姉さまを慕っていても、彼の平民や子どもに対する態度が、そんな急に変わるとは思えないのだ。
クラウスは私の問いに、少しためらってから口を開いた。
「……リリアーネお嬢様はアデラ・ガルム夫人の処罰を軽くしてくださるよう閣下に提言なさったとお聞きしました。あの方は私の叔母でもありまして、両親を亡くしている私にとっては親も同然の方です」
「身内の助命のおかげ、ということですか?」
家族の命が助かったから、態度を改める。
まあそれも分かりやすくはあるか。
そう思って納得しかけたけれど、クラウスは首を横に振って否定する。
「いいえ。リリアーネお嬢様が救ってくださったのは、叔母の心です」
「心?」
「先代の公爵夫人が身罷られてから、叔母の心は壊れてしまったままでした。私がどんな言葉を投げかけようと、彼女の心は亡くなった奥様のことしか考えられなかったのです。お嬢様が閣下を止めてくださらねば、叔母は主人の死と真に向き合えないままに生涯を終えることになっていたでしょう。身内として傍にいた私では、きっかけになることさえ叶わなかったことを、お嬢様と閣下がしてくださったのです」
クラウスは拳をぎゅっと握りしめ、私に向かって泣きそうな顔で笑いかけた。
安堵とも、後悔とも呼べそうな表情は、酷く苦しく、安心感がある。
クラウスはいきなり私に向かって跪く。
「叔母が、久しぶりに弱音を吐いてくれました。ずっと気を張り詰めていた方がです。私が出来なかったことをまだ幼い貴女様がしてくださったのですから、私も己の認識を過ちとして認めねばならないと、そう思ったのです」
だからせめて、言葉だけでも先にお伝えしたかった。
そう言って、クラウスは口を閉じ、私をじっと見つめる。
「ゼノン卿。私はまだ、貴方を許せません」
「……当然のことです」
私の返答にも、クラウスは落胆するそぶりを見せず、ただ真っすぐに私を見つめ、言葉に耳を傾ける。
「けれど!」
私は跪いていた彼の両手を取り、ぎゅっと握る。
そうしてから、私はクラウスのことを改めて見つめ返す。
「お姉さまを頼みます」
だから、無事に帰ってきてください。
もう一度私に謝るために。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新予定 6/17(いい加減間に合わせようという自戒)




