#56
また、間に合わなかった……
「……貴女を迎え入れてから気付いてしまったの。私は余りにも公爵として足りなかったと」
お姉さまは立ち上がると、窓の外を見つめる。
こんな状況だというのに、空は雲一つない綺麗な空色で、それがかえって胸を締め付ける。
影の差したお姉さまの表情もまた美しくはあるが、それを目に止める私たちの心さえ、今は苦しい。
「お姉さまはとても立派に公爵をなさっているじゃありませんか」
「そんなことはないわ。現に貴女達が孤児院であんな目にあっていたことも、アデラ夫人が貴女に害意を抱いていたことも私は気付けなかったもの」
私の言葉に振り返り、首を横に振って否定するお姉さまは、虚しそうな空笑いをする。
それを見てアノンはしょうがないなというような表情で口を開いた。
「公爵様みたいな偉い方が、地方のはずれのいち孤児院の様子を察知できるほど暇じゃないことくらい、僕らだって分かっていますよ。むしろ助けに来ただけ称えられるべきでしょう」
「公爵様は、俺を信じて孤児院まで来てくれたじゃないですか! それをしてくださる貴族だってだけで凄いですよ!」
アノンの言葉に続いてビリーまでもがお姉さまを擁護すると、お姉さまは泣きそうな笑い方で礼を言った。
「……ありがとう。それでも、私が下の者をしっかり監督していれば、あるいはもっと気にかけていれば。孤児院で人身売買を企む者も出なかったし、リリが不用意に傷つけられそうになることも未然に防げた」
「それは……」
それは、言っても詮無き事。
仮定の、もしもの話。
けれど、そんな言葉が慰めになるわけがないことくらい、私にも、隣の二人にも分かってしまう。
できたはずのことを、しなかったというのは、いつだってその必要性には後から気付くものだ。
私たちの顔はどんなに悲痛だったのか、私たちの表情を見たお姉さまは慌てて取り繕うように言った。
「ああ、そんな顔はしなくて良いんだ。私だって過度に自分を責めているわけではないから」
咳ばらいをして、席に座り直し、お姉さまが続ける。
「私が言いたいことは、ただ、貴女達を辛い目にも危険な目にも合わせたくないという事。私には叶わない話だったけれど、子どもが大人を頼ることもすべてを任せることも当然そうあって然るべきだから」
「お姉さま……」
両親の死と同時に、無理矢理大人となる事を求められたお姉さまの苦しみは、お姉さまのその優しさゆえに一生心に残り続けるのかもしれない。
お姉さまは、私たちの境遇に過去の自分を投影してもいるのだ。
それでも、未来を変えるために私は、自分の時間を取り戻したいよりも、自分と同じ思いを経験をさせたくないというお姉さまの優しさを素直に受け入れることが出来ないのである。
「明日の朝には私はここを発たなければならない。それが北部の大領主であるブルーメの義務であり、王命でもあるから。私がいない間のことを執事長とユリウスに任せることはもう知っているわね?」
その言葉に三人そろって頷く。
そう、お姉さまは公爵である限りその仕事からも逃れられないのだから。
私たちはお姉さまがいない間、確固たる庇護者がいない状態で過ごさなければならないのだ。
「エルヴィンがわざと無罪の証明をせず牢に入ったことは、私くらいしか知らない。執事長にもユリウスにも言わないと、エルヴィンと決めた。そして当然ばれてもいけない。本来の裏切り者として、誰が怪しいかも目星がない現状で、そんな話を漏らすわけにはいかないの」
「あ、お姉さま、その件ですが……」
私たちはお姉さまに先ほどまでの流れを説明する。
エルヴィンの話を聞いた後、ミディと話をしたこと、突然様子がおかしくなってどうやら呪いをかけられていたらしいこと、怪しい人物が見つかったこと。
お姉さまはミディの暴走には一瞬だけ顔をしかめたが、最後まで黙って聞いてから呟いた。
「ダスゲイル……。確かに最近妙に羽振りも良くなったらしいと耳にしたわね。単純に上手く王家に取り入ったのかと思っていたけれど……。なら、これを預けてあげる」
「これは、鍵……ですか?……」
お姉さまが執務用の机の引き出しから、チャームを取り出す。
私に手渡してくれたそれを、両隣から覗き込んできた二人とともに観察する。
天使の羽のようにも、鍵のようにも見えるそれには、鍵として差し込んでしまえば見えなくなるであろう先端の部分に、私やお姉さまと同じ空色をした小さな宝石が埋め込まれている。
チャームの周りは不思議ときらきらと輝き、どこか心地良い感覚もある。
「公爵邸のマスターキーよ。これはもう創れないと言われる魔道具でこの屋敷の全ての鍵を開けることが出来るの。金庫だって、地下牢だってね」
「そ、そんなすごいものを良いんですか?」
予想以上の代物に私はびっくりしてしまう。
てっきり、お守りか魔よけの何かだと思ったのに、マスターキーだなんて。
しかも、今は再現できない魔道具なんて、下手をすれば公爵邸がもう二、三個は建てられるくらいの代物だ。
とてもじゃないけれど、幼い令嬢に貸して良い代物ではない。
「大丈夫よ。これはブルーメの血を引く者しか扱えない道具なの。リリを信用する証に預けるのだから、必要だと思った時には遠慮なく使ってちょうだい」
あれだけ、危険なことをして欲しくないと言っていたお姉さまがこれだけ重要な物を出して、自由に使って良いと言ってくれるなんて、と驚いていると、お姉さまはただし、と私に目線を合わせた。
「くれぐれも他に見つからないようにすることと、直接敵と戦うようなことにはならないようにすることだけは気を付けて。敵が一人とも、その敵が貴女達の予想通りとも限らないのだから」
お読みいただきありがとうございます。
私生活がそろそろ落ち着きそうなのでストックを作りたいところ。
次回更新予定 6/15(今度こそ間に合わせたい……)




