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第三章 ⑤

「小笠原くん、今日、昨日のあの子の契約の書類を出していないみたいだったけど、何かあったの?」


「まあ、ちょっと」


「何よ、曖昧ね」


 ガン保険の契約をもらったあとのやり取りをかいつまんで説明する。


「何かしら気づいているんじゃない? 女の勘は怖いのよ?」


 そばを啜る手を休めずに聞いていたゆかりだったが、真備が「さらに付け加えなんですけど」と告げた内容を聞いて、むせた。


「ごほっ、ごほっ」


「大丈夫ですか。お水です」


「あり、がと。ごほっ」


 激しくむせ込んで、ハイヒールの足をひねらないか、真備は心配になった。


「あの子からもらった新しい紹介先、二軒ともまた結構な週末案件だって言うの?」


 立ち食いそばとは言え、外で食事中に「調伏」だの「悪霊」だの言いまくるわけにもいかず、二人の間で「週末案件」という符牒を使っていた。


 そばを食べ終わって器を返し、二人は外に出た。


 歩きながらなら、もう少し話せる。


「一番最初に二人で手分けしてやった案件のあと、つまり、ガン保険の説明をしたときにもらった紹介が三軒。今週回りきったのですけど、これがまた全部、『週末案件』でした」


「それでこの前の土日も忙しかったのね」


「まあ、鬼までは出ませんでしたから、姉弟子にはお願いしないで俺と梨華でやりましたけど」


 コインパーキングそばの喫煙コーナーで同じオフィスの営業が、何人かで談笑しながら煙草を吸っていた。


「特に深い意味はなかったんですけど、この前の紹介が結構激しい悪霊さんたちだったんで、今回もそれだったら嫌だよなと思って、式盤を使って見てみたんです」


「そしたら大当たりだったってわけ?」


「ええ」


 三越前駅から地下鉄に乗る。ごうごうという地下鉄の騒音のせいで、話す声を大きくしないといけないので、真備はどうも好きになれない。


「紹介はありがたいんですけどね」と、真備がため息と共に吐き出す。


「それでも、このまえ、私が『週末案件』を手伝ったところ、医療保険だけでしょ?」


「今回もご主人が十年短期の低解約返戻型終身を一件と奥さんが緩和医療で一件。あとはまだ未定です」


「緩和医療が取れたなら、ラッキーだったじゃない」


 通常の医療保険より緩和型医療保険――いわゆる、持病をお持ちの方向けの医療保険の方が、コミッションはいいのである。どういう仕組みかは分からないが、会社としては儲かるのであろう。普通の医療保険より割高だからということもあるかもしれなかった。


「そうは言っても、活動量の割に成果になっていないってマネージャーからはねちねち言われてますよ」


「また生霊が来る?」


「夕べ来たので追い返しました」


「ああ、だから今日、マネージャー珍しく腰痛で倒れたのね?」


 真備が肩をすくめた。


 ゆかりこそ肩をすくめる。

 生霊返しで本人が倒れるほど、真備は厳しい撃退法を取ったということで、この温厚な弟弟子にしては珍しい。


 たぶん、あの桜子とかいう娘のことが関係しているように思った。


 神田駅で中央線に乗り換える。


 わざと上り線に乗り、終点の東京駅に着いてそのまま反転することで、ゆっくり座っていくことにした。


 それにこの方が、しばらくは周りに人がいないので話もしやすい。


「いくら何でも、悪霊で苦しむ人の知り合いが多すぎますよね」


「百発百中で霊障案件というのはこれまでないわね」


「それも、桜子さんの家の周辺が中心です」


 単純に考えても、これまで七軒のすべての紹介が霊障案件である可能性は、○・八パーセントにも満たない。


「桜子さん自身も大蛇の霊に襲われた。何らかの霊的ゆがみがあるんじゃないかと思って」


「それで、真備くんはどうするの?」


「幸い、今月の数字はできていますので、来月分の見込み客を探すために、鷹の台駅周辺で飛び込みをしようと思います」


 ゆかりが真備の顔をまじまじと見る。


 東京駅に着いて、下り列車に代わるタイミングで他の乗客が乗ってきた。


「真備くんが自分で歩き回るのね?」


「ええ」


 法力を発散しながら、陰陽師である真備が周辺をぐるぐる歩き回る。これ以上の磁場浄化と結界形成法はないだろう。


「じゃあ、私のほうはいったん家に戻って準備を調えたら、そちらに合流するわ」


「頼みます」


 座席が適度に埋まり、電車が動き出した。


 国分寺駅に着くまで、真備は眼を閉じることにした。


☆☆☆


 家にいったん戻るゆかりと別れて、真備は西武国分寺線に乗り換えた。


 黄色い車両の中は独特の臭いがする。


 乗っている人も少なかった。


 冷房の風に当たりながら、後頭部を窓ガラスに付け、ぼんやりと心を落ち着かせる。ノートパソコンをいれた鞄が重かった。


 鷹の台の駅に着き、改札を抜ける。自転車に乗った高校生が通り過ぎていった。


 辺りを見回す。こちら側から町並みを見るのは新鮮だった。


 この辺りの地図を片手に、いつもの飛び込みのスタイルを作る。


 普通なら、磁場浄化のために周囲をぐるぐる歩き回っていれば、余裕で職務質問されるだろう。しかし、生命保険営業であれば、疑われない。


 ましてや、首からは国内生保屈指のメリー生命の顔写真入り社員証を下げているのである。保険営業は素晴らしい。


 桜子の家には寄らず、周囲を飛び込みながら歩き回る。


「こんにちはー。メリー保険の小笠原と申します――」


 見込み客が見つかればラッキーだが、今日の本命は周辺を歩き回ることそれ自体だから、少し気持ちが違う。


(ま、念を集中していないから、たぶん見込み客は取れないかもな)


 歩き回りながらペットボトルのお茶が空になり、新しいお茶を自動販売機で買い直す。


 よく冷えた緑茶が喉を潤してくれた。そのせいで思い出したように汗が噴き出した。


 タオルで顔をぬぐって、もう一度お茶を口に含むと、そばに稲荷神社があることに気づいた。


(桜子さんが倒れたときに、社殿の裏側から地脈を使わせていただいたのだったな)


 暑い日差しが、神社の銀杏が濃い影を作っていた。


 参拝者もいない、町中の小さな神社だ。


 お賽銭を静かに入れ、参拝する。


『陰陽師殿、今日はお参りだけかの』


 真備の頭の中に声が響く。子供の女の子の声だった。


(この聞こえ方は、人間ではないな)


 真備は左眼に念を集中させ、見鬼の才で辺りを見れば、向かって右側、賽銭箱の端に白いキツネが座っている。太陽の光を受けて毛色が虹色に反射していた。しっぽが大きい。


「稲荷大明神は天界において動物の魂を導くお方。全国に数多くの分社があるため、眷属として狐を使われる。あなたはこちらの神社のご担当の方ですか」


『ふふ。今日は礼儀正しいのだな、陰陽師殿。先日はこちらが話しかける間もなくいきなり消えおったが』


 白狐が流暢にして古風な人語をしゃべっていた。しかも幼女の声で。

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