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第三章 ⑥

 稲荷神社のお狐様が幼女の声でしゃべるというのはなかなかシュールだが、そういう趣味のお方なのだろう。


「それは申し訳ございませんでした」と真備は頭を下げた。


 念のため、周囲を伺う。鳥居の向こうを、おばあさんが一人歩いていた。


 見つかってはいないだろうが、本殿の右側に回り、心のなかでの対話に切り替えた。


『礼に則って感謝の礼拝をしておったようじゃが、ほんとうはわらわに聞きたいことがあるのではないのかえ』と、幼女の声がする。


(聞きたいこと、ですか)


『たとえば、二条桜子のこととか』


「えっ!?」


 思わず驚きの声を上げてしまい、あたりをもう一度見回す。誰もいなくて助かった。


『先日、陰陽師殿が禹歩などという珍しいものを見せてくれたからの。気になって地脈を読んだら、よりにもよって二条桜子の家の方に行きよったからな』


(桜子さんを御存じなのですか)


 この辺りの氏神に相当する神社だ。地域の人々のことを知っていてもおかしくはあるまい。


 しかし、戻ってきた答えは、真備の予想をはるかに上回るものだった。


『二条桜子とわらわは友達じゃ』


(友達、ですか)


『おまえたちの言葉で言えば、親友とか幼なじみとか竹馬の友とか、そういう関係じゃな』


(はあ……。そうですか――)


『信じられぬか。まあ仕方あるまい。この辺りは武蔵野の自然の残る一帯とはいえ、東京じゃ。まさか神社のお狐様と地元の子供が遊んでいるなんて、「遠野物語」もびっくりじゃろ』


(随分物知りなのですね)


『物を知らねば、現代の人間の悩みを聞いてはやれんからの』


 白狐が笑ったように見えた。


(いえ、信じていないわけではないのですが、どんなふうに遊んでいたのかのほうに興味がありまして)


 小さな桜子が白狐を追って走り回っていたのだろうか。


『ふむ。その言い方からすると、陰陽師殿も小さいころには地元の白狐や天狗たちと遊んでおったようじゃの』


(ええ、まあ……)


『わらわと桜子の場合は、主にわらわが人の姿を真似ておった』


 そういうと白狐が、珠がきらりと輝くように光った。手足が伸び、頭が大きくなって、瞬く間に人の形になっていく。


 いつの間にか、白狐はホットパンツ姿の小学生の女の子の姿になっていた。


(見事なものですね)


 髪が総白であることと頭の上の白い大きな狐耳と、おしりから生えている大きな白いふさふさした木の葉型のしっぽを除けば。


『この姿で現象化して境内で鬼ごっこをしたり、逆に二条桜子の魂の方がこっそり抜け出しておままごとをしたりしておった』


「えっ、そんなことを――」


 思わず声が出てしまった。


 前半はまだいい。しかし、後半は――


『二条桜子はこの神社の桜の花から名付けられたそうじゃな。初参りも七五三もこの神社で行ったのじゃ。父親はいまは校長をやっておるが、そのころはまだ普通の教師でな。情操教育じゃか道徳教育じゃか、そんなつもりで神社に来たようじゃ』


(なるほど)


 これまで桜子から聞いていたことと、それ以上のことが含まれていた。


『父親の方は信仰心がほとんどない男じゃが、二条桜子のほうは純粋じゃ。小さいころからよくこの神社に詣でていて、わらわの姿にも驚きもしない。わらわのことを「白子、白子」と呼んでの。小さいころから病弱だった二条桜子が、遅くまでわらわと遊んで両親に怒られて、外出禁止になったら、この場から動けぬわらわに会いに、二条桜子の魂のほうが遊びに来るのじゃから、驚いたわい』


(よほど、あなたのことが好きだったのですね)


『かわいかったぞ。そして優しい子じゃった』


 白子が懐かしげな口調で続ける。


『友達が困っているときにはわらわのところに来ては、友達の悩みが解決するように願掛けをしたりしての。自分のために祈ることの少ない子じゃった』


「そうですか」


 ほほえましい話に、真備も頬が緩む。


『そうじゃ。陰陽師殿もわらわを「白子」と呼んでよいぞ』


 白子が眼を細めた。


『ところが、人の世は無情なもの。小学校の半ば頃にはわらわの姿を日常的に視ることはできなくなっていった。中学校に行くころにはすっかりそのような能力は失われてしまったらしい』


 真備はうなずいた。


 数は少ないが、そういう子供は一定の割合で存在のである。


(赤ちゃんが誰もいないのに笑ったり、手を振ったりするのは大体、菩薩や神々がその子を祝福に来ていることが視えているから。普通は、言葉がしゃべれるようになるころには、そのような見鬼の才のようなものは失われるのですが、桜子さんは中学生になるまでそういう力があったのですね)


『わらわの姿が視えなくなり、声も聞こえなくなってからも、二条桜子はしょっちゅうこの神社に来てくれた。学校のこと、家のこと。お参りというカタチでときどき近況報告をしてくれた』


 白子が賽銭箱に座って足をぶらぶらさせている。


『大学に行ってからもときどき来てくれていたが、ここ数カ月はぜんぜん来てくれてないので、どうしているかと気になっていたが、陰陽師殿がいれば安心じゃ。ふふふ』


 白子の輪郭がぼんやりする。


「待ってくださいっ。一つ、教えてください」


 真備が声に出して懇願した。


「桜子さんの両親は、桜子さんの霊能について知っていたのですか」


 白子が表情を硬くした。風の前の砂の城のような笑みを浮かべている。


『中学校に行く前に、わらわと遊んでいることを両親にひどく怒られたと泣きながら話しておったな』


 白子の目に涙が浮かんでいるように見えたのは気のせいだろうか。


『また、元気にお参りに来て欲しいと伝えてくれ』


 風が吹いて、神社の木々を揺らした。


 白子の姿はもはやなく、見上げた頭の上には大きなソメイヨシノの濃緑の葉が風に大きく揺れていた。

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