(3)
――あれ? もしかしてオレ、寝てる……?
ふわふわとする意識の中で、紅はふと自分の置かれている状態を確認する。
辺りが一面の黒なのは、目を閉じているからだろう。
夢現の中、紅は、今のこの状況に至るまでの経緯を一つ一つ思い出してみる。
――えぇーっと……確か、めんどくせー課題が今さっき終わって、自分の部屋に戻ってベッドに転がって、それから――……
それから、どれくらい経ってるんだっけ……?
脳だけ覚めているような感覚に身を置きながら自問自答していると、ある一つの『重大な用事』を思い出し、意識と体を強引に共有させた。
「うっわあやっべぇ! ご飯……っ!!」
紅は、がばりと起き上がった勢いにまかせて、その『重大な用事』を声に出して叫んだ。
目を覚ました部屋の中は薄暗く、既に陽が沈んでしまっている事を無言で物語る。
窓の外に目をやると、通りに備え付けられた明かりが点々とともり、すっかり夜の顔になっていた。
これはいよいよ夕飯にありつけるかどうかが危うい状況かもしれない。
そうなると、次に食事が取れるのは早くて明け方という事になる。
「や、無理……メシ食わねーまま寝るとか絶対無理……」
紅の中で『夕飯を食べない』という選択肢は即却下された。
とりあえず何か腹に入れてからでないと、今のままでは寝られそうもない。
まだ眠気が抜けきらない頭でそれだけを考えながら、紅はよろよろとおぼつかない足取りで部屋を出た。
「葵が作り置きとかしてくれてねーかなぁ……」
紅的にはそれが最良ではあるが、最悪夕飯の残りがなかったとしても、明日の朝用に買い置きした食材くらいはあるだろう。
葵が作った料理には到底及ばないが、このまま何も食べないよりは幾分かましだ。
後で葵に文句を言われるだろうが、それ以上に、紅の食への欲求が圧倒的に勝っていた。
部屋から階段に続く廊下に出ると、壁に設置された照明がぼんやりと灯っていた。
紅は片手を壁に沿わせながら、ゆっくりと階段のある方へ向かう。
腹の音が緊張感なくぐうぅと鳴った。
(なんかオレ、こっち来てからこんなんばっかな気がする……)
紅は1人そんな疑念を抱きつつ、空腹と戦いながら歩いていた。
その道中、葵が使っている部屋の扉が目に入る。
(葵……もう寝ちまってんのかな……?)
部屋から漏れる明かりはなく、静まり返っている。
外の暗がりを見る限り、もう寝ていてもおかしくない時間だろう。
無理矢理起こして食事の準備をしてもらおうかとも考えたが、それはそれで文句言われて面倒そうだ。
とりあえず下に行く方を優先し、歩を進めようとしたが、紅はふとその足を止める。
(? ……なんだろ、これ……)
さっきから妙に落ち着かないというか――この腑に落ちない感覚。
答えが出そうで出ないのがまた余計にむずむずする。
しかし、その違和感の正体にはすぐに気づけた。
そうだ――異様に静かすぎるんだ……。
空腹にすっかり気を取られていたが、葵の部屋どころか、家の中から人の気配すら感じない。
「葵……?」
葵の部屋の扉を軽くノックし、とりあえず声を掛けてみる。
案の定、返答はない。
出掛けているのか――? こんな時間に――?
課題がひと段落ついてすぐ自室に戻ってしまった紅は、その後の葵の行動の一切を知らない。
それどころか、この中立界に来て、任務という名目で数日間一緒に行動したとはいえ、実のところ、自分はあのパートナーに関してほとんど情報を持っていないのだ。
『真面目なイイ子ちゃんで、料理が上手い』は、あくまで紅がここに来てから感じた、葵という天使に対するイメージである。
だから、そのイメージが彼の全てではないだろうし、もしかしたら紅の知っているそれは、彼の本当の姿ではないかもしれない。
いやいや、まだしばらく一緒に課題とかやらなきゃいけない相手に、根本から疑って掛かってたらキリがないだろ――!
頭の中をよぎる疑念を取り払うように、ふるふると首を振った。
しかし、近々実施される『例の課題』の話題が上がった事もあって、まさかと思いながらも、嫌な予感が拭いきれない。
「……っ……くそっ……!」
あれこれと交錯する思いに急かされ、紅は階段を駆け下りた。
暗がりに慣れてきた目で、1階の部屋の燭台を探し、やや乱暴な動作で明かりをともす。
「葵!!」
ゆっくりと明かりが照らす周囲を見回しながら、今度は大きな声で名前を呼ぶ。
案の定返事はなく、葵の姿もない。
やっぱり外かと思い立ち、紅が扉を開けようとドアノブを掴んだその時、扉の隙間で何かがカサリと音を立てた。
「…………?」
紅が扉の隙間を見ると、何かが挟まっている。
不審げに隙間から引き抜くと、それは四つ折りにされた白い紙だった。
いまいち状況が飲み込めず、首を傾げながら広げた紙には、お世辞にも上手とは言えない歪んだ文字でこう書かれていた。
『金髪のクソガキ悪魔へ
お前の大事なオンナは預かった。
返してほしければ 町の外れにある廃屋に来い。
もし来なければ、オンナの命はないと思え――』
「……なんだコレ?」
書かれた文字をもう一度黙読し、頭の中で反すうする。
文面の内容からして挑戦状のように見えなくもないが――……
「預かるとか返すとか……ワケわかんねーんだけど」
紅は迷惑そうな面持ちで1人小首をかしげて呟いた。
裏返して他の面も確認してみたりもしたが、紙にはそれ以外何も書かれていない。
「ワケわかんねー上にきったねー字だし……」
天井の明かりに、透かすようなしぐさでその紙を眺めながら、紅は「それに――」と独り言に付け加える。
「それに『クソガキ悪魔へ』って……ははっすんげー嫌われてんなこいつ! 誰だか知んねーけど!!」
ぱんっ、と紙を机の上に叩きつけるように置き、怪訝な顔で失笑した。
とはいえ。
成り行きで中を見てしまったとはいえ、関係ない自分がこの紙を持っていてもしょうがない。
このまま連絡不行き届きになって、もしとばっちりを受けようもんなら、それこそ御免被りたい。
椅子に座り、机に両腕を伸ばしてうなだれながら1人ごちる。
「あー……オレとっととメシ食いてーし、どーすっかなぁー……コレ」
それから少し考えて「外に置いときゃ入れた奴が気づくんじゃね?」という、それこそいい加減な結論に至った。
そうと決まったら早速紙を手に取り、椅子から立ち上がると出入り口である扉の方へ足を向けた。
ゆっくりと歩を進めながら、
受取人はその『オンナ』とやらがいなくて今頃慌ててるのかなー、とか。
それにしてもハラ減ったなー、とか。
差出人はこいつが来るまでずっと待ってるのかなー、とか。
もうその辺のモノをテキトーにハラに入れて寝ちまおうかなー、とか。
体に襲い来る空腹と眠気の狭間で、紅はぼんやりと考えていた。
そう。
その宛て先の人物がまさか自分の事だなどとは、微塵と思わないままに。
扉まで近づき、さて開けようとドアノブに手を伸ばした瞬間――
「んぶっ……!!」
バンッと音を立てて、何故か扉の方から紅の顔面に勢いよく接触してきたのだった。




