(4)
「たたた、大変です~~っ!!」
扉が開いたと同時に、ふよふよと浮かぶ物体と第一声が飛び込んできた。
無論、その声と物体には覚えがあった。
扉の開く勢いとは不釣合いの、のんびりとした間の抜けるような語調と言動に、聞いていて何度イラッとした事か。
浮かぶ物体――ヒトダマさんは、顔を押さえてうずくまっている紅に気づくと、ふわりと近づいてくる。
「ああ~紅さん~~、ちょうどいいところに~~! よかった~、まだ起きてたんですね~~」
「……っ~~~~」
「葵さんを~見てないですか~~?」
「~~~~…………」
顔面の痛さに唸っている紅をよそに、ヒトダマさんは話を続ける。
「実は~、葵さんがこの時間になっても~まだこの扉を通っていない事が分かりまして~、急いで確認に参上したのです~~」
「…………」
「あぁ~、この扉~、出入りすると通過記録が残るように施された代物でして~~……っと、まあ~この話はとりあえず置いておいて~~」
「…………」
「葵さんが~、夕方こちらを出て以降の記録がないのですが~~、ちゃんと戻ってらっしゃりそうですか~~……って~、あらら~~?」
さっきから返答のない紅を不審に思ったのか、下でうずくまる紅の顔を覗き込んできた。
「ちょっと紅さん~、さっきからそんなところに座り込んで~ど~したんですか~~? あ~、もしかして~盗み食いでもしてお腹痛くなったんで――」
「……っ……テメェこのハゲ! なにしやがるいってーだろーがーーーっ!!」
紅は顔を上げて立ち上がると、ヒトダマさんの尻尾のように揺れる足先を右手でむんずと掴んで力任せに振り回した。
「あぶばばあぶああぁぁぁ~~っ、なな~、なんなんですか~イキナリぃぃいぃ~~っ!!」
「うっせーーっ! イキナリはこっちのセリフだボケェーーーッ!!」
勢いよくびゅんびゅんと音を立てて回るヒトダマさんは何体にも分身して見える。
ぁああぁぁぁあぁぁ~~……と、上がる悲鳴などお構いなしにヒトダマさんの体をしばし振り回していたが――
「――……ん? おい、ちょっとまて」
ふと、先ほどヒトダマさんが発した言葉に引っかかり、紅は足先を掴んでいた手をぱっと離した。
すっぽ抜けた時の勢いで壁にぶつかりそうになったが、ヒトダマさんは上手く体を翻して間一髪衝突を避けた。
「ちょっ……いいいい、いきなり手を離さないでください~! びっくりするじゃないですか~~!」
クラクラする視界に耐えながら、ヒトダマさんは短い両手をぱたぱたさせて紅に抗議する。
掴んで振り回されたのは別にいいのか……? という疑問がなきにしもあらずだったが、それよりも気になった話題の解決を最優先させる事にした。
「なあ……出入りの通過記録が残るってなんだよ」
「え~? そのままの意味ですけど~?」
「……ソレって、まさか窓にはついてねーよな?」
「も~、何言ってるんですか~紅さん~! この建物は~重大任務の拠点ですよ~~? そんな抜かり、あるわけないじゃないですか~~」
「なん……だと……」
「だから~、紅さんが夜中に何度も出掛けているのも~しっかり履歴に残ってますよ~~。行き先や所要時間には~、特に問題ないので禁止勧告は出てませんけどね~~」
「…………」
課題遂行以外の時間にもプライバシーがないのかよ……
絶句する紅をよそに、ヒトダマさんは悪びれた様子もなく「監視体制万全ですよ~」と、誇らしげに体を反り返らせていた。
「ああ~っ! それはさておき葵さんですよ~葵さん~~! 紅さんは~葵さんの事見てませんか~~?」
ヒトダマさんはここへ来た目的を思い出し、慌てて本題に入った。
「ん? あぁ……見てねぇな。ここに来る時、部屋の前で声掛けたけど、返事もヒトがいる気配もなかったからやっぱ帰って来てねーんじゃねーの?」
そういえば葵がこの建物に入った記録がないと言っていたな、と思い出す。
今日まで家事全般を怠らず、きちんとこなしていた葵が、買い出しに行った足で夜遊びしているとは考えにくい。
夕飯の準備が一切されていない様子から見ても、ヒトダマさんと外へ出て以降戻っていないと考えた方が正しいだろう。
「もしかして~、また~紅さんが葵さんを怒らせるようなことしたんじゃないですか~~?」
原因を探る中、突然、ヒトダマさんが疑いの眼差しで紅に訊いてきた。
「は!? 何でそーなるんだよ!? あの後オレ部屋で寝てただけだし! しかも『また』ってなんだよ『また』って!!」
「この前~、裏の勝手口前に置いた私物片付けろ~って言われたの聞かずに怒らせて~、毎食とおやつにオムライスが出てくる9連続コンボに根を上げてたじゃないですか~~」
「うっ……いや、確かにそんな事もあったかもしんねーけど、ソレはちゃんと片付けて許してもらったし……。とにかく、今回はホント、何も文句言われてねーし、やってねーって!」
「えぇ~? 紅さんに~、自覚がないだけかもしれませんよ~? 紅さんは~そういうところ鈍感そ」
「…………お前まだ自分の力量と立場ってモンがわかってねーよーだなぁ」
主導権取ったりと言わんばかりに突っかかってくるヒトダマさんの態度に、紅の我慢は早々に限界寸前を迎えた。
再びヒトダマさんの尻尾のような足先を勢いよく掴んで力を込め、静かに意思表示する。
「えっあっ……あぁ~~、いやですねぇ~冗談です~! 冗談ですよ~~」
身の危険を察知したヒトダマさんは慌てて弁解し、紅の手からするりと抜け逃れた。
逃げるくらいなら調子づくなよ、とぼやきながら紅は呆れ顔で溜息をつく。
ヒトダマさんもまた、紅からの追い討ちはない様子に内心安堵しながら話を戻した。
「では~、何か他におかしな事はありませんでしたか~?」
「んー、何かって言われてもオレ寝てただけだしな―」
夕刻前に課題を終わらせ、次の課題の話を少し聞いた時が、葵の姿を見た最後。その後紅が自室へ戻って眠り、起きてここへ下りてきたのはまだほんの十数分前の話。
葵のその後の行動に関しては、自分よりむしろヒトダマさんの方が知っているくらいの状況だ。
お互い葵に関する心当たりを探すのはあまりに情報不足で困難を極めた。
「葵さん自身の事じゃなくても~どんな些細な事でもいいんです~。もしかしたら~それが~犯人に繋がる『手がかり』に~なるかもしれないんですから~~」
「や、お前犯人って、別にまだ事件と決まったワケじゃ――……あ」
おかしな事、と言われたら一つ心当たりがあった。
紅は足元を見回し、さっき外に捨てそこなってまだ落ちているであろう『それ』を探す。
扉の近くに転がっている『それ』はすぐに見つかり、ゆっくりと拾う。
例の『クソガキ悪魔』宛てに書かれていた、あの謎の手紙だ。
「関係があるとは思えねーけど、変わった事っつーたらさっき扉にこんなの挟まってたくらいじゃねーかな? ……関係があるとは思えねーけど」
大事な事なので念押しに2回言うと、くしゃりと丸まった『それ』をヒトダマさんの方へ差し出した。
ヒトダマさんは指のついていない両手で受け取り、かさかさと器用に広げて内容を確認する。
書かれた文字を目で追いながら、ヒトダマさんの顔(体?)は一気に蒼白めいた。
「ちょっ……ちょっとおおぉぉぉ~~! 紅さ~ん、なんで~早く言わないんですか~~!!」
「ふえっ!? な、なんだよイキナリ……ってか近っ! お前顔近づけすぎだろ!? ……ん? 顔? 体? お前の場合どっちだっけ??」
「も~~、そんな事はど~でもい~です~! それより~コ・レ~! この内容~! ど~見ても脅迫状じゃないですか~~!!」
ヒトダマさんは更にずずいと紅に詰め寄り、紙を掴んだ方の手をぱたぱたと振った。
相変わらず緊張感に欠ける間延び口調ではあるが、鬼気迫るようなヒトダマさんの迫力に、さすがの紅も後ずさりながら答える。
「え、や、まあ、確かにちょっとばかし物騒な内容だなー……とは思ったけど、別にオレらと関係ないじゃん? それにホラ、オレら重大任務の真っ最中だし、こーゆー関係ない事には首つっこまないのが賢明じゃね?」
「はぁ~~!? なにいってんですか~! この内容~、ど~読んでも~紅さん宛てですよ~~!!」
「…………は? オレ?? え……コレの、どこが?」
紅の中では予想だにもしていなかった事を言われ、きょとんとした顔でヒトダマさんに尋ねる。
「……わたくしは~、コレが~自分の事だと気づかない紅さんに驚きですよ~~……」
「???」
不満げに首を傾げる紅の姿を横目に、ヒトダマさんははあぁと長い溜め息をつきながら脱力した。
(……なるほど~、所謂コレが『天然』というやつですか~~)




