(1)
「……逃がしたか」
通信機に手をかざした青年が、軽く舌打ちする。
そこは、天界の宮殿にある一室――
部屋にはその青年1人がいるのみで、人知れず入ったのか中はかすかに薄暗い。
青年は苛立つ気持ちを抑えるためひと呼吸し、かざした手を下ろすと、通信機の中央で浮かぶ球体は、発光を止め、ゆっくりと降下する。
通信の遮断を確認してから、青年はさっと踵を返すと、早々に部屋を後にした。
通路ですれ違う他の天使達に、笑顔で軽く挨拶を交わしながら、気持ち足早に歩く。
青年は、水色のラインの入った白を基調とした法衣に濃青のケープをまとい、青白の長い髪を右肩よりに編み、背には2対の白い羽を有している。
彼は天界で神官長を務める傍ら、葵の所属する任務遂行課の上司でもある天使、白李だった。
(まさか、本当に何か仕掛けてくるなんて――)
目的地への道すがら、白李は先ほどの一部始終を思い返す。
中立界に繋がる定期報告用通信機が時間外に不正に使用されている事を察知し、急いで先ほどの部屋に行き、あの手この手で介入を試みた。
しかし、あともうひと息というところで通信を切られてしまったが、白李には、その犯人が誰だかほぼ検討がついている。
自身の利の為や策謀にかけては、憎たらしいまでに手際がよく、痕跡を残さない――そんな事ができる人物で思い当たるのは『あいつ』しかいない。
「黒羽……相変わらず、なめた真似を……」
口にするのも不快でしかない『あいつ』の名前と同時に憎たらしい顔が脳裏をよぎり、無自覚に本音が口からこぼれる。
思わず突いて出た言葉に一瞬はっとしたが、幸い、今通路を歩いているのは白李1人だった。
とはいえ、道すがら誰とすれ違うかも分からないため、表情だけでも平静を装う。
(まあ、あいつが突然あんな提案をするから、おかしいとは思ってましたがね……)
先日の会議にて、魔族側の補佐役から、新しい課題内容の提案がなされた。
一応会議に出席してはいるが、今回のこの任務に関して、まったく興味など示さなかったのに、だ。
そして、その課題実行が本決まりになってきた最中での不正通信――むしろ任務と関係がない方がおかしい。
連絡を取ったのは、おそらく中立界にいる魔族側の代表者――紅、という少年だったか。
もし彼に、今回自身が提案した課題についての情報を漏らし、その上で何かよからぬ計画を伝えたのだとしたら――?
それは明らかに魔族側のルール違反だ。
しかし先程の通信の痕跡はしっかり消去されてしまっており、不正行為に対する証拠提出は不可能な状態。
問い詰めたところで、どうせ「低脳な言いがかりだ」などと、鼻で笑いながら一蹴されて終わりだろう。
(……葵…………)
白李は、先日任務の為に中立界へ送り出した天使の少年を思う。
訳あって白李が後見人として引き取った、誰よりも優秀で、真面目で、少々引っ込み思案な養い子。
黒羽の策略が何であれ、1番危険に晒されているのは彼なのだ。
(あの子まで失ってしまったら……私は……)
考えただけで、心がうるさい程ざわつく。
彼のために、そして、自分自身のために、何か手を打たねばならない。
万が一にも、白李の想像する最悪な事態が起こってしまう、その前に――
それから無言で歩く事数分――
白李は、目的地でもある部屋の前で足を止め、ひと声掛けるでもなく無遠慮に扉を開けた。
部屋はお世辞にも広いものではなく、奥に机と椅子が1セットだけ置かれており、その周りを、山積みになった分厚い本が壁のように囲んでいる。
ここは、白李が1人で仕事に没頭するために使っている専用の部屋だった。
白李はそのまま部屋の奥まで進むと、机の上に乱雑に置かれた書類をさっと押しのけ、引き出しから1枚の用紙を取り出す。
「葵が、気づいてくれるといいのですが……」
何も書かれていない無地の用紙を見つめながら、ぽつりと呟く。
いいや、大丈夫。彼はとても賢い子だ。
彼ならきっとこの『メッセージ』を思い出して、読み解き、気づいてくれる。
その確信を胸に、白李は椅子に腰掛け、ペンを取って用紙に何かを書き始めた。




