(5)
通りの分かれ道にさしかかったところで、葵と魔族の男は、それぞれの帰路に足を向ける。
「それじゃっ! また会えたら会おうね~♪」
「……そうですね」
さっきまでの事がなかったかのように、陽気に手を振る男の態度はイマイチ腑に落ちなかったが、それでも納得するしかない。
どう反論したところで、自分に選択権はないのだから――
葵は小さく溜め息をつく。
そんな葵の気分になど気づかない様子で、男はふと何かを思いついたように、握った右手を左手の上にぽんと乗せた。
「あっ、そうだ名前! キミの名前、聞いておいていいかな?」
「あ……」
男の言葉を聞いて葵はそういえば、と思う。
先ほどまであれこれありすぎて、正直そこまで考えが及ばなかったが、まだ互いに名前も名乗り合っていなかったのだ。
男は屈託のない笑顔を向け、葵の言葉を待つ。
「えっと……僕は葵。任務遂行課の天使で、葵と言います」
「ふむふむ、アオイ……葵ちゃんかー! うんうん、覚えた覚えた♪」
え……『ちゃん』――!?
さも当然のように『ちゃん』をつけられた呼称に、葵は思わず面食らった。
(そ、それって、僕の性別分かった上での呼び方……だよね……?)
内心そんな疑問に駆られたが、それをあえて男に聞くことはしなかった。
とはいえ、その呼び方に納得できるでもなく、自己完結させるべきか否か、思考がぐるぐると廻った。
「ん、さて、それじゃあ葵ちゃん、また今度ね~っ!」
考えに唸っている中、立ち去ろうとする男が目に入り、葵ははっと我に返る。
「うぇ!? あ、あのっ……あなたの名前は……っ」
葵が慌てて男の名前を訊こうとしたが、男は「今度は私がおごるからね~♪」と言いながら、手を振って走り去って行った。
「…………行っちゃった」
結局、男の名前は聞けずじまいになってしまった。
しかしまあ、あれだけ目立つ外見なのだから、いざ探すとなってもそこまで難儀しないだろう。
そう思いながら、葵もまた、自身の帰路に向かって歩いた。
「ただいまー」
誰かの返事を期待するでもなく、ただ自然に、葵は一声かけて家の扉を開ける。
あれやこれやで、昼食を用意する時間はすっかり過ぎてしまっていた。
もしかしたらこの家の同居人――紅が帰ってきているかもしれなかったが、返事は返ってこなかった。
「さて、とりあえず、早く昼食の準備を――っと」
昼食作りに取り掛かるべく法衣の袖を捲くっていたその時、2階からガタン、と物音がした。
それから二度、三度、床の軋む音と、声――
物音の位置からして、紅が使っている部屋からだろうか。
(紅くん……戻ってたのか……)
壁に掛けてあったエプロンを身につけながら、物音と声の主を気に留める。
ここからではさすがに何を言っているかまでは聞き取れないが、時々届く声量がやけに荒っぽい。
(独り言……? にしては、何だか荒々しい気がしなくもないけど……)
紅以外にも、誰かいる――?
心なしか、その声とは別に、微かに聞こえるものがもう一つ――
「ヒトダマさんでも来てるのかなぁ……」
ぽつりと呟きながら、備え付けの貯蔵庫から、残り少なくなった野菜を確認する。
買い出しに行った追加分の材料も、夕方頃には届くだろう。
夕食分は気にせず、残っている分のほとんどを取り出した。
それらをかごに入れて持ち上げ、流し台に運びながら、葵はふと足を止める。
「あ……そうだとしたら、昼食……ヒトダマさんの分も必要かな……?」
それなら、作る前に確認してきておいた方がいいだろうか。
そう思い、材料と置くと、葵は奥の2階へ繋がる階段へと向かった。
手すりに手をかけ、ゆっくりと階段を上る。
声はまだ、途切れ途切れに聞こえてきていた。
階段を上りきり、2階の廊下を歩いていると――
(…………あれ?)
紅の部屋に近づくにつれ、微かに聞こえていたもう一つの声に聞き慣れなさを感じた。
それは葵の知っている人魂族の、あの間延びするゆっくりした口調とは明らかに違う、ハスキーで淡々とした声。
(ヒトダマさんじゃ……ない……? じゃあ、一体誰が――)
町で知り合った人だろうか?
ふとそんな考えが浮かぶが、任務了承書類作成の際の制約を思い出し、それはないな、という結論に至った。
その答えは、自分達が特殊な状況に置かれている事にある。
この任務中に与えられるという『課題』は、言わずもがな葵と紅の2人きりで行わなくてはならない。
ゆえに、無関係の協力者を呼べないよう、この家全体にも特殊な力がはたらいていて、中には許可された者だけしか入れないのだ。
だからこの町に住む『誰か』を、家の中に招き入れる事は不可能――有り得ない事である。
だんだん聞き取れるようになってきたもう一つの声にはそこにいる、という感じはなく、どこか無機物的で、くぐもって聞こえた。
(もしかして……外部通信――?)
あれこれ考えを交錯させながら部屋の前までくると、葵は自然と息を潜めて近づく。
そして、少しだけ開いた部屋の扉の隙間から、ゆっくりと中を窺った。




