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トイレ販売員、異世界で水洗便器を売る ~ウォシュレットを設置したら王妃と魔王から指名されました~  作者: たむ
第2章 町に、便器を広げます

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第53話 市場に出た灰色の水を、ただの雨水と決めないでください

共同炊事場の下流にある市場で、石蓋の隙間から灰色の水があふれました。


市場では野菜、肉、穀物、調理済みの食品まで扱われています。


すべてを捨てれば、多くの商人と住民が困ります。


しかし、見た目が濡れていないという理由だけで、安全だと決めることもできません。


一方、直人は王都の大型窯で、水洗便器の試作準備を始めます。

 王都陶工組合の大型窯は、南区とは反対側にある東職人区に建っていた。


 煙突は、ガルドの工房にある窯の三倍近く高い。


 作業場には、壺、食器、排水管、屋根飾り、浴槽用の陶板が並んでいる。


「これが王都第一共同窯だ」


 陶工組合代表の男が、胸を張った。


 名はヴァルハ。


 五十代。


 腕には乾いた粘土が付着し、評議会で着ていた上着は早くも作業場の隅へ放り投げられていた。


「一度に大壺なら二十。食器なら数百。便器十台でも入る」


「入ることと、同じ条件で焼けることは別です」


 陶山直人が答える。


「窯の大きさへ驚け」


「大きいです」


「それだけか」


「窯内の温度差は、どの程度ですか」


 ヴァルハが顔をしかめた。


「初めに聞くのが、それか」


「便器を置く位置で、収縮が変わる可能性があります」


「温度は火番が合わせる」


「記録は?」


「窯ごとにある」


 ヴァルハは壁際の木棚を示した。


 焼成日。


 使用した薪。


 火入れ時刻。


 煙の色。


 焚き口の調整。


 取り出した製品の状態。


 ガルドの工房よりも記録量は多い。


 しかし、窯内の場所ごとの温度を直接測る道具はない。


「手前は少し低い」


 若い陶工が言った。


「奥の上段は、釉薬が流れやすい」


「位置図はありますか」


「製品の並べ方は、火番の頭に入っている」


「紙には?」


「毎回違う」


 直人は、空の窯内配置図を作業台へ広げた。


「今回の試作では、三台を別の位置へ置きます」


「同じ場所で焼かなければ、比較にならないだろう」


「同じ土と形が、窯位置でどう変わるかを確認します」


「三台とも違う土ではなかったのか」


「土の試験と窯位置の試験を同時に混ぜると、原因が分からなくなります」


「では、最初は何を変える」


「小さな試験片で土を比較。その後、便器三台は同じ配合を使い、窯位置だけを変えます」


 ヴァルハは少し黙った。


「一か月しかない」


「だから、先に小さい物で失敗します」


          ◇


 同じ頃。


 王都南区市場の裏通りでは、灰色の水が石蓋の隙間からゆっくりと押し出されていた。


 量は、大きな水流ではない。


 だが、石畳の低い方へ広がり、野菜売り場の裏側まで達している。


「市場全体を止めるのか!」


 市場管理人のドムラが声を上げた。


「まだ決めていません」


 地方監査官エルンが答える。


「水へ触れた可能性のある区画だけ、先に分けます」


「市場には百近い店がある」


「だから、全部を一つにしません」


 セラは市場図へ三色の線を引いた。


 赤。


 灰色水が直接流れた範囲。


 黄。


 人や荷車の足で飛沫が運ばれた可能性がある範囲。


 白。


 現時点で接触痕跡がない範囲。


「赤区画は販売停止」


「野菜が濡れていなくても?」


 店主が尋ねる。


「地面へ直接置いていた箱は、底面を確認します」


「箱の中身全部を捨てるのか」


「先に分けます」


 セラは箱の位置を記録した。


 地面へ直接置かれた箱。


 木台の上。


 二段目の棚。


 屋根付き。


 屋根なし。


「水へ触れた食品」


「水に触れた容器へ入っていた食品」


「外箱だけが濡れた食品」


「離れた高い棚にあった食品」


「全部、扱いを分けます」


「面倒なことをするより、濡れた店だけ閉めればよい」


 ドムラが言った。


「店単位ではなく、品物単位です」


「同じ店の野菜でも?」


「床の籠と、腰の高さの棚では条件が違います」


 市場全体を止めれば、南区の食料供給が止まる。


 何も止めなければ、汚染の可能性がある食品が売られる。


 その間を作らなければならなかった。


          ◇


 灰色水が最も近くまで来ていたのは、根菜店だった。


 じゃが芋に似た芋。


 泥付きの根。


 丸い赤菜。


 床には、木籠が六つ。


「水は籠へ入っていない」


 店主が言う。


「底を見ます」


 籠を持ち上げる。


 底板。


 濡れている。


 灰色の跡。


「中の野菜は?」


 上部は乾いている。


 下部の根菜は、籠底へ接触。


「下三分の一を分けます」


「捨てるのか!」


「販売を止めて、食品衛生担当の判断を受けます」


「洗えば売れる」


「どの水で?」


「給水所の水だ」


「既存給水所は停止中です」


「仮設の白い水があるだろう」


「飲用水で、汚染の可能性がある野菜を洗う場所と排水先がありません」


「洗うだけだ」


「洗った水を、どこへ流しますか」


 店主は答えられなかった。


 市場の野菜洗い場も、古い地下排水路へつながっている可能性がある。


「洗浄による再利用は、専用場所を用意してから検討します」


「今日売れなければ傷む」


「保存場所は?」


「店の裏」


「乾いていますか」


「たぶん」


「確認します」


          ◇


 肉売り場は、灰色水から少し離れていた。


 直接流入はない。


 だが、水を踏んだ荷車が、肉売り場の前を通っている。


 車輪の跡。


 灰色の飛沫。


 店の木台。


 下部に点状の汚れ。


「肉には触れていない」


 肉商人が言った。


「吊るしてある肉は、現時点で接触痕跡なし」


 セラが答える。


「では売っていい?」


「切り分け台の脚と、床面を清掃するまで待ってください」


「肉は?」


「高い位置にあり、飛沫の痕跡がなければ販売継続候補です」


「候補?」


「食品衛生担当が最終確認します」


「何でも別の役人へ回すな」


「私たちは、水路と接触範囲を調べています」


 セラは自分の権限を超えて、食品の安全を断定しなかった。


          ◇


 市場へ食品衛生官が到着した。


 名はオレナ。


 短く切った黒髪。


 腰には、検査布と封印札。


「赤区画の食品を三つに分けます」


 オレナが言った。


 一。


 灰色水へ直接触れた食品。


 廃棄候補。


 二。


 濡れた外箱や籠へ接触した食品。


 洗浄、加熱、廃棄を品目別に判断。


 三。


 同じ店でも高所にあり、接触痕跡がない食品。


 販売継続可能。ただし容器外側を清掃。


「廃棄費用は?」


 根菜店主が尋ねる。


「現時点では、原因調査中です」


「誰も払わないのか」


「損失数量を記録します」


「記録では腹が膨れない!」


 エルンが前へ出る。


「南区緊急市場衛生費から、直接接触品の仮補償を申請します」


「満額?」


「仕入記録と通常販売価格を確認します」


「売値全部を払え!」


「今、約束はできません」


 セラが直人の言葉を思い出しながら答えた。


「原因設備の責任と、市場管理上の対応を分けて精算します」


「商売人は、今日の金が必要なんだ!」


 その点も事実だった。


「仮補償の前払い枠を作れますか」


 セラがエルンへ尋ねる。


「評議会承認が必要です」


「今日中に?」


「緊急小口枠なら、南区支所長権限で一部可能です」


「廃棄確認済み品だけ?」


「はい」


 全額補償を約束しない。


 だが、記録だけ残して商人へすべてを待たせない。


 少額の先行支払い。


 残額は原因確認後。


          ◇


 東職人区。


 直人は、王都窯の土を確認していた。


 三種類。


 白土。


 焼き上がりは明るいが、乾燥収縮が大きい。


 赤土混合。


 安定するが、釉薬の色へ影響。


 耐火砂入り。


 収縮は小さいが、細い水路の成形が難しい。


「銀月商会の便器は、どの土だ」


 ヴァルハが尋ねる。


「ガルドさんの配合です」


「同じ材料は王都にない」


「同じ土へする必要はありません」


「同じ便器を作るのだろう」


「接続寸法と機能を合わせます」


「色も月白に?」


「王都試験品は、色を優先しません」


「衛生祭で見せるのに、灰色の便器では見栄えが悪い」


「試験一号は、焼成安定を優先します」


「評議会議員が怒るぞ」


「割れた白い便器より、灰色でも漏れない便器です」


 ヴァルハが笑った。


「ガルドという男も、同じことを言うのか」


「もっと大きな声で言います」


          ◇


 土の比較には、便器を作らない。


 まず棒状の収縮試験片。


 長さをそろえる。


 中央へ目盛り。


 乾燥前。


 乾燥後。


 素焼き後。


 本焼き後。


 各段階で測る。


 次に。


 排出口と同じ直径の輪。


 固定穴と同じ間隔の板。


 薄い曲面片。


 厚い曲面片。


「こんな小さな物を焼いて、便器が作れるか分かるのか」


 若い陶工が尋ねた。


「すべては分かりません」


「では、便器を三台作った方が早い」


「三台とも排出口が縮みすぎたら?」


「削る」


「接続口の厚みが足りなくなります」


「大きめに作ればよい」


「どの程度?」


「職人の勘で」


「今回は、数字にします」


 王都陶工たちは、不満そうだった。


 だがヴァルハは試験片を手に取った。


「勘を捨てろと言うのではないな」


「勘で決めた値を、次の人が使えるよう残します」


「火番の頭にある並べ方も?」


「できれば」


「全部紙へ書けば、職人が要らなくなると思うなよ」


「紙だけで窯は焚けません」


 ヴァルハは、ようやくうなずいた。


          ◇


 接続寸法については、銀月衛生商会の内部設計をすべて渡さず、公開用の接続基準を作ることにした。


 排出口中心。


 床からの高さ。


 出口外径。


 許容差。


 固定穴の中心距離。


 給水口位置。


 便器が床へ接する範囲。


「内部の水路形状は?」


 ヴァルハが尋ねる。


「木製断面模型で説明します」


「寸法は?」


「必要な機能寸法だけ」


 直人は模型を分解した。


 便鉢。


 封水部。


 曲がり。


 排出口。


「この曲がりが、臭いを止める?」


「水を残します」


「もっと細くすれば、形が美しくなる」


「詰まりやすくなります」


「広くすれば?」


「流す水が増えます」


「王都では水が多い」


「南区は、給水所停止中です」


「一台の試験なら足りる」


「将来十台へ増えた時も考えます」


「試験なのに、完成形を求めすぎだ」


「試験で確認する項目を減らしたくありません」


          ◇


 ヴァルハは、王都風の意匠案を出した。


 便器側面へ王都紋章。


 縁へ蔓草模様。


 水槽へ金色の線。


「清掃しにくい凹凸は付けません」


「側面だけだ」


「外側でも、汚れや手が触れます」


「平らな便器では、王都製と分からない」


「試験品に紋章は必要ありません」


「衛生祭で展示する」


「使用試験品と展示品を分けてください」


「二つ作れと?」


「製造試験三台のうち、不使用の展示候補へ意匠を試す方法はあります」


「最初からそう言え」


「ただし、機能部へ影響しない範囲です」


 王都陶工の誇りをすべて否定する必要はない。


 清掃。


 強度。


 焼成。


 接続。


 そこへ影響しない場所なら、意匠を試せる。


「便座で隠れる外側上部へ、浅い刻印」


 直人が提案した。


「金彩は?」


「本焼き試験後です」


「試験ばかりだ」


「試作品なので」


          ◇


 市場では、石蓋周辺の調査が始まっていた。


 石蓋は、完全には外さない。


 灰色水が下から押し上げている。


 蓋を急に開けば、水と汚泥が一気に出る可能性がある。


「市場の営業中に開けるのは危険です」


 エルンが言った。


「周辺の露店を移動します」


「どこへ?」


 市場管理人ドムラが尋ねる。


「白区画の空き通路」


「ほかの店が反対する」


「店を重ねて置けません」


「市場外の広場へ出す?」


「食品を日差しの中へ置くことになります」


 セラは市場の倉庫配置を見る。


「穀物検査場を、午後だけ仮売り場へ使えませんか」


「検査場は組合の物だ」


「許可を取ります」


「また時間がかかる」


「石蓋を開ける前に、売り場を移します」


 危険な場所から店をどかすだけではない。


 営業を続ける場所も必要だった。


          ◇


 市場組合との協議で、穀物検査場の半分が仮売り場になった。


 根菜店。


 香草店。


 乾物店。


 直接汚染の疑いがない商品だけを移す。


「赤区画の店が、良い場所へ移るのは不公平だ」


 別の店主が言った。


「営業停止を避けるための仮配置です」


「客が流れる」


「三日間限定」


「三日で終わる保証は?」


「ありません」


「なら、元の店へ戻れないかもしれない」


「本配置を変える契約ではありません」


 床へ店番号。


 使用開始日。


 撤去条件。


 元の位置。


 すべて記録する。


「仮の物ほど、戻す条件が必要ですね」


 フィルが言った。


「南区の仮設設備で学びました」


 セラが答えた。


          ◇


 石蓋周囲の店が移動した。


 食品。


 秤。


 金箱。


 日除け。


 店主立会い。


 移動前後を記録する。


「開けます」


 大工と石工が、蓋へ持ち上げ具を掛けた。


 セラが止める。


「一気に外さないでください」


「指一本分だけ?」


「空気と水の状態を確認します」


 蓋が少し浮く。


 隙間から、強い臭い。


 油。


 腐敗物。


 灰。


「火を近づけないでください」


 市場の灯りを遠ざける。


「爆発するのか」


 ドムラが尋ねる。


「どのガスがあるか確認できていません」


「なら、爆発するかもしれない?」


「分からないから火を離します」


 市場裏の炭火台も、一時消火。


「肉を焼いている店まで?」


「調査口から十分離れた場所へ移してください」


「営業妨害だ」


「未知の空気が出ています」


          ◇


 蓋を指二本分開ける。


 鏡。


 外光。


 長い棒。


 内部には、灰色の水。


 水面近くまで上がっている。


「水路が満杯に近いです」


 フィルが言った。


「だから石蓋を押し上げた」


「下流が詰まっています」


「ここが出口ではない?」


「点検口か、途中の枡です」


 石壁に、三つの開口。


 西。


 共同炊事場方向。


 北西。


 無料給水所方向。


 南東。


 下流。


「二つから入り、一つから出る?」


「現在は、下流側の水面が高い」


 南東の開口へ、長い棒を入れる。


 指十本。


 さらに。


 途中で固い物へ当たる。


「閉塞物があります」


「棒で押せば流れる」


 ドムラが言った。


「押し込みません」


「炊事場では、いつもそうしていた」


「詰まりが下流へ移るだけです」


「では取り出す?」


「手を入れません。水位を下げてからです」


「どう下げる」


「上流の流入を止め、密閉槽へ汲み上げます」


「市場の汚水まで、汲み取り組合へ?」


「汚物を含む可能性があります」


          ◇


 上流では、すでに多くの入口が止められている。


 第二便所清掃水。


 便壺洗浄水。


 給水所漏水。


 共同炊事場洗浄水。


 それでも、地下には残留水がある。


 市場自身の排水も確認する必要がある。


「市場の洗い水は、どこへ流れますか」


 セラがドムラへ尋ねる。


「店ごとに違う」


「共用魚洗い場は?」


「市場東側の溝」


「肉売り場の清掃水」


「裏の排水穴」


「この枡へつながる?」


「知らない」


 市場図面を確認する。


 正式図面は、十五年前の屋根改修分だけ。


 排水図はない。


「市場内の排水口を、一時的に全部数えます」


「全部?」


「石蓋へ水が流れ込む入口を確認します」


 魚洗い場。


 肉売り場。


 野菜洗い場。


 床清掃。


 雨樋。


 飲食屋台。


「市場を止めるつもりか」


「一つずつ、短時間の流入停止試験をします」


          ◇


 王都窯では、最初の収縮試験片が作られた。


 三配合。


 各五本。


 合計十五本。


「一本ずつでは駄目なのか」


 若い陶工が尋ねる。


「同じ配合でも差が出ます」


「五本全部測る?」


「はい」


「一番良い一本を採用すれば?」


「悪い物がどのくらい出るかも必要です」


 平均。


 最大。


 最小。


 ひび。


 反り。


「便器十台を作るなら、合格率が必要ですね」


 ヴァルハが言った。


「三台作って、三台とも合格するとは限りません」


「なら四台作るか」


「窯と土と人員の余裕を確認してからです」


「予備を増やす方が早い」


「不合格を前提に大量製造すると、材料と窯時間を使います」


「失敗しない方法は?」


「ありません」


「正直だな」


「試験なので」


          ◇


 便器原型を作る前に、接続試験台も必要だった。


 王都側の排水管。


 直径が町の物と微妙に違う。


 石管。


 陶管。


 木管。


 建物によってばらばら。


「標準便器を、全部へつなげるのか」


 ヴァルハが尋ねる。


「便器出口は一つの標準にします」


「建物側は?」


「変換接続部を作ります」


「便器ごとに出口を変えた方が簡単だ」


「便器本体が何種類にも増えます」


「王都なら作れる」


「保守部品も増えます」


「陶工は仕事が増える」


「利用者は、修理のたびに待ちます」


 便器本体は共通。


 建物側の違いは接続部で吸収。


 ただし、変換部が長くなりすぎれば詰まりやすい。


「試験設備は完全回収槽です」


 直人が言った。


「最初は標準接続だけで作れます」


「将来の王都建物は?」


「接続規格を評議会へ提案します」


「王都の管を、便器へ合わせるのか」


「新設部分から」


「古い建物は?」


「現場ごとの変換部」


「結局、種類が増える」


「便器本体を増やすより管理しやすいです」


          ◇


 市場の流入停止試験が始まった。


 第一。


 魚洗い場。


 使用停止、半刻。


 石枡水位。


 わずかに低下。


「魚洗い水も入っています」


 フィルが記録する。


 第二。


 肉売り場清掃水。


 停止。


 水位変化。


 小さい。


 第三。


 野菜洗い場。


 停止。


 変化なし。


 第四。


 飲食屋台の捨て水。


 停止。


 流入量が目に見えて減る。


「屋台の水が多い」


 セラが言った。


「何を流していますか」


 屋台主たちへ聞く。


 麺の茹で水。


 鍋洗い。


 油。


 酒。


 食べ残し。


「油は別容器では?」


「冷えたら固まるから、水と一緒に流す」


「固まるからこそ、管へ流してはいけません」


 下流の閉塞物。


 油と灰。


 布。


 野菜くず。


 市場と共同炊事場から流された物が、古い水路の出口を塞いでいる可能性が高い。


          ◇


「屋台の排水を全部止めたら、営業できない」


 ドムラが言った。


「仮回収槽を置きます」


「市場に何個?」


 屋台は二十七店。


 一店ごとに置けば、通路が狭くなる。


「四店から五店ごとの共同回収点」


「違う店の油水を混ぜる?」


「食品系排水として処理可能か確認します」


「便所汚水が混ざっていない?」


「地上で回収する分は、市場排水だけです」


「地下へ流れた後は、汚物系」


 屋台排水を地下へ入れる前に分ける。


 茶帯槽。


 固形物網。


 油受け。


「油受けとは?」


 セラが尋ねる。


 直人はいない。


 市場の職人が、浅い箱を示した。


「水を少し静かに置けば、油が上へ浮く」


「上だけ取る?」


「完全ではないが、管へ入る量を減らせる」


「試験運用にします」


「誰が管理する?」


 市場清掃班。


 だが、現在は一日二人だけ。


「屋台組合から、当番を出してください」


「商売中だぞ」


「自分たちの排水です」


 緊急期間中。


 屋台五店ごとに一人。


 交代。


 市場清掃班が全体確認。


 危険作業手当。


「利用料へ上乗せする」


 屋台組合長が言う。


「今すぐ客へ勝手に上乗せしないでください」


 エルンが止めた。


「三日間の試験費用を記録。恒久料金は後で協議します」


          ◇


 市場石枡の水位は、上流停止と市場排水回収によって少しずつ下がった。


 一刻後。


 石蓋下、指四本。


 二刻後。


 指七本。


「汲み上げられます」


 汲み取り組合の密閉車が到着した。


「市場排水と便所汚水が混ざっている」


 作業頭が臭いを確認する。


「処理場で受け入れ可能ですか」


「異物を先に取る」


「水位が下がる前に、閉塞物へ触れません」


「分かっている」


 汲み上げ。


 最初の一槽。


 油分多い。


 二槽目。


 腐敗物臭強い。


 三槽目。


 灰と泥。


「分けて運ぶ?」


「処理方法が違う」


「混ぜれば?」


「全部、最も厳しい処理になる」


 直人がいなくても、現場では同じ判断が使われていた。


          ◇


 水位が十分下がった後。


 南東側の閉塞物を、長柄の鉤で少しずつ引き出す。


 最初。


 黒い布。


 次。


 固まった油と灰。


 木片。


 野菜くず。


 細い革紐。


「便壺洗浄場から来た物?」


 フィルが尋ねる。


「市場の荷縛り紐かもしれません」


 セラが答える。


「先に決めない」


 さらに。


 木製の板。


 端に文字。


 南区市場排水 仮止板


「仮止板?」


 ドムラが顔を近づける。


「いつの物ですか」


「知らない」


 市場の古参清掃人が呼ばれた。


 板を見る。


「十五年前の屋根改修の時だ」


「排水を止めた?」


「工事中だけ、雨水が入らないよう下流へ板を差した」


「工事後、外しましたか」


「大工がやったはずだ」


「残っています」


 仮止板は、完全には水路を塞いでいない。


 だが、流路を狭くし。


 そこへ油、灰、布、ごみが引っかかった。


「十五年間?」


「少しずつ詰まりが増えた可能性があります」


 セラが言った。


「ごぼごぼ鳴るようになったのは?」


 市場清掃人が答える。


「何年か前からだ」


「市場では?」


「雨の日に、裏へ水が出ることがあった」


「報告は?」


「石蓋を少し開ければ流れた」


「原因は調べなかった?」


「流れたから直ったと思った」


          ◇


 王都窯では、便器の原型作りが始まっていた。


 木製断面模型を基に。


 王都の原型師が、粘土用の型を作る。


「縁をもう少し細くしたい」


 原型師が言う。


「荷重試験前に細くしません」


「王都の便器としては、重い」


「試験品です」


「座った時の幅は?」


「町の標準便器と近くします」


「王都人は体格が大きい者もいる」


「評議会で利用者の体格分布を確認します」


「そこまで必要か」


「耐荷重へ影響します」


「砂袋はいくつ載せる?」


「町の標準以上を目標にします」


「王都兵も使える?」


「試験値を確認してからです」


 縁。


 鉢。


 封水路。


 排出口。


 一体成形に近い形。


 しかし王都陶工は、大型の複雑形状を同じ方法で作った経験が少ない。


「二つに分けて焼き、後で接着する?」


 原型師が提案する。


「排水部の接着は避けます」


「なぜ」


「長期間の水と荷重で漏れる可能性があります」


「釉薬で接合すれば」


「焼成中のずれと内部段差が心配です」


「一体は成形が難しい」


「鉢と水路を成形段階で接合し、同時に焼きます」


「ガルドの方法か」


「はい」


「王都流へ変えてはいけない?」


「試験して、安全なら将来検討できます」


          ◇


 原型は、最初から完成形にしなかった。


 半分に切った断面原型。


 水路が見える。


 曲がり。


 厚み。


 接合位置。


「これを先に作るのか」


 ヴァルハが尋ねる。


「断面試験体です」


「水は流せない」


「内部の厚みと成形方法を確認できます」


「また小さい物から」


「大きな便器を三台失敗するより早いです」


 ヴァルハは、作業員へ指示した。


「断面を二つ作れ」


「三つです」


「なぜ三つ」


「作業者を変えます」


「同じ原型で?」


「誰が作っても、必要厚みを守れるか確認します」


「職人ごとの差を見る?」


「はい」


「嫌な試験だな」


「誰かを落とすためではありません」


「差が出たら?」


「手順か治具を改善します」


「一番下手な者へ合わせるのか」


「必要品質を守れる作り方へ合わせます」


          ◇


 夕方。


 市場の仮止板は、周囲の閉塞物を除いてから外された。


 一気に引かない。


 下流側へ受け網。


 板を指一本ずつ動かす。


 灰色水が流れ始める。


「下流へ行っています」


 フィルが言う。


「出口を確認していますか」


「下流班が待機しています」


 古い水路の出口は、市場南東の城壁沿い雨水溝に見つかった。


 ただし、出口も半分埋まっている。


「全部流すと、雨水溝があふれます」


「段階的に開けます」


 市場石枡。


 下流水位。


 雨水溝。


 三か所の担当が、旗で合図を送る。


 白旗。


 流量増加可。


 黄旗。


 維持。


 赤旗。


 停止。


「声では駄目ですか」


 市場管理人が尋ねる。


「距離があり、市場の音で聞こえません」


「旗なら見える」


「はい」


 設備がない場所では、連絡方法も作る。


          ◇


 仮止板を半分まで抜いた時。


 下流から黄色旗。


「維持」


 水位確認。


 出口周辺へ泥。


 清掃。


 再び白旗。


 さらに抜く。


 最後。


 板が外れた。


 水は、以前より滑らかに流れる。


「これで直った?」


 ドムラが尋ねる。


「まだです」


 セラが答えた。


「木樋と石枡の傷み。市場排水の回収。上流汚水の切離し。下流雨水溝の補修が必要です」


「水は流れている」


「十五年前も、仮止板を入れた時は工事中だったはずです」


「外し忘れた」


「流れたから終わりにすると、別の物がまた詰まります」


「今日の市場は再開できる?」


「赤区画の地面洗浄と乾燥。食品の区分確認後です」


「明日?」


「一部は今日夕方から可能です」


 白区画。


 営業継続。


 黄区画。


 清掃後、食品衛生官確認。


 赤区画。


 直接接触品処理、床面洗浄、乾燥後に再確認。


 市場全体を閉鎖せず、区画ごとに戻す。


          ◇


 市場から王都窯へ、セラの報告が届いた。


 灰色水の原因。


 上流汚水と市場排水。


 十五年前の仮止板。


 閉塞物。


 食品接触区分。


 仮売り場。


 仮補償申請。


 市場排水回収。


 大きな怪我人なし。


 直人は報告を読み、息を吐いた。


「市場へ戻るのか」


 ヴァルハが尋ねる。


「今は戻りません」


「珍しいな」


「セラさんとエルンさんが対応しています」


「任せられるのか」


「はい」


「顔は、行きたそうだぞ」


「少しだけ」


          ◇


 直人は王都窯側の報告を書いた。


 土配合試験。


 三種、各五本。


 窯位置記録開始。


 公開接続基準案。


 断面原型三体。


 機能部意匠禁止。


 展示用意匠は別試験。


 完全回収式試験設備向け。


「次は何をする」


 ヴァルハが尋ねる。


「試験便器を置く第三便所の実測値と、回収槽の設計を合わせます」


「便器を作る前に、置き場へ戻る?」


「排出口の向きと床高さを確認します」


「図面では足りない?」


「現場が図面どおりとは限りません」


「王都では特に、な」


 ヴァルハが笑った。


          ◇


 その時、若い陶工が断面原型の一つを持ってきた。


「水路の内側が、型から抜けません」


「どこですか」


 曲がりの奥。


 木型が引っかかっている。


「分割型にすれば抜ける」


 ヴァルハが言った。


「接合線が内部に残ります」


「磨けばよい」


「手が届きません」


「では、柔らかい型材を使う?」


「王都にはありますか」


「布と蝋を組み合わせた、抜き型がある」


「耐久回数は?」


「数回だ」


「試作三台なら使える」


 新しい方法。


 ただし、内部表面へ皺が残る可能性。


「小さな水路試験体を作ります」


 ヴァルハが先に言った。


 直人が少し驚く。


「便器三台を失敗するより早いのだろう」


「はい」


「私も学ぶ」


          ◇


 日が暮れる前。


 市場の石蓋は、すぐには元へ戻されなかった。


 点検口として使用するため。


 新しい蓋。


 固定。


 持ち上げ具。


 開放記録欄。


 周囲へ段差表示。


「古い蓋をそのまま戻せば安い」


 ドムラが言った。


「水圧で持ち上がりました」


「重い石を載せればよい」


「異常時に、別の場所が壊れます」


「では軽い蓋?」


「通常は固定。内部水位が上がった時は、黄色表示が先に出る仕組みを作ります」


「どうやって?」


 石枡内部へ、浮きを付ける。


 水位上昇。


 棒が上がる。


 白。


 正常。


 黄。


 点検。


 赤。


 市場排水停止。


「仕立屋の水槽表示と同じですね」


 フィルが言う。


「用途は違いますが、考え方は使えます」


「浮きが壊れたら?」


「固定測定棒で確認」


「市場管理人の担当?」


「清掃班と副担当」


「一人ではない?」


「休みの日があります」


 王都南区の各設備に。


 停止札。


 水位表示。


 担当者。


 副担当。


 記録。


 同じ考え方が少しずつ広がっていく。


          ◇


 市場の直接接触品は、すべて廃棄になったわけではなかった。


 葉物。


 灰色水へ直接接触。


 廃棄。


 根菜。


 外皮が厚く、籠底だけが接触。


 専用洗浄と十分な加熱を条件に、共同炊事場用へ転用候補。


 ただし、炊事場の第三炉は停止中。


「加熱する炉が足りない」


 オレナが言った。


「今夜は使えません」


「明日?」


「第一炉と第二炉の献立へ組み込めるか、デラさんへ確認します」


「市場で売れない物を、炊事場へ押しつけるのか」


 根菜店主が言った。


「無償提供ではありません」


「誰が買う」


「緊急食事費で、通常より低い価格の買い取り案」


「低いのか」


「洗浄と加熱の追加費用があります」


「廃棄よりはまし」


 完全補償。


 買い取り転用。


 廃棄。


 食品ごとに分ける。


「記録が多すぎる」


 ドムラが言った。


「全部捨てれば簡単だ」


「食べられる可能性がある物まで捨てれば、食料と補償費が増えます」


「簡単な方法が安いとは限らない」


 フィルが言った。


「覚えましたね」


 セラが答えた。


          ◇


 夜。


 直人たちは南区支所で合流した。


「市場班、報告します」


 セラが記録を渡す。


「陶工班も」


 互いの資料を並べる。


 市場。


 仮止板撤去。


 流路回復。


 市場排水の地上回収開始。


 食品区分。


 仮売り場。


 補償記録。


 王都窯。


 接続基準。


 収縮試験。


 断面原型。


 抜き型試験。


「一日で便器はできませんでしたね」


 フィルが言った。


「まだ土も焼いていません」


「評議会は、一か月後に一台を求めています」


「明日、試験片を乾燥へ入れます」


「市場は?」


「一部再開」


「共同炊事場は二炉」


「給水所は仮設白槽」


「第二便所は仮設三台」


「第四便所は仮設二台」


「第一便所は既存三室と仮設一台」


「第三便所は試験便器候補地」


 王都南区の設備は、恒久設備より仮設の方が多くなりつつある。


「仮設ばかりで、町が持ちますか」


 ハイルが尋ねた。


「仮設には期限と終了条件が必要です」


 直人が答えた。


「全部の一覧を作ります」


 設備名。


 設置日。


 管理者。


 費用負担。


 点検頻度。


 撤去条件。


 恒久設備への移行条件。


「仮設台帳ですか」


「はい」


「また一冊増える」


「増えた仮設を忘れないためです」


          ◇


 翌朝の予定。


 直人。


 第三便所の試験便器設置候補区画を実測。


 完全回収槽の位置。


 給水量。


 清掃動線。


 酒場客と住民の分離。


 セラ。


 市場下流雨水溝の追跡。


 食品区画の再確認。


 エルン。


 仮設台帳と各局の費用負担協議。


「陶工組合は?」


「試験片を乾燥。抜き型の小型試験」


「ナオトさんがいなくても?」


「ヴァルハさんが進めます」


「町のガルドさんへ報告は?」


「使者を出します」


「王都の陶工が、別の作り方を試していると?」


「はい」


「怒りませんか」


「怒ると思います」


「止めます?」


「試験結果を見ます」


 方法が違っても。


 必要な強度。


 水路。


 寸法。


 漏水。


 安全を満たせばよい。


          ◇


 会議を終えようとした時。


 共同炊事場から、急ぎの報告が届いた。


「第一炉の煙が、室内へ戻っています」


「煙道の詰まりですか」


「第三炉を止めた後から、第一炉の火を強くしたためかもしれません」


 二炉へ減らした。


 残った炉の使用時間と火力が増えた。


 排水問題を避けた結果、煙道側の負荷が上がった。


「火を弱めてください」


 直人が言った。


「夕食準備が遅れます」


「煙を吸わせながら調理できません」


「第二炉だけで?」


「予備の屋外小型炉は?」


「消防許可待ちです」


「緊急使用許可を確認します」


 設備を一つ止めれば。


 残った設備へ負荷が移る。


 便所でも。


 給水でも。


 炊事場でも。


 同じだった。


 市場の灰色水を流せるようにしても、南区の問題がすべて消えたわけではない。


 便器試作が始まっても、使える便器になったわけではない。


 次に確認するのは。


 限られた設備へ仕事を集めすぎた時、どこが先に壊れるのか。


 それを壊れる前に見つける方法だった。

市場裏であふれた灰色水は、共同炊事場や無料給水所から来た水に加え、市場の魚洗い、屋台の鍋洗い、油、食べ残しが混ざったものでした。


十五年前の屋根改修で入れられた仮止板が水路へ残り、そこへ油、灰、布、ごみが引っかかって下流を塞いでいました。


市場を全面閉鎖せず、食品を接触状況ごとに分け、仮売り場と市場排水回収を設置します。


一方、王都窯では便器をすぐ三台作らず、土の収縮試験片、断面原型、接続基準、内部水路の抜き型試験から始めました。


次回は、第三炉停止の負荷が第一炉と第二炉へ集中し、共同炊事場の煙道で異常が起きます。限られた設備へ仕事を集めすぎないため、食事提供場所そのものを分散します。

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