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トイレ販売員、異世界で水洗便器を売る ~ウォシュレットを設置したら王妃と魔王から指名されました~  作者: たむ
第2章 町に、便器を広げます

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第47話 安い利用料でも、倒れる囲いは許されません

第二便所では、利用中の女性へ囲い板が倒れ、肩を強く打つ事故が起きました。


管理者は、倒れた板を外せば便所を使い続けられると考えます。


しかし、囲いは飾りではありません。


利用者の身体と尊厳を守る設備の一部です。

 第二便所の前には、倒れた囲い板が横たわっていた。


 薄い木板を三枚つないだ壁。


 高さは、大人の胸ほど。


 板の下端には黒い腐食。


 固定に使われていた釘は、赤く錆びている。


 その横を、二人の男性が持ち上げようとしていた。


「その板を動かさないでください!」


 陶山直人が声を上げる。


 男性たちが手を止める。


「通路の邪魔だ」


 便所管理者らしい男が言った。


「倒れたままでは客が入れない」


「事故時の状態を記録するまで動かしません」


「板が倒れたことくらい、見れば分かる」


「どちら側へ倒れたか。固定具がどう外れたか。下の木が腐っていたか。それを確認します」


「そんなことより、早く立て直せ」


 男の名はサデル。


 第二便所の所有者ではない。


 土地と便所を所有する商人から、料金徴収と日常管理を任されているという。


「利用者は、まだ中にいますか」


 地方監査官エルンが尋ねる。


「怪我をした女は治療院へ行った」


「ほかの方です」


「一人、奥を使っている」


「全面使用停止を命じたはずです」


「倒れたのは手前の囲いだけだ。奥は使える」


 第二便所は、二つの排泄穴を持つ男女共用設備だった。


 建物全体を囲う外壁。


 内部を二つに分ける低い仕切り。


 入口は一つ。


 手前と奥で、同時に二人が使える構造である。


「中の方へ声を掛けます」


 セラが入口から離れた位置で呼びかけた。


「水務局です。安全確認のため、利用を終えたらそのまま外へ出てください。奥の板や壁へ触れないでください」


 中から、女性の返事。


 少しして、一人の年配女性が出てきた。


「急がせてすみません」


 セラが言う。


「何か沈んだり、揺れたりしましたか」


「足元は大丈夫だったよ」


「囲い板は?」


「奥の壁も、風が吹くと揺れる」


 サデルが顔をしかめる。


「余計なことを言うな」


「事実でしょう」


 女性は言い返した。


「前から揺れていた」


「倒れたことはなかった」


「今日倒れたじゃないか」


 エルンが便所入口へ赤い使用停止札を掛ける。


「第二便所は、調査終了まで全面停止です」


「二穴ともか?」


「同じ床、同じ外壁、同じ固定方法です」


「待っている住民をどうする」


「仮設便所を設置します」


「一台しかないと聞いたぞ」


「木製仮設枠も追加します」


「それまで、皆に我慢させるのか」


「安全が確認できない囲いの中へ、使わせるわけにはいきません」


          ◇


 怪我をした女性は、近くの治療所へ運ばれていた。


 名はユーナ。


 三十代前半。


 共同住宅六号棟に住み、洗濯仕事をしている。


 肩と背中へ囲い板が当たり、転倒した際に右手首も捻っていた。


 意識はある。


 骨折の疑いは低いが、数日は重い物を持たないよう言われている。


「洗濯仕事へ影響します」


 水務局書記官フィルが言った。


「治療費と休業分は、誰が払うのですか」


 サデルは答えなかった。


「利用者の使い方に問題があったかもしれない」


「どのような使い方です?」


「囲いへ体重を掛けたとか」


「確認しましたか」


「本人は、何もしていないと言っている」


「では、なぜ利用者の責任を先に疑うのですか」


「板は、勝手には倒れん」


 直人は倒れた板を示した。


「固定部が腐っています」


「今日突然、腐ったわけではありません」


「湿気の多い場所だ。木は傷む」


「だから点検と交換が必要です」


「料金が安い便所だぞ」


「料金が安ければ、利用者へ壁が倒れてもよいのですか」


「そうは言っていない!」


 サデルの声が大きくなる。


「だが、第一便所の半額だ。高い設備は維持できん」


「高級な囲いを求めているのではありません」


 直人は錆びた釘を拾わず、位置だけ記録した。


「通常利用で倒れないこと。中が外から見えないこと。利用者へ当たらないこと。最低限です」


          ◇


 事故現場の記録が始まった。


 倒れた方向。


 利用者側。


 板の重量。


 大人二人で持ち上げる程度。


 固定位置。


 左右二本の柱へ、短い釘で留められていた。


 右側。


 釘が抜けている。


 左側。


 柱の表面ごと剥がれている。


「釘だけの問題ではありません」


 直人が言った。


「柱が腐っています」


 ロッカはいない。


 だが、測定棒と小槌はある。


 表面を軽く叩く。


 こん。


 中央。


 ぼす。


 下端。


 棒が指二本分ほど入る。


「奥の仕切りも確認します」


「入るのか」


 サデルが尋ねる。


「床へ直接乗らず、入口側から棒で調べます」


 奥の囲い板。


 見た目は立っている。


 しかし柱下端へ棒を当てると、木が崩れた。


「こちらも交換が必要です」


「まだ倒れていない」


「倒れる前に止めます」


「外壁は?」


 外壁下部にも、水染み。


 特に井戸側。


 黒い腐食が続いている。


「雨水ですか」


 フィルが尋ねた。


「便所清掃の水もあります」


 利用者が出た後、管理人が床へ水を撒く。


 排水溝はない。


 水は床板の隙間から下へ落ちるか、壁際へたまる。


「石灰を撒けば、乾く」


 サデルが言った。


「石灰は臭いを減らすためですか」


「臭いと湿気だ」


「床下の水まで消えません」


「表面は乾く」


「内部が濡れたまま、外から分からなくなります」


 革工房では、傷んだ床へ板を重ねた。


 第二便所では、濡れた木へ石灰を撒いた。


 見える問題を隠しても、腐食は止まらない。


          ◇


「事故前の異常報告は?」


 セラが尋ねた。


 列に並んでいた住民たちから、別々に話を聞く。


「手前の板は、前から傾いていた」


「風で音がしていた」


「子どもが隙間から覗いたことがある」


「夜は外の影が見えた」


「扉の縄も短い」


「誰へ報告しましたか」


「サデルさんへ」


「何と答えました?」


「安い便所だから仕方ないと」


 セラは答えをそのまま記録した。


 サデルが反論する。


「第一便所のような板壁が欲しければ、第一へ行けと言っただけだ」


「第二便所を使う人は、なぜここを選ぶのですか」


 直人が住民へ尋ねた。


 年配女性が答える。


「安いから」


 別の男性。


「井戸の近くだから」


 若い母親。


「列が短いから」


「男女共用でも?」


「急いでいる時は仕方ない」


「女性は、夜も使いますか」


「一人では来ない」


「なぜ?」


「囲いが低い。入口も一つ。男が外で待っていると怖い」


「では夜は?」


「部屋の便壺」


「その便壺は?」


「昨日まで井戸横で洗っていた」


 第二便所と第二共同井戸。


 便所利用。


 便壺廃棄。


 洗浄。


 同じ区域の問題がつながっている。


          ◇


 第二便所の料金は、第一便所の半額だった。


 大人一回、小銅貨半枚相当。


 実際には半枚の硬貨がないため、二回札を一枚買う。


「一度だけ使いたい場合は?」


 直人が尋ねる。


「二回札を買う」


 サデルが答える。


「残り一回は?」


「次に使える」


「失くしたら?」


「無効」


「短期滞在者は?」


「二回使えばいい」


「子どもは?」


「一人で入れば一回。親と入れば取らない」


 第一便所より単純で、幼児介助へ追加料金もない。


 安価な理由の一つだった。


「一日の利用回数は?」


「百回前後」


「札の販売枚数は?」


「一日五十から六十枚」


「収入記録はありますか」


「ある」


「支出は?」


 汲み取り。


 七日に一度。


 清掃。


 サデル自身が朝と夕方。


 修理。


 必要な時だけ。


「清掃費は?」


「自分でやるから、別に計算していない」


「作業時間は?」


「一日半刻ほど」


「便所管理料として報酬を受けていますか」


「所有者へ月額を払い、残りが私の取り分だ」


「修理費は誰が出す?」


「小さいものは私。大きいものは所有者」


「大きい修理の基準は?」


「その時に相談する」


「囲い板の傾きは、相談しましたか」


 サデルが黙る。


「去年、言った」


「所有者の返事は?」


「次の冬前にまとめて直すと」


「それから?」


「返事はない」


「催促は?」


「修理を急げば、利用料を上げると言われた」


 安い料金を維持するため。


 修理が先送りされた。


「料金を上げたくなかった?」


「住民が第一便所へ流れる」


「だから危険を残した?」


「倒れるとは思わなかった」


「傾いていたことは知っていた」


「倒れるほどではないと思った!」


 直人は記録へ書いた。


 事故前に囲いの傾きと揺れを把握。


 所有者へ一度報告。


 修理時期未定。


 使用停止なし。


          ◇


「所有者を呼んでください」


 エルンが言った。


「王都北区にいる」


「使者を出します」


「すぐには来ない」


「それでも正式通知が必要です」


「私だけの責任ではない」


「現場管理者としての責任はあります」


「所有者が金を出さなかった」


「だからこそ、使用停止を水務局へ相談すべきでした」


「止めれば、収入がなくなる」


「安全でない設備を使わせ続ける理由にはなりません」


 サデルは硬貨袋を握りしめた。


 この便所からの収入で、生活している。


 止めれば、彼自身も困る。


 だが、利用者の肩へ壁が倒れた。


「緊急停止中の管理人報酬については、所有者との契約を確認します」


 フィルが言った。


「水務局が補償するのか」


「まだ決めていません」


「なら、私は今日から無収入だ」


「仮設便所の管理をお願いできますか」


 直人が尋ねた。


 サデルが顔を上げる。


「仮設の料金を集めろと?」


「緊急期間中の仮設は、通常料金をそのまま取らない可能性があります」


「では、何をする」


「利用回数。清掃。交換壺の水位。手洗い水。優先利用。異常記録」


「仕事は増える」


「管理日当を設定します」


「水務局が払う?」


「三日間の緊急措置として申請します」


 危険な便所を止めたことで、管理人を切り捨てれば。


 次の管理者は、収入を失うことを恐れて異常を隠す。


「ただし、事故記録と過去の報告内容をすべて提出してください」


「隠すなということか」


「はい」


「提出すれば、私の責任が重くなる」


「隠せば、もっと重くなります」


          ◇


 最後の祝祭用仮設便所が運び込まれた。


 王都南区の備蓄六台。


 二台破損。


 一台は第一便所。


 二台は第四便所。


 残る一台が第二便所へ来た。


 使用前点検。


 座面。


 大きな異常なし。


 扉。


 開閉可能。


 革帯。


 乾燥して硬い。


「このままでは切れる可能性があります」


「交換します」


 フィルが言った。


「予備の革帯は?」


「倉庫にはありません」


「第三便所の酒場へ余りがある」


 セラが思い出す。


「昨日、扉修理用の革帯を見ました」


「借りられますか」


「購入契約にしてください」


 直人が言った。


「返却前提だと、古い帯を戻すことになります」


「緊急なのに、買う手続きまで?」


「所有権を明確にします」


 酒場《酔い梟》から革帯を購入。


 緊急衛生費。


 領収札。


 交換。


 荷重試験。


 使用可能。


「一台では足りません」


 列には二十人以上。


 第二便所の利用者は、一日百回前後。


「木製仮設枠を二台作ります」


 南区大工組合へ緊急依頼。


「完成は夕方です」


「それまで一台?」


「第一便所に余裕は?」


 フィルが調べる。


 女性一室停止。


 仮設一台。


 列は長い。


「第三便所は昼間なら余裕があります」


「第二便所利用者を第三へ案内します」


「距離は?」


「歩いて七分ほど」


「料金は?」


「第二より高い」


「差額を誰が払う」


 直人は少し考えた。


「第二便所の二回札を、第三便所で一回分として仮利用できるようにします」


「第三便所の所有者が損をする」


「差額を水務局が調査費から補填します」


「札の偽造は?」


 第二便所の札。


 薄い木片。


 中央に丸穴。


 第三便所の札。


 四角い印。


「受付で第二札を回収し、第三利用記録へ貼り付けます」


「後で枚数を数える?」


「はい」


 設備が止まっても、既に買った利用権まで消さない。


          ◇


 第二便所前に、案内板が立てられた。


 既存便所 事故調査のため停止。


 仮設便所 一台。


 幼児・妊婦・歩行困難者・体調不良者を優先。


 通常利用者は第三便所も利用可能。


 第二便所の二回札一枚で、第三便所一回利用可。


「文字が多い」


 住民が言った。


「絵も付けます」


 仮設便所の方向。


 第三便所への道。


 優先者の図。


 使用停止の赤印。


「第三便所へ行く道は、夜も安全ですか」


 若い女性が尋ねる。


「今夜は、住民側入口を開けています」


「途中の路地が暗い」


「灯りを追加できますか」


 南区支所の備品。


 吊り灯り三つ。


「道全部は照らせません」


 フィルが言う。


「第二から第三へ向かう角と、狭い路地へ置きます」


「夜番は?」


「住民二人と水務局補助員一人」


「女性一人でも歩ける?」


「複数人で移動できるよう、半刻ごとの案内組を作ります」


「便所へ行く時間を待つの?」


「緊急時は仮設を優先利用できます」


 代替便所が七分先にあっても。


 夜道が危険なら、実質的な代替にはならない。


          ◇


 怪我をしたユーナから、聞き取りの許可が出た。


 治療所の一室。


 セラと女性書記官が話を聞く。


「囲いへ触りましたか」


「触っていません」


「倒れる前に音は?」


「ぎい、と鳴りました」


「逃げられましたか」


「服を下ろしていました」


 囲い板は、利用者がすぐに動けない状態で倒れた。


「外から見られましたか」


 セラが慎重に尋ねる。


 ユーナはしばらく黙った。


「倒れた後、列の人たちから中が見えました」


「男性も?」


「いました」


 肩と手首の怪我。


 それだけではない。


 排泄中の姿を、多くの人に見られた。


「事故記録へ、設備による露出被害も含めてよいですか」


「名前は出さないで」


「公開記録では、個人名を伏せます」


「サデルさんは、板を起こせば使えると言った」


「聞きましたか」


「治療所へ運ばれる前に」


 ユーナは左手で毛布を握った。


「私が大げさに騒いだように言われた」


「通常利用で倒れた設備の問題です」


「修理費を請求されませんか」


「現時点で、利用者へ請求する根拠はありません」


「仕事を休んだ分は?」


「所有者と管理者へ補償を求める記録を作ります」


「払ってくれないと思う」


「水務局の事故調査へ含めます」


 囲い板は、視線を遮るだけの板ではない。


 利用者が安心して排泄できる空間を作る。


 倒れれば、身体だけでなく尊厳も傷つける。


          ◇


 午後。


 事故記録へ新しい欄が追加された。


 身体被害。


 肩打撲。


 手首捻挫。


 休業の可能性。


 設備被害。


 仕切り板倒壊。


 柱腐食。


 固定釘錆。


 床と外壁の湿気。


 プライバシー被害。


 利用中の内部露出。


 複数人から視認された可能性。


「事故記録に、プライバシーまで書くのですか」


 フィルが尋ねる。


「囲い設備の目的です」


 直人が答えた。


「怪我が軽ければ、小さな事故になると思っていました」


「軽いとは限りません」


「修理内容も変わる?」


「倒れない囲いだけでなく、十分な高さと隙間対策が必要です」


「第二便所の安さを維持できません」


 エルンが言った。


「現在の料金では、改修費を回収できない可能性があります」


「料金を上げれば、利用できない住民が増えます」


「では公費?」


「所有者負担と、最低設備改善への補助を分けます」


「どこまでが最低設備?」


 直人は項目を挙げた。


 安全な床。


 倒れない壁。


 外から見えない高さ。


 内側から閉められる扉。


 男女または個人単位のプライバシー。


 夜間照明。


 手洗い。


 汲み取り口の封鎖。


「高級設備ではありません」


「水洗便器は?」


「その後です」


「王都まで呼ばれたのに、便器を一台も置かない可能性がある?」


「今のまま置けば、周囲が危険です」


          ◇


 木製仮設枠二台が、夕方前に届いた。


 大工組合が、第一便所の子ども用補助枠と第四便所の仮設を参考にして作ったものだ。


 一台は通常高さ。


 一台は低型。


 どちらも交換壺式。


「囲いは?」


 直人が尋ねる。


 大工が折り畳み式の木枠を広げた。


「高さは大人の頭より上。下は床から指二本空けた」


「なぜ空けました?」


「清掃水を逃がすため」


「外から足元が見えませんか」


「指二本なら靴だけだ」


「子どもが覗く可能性は?」


「下部へ内側の返し板を付ける」


 空気は通す。


 視線は通しにくい。


「扉の隙間は?」


「重なり板にした」


「鍵は?」


「内側の回転木片」


「外から緊急解錠できますか」


「上の小穴から専用棒を入れる」


「棒は管理者だけが持つ?」


「はい」


 荷重試験。


 囲いへ横から力。


 大きな揺れなし。


 手すり。


 固定良好。


 扉。


 開閉十回。


 鍵。


 動作正常。


「使用前に、女性利用者にも確認してもらいます」


 セラが言った。


 住民代表の女性二人が、中へ入る。


「外から影が見えますか」


「灯りを置き、確認します」


 内側へ人。


 外側から見る。


 上半身の輪郭は分からない。


 足元だけ。


「入口の向きを、列へ直接向けないで」


 女性が言った。


「扉が開いた時に、中が見える」


 仮設二台の入口を、互い違いに配置する。


 前へ目隠し板。


「設備の安全だけ見ていました」


 フィルが言う。


「向きも必要ですね」


「扉を開ける瞬間も、利用中の一部です」


          ◇


 三台の仮設便所が動き始めた。


 祝祭用一台。


 新しい木製枠二台。


 利用料金は、緊急期間中、第二便所の既存札を使用。


 札を持たない者は、一回分を仮記録。


 料金は、所有者と水務局の負担協議後に精算。


「無料とは言わないのですか」


 フィルが尋ねる。


「無料と決める権限がありません」


 直人が答えた。


「でも、払えない人を止めない」


「記録だけ残します」


「後から全員へ請求する?」


「その案には反対します」


「調査班は決めない」


 セラが先回りした。


「選択肢へ反対理由を書くところまでですね」


「分かっています」


          ◇


 仮設便所の管理担当となったサデルへ、説明が行われた。


「三台を一人で見るのですか」


「混雑時間は補助員が一人付きます」


「清掃は?」


「一室ずつ赤札と施錠」


「利用回数は?」


「木札を箱へ移す」


「交換壺は?」


「黄線で予備確認。赤線前に交換」


「満杯まで使わない?」


「持ち上げられなくなります」


「壺は二人で運ぶ」


「はい」


「手洗い水は?」


「白、黄、赤の表示」


「表示が壊れたら?」


「実水位を確認し、限定運用」


 仕立屋で作った異常時手順が、王都でも使われる。


「仕事が細かいな」


 サデルが言った。


「既存便所の管理より?」


「今までは、料金を取り、朝夕に水を撒くだけだった」


「だから、囲いの腐食が記録されませんでした」


「それを毎回言うな」


「再発防止に必要です」


「管理日当は?」


「危険作業手当込みで、水務局が三日分を仮払い」


「四日目は?」


「所有者との協議です」


「所有者が払わなければ?」


「水務局へ停止継続と管理人交代を相談します」


「私を外すのか」


「安全管理を続けられない場合は」


 サデルは手順表を見た。


「やる」


「理由は?」


「この場所を、ほかの奴に取られたくない」


 正義感だけではない。


 仕事と収入を守りたい。


 それでも、決めた手順を守るなら、管理者として働ける。


「異常を隠さないでください」


「次は止める」


「利用者から苦情があった場合は?」


「書く」


「自分の責任が増えても?」


 サデルは倒れた囲い板を見た。


「今日より悪くはならんだろう」


          ◇


 夜。


 第二便所前の仮設三台には、短い列ができていた。


 囲いは高い。


 入口には目隠し。


 男女別固定ではなく、完全個室。


 女性も男性も、空いた一台を使う。


「共用でも、以前より使いやすい」


 住民の女性が言った。


「中が見えないから?」


「それもある。男と同じ部屋へ同時に入らなくていい」


 既存第二便所は、二穴でも仕切りが低い。


 知らない者同士では同時利用しにくかった。


 仮設三台は一人ずつ。


 穴数は一つ増えただけだが、実際の利用能力は高い。


「三穴と三個室は違いますね」


 フィルが言った。


「数だけでは分かりません」


「王都の報告書に“四便所”としかなかったのと同じ」


「はい」


 便所の数。


 穴の数。


 個室の数。


 同時に安全に使える人数。


 それぞれ違う。


          ◇


 仮設利用開始から二刻。


 手洗い槽が黄色になった。


「補充します」


 サデルが記録板を見る。


「一人で持てる量ですか」


「小桶二つ」


「清水桶を、便壺運搬路と交差させないでください」


「裏から運ぶ」


「裏は交換壺の回収路です」


「では正面?」


「利用列と交差します」


 第二便所の敷地は狭い。


 給水。


 利用者。


 便壺回収。


 三つの動線が重なる。


「時間を分けます」


 直人が言った。


「配水は毎半刻の終わり。便壺交換は利用を五分停止。正面から清水。裏から密閉壺」


「五分止めるたび、列が伸びる」


「予備水槽を追加し、補充回数を減らします」


「費用が増える」


「動線事故を減らすためです」


 狭い土地に設備を置けば、便器の数だけでなく、管理作業の通り道も必要になる。


          ◇


 その時。


 仮設便所裏側の地面から、低い音がした。


 ぼこっ。


 サデルが振り返る。


「何だ?」


 地面の一部が、小さく沈んでいる。


 仮設便所本体からは三歩離れている。


 既存第二便所の外壁と、使用停止中の第二共同井戸の中間。


「近づかないでください」


 直人が赤い縄を広げた。


「仮設便所を止めますか」


 フィルが尋ねる。


「沈下範囲を確認します」


「列は?」


「前側二台を一時停止。最も遠い一台だけ限定使用」


 測定棒。


 地面の縁。


 浅い。


 中央。


 深く入る。


「下に空洞があります」


「既存便所の処理槽?」


 エルンが区域図を見る。


「図面では、処理槽は反対側です」


「古い排水管?」


 セラが灯りを近づける。


 沈んだ土の隙間から、湿った臭い。


 汚物だけではない。


 石けん草。


 古い洗浄水。


「第二共同井戸側へ続いている可能性があります」


「便壺洗い場の水?」


「それとも、第二便所の排水」


 直人は地面へ耳を近づけず、長い筒を使って空洞内の空気を確認した。


「誰も中へ入りません」


「掘りますか」


「明るくなってから。支えを作って調査します」


「仮設三台は?」


「今夜は前側へ移設します」


「また動かす?」


「空洞から距離を取ります」


 三台のうち一台ずつ。


 利用停止。


 交換壺を外す。


 移動。


 再固定。


 再荷重試験。


 使用再開。


 住民たちは、さらに待つことになった。


 それでも、沈んだ地面の上で使わせるわけにはいかない。


          ◇


 移設後。


 赤い立入禁止縄の内側で、地面の沈みは少しずつ広がっていた。


「囲い板の事故だけでは終わりませんでしたね」


 フィルが言った。


「外壁の湿気が多すぎました」


 直人が答える。


「床へ撒いた清掃水が、地面の下へ流れていた?」


「それだけではないかもしれません」


「第二共同井戸の洗浄水と、第二便所の排水が、同じ古い地下経路へ入っている?」


 セラが言った。


「明日確認します」


「便所を安くするため、排水設備まで簡単にしていたのでしょうか」


「先に決めません」


「分かっています」


 フィルが自分で答えた。


 安い利用料でも、倒れる囲いは許されない。


 だが、囲いを強く作り直すだけでは不十分だった。


 水。


 床。


 処理槽。


 地下排水。


 利用者の視線。


 管理者の収入。


 修理費。


 すべてが便所の一部である。


 仮設便所の灯りの向こう。


 第二共同井戸には、赤い使用停止札。


 その間の地面には、新しい赤い縄。


 王都南区の最後の便所調査は、見えていた囲い板から、見えない地下の空洞へ広がろうとしていた。

第二便所では、腐食した柱と錆びた釘によって囲い板が倒れ、利用者が肩と手首を負傷しました。


さらに利用中の内部が外から見えたため、身体被害だけでなく、プライバシー被害も事故記録へ加えられます。


第二便所は第一便所の半額でしたが、安い料金を維持するために修理が先送りされ、管理者も使用停止による収入減を恐れて異常を隠していました。


直人たちは既存便所を停止し、完全個室型の仮設便所三台へ切り替えます。


しかし運用開始後、便所と使用停止中の共同井戸の間で地面が沈下し、地下に図面のない空洞が見つかりました。


次回は沈下した地面を開放調査し、第二便所の清掃水と共同井戸の便壺洗浄水が、古い地下排水路で合流していた可能性を確認します。

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