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トイレ販売員、異世界で水洗便器を売る ~ウォシュレットを設置したら王妃と魔王から指名されました~  作者: たむ
第1章 異世界に、最初の便器を

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第4話 便器はある、水がない、流す先もない

銀月亭の床下には、長年の汚れと腐食が広がっていました。


直人が元の世界から持ち込んだ新品便器は、まだ森の中です。


しかし、便器を回収できても、水と排水先がなければ使うことはできません。

 翌朝。


 陶山直人は、鳥の声ではなく、陶器が割れる音で目を覚ました。


 がしゃん。


 続いて、一階からマルタの悲鳴が響く。


「また割れてしまいました!」


「今行きます!」


 直人は寝台から跳ね起きた。


 昨夜は銀月亭の空き部屋を借りたが、結局ほとんど眠れなかった。


 部屋の隅には、蓋のない便壺が置かれていた。


 できるだけ離れた場所に寝台を動かしたものの、臭いが消えるわけではない。


 夜中に誰かが廊下を歩くたび、壺を運んでいるのではないかと気になった。


 一階へ下りると、厨房の前でマルタが割れた陶器を見下ろしていた。


 床には茶色い液体が広がっている。


「便壺ですか?」


「いえ、厨房で使っていた水壺です。底が抜けてしまいまして」


 直人は破片を拾わず、その場でしゃがみ込んだ。


 壺の底が円形に剥がれている。


 側面には細いひびが何本も入っていた。


「古いものですか」


「十年以上使っております」


「便壺にも、同じようなひびがあるかもしれません」


「昨日、確認いたしました。三つほど、底が湿っているものが」


「使用を止めてください」


「ですが、代わりがございません」


 予想していた問題だった。


 便壺は単なる容器ではない。


 割れれば中身が漏れる。


 客室の床下が汚染されていた原因の一つも、壺の劣化かもしれない。


「新しい壺は買えますか?」


「陶工へ頼めば作ってもらえますが、今の銀月亭には……」


「金がない」


「申し訳ございません」


「謝る必要はありません」


 直人は立ち上がった。


 金がなければ、優先順位をさらに絞るしかない。


 床の修理。


 便壺の交換。


 屋外便所の補強。


 井戸水の安全確認。


 汚物処理。


 そして、水洗便器。


 どれも必要だが、全部を同時にはできない。


「ナオト、起きていたのね」


 階段からリリアが下りてきた。


 昨日より顔色は良い。


 まだ動きは遅いが、自分の足で歩ける程度には回復したようだ。


「体調は?」


「腹はまだ痛いけれど、昨日よりはましよ」


「水は?」


「沸かしたものを飲んでいるわ」


「食事は無理をしないでください」


「あなたは医者ではないのでしょう?」


「医者ではありません。ただ、水分を取らずに倒れた人を、現場で何度か見たことがあります」


「便器の工事で?」


「夏場の工事は暑いんです」


 リリアは厨房の床に広がった水を見た。


「また割れたのね」


「便壺も三つ、ひびが入っていたそうです」


「最悪ね」


「陶工に頼めば作れると聞きました」


「頼むだけならできるわ。でも、代金が払えない」


「話だけでも聞いてみましょう」


「ガルドに?」


「知っている人ですか」


「町で一番腕の良い陶工よ」


 リリアは顔をしかめた。


「同時に、一番口が悪くて、値段も高い」


「腕が良いなら会いたいですね」


「便壺を作ってくれと言ったら、追い出されるわよ」


「便器なら、もっと怒られそうですね」


「便器?」


「森から持ってくるものを見れば分かります」


 リリアは疑うように直人を見た。


「本当にあるのね」


「あります」


「真っ白な、便所の器が?」


「便座とタンクはありませんが、本体はあります」


「便座?」


「座る部分です」


「便所で座るの?」


 リリアは露骨に嫌そうな顔をした。


「また、その話からですか」


「だって、昨日から聞けば聞くほど変なのよ。水を流す。器に座る。床へ固定する。そのうえ、森に置いてきた」


「最後は俺の意思ではありません」


 直人は腰の工具袋を確認した。


「それで、便器を取りに行く人は見つかりましたか」


「一応ね」


 リリアは窓の外を指した。


 宿の前に、小さな荷車が止まっている。


 荷車の横には、杖を持った少女が立っていた。


 青みがかった灰色の髪を肩のあたりで切りそろえ、薄い水色の外套をまとっている。


 年齢はリリアより少し下に見えた。


「ミーナよ。水魔術師」


「魔術師が護衛を?」


「本職は町の給水所の手伝い。でも、森の浅いところなら魔物避けくらいできるそうよ」


「くらい、ではありません」


 開け放した扉の向こうから、少女が言った。


「小型の魔物なら追い払えます。戦えないわけではありません」


「聞こえていたのね」


「リリアさんの声は、外までよく通りますから」


 ミーナは不満そうに頬を膨らませた。


 近くで見ると、杖の先端に透明な石が埋め込まれている。


 石の中では水滴のような光が揺れていた。


「陶山直人です」


「ミーナ・セルフィです」


 少女は直人の作業着を上から下まで眺めた。


「異国の職人だと聞きました」


「かなり遠いところから来ました」


「便所を直す職人だとも」


「便器の販売と設置が中心です」


「リリアさんから聞いても、意味が分かりませんでした」


「実物を見れば、少しは分かると思います」


「森に便所を落とした人を見るのは初めてです」


「便所ではなく、便器です」


「違うのですか?」


「違います」


 直人は答えてから、この世界でその差を説明する難しさに気づいた。


 建物としてのトイレ。


 排泄物を受ける便器。


 座るための便座。


 水をためるタンク。


 給水と排水。


 日本では当たり前に区別されるものが、この世界では一つの「便所」にまとめられている。


「とにかく、回収しに行きましょう」


 直人は荷車を確認した。


 荷台には藁と古い布が敷かれている。


「陶器を運ぶなら、もう少し衝撃を抑えたいですね」


「森の中で割れなかったのでしょう?」


「落ちた時に割れなかったのは運が良かっただけです。帰り道で割ったら、二度と手に入りません」


 直人は銀月亭にあった古い毛布を借り、荷台へ重ねた。


 さらに便器を固定するための縄を用意してもらう。


「便所の器を、宝物みたいに扱うのね」


 リリアが言った。


「今の俺にとっては、宝物より貴重です」


 元の世界であれば、同型の便器を再注文できる。


 だが、ここにはメーカーも物流倉庫もない。


 割れれば終わりだ。


「私も行くわ」


 リリアが外套を羽織った。


「まだ休んでください」


「私の宿のために持ってくるのでしょう?」


「そうですが、体調が戻っていません」


「道を知っているのは、あなた一人。町のことを知っているのは私。どちらも必要よ」


「私だけでも町のことは分かります」


 ミーナが淡々と言った。


「ミーナ」


「病み上がりの人を森へ連れていく方が危険です」


「二人とも、私のことを邪魔者みたいに」


「宿の責任者だからこそ、宿に残ってください」


 直人は昨日、自分が言った言葉を繰り返した。


「留守中に客が来たら、誰が判断するんですか」


「客なんて、来ないかもしれないわ」


「来るかもしれません」


 リリアはしばらく直人を睨んだ。


 やがて、外套を脱ぐ。


「必ず戻ってきなさい」


「便器を持って戻ります」


「あなたもよ」


「分かっています」


          ◇


 町を出て森へ入ると、空気が変わった。


 宿場町に漂っていた悪臭が薄れ、湿った草木の匂いが強くなる。


 直人が先頭を歩き、荷車を引く。


 ミーナは杖を持ち、その少し後ろを進んだ。


「魔物避けとは、どうするんですか」


「水の膜を周囲に広げます」


「膜?」


「見えないほど細かな水の粒です。近づくものが触れれば、どこにいるか分かります」


「センサーのようなものか」


「せんさあ?」


「気にしないでください」


 直人には魔法が見えなかった。


 しかし、時々ミーナが足を止め、森の奥へ杖を向ける。


 すると茂みが揺れ、獣らしきものが逃げていった。


「便利ですね」


「戦闘では、それほど評価されません」


「十分役立っていますよ」


「水魔法は、攻撃力が低いと言われます」


「水を出せるんですよね」


「出せます。量は魔力次第ですが」


「飲めますか」


「私が作った水ですか?」


「はい」


「不純物はほとんどありません。飲めます」


 直人は足を止めた。


「温度は変えられますか」


「少しなら。冷たくする方が得意です」


「一定量を、決まった速さで出せますか」


「練習すれば可能だと思います」


「水圧は?」


「すいあつ?」


「狭い管の中へ、水を押し込む力です」


 ミーナは怪訝そうに眉を寄せた。


「何に使うのですか」


「便器です」


「また便器ですか」


「水洗便器には水が必要です」


「井戸から汲めばよいのでは?」


「毎回、桶で流す方法もあります。ただ、宿で使うなら、できればタンクか給水管が欲しい」


「たんく?」


「水をためる容器です」


「水壺では駄目なのですか」


「壺でも代用はできます。ただし、必要な量を一度に流す仕組みが必要です」


 話しながら、直人の頭の中で構造が組み上がっていく。


 持ち込んだ便器にはタンクがない。


 現地で貯水容器を作る必要がある。


 木製の箱を防水するか。


 陶器の水槽を作るか。


 高い位置に水壺を置き、弁を開いて流すか。


 ミーナの魔法を毎回使う方式は、彼女が不在なら動かない。


 設備は、誰でも使えなければ意味がない。


「水魔法を、便所に使いたいのですか」


 ミーナが立ち止まった。


「まずは、試験に使えると助かります」


「魔術師を便所係にするつもりですか」


 声が硬い。


 直人は振り返った。


 ミーナの表情には、警戒とわずかな怒りが浮かんでいた。


「違います」


「水魔術師は、便利な水汲み役ではありません」


「そういう意味で言ったのではありません」


「町では、いつもそうです。火魔術師は戦闘や鍛冶に呼ばれる。風魔術師は伝令や船に乗れる。水魔術師は井戸が枯れた時だけ呼ばれる」


「水を生活に使うのは、評価されないんですか」


「戦えない魔術師の仕事だと言われます」


 直人は少し考えた。


 元の世界でも似たことはある。


 壊れない限り、設備は意識されない。


 水が出る。


 流れる。


 臭わない。


 それが当たり前になれば、その仕組みを支える人間の仕事は見えなくなる。


「俺は、水を出してほしいだけではありません」


 直人は言った。


「どう流せば少ない水で汚物を運べるか。どうすれば毎回同じ量を出せるか。凍る場所ならどう守るか。水を扱う知識が必要です」


「私に、そんな知識はありません」


「これから一緒に考えればいい」


「一緒に?」


「俺は便器を知っています。でも、魔法は知りません。ミーナさんは魔法を知っている。どちらか一人では作れないものが作れるかもしれない」


 ミーナはすぐには答えなかった。


 杖の中の透明な石が、淡く揺れる。


「便所を作ることが、そんなに重要なのですか」


「使えなくなれば、誰でも困ります」


「王様でも?」


「王様でも、魔王でも」


「魔王にも便所があるのですか」


「ない方が驚きです」


 ミーナは、ほんの少しだけ笑った。


          ◇


 直人が目印にした三本の枝は、そのまま残っていた。


「ここです」


 茂みをかき分ける。


 白い便器は、昨日置いた場所にあった。


 朝の光を受け、森の中で不自然なほど白く輝いている。


「これが……便器?」


 ミーナが近づいた。


「触っても?」


「表面は大丈夫です。ただ、倒さないように」


 ミーナは便器の縁へ指を当てた。


「陶器ですね。でも、こんなに滑らかなものは見たことがありません」


「汚れを落としやすくするため、表面を滑らかにしています」


「この穴に、するのですか」


「そうです」


「その後は?」


「水で流します」


「どこへ?」


「それを、これから作ります」


「流す先もないのに、持ってきたのですか」


「俺も好きで持ってきたわけではありません」


 二人で便器を持ち上げ、毛布を敷いた荷台へ載せる。


 陶器は重い。


 形も持ちにくい。


 直人が前側を支え、ミーナが魔法で水の膜を作って滑りを抑えた。


「こういう使い方もできるんですね」


「初めてやりました」


 便器の周囲へ毛布を巻き、縄で固定する。


 荷車を少し揺らしても動かないことを確認した。


「帰りましょう」


 直人が取っ手を握った時、森の奥から声がした。


「そいつを、どこへ運ぶつもりだ?」


 低い男の声だった。


 振り返ると、道の脇に大柄な男が立っていた。


 背は直人より低い。


 だが、肩幅は倍近くある。


 灰色の髭を胸まで伸ばし、革の前掛けを着けている。太い腕には、火傷の痕がいくつもあった。


 荷車に積まれた便器を見て、鋭い目を細めている。


「ガルドさん?」


 ミーナが声を上げた。


「知り合いですか」


「町の陶工です」


 リリアが話していた、腕が良く、口も悪い職人。


 ガルドは便器へ近づき、無言で表面を叩いた。


 こん。


 澄んだ音が森に響く。


 続いて、排水口の周囲を覗き込む。


「妙な焼き物だ」


「便器です」


「何だ、それは」


「便所で使う器です」


 ガルドの太い眉が持ち上がった。


「俺は王侯へ献上する杯も、神殿に納める大壺も焼いてきた」


「そうですか」


「そんな俺に、尻の下へ置く器を見せて何がしたい」


「同じものを作れるか相談したいと思っています」


「断る」


 返答は早かった。


「まだ詳しい話をしていません」


「聞く必要がない。俺の窯で糞の器など焼かん」


「これは、普通の壺より難しいですよ」


 立ち去ろうとしたガルドの足が止まった。


「何?」


「同じ厚さでは駄目です。水を流しても割れず、汚れが残りにくく、排水口の形も正確でなければならない」


「陶器のことを知ったように言うな」


「陶器の製造は知りません」


 直人は素直に認めた。


「でも、便器の不具合は見てきました。少し形が違うだけで流れが悪くなる。表面が荒ければ汚れが残る。接合部が歪めば、水が漏れる」


 ガルドは荷台の便器を再び見た。


 今度は先ほどより長く観察する。


 縁の厚み。


 曲面。


 排水口。


 底部の固定穴。


「誰が焼いた」


「俺のいた世界の工場です」


「どこの国だ」


「ここからは行けないほど遠い場所です」


「同じ土はあるのか」


「分かりません」


「釉薬は?」


「知りません」


「焼成温度は?」


「それも」


「何も知らんではないか」


「だから、陶工が必要なんです」


 ガルドの眉間に深い皺が寄った。


「作るとは言っていない」


「銀月亭の便壺も割れ始めています」


「銀月亭?」


「リリアさんの宿です」


 ガルドの表情がわずかに変わった。


「まだ潰れていなかったのか」


「失礼な言い方ですね」


 ミーナが口を挟む。


「事実だ。客が入っておらん」


「だから、この便器を設置します」


 直人が言うと、ガルドは鼻を鳴らした。


「器を置けば客が戻るのか」


「便器だけでは戻りません」


「なら、何をする」


「床を直す。水を用意する。汚物を安全に流す。臭いを止める。清掃しやすくする」


「流した汚物は、どこへ行く」


「今、それを考えています」


 ガルドは大きな声で笑った。


「行き先も決めずに、流す話をしているのか!」


「笑い事ではありません」


 別の声がした。


 森の道を、もう一人の男が歩いてくる。


 痩せた長身。


 古い革の上着をまとい、肩には大きな木製の桶を担いでいる。


 近づくにつれ、微かな臭いが漂ってきた。


 町で嗅いだものと同じ、汚物と腐った土の臭い。


「ボルグ」


 ガルドが男の名を呼んだ。


「こんなところで何をしている」


「町外れの捨て場を見てきた帰りだ」


 男――ボルグは荷車の便器へ視線を移した。


「見たことのない壺だな」


「便器です」


 直人は、この日三度目の説明をした。


「汚物を受けて、水で流します」


「どこへ」


「それを相談したいんです」


「誰に?」


「汲み取りの仕事をしている人に」


 ボルグの目が細くなる。


「俺たちに、汚物を押しつけるつもりか」


「逆です」


「何が逆だ」


「この町で、汚物がどう動くか知っている人の意見が必要です」


 直人は荷車から手を離した。


「一日にどれだけ出るか。どこへ捨てているか。雨の日にどうなるか。腐ると何が起きるか。俺には分かりません」


「そんなことを知りたがる奴は、初めてだ」


「知らずに便器だけ増やしたら、処理する人が困ります」


「普通は、流した後のことなど考えん」


「俺の仕事では、流した後まで考えます」


 ボルグは直人をじっと見た。


 服装。


 工具袋。


 荷車の便器。


 やがて、肩の桶を地面へ下ろした。


「銀月亭へ設置するのか」


「その予定です」


「あの宿の裏便所は、地面がもう限界だ」


「知っていたんですか」


「何度も汲みに行っている。穴の壁が崩れ始めている。次の大雨で溢れるかもしれん」


「井戸が近い」


「それも知っている」


「なぜ、何も言わなかったんです」


「言ったところで、誰が金を出す」


 ボルグの声には、諦めが染みついていた。


「俺たちは、呼ばれたら汲む。運べと言われた場所へ運ぶ。それだけだ。町の役人も宿の客も、汚物が消えれば満足する。どこへ行ったかなど見ようともしない」


 直人は言葉を失った。


 問題を知っている者はいた。


 ただ、その声を聞く者がいなかったのだ。


「銀月亭の汚物を安全に処理する方法を、一緒に考えてもらえませんか」


「俺に?」


「現場を一番知っているのは、あなたです」


 ボルグはすぐには答えなかった。


 ガルドもミーナも黙っている。


 森を吹き抜ける風が、荷車に巻いた毛布を揺らした。


「金は払えるのか」


 ボルグが尋ねた。


「今は、ほとんど払えないと思います」


「正直だな」


「でも、銀月亭が客を取り戻せたら、仕事として契約したい」


「流した先の管理までか」


「必要です」


 ボルグは喉の奥で低く笑った。


「便所の先まで売る男か」


「売って終わりではありません」


「面白い」


 ボルグは桶を担ぎ直した。


「まず、現場を見せろ。あの穴が本当に使えるか、俺が判断する」


「お願いします」


「まだ引き受けたとは言っていない」


「ガルドさんと同じことを言いますね」


「一緒にするな」


「誰がこいつと同じだ!」


 二人の声が重なった。


 ミーナが小さく笑う。


 直人は荷車の取っ手を握った。


 便器は回収できた。


 水を扱える魔術師。


 陶器を焼ける職人。


 汚物処理を知る回収人。


 偶然かもしれない。


 だが、最初の施工に必要な人間が、少しずつ集まり始めている。


          ◇


 銀月亭へ戻ると、リリアは宿の前で腕を組んで待っていた。


「遅い」


「協力者が増えました」


「協力すると決めた覚えはない」


 ガルドが即座に否定する。


「俺も現場を見るだけだ」


 ボルグも続いた。


 ミーナは黙っていたが、帰り道でも水洗便器の仕組みを何度も質問してきた。


「これが、本当にあなたの便器なの?」


 リリアが荷車を覗き込む。


 白い陶器の表面へ、恐る恐る手を伸ばした。


「きれい……」


「今は、です」


「どういう意味?」


「使えば汚れます。だから、洗いやすく作られています」


「本当に、これへ座るのね」


「便座を付けてからです」


「その便座は?」


「ありません」


「ないの?」


「こちらで作る必要があります」


 リリアは額を押さえた。


「完成品ではないじゃない」


「便器だけあっても、トイレは完成しません」


 直人は銀月亭の裏庭を指した。


「水がない」


 井戸を見る。


「安全に流せる排水先もない」


 崩れかけた便所小屋を見る。


「床も直さなければならない」


 そして、荷車の便器へ目を戻した。


「便座も、貯水槽も、配管も、接続部品も足りません」


「何もないのと同じじゃない」


「いいえ」


 直人は白い便器の縁へ手を置いた。


「完成形が一つある」


 見本があれば、職人へ形を伝えられる。


 水を流せば、必要な量を測れる。


 排水口の構造を調べられる。


 失敗しても、何が違うか比較できる。


「これを使って、異世界で最初の水洗便器を作ります」


 ガルドが鼻を鳴らした。


「簡単に言う」


「簡単ではありません」


 直人は答えた。


「だから、皆さんの力を借りたいんです」


 ミーナが水を。


 ガルドが陶器と便座を。


 ボルグが排水と処理を。


 リリアとマルタが宿の運営と利用者の意見を。


 直人が全体をつなぐ。


 一台の便器を設置するために、必要なものは想像以上に多い。


 だが、それは元の世界でも同じだった。


 目に見えるのは便器だけ。


 その下には、配管がある。


 その先には処理設備がある。


 それを作り、使い、直す人間がいる。


「まず、どこから始めるの?」


 リリアが尋ねた。


「水を流してみます」


「ここで?」


「便器の形と、必要な水の量を確認します」


 直人はミーナを見た。


「少し、力を貸してもらえますか」


 ミーナは杖を握り直した。


「便所係ではありません」


「開発担当です」


「……それなら、少しだけ」


 ガルドが便器の前へしゃがみ込む。


 ボルグは排水口側へ回った。


 リリアとマルタは少し離れて見守る。


 異世界で最初の水洗試験が、始まろうとしていた。

森から新品便器を回収した直人は、水魔術師ミーナ、陶工ガルド、汲み取り人ボルグと出会いました。


水、陶器、汚物処理。


最初の水洗便器を作るために必要な協力者がそろい始めます。


次回は、便器へ実際に水を流し、最初の試験を行います。

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