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トイレ販売員、異世界で水洗便器を売る ~ウォシュレットを設置したら王妃と魔王から指名されました~  作者: たむ
第2章 町に、便器を広げます

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第32話 便器は、置けただけでは合格しません

仕立屋《金糸の針》へ納める標準型第二号便器が、本焼きを終えました。


外から割れていないように見えても、排水管へつながらなければ設置できません。


水が流れても、便座や固定金具を交換できなければ、標準品とは呼べません。


第二号便器の総合検査が始まります。

 窯を開ける朝。


 ガルドの工房には、普段より多くの人が集まっていた。


 陶山直人。


 リリア。


 ロッカ。


 ミーナ。


 ボルグ。


 水務局地方監査官のエルン。


 そして、工房の弟子たち。


「狭い!」


 ガルドが怒鳴った。


「窯の前へ集まるな!」


「安全距離を取っています」


 直人が答える。


「お前が一番前にいる!」


「温度確認をしています」


「俺が確認した!」


 直人は窯扉へ手を近づけた。


 直接は触れない。


 外側から伝わる熱。


 昨日より明らかに下がっている。


「開けられる温度ですか」


「だから呼んだ!」


「記録上の冷却時間は、第一号より短いです」


「昨日の焼成終了が早かったからだ」


「右側の温度上昇がありました」


「その後は薪を減らした」


「内部と外部で温度差が残っている可能性は?」


 ガルドのこめかみが動く。


「あと半刻待つ」


「開けないのですか」


 テオが尋ねた。


「急に冷えれば割れる」


「もう開けられると言っていたではありませんか」


「ナオトが余計なことを言うからだ!」


「安全側の判断です」


「嬉しそうに言うな!」


 結局、全員は工房の外で半刻待つことになった。


 リリアは帳簿を開き、今日の作業予定を確認する。


「第二号が合格したら、午後に仕立屋へ搬入するの?」


「今日は搬入しません」


 直人が答えた。


「なぜ?」


「検査結果を整理し、水務局の立会記録へ署名をもらいます」


「便器が無事でも?」


「無事であることと、製品として合格することは別です」


「オルドさんが怒るわよ」


「明日搬入予定と伝えてください」


「今日だと思っている」


「約束はしていません」


「期待させる言い方をした可能性は?」


「本焼きに問題がなければ、早ければ翌日以降に搬入できると説明しました」


「オルドさんは、“早ければ”を聞かず、“翌日”だけ覚えているでしょうね」


「進捗報告書には書いてあります」


「紙を読んだ人が、都合のいい部分だけ覚えることも記録しておいて」


 直人は本当に手帳を開いた。


「冗談よ」


「重要な知見です」


「書かなくていい」


          ◇


 半刻後。


 ガルドが窯の留め具を外した。


 扉を少し開く。


 熱い空気が、ゆっくり外へ流れる。


「一気に開けないのですね」


 エルンが尋ねる。


「中と外の温度を急に変えん」


 ガルドが答えた。


「第一号の時も?」


「同じだ」


「記録には、扉を指二本分開けて四分の一刻待つとあります」


 テオが焼成記録を確認する。


「今回は?」


「同じだ」


 扉の隙間から、窯の内部がわずかに見える。


 器の輪郭。


 試験片。


 焼成台。


 便器第二号。


 大きく崩れてはいない。


「立っています」


 テオが息を吐いた。


「立っているだけで喜ぶな」


 ガルドが言う。


「割れていても形は残る」


 さらに待つ。


 扉を半分開く。


 青みを帯びた灰白色の釉薬が、灯りを反射した。


「第一号より白いですね」


 ミーナが言った。


「釉薬配合を変えたからです」


「青灰色というより、月明かりの色みたい」


 リリアが便器を見つめる。


「商品名に使えそう」


「色名を決めるのは検査後です」


「もう考えている顔をしているわね」


 便器は焼成台の中央に残っていた。


 右側へ倒れていない。


 底の変形も、外から見る限り大きくない。


 ただし、便器の横に置いた釉薬試験片の一枚は、表面が泡立っている。


「右側の試験片です」


 テオが言う。


「昨日、炎が強くなった側か」


 ガルドが長い棒で試験片を引き寄せた。


 表面には、小さな穴が無数にできている。


「温度が高すぎた?」


 直人が尋ねる。


「この配合だけだ」


「便器と同じ配合ですか」


「違う。滑らかさを優先した第三配合だ」


 標準候補として採用しなかった釉薬である。


「第二配合は?」


「こちらだ」


 便器と同じ配合の試験片は、表面が均一だった。


 わずかな色むらはある。


 しかし、泡や大きな流れはない。


「右側の温度上昇に耐えた?」


「この程度ならな」


 標準品へ採用する候補として、安定性を優先した判断は正しかったらしい。


「第三配合は特注にも使わない方がいいですね」


 直人が言う。


「窯の中央だけなら使える」


「焼成位置を限定する?」


「美術品ならな」


「便器では?」


「やめておく」


 ガルドが自分から不採用を決めた。


 美しい仕上がりより、再現できる仕上がり。


 標準品として重要な判断だった。


          ◇


 第二号便器は、四人がかりで焼成台ごと運び出された。


 作業台へ載せる。


 まだ内部に熱が残っているため、すぐには水を入れない。


 最初は外観確認。


「触れずに見ます」


 直人が灯りを斜めから当てる。


 縁。


 鉢。


 外側。


 接合部。


 排水口。


 給水口。


「正面左に色むらがあります」


 リリアが見つけた。


「性能へ影響しますか」


「現時点では外観だけです」


「仕立屋へ説明する?」


「小さなものでも、引き渡し前に見せます」


「値引きを求められるわね」


「外観基準を決めていません」


「第二号から決める必要がある」


 色むらは、指二本分ほど。


 白い釉薬の中に、少しだけ青灰色が濃く出ている。


 表面は滑らか。


 ひびもない。


「通常品として認められる範囲では?」


 エルンが尋ねる。


「水務局は、色も検査するのですか」


「安全認定では見ません。ただし、ひびとの区別は必要です」


 直人は色むらの縁へ細い墨線を近づけた。


 亀裂なら、墨が染み込む可能性がある。


 表面へ少量付け、すぐに拭き取る。


 釉薬へ線は残らない。


「ひびではありません」


「外観差として記録します」


 テオが書き込む。


 次に打音。


 ガルドが小さな木槌で縁を叩く。


 こん。


 鉢。


 こん。


 右側。


 こん。


 左側。


 こん。


 排水接合部。


 こん。


 澄んだ音。


「異常音なし」


 テオが記録する。


「もう少し下も」


 直人が言う。


「俺が分かっておる!」


 こん。


 こん。


 同じ調子の音が続く。


「打音検査、合格候補」


 直人が言った。


「合格でよい」


 ガルドが答える。


「内部水路がまだです」


「打音検査だけの話だ!」


「項目ごとに判定します」


「最初からそう言え!」


          ◇


 便器が十分に冷えるまで、寸法検査を行った。


 標準治具へ載せる。


「底が完全には入りません」


 テオが言った。


 治具の右前が、わずかに浮いている。


「便器が歪んだ?」


 リリアが尋ねる。


「まず治具を確認します」


 直人は水平確認用の水筒を細い透明管へつないだ。


 左右の水位を見る。


「試験台は水平です」


 便器の底へ薄い木片を差し込む。


 右前に、爪ほどの隙間。


 左後ろは接触している。


「第一号より小さい歪みだ」


 ガルドが言う。


「固定材で吸収できますか」


 ロッカが底を覗いた。


「弾樹の薄い座を敷けば安定する」


「標準部品にしますか」


「便器ごとに厚さを変える必要がある」


「それでは交換時に困ります」


 直人は考えた。


 現場で便器を取り外し、新しい標準便器へ交換する。


 その時、個体ごとに底の歪みが違えば、固定材も作り直す必要がある。


「便器の底面を削る?」


 テオが尋ねた。


 ガルドの顔が変わった。


「焼いた便器を削る気か」


「少しなら――」


「釉薬が欠ける!」


「底の接地面には釉薬がありません」


 直人が答える。


「削った場所から割れませんか」


「力が集中する削り方は駄目です」


 ロッカが底面を触る。


「高い部分だけを、広く薄く削るなら可能かもしれん」


「陶器を削る道具は?」


「石工の平砥石を使う」


 ガルドは不満そうだった。


「焼き上がったものへ手を入れるのは好かん」


「設置時の安定性が優先です」


「窯で歪まないよう作る」


「今回は、すでに歪んでいます」


 工房が静かになった。


 ガルドが直人を睨む。


「言い方を考えろ」


「事実です」


「分かっておる!」


 底面の高い位置へ印を付ける。


 少しずつ砥石を当てる。


 削るたび、治具へ載せ直す。


 一度。


 二度。


 三度。


 右前の隙間が小さくなる。


「完全に平らにしなくてもいい」


 ロッカが言う。


「固定座で吸収できる範囲へ入ればいい」


「許容隙間を決めます」


「木針一枚までか」


「固定後に荷重をかけ、動かなければ合格とします」


 最終的に、隙間は薄い木針一枚分まで減った。


「底面補正あり」


 テオが記録する。


「標準便器なのに、毎回削るのですか」


「毎回ではない」


 ガルドが答える。


「焼成台をさらに直す」


「第三号で確認ですね」


「今度は右前の支えを少し下げる」


「第二号の歪みを基準に変えると、逆へ歪む可能性は?」


 ガルドが黙る。


「焼成台をすぐ削らず、第三号も同じ条件で焼いて比較しましょう」


「二台続けて同じ場所が浮けば、台を変える?」


「はい」


「一台だけなら、成形や乾燥の影響かもしれない」


 テオが言う。


「そういうことです」


 ガルドは弟子を見た。


「分かってきたな」


「はい!」


「返事が大きい!」


          ◇


 次は、接続試験台だった。


 ロッカが作った木製台には、仕立屋の床条件を再現した排水口がある。


 排水管。


 固定穴。


 給水管。


 便座取り付け位置。


 便器第二号を持ち上げ、ゆっくり載せる。


「排水口を合わせます」


 直人が下から位置を見る。


 中心線。


 排水接続部。


「右へ少しずれています」


「素焼き後にも確認した場所です」


 テオが記録を見返す。


「本焼きで、さらに木針半本分縮みました」


「革接続管は届く?」


 ボルグが尋ねる。


「試します」


 弾樹の密閉輪を排水口へ付ける。


 その外側に、短い革製接続管。


 試験台の排水管へ差し込む。


「接続できます」


「漏れなければ問題ないだろう」


 ガルドが言う。


「現在の部品では問題ありません」


「また将来の硬い管か」


「はい」


「まだ存在しないものへ合わせるのか?」


「交換性を考えるなら、接続中心はそろえたいです」


「では不合格?」


 リリアが尋ねる。


 直人はすぐに答えなかった。


 現在使う革管は、ずれを吸収できる。


 仕立屋への設置には問題ない。


 しかし、標準品として接続中心の範囲を決める必要がある。


「現行接続方式では合格です」


「標準寸法としては?」


「注意範囲です」


「合格と不合格の間?」


「条件付き合格です」


 リリアが額へ手を当てる。


「お客様へ説明しにくい言葉が増えるわ」


「設置に問題はありません。ただ、第三号以降で位置を改善し、将来の許容差を狭めます」


 エルンが記録表を見る。


「水務局への登録基準としては、現行部品で安全に接続できる範囲を先に定めるべきです」


「将来の理想値とは分ける?」


「はい。現在達成できない精度を必須基準にすると、製造が止まります」


「安全基準と改善目標を分けましょう」


 直人は検査表へ二つの欄を追加した。


 必須許容範囲。


 改善目標範囲。


「それなら、現状を合格にしながら精度を上げられますね」


 テオが言う。


「基準を甘くして合格にするわけではありません」


「現行の施工方法で安全かどうかと、将来目指す精度は別です」


「分かりました」


          ◇


 便座の取り付け試験。


 第一号と同じ形式の木製便座を用意する。


 固定穴へ金具を入れる。


 左は入った。


 右が入らない。


「穴が狭いです」


 ロッカが言う。


「釉薬が回ったか」


 ガルドが灯りを当てる。


 固定穴の内側に、薄く釉薬が付着している。


「施釉前には、棒が通っていました」


 テオが記録を確認する。


「本焼きで釉薬が硬くなった」


「削れますか」


「穴の内側だけなら、石棒で広げる」


 ガルドが細い研磨棒を入れる。


「無理に押さないでください」


「俺の便器だ!」


「商会の商品です」


 ガルドの手が止まった。


「誰の商品だと?」


「製造はガルドさん。販売と保証は商会です」


「俺の工房の名も残すのだろうな」


「製造者として刻印します」


「ならよい」


 石棒で少しずつ釉薬を削る。


 金具を通す。


 今度は入った。


「穴径の検査棒が必要ですね」


 直人が言う。


「施釉前と本焼き後の両方で通す」


「金具そのものでは駄目か」


「検査用の金具を固定します。摩耗したら交換」


「ロッカさん、同じ太さの棒を――」


「俺を見るな!」


「木では削れます。金属棒が必要です」


「鍛冶屋だ!」


「では、鍛冶屋へ依頼します」


 また一つ、標準製造に必要な道具が増えた。


 便座を固定。


 開閉。


 ぐらつき。


 左右差。


「交換用の便座も試します」


 直人は別に用意した二枚目の便座を持ってきた。


「なぜ二枚ある?」


 ガルドが尋ねる。


「同じ便器へ、別の便座が付くか確認します」


 一枚目を外す。


 二枚目を取り付ける。


 こちらも固定できた。


「便座交換性、合格です」


「当たり前だ」


 ロッカが言う。


「俺が同じ治具で作った」


「当たり前を確認するのが検査です」


「その言葉は便利だな」


 ガルドが笑った。


          ◇


 便器内部が完全に冷えたことを確認し、通水試験へ移る。


 ミーナが試験用貯水槽を満たした。


「一回分です」


「水量を記録します」


 直人は水位線を確認する。


 便器の鉢へ、洗い流す汚れを模したものを置く。


 柔らかく練った土。


 刻んだ葉。


 少量の布片は入れない。


 流してはいけない異物だからだ。


「開始します」


 紐を引く。


 水が縁の水路へ入る。


 洗浄穴から流れ出す。


 鉢の周囲を回り、土と葉を中心へ集める。


 ごぼん。


 排水路へ吸い込まれた。


 底には水が戻る。


「後方左側」


 直人がすぐに確認した。


 第一号で流れが弱く、第二号で角度を変えた場所。


 汚れは残っていない。


「改善されています」


 テオが笑顔になる。


「一回で喜ぶな」


 ガルドが言う。


「五回行います」


「五回?」


「条件を変えます」


 二回目。


 葉を多め。


 合格。


 三回目。


 土を鉢の前方へ付着。


 一部が残った。


「前方の水が弱いです」


「穴が塞がっているか?」


 細い棒を通す。


 すべて通る。


「水の向きですね」


 直人が言う。


「後方を強くした分、前方へ届く流れが減った?」


「水量は同じです」


 ミーナが答える。


「穴の数は?」


「第一号と同じ」


「後方穴を下へ向けたことで、回転流が少し弱くなった可能性があります」


 ガルドが鉢を睨む。


「穴を広げるか」


「本焼き後に大きく削るのは危険です」


「では水量を増やす?」


「毎回の使用水量が増えます」


「汚れを置く位置が悪いだけでは?」


「実際の利用でも、前方へ付着する可能性はあります」


 四回目。


 通常量。


 位置を少し変える。


 今度は流れた。


 五回目。


 同じ前方条件。


 ごく少量だけ残る。


「完全不合格ですか」


 リリアが尋ねる。


「洗浄後に目立つ量ではありません」


「でも残る」


「第一号より後方は改善しました。前方性能がわずかに下がっています」


「仕立屋へ納められる?」


 直人は考えた。


 汚れが大量に残るわけではない。


 通常使用では一回で流れる可能性が高い。


 しかし、標準便器として改善の余地がある。


「現行洗浄量で、実用範囲です」


「また条件付き?」


「ただし、清掃説明に前方確認を追加します。第三号では洗浄穴の向きを再調整します」


「二回流せばよいのでは?」


 オルドがいれば、そう言うかもしれない。


 だが、二回洗浄を通常運用にすれば、水量が倍になる。


「一回で流す設計を目指します」


 直人は結果を記録した。


 洗浄性能・合格。前方流れ改善対象。


          ◇


 封水保持試験。


 便器へ水を入れ、排水後の水位へ印を付ける。


 一刻待つ。


 水位に大きな変化なし。


 接続管の下に置いた白い紙も濡れていない。


「漏れなし」


 テオが言う。


「まだ一刻です」


「設置後は一晩試験します」


「工房では?」


「荷重試験後に、もう一度確認します」


 次は静荷重。


 便座を閉じる。


 砂袋一つ。


 二つ。


 三つ。


 四つ。


 五つ。


 六つ。


 便器と便座へ荷重がかかる。


「前回と同じ六袋です」


 ミーナが言う。


「標準試験にします」


「何袋分の人まで使える?」


 リリアが尋ねる。


「砂袋の重さと、人が動く力は単純には同じではありません」


「お客様へは何と説明するの?」


「通常の成人利用を想定。飛び乗る、上へ立つ、複数人で載ることは禁止」


「体重の上限は?」


 直人は答えに詰まった。


 正確な秤がない。


 砂袋一つの重量も、一定範囲でしか分からない。


「現時点では、数値で保証できません」


「大柄な客が使って割れたら?」


「通常の座り方であれば、砂袋六つまでの静荷重試験に合格したと説明します」


「砂袋の重さを、今後そろえる必要がありますね」


 エルンが言う。


「標準重量袋を作りましょう」


「中身は?」


「乾いた砂を、同じ容器で量ります」


「湿気で重さが変わる」


 ガルドが指摘する。


「焼いた陶器の重りを作る?」


 テオが提案した。


「割れるぞ」


「鉄は高い」


「石工へ同じ大きさの石を切ってもらう方法もあります」


 また基準道具が増える。


「今ある砂袋六つでは?」


「今回の検査には使えます。今後、工房間で同じ試験をするなら標準重りが必要です」


 六袋を載せたまま、半刻。


 便器に異常なし。


 便座の固定金具にも緩みなし。


「静荷重、合格」


 続いて反復荷重。


 ロッカの昇降装置を接続する。


 砂袋を指一本分上げる。


 落とす。


 どすん。


 一回。


 どすん。


 二回。


「便座の試験と同じ二百回ですか」


「今回は百回です」


 直人が答える。


「便座単体で二百回済んでいます。便器との接続状態では百回」


「現場で何回座れば百回になる?」


 リリアが尋ねる。


「九人の仕立屋なら、数日です」


「少なくない?」


「試験強度は実際より大きいです。ただし、長期耐久を保証する回数ではありません」


「設置後の記録で補う?」


「はい」


 百回。


 便器にひびなし。


 便座のぐらつきなし。


 底面の固定も動いていない。


「反復荷重、合格」


          ◇


 最後は、交換性の検査だった。


 第二号便器を試験台から外す。


 その後、ナーラ宅第一号の設計寸法を基に作った木製模型を載せる。


「第一号とは高さが違います」


 テオが言う。


「便器本体は違います。ただし、排水と固定部品をどこまで共通化できるか確認します」


 第一号は低型。


 第二号は標準型。


 排水口の中心位置も、完全には同じではない。


 模型を載せる。


 革管は接続できた。


 固定穴は合わない。


「便器を交換する場合、床の固定金具を変える必要があります」


 ロッカが言う。


「標準型同士なら共通にできます」


「低型と標準型は別規格?」


「現時点では」


「利用者が年を取り、標準型から低型へ変えたい場合は?」


 リリアが尋ねる。


「床工事が発生します」


「それは標準化できない?」


 直人は二つの固定位置を見た。


 排水中心を共通化。


 床側に複数の固定穴を持つ交換台を設置。


 その上へ便器を固定する。


「便器を床へ直接固定せず、共通の基台を置く方法があります」


「また新しい部品か」


 ガルドが言う。


「便器の型が変わっても、基台の上で位置を調整する」


「高さが増えるぞ」


 ロッカが指摘する。


「低型便器の目的と反対になります」


「では、低型用と標準型用は分けるしかありません」


「全部を共通にしようとするな」


 ガルドが言った。


「共通にすべき部分と、分ける部分がある」


 直人はその言葉を書き留めた。


「それも標準化です」


「またその言葉か」


「重要です」


 標準型第二号。


 低型第一号。


 すべてを同じにする必要はない。


 利用者の体に合わせて変える部分。


 施工を共通化する部分。


 交換可能にする部品。


 別規格として残す形。


「標準型同士の交換性は、第三号が完成しなければ確認できません」


 エルンが言う。


「同じ型の二台を比べる必要があります」


「第二号だけでは、標準品と証明できない?」


「一台目の標準型ですから」


「仕立屋へは、試験標準型として納めます」


 リリアが言った。


「契約書にも、初期標準品と書いてある」


「第三号と交換できるか、将来確認します」


「その時、仕立屋の便器を外すの?」


「木型と接続治具で比較できます。必要なら保守点検時に実物も確認します」


「オルドさんへ先に説明して」


「はい」


          ◇


 全検査が終わった頃には、外が暗くなり始めていた。


 検査表には、多くの印が並んでいる。


 外観。


 色むらあり。性能影響なし。


 ひび。


 確認されず。


 打音。


 合格。


 底面。


 軽微な歪み。補正後、許容範囲。


 排水接続。


 現行革管方式で合格。中心位置は改善目標範囲外。


 便座固定。


 穴内釉薬を補正。交換性合格。


 通水。


 合格。前方洗浄流は改善対象。


 封水。


 保持。


 漏水。


 確認されず。


 静荷重。


 合格。


 反復荷重。


 合格。


「不合格ではないが、直した場所と改善点が多いですね」


 テオが言った。


「だから、全部記録します」


 直人が答える。


「売ってよいのか?」


 ガルドが尋ねた。


 冗談ではない。


 製造責任者として、本気で聞いている。


「安全項目は合格しています」


「補正した場所もある」


「補正後に再検査しました」


「洗浄は完璧ではない」


「通常使用範囲では機能します。第三号で改善します」


「なら、合格か」


 直人は検査表の最後を見た。


 総合判定。


 まだ空欄である。


「水務局の立会意見は?」


 エルンが答える。


「試験設備として、仕立屋への設置を認めます。ただし、三十日間の運用記録、毎日の漏水確認、週一回の固定点検を条件とします」


「商会の判定は?」


 リリアが尋ねる。


「設置可能です」


「製造責任者は?」


 全員がガルドを見る。


 ガルドは第二号便器の縁を撫でた。


 色むら。


 補正した底。


 削った固定穴。


 第一号から変えた洗浄穴。


 弟子が成形した鉢。


「合格だ」


 テオの顔が明るくなる。


「ただし」


 ガルドが続けた。


「第三号は、もっと良くする」


「はい!」


「お前が鉢を作れ」


「僕が?」


「第二号と同じ型だ」


「接合も?」


「排水路の接合は俺がやる。縁の水路は、お前がやれ」


「はい!」


「失敗すれば作り直しだ」


「はい!」


「返事だけは立派だな」


 テオは笑った。


 直人は検査表の総合判定欄へ書いた。


 試験標準型第二号――条件付き製品合格。


「また条件付きか」


 リリアが覗き込む。


「三十日間の試験運用があります」


「商品名には書かないでよ」


「契約書と説明書には書きます」


「販売用の札には?」


「標準型水洗便器・第二号」


「色の名前は?」


 リリアは便器の淡い釉薬を見た。


 白に近い。


 しかし、光の角度によって青灰色が浮かぶ。


「月白色」


「げっぱく?」


 ミーナが繰り返す。


「月の光みたいな白」


「銀月衛生商会に合いますね」


「でしょう?」


「標準釉薬候補第二配合、では駄目ですか」


「絶対に駄目」


 リリアは検査表とは別の販売札へ書いた。


 月白の標準便器。


「製品名は、それでいきます」


「暖かそうな名前ではないな」


 ガルドが言う。


「便座は通常型です。ぬくもり便座ではありません」


「金鹿亭用と分けられるわ」


「仕立屋に月白。金鹿亭に月白とぬくもり便座」


「高級仕様らしくなる」


 商売の形も、少しずつ整っていく。


          ◇


 翌朝。


 第二号便器は、厚い藁と布で包まれた。


 木枠の運搬台。


 底を支える弾樹材。


 左右の揺れ止め。


 前後の固定帯。


「持ち上げます」


 直人、ガルド、テオ、ロッカの四人で荷車へ載せる。


「道の石を避けろ」


 ガルドが御者へ言う。


「急に止まるな」


「坂道は後ろから支えます」


 ロッカが太い縄を持つ。


「雨が降った場合は?」


「今日は晴れです」


「途中で変わる可能性があります」


 リリアが防水布を荷車へ載せた。


「準備済み」


「完璧です」


「搬入が終わる前に言わない」


 荷車の前には、銀月衛生商会の小さな札が付けられた。


 大げさな宣伝ではない。


 運搬中の設備へ、無関係な者が触れないようにするための表示だ。


 割れ物。触らないでください。


 その下に、便器と水滴の絵。


「鍋に見えないでしょうか」


 ミーナが心配そうに聞く。


「今日は便器そのものが載っています」


 直人が答える。


「布で見えないわ」


「では、説明文字で判断してもらいます」


「読めない人は?」


「触らない手の絵を追加しましょう」


「出発前に増やすの?」


「安全表示です」


 リリアが墨で、手と大きな斜線を描いた。


「これでいい?」


「分かりやすいです」


「本当に、最後まで追加があるわね」


          ◇


 《金糸の針》の前には、オルドと職人たちが待っていた。


「遅い!」


 荷車が見えた瞬間、オルドが叫ぶ。


「予定日の朝です」


 リリアが答える。


「昨日持ってくると思っていた」


「昨日は総合検査です」


「もう使えるのだな?」


「今日は搬入と床・排水工事。使用開始は設置後の一晩漏水試験を終えてからです」


「まだ使えないのか!」


「契約時に説明しました」


「便器が来れば使えると思うだろう!」


「床の上へ置いただけでは流れません」


 オルドは言い返そうとして、荷車の上の木枠を見た。


「これが、うちの便器か」


「はい」


 固定帯を外す。


 防水布。


 厚布。


 藁。


 一枚ずつ取り除く。


 月白色の便器が朝日を受けた。


 仕立屋の職人たちから、声が上がる。


「白い」


「ナーラさんのより大きい」


「きれいな色」


「本当に、これを使うの?」


 オルドも言葉を失っていた。


 料金。


 工期。


 契約。


 何度も不満を口にしていた店主が、完成した便器を前に黙っている。


「色むらがあります」


 直人が正面左側を示した。


「これか?」


「はい。性能への影響はありません。ひびではないことも確認済みです」


「言われなければ分からん」


「引き渡し前に説明します」


「値引きは?」


 リリアが先に答えた。


「検査基準内の外観差です。契約価格は変わりません」


「聞いただけだ」


「顔が本気だったわ」


 オルドは便器の縁へ触れようとした。


「まだ触らないでください」


 直人が止める。


「私が買ったのだぞ」


「荷車上では不安定です」


「設置後なら?」


「引き渡し説明の後です」


「金を払っても、すぐ触れない物があるのか」


「安全に置かれるまでは、商品ではなく搬入物です」


 ガルドが横で笑った。


「面倒だろう」


「作った本人が言うのか」


「俺も毎日言われている」


          ◇


 便器を搬入する前に、直人は改修予定の物置へ入った。


 床板はまだ外されていない。


 白い施工線。


 排水口予定位置。


 手洗い。


 貯水槽。


 将来二台目用の主管分岐。


「今日の作業は、予定どおりです」


 ロッカが言った。


「まず床を開ける」


「その後、排水主管」


 ボルグが続ける。


「夕方までに便器を仮固定できるか?」


「床下に問題がなければ」


 直人が答える。


「問題がある可能性は?」


 オルドが尋ねた。


「古い建物なので、図面にない梁や水路が出る場合があります」


「また不安になることを言う」


「開ける前には分かりません」


「昨日までに開けておけばよかっただろう」


「便器が検査不合格だった場合、長期間便所予定地を使えなくなります」


「だから便器の合格後に床を開ける?」


「はい」


 ロッカが最初の床板へ工具を差し込んだ。


 釘を外す。


 板を持ち上げる。


 暗い床下。


「灯りを」


 ミーナが光球を出した。


 梁。


 乾いた土。


 古い布くず。


 そして、施工線の真下を横切る太い木材。


「梁があります」


 テオが言った。


「図面にはなかった」


 オルドが覗き込む。


「昔、この物置を広げた時に追加したのかもしれん」


 排水管を通す予定位置と、梁が重なっている。


「梁へ穴を開ければよい」


 オルドが言う。


「駄目です」


 直人とロッカが同時に答えた。


「なぜだ」


「床を支える梁です」


 ロッカが木材を叩く。


「これを削れば、上の作業場まで沈む可能性がある」


「管を曲げれば?」


 ボルグが床下へ身を入れる。


「傾斜が取れなくなる」


 排水管は、汚物と水が自然に流れる傾斜を保つ必要がある。


 梁を避けて上へ曲げれば、水がたまる。


 下へ回すには、床下の深さが足りない。


「便器の位置を変えます」


 直人が言った。


「どこへ?」


「壁側へ指八本分ほど移動すれば、梁の横を通せます」


「図面と違う」


「現場条件に合わせます」


「個室が狭くならないか」


 女性職人のマイラが尋ねた。


 便器を壁側へ寄せすぎれば、肩や肘が当たる。


 衣服掛け。


 布箱。


 手洗い。


 扉の開き。


 すべてへ影響する。


「試座をやり直します」


「今から?」


「便器は床へ置かず、木製模型で確認します」


「本物があるのに?」


「固定前の便器へ座らないでください」


 オルドが天井を仰いだ。


「便器は来た。床も開けた。まだ座れない」


「正しい位置が決まるまでは」


 直人は手帳へ新しい線を引いた。


 搬入初日。


 図面になかった梁。


 便器位置の再調整。


 同じ型で作った便器が合格しても、同じ図面どおりに現場へ置けるとは限らない。


 製品を標準化しても、建物まで同じにはならない。


 町へ便器を広げるには、工房の基準だけでなく、現場で変更するための基準も必要だった。


「ナオト」


 リリアが尋ねる。


「今日中に仮固定できそう?」


 直人は梁と床と便器予定位置を見比べた。


「安全を削らなければ、難しいです」


 オルドが大きく息を吸った。


「納期は今日だぞ!」


「完成予定日は、設置開始から二日後です」


「今日使えるとは書いていない?」


「書いていません」


 リリアが契約書を開く。


「搬入、床工事、配管、設置、一晩試験。予定どおりなら、明後日の朝に引き渡し」


「本当に書いてある……」


「説明もしたわ」


「覚えていない」


「次から、重要部分は声に出して復唱してもらう?」


 直人が手帳を開く。


「それも記録します」


「今は書かなくていい!」


 仕立屋の作業場に、オルドとリリアの声が響いた。


 月白色の第二号便器は、まだ荷車の上。


 製品検査には合格した。


 しかし、設置工事は始まったばかりだった。

標準型第二号便器は、外観、寸法、接続、便座交換、通水、封水、荷重、反復荷重の総合検査を受けました。


軽微な底面の歪みや固定穴の釉薬付着、排水中心のずれは補正され、安全項目に合格しました。


ただし、洗浄流や製造精度には改善点が残るため、三十日間の試験運用を条件に仕立屋へ納品します。


搬入先では、図面にない床下梁が排水経路を塞いでいました。


次回は、便器の位置、手洗い、扉、排水管をすべて見直し、現場変更によって新たな事故を生まない施工を進めます。

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