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トイレ販売員、異世界で水洗便器を売る ~ウォシュレットを設置したら王妃と魔王から指名されました~  作者: たむ
第1章 異世界に、最初の便器を

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第28話 聖水をかけても、汚物は消えません

治療院とハンナ宅の緊急改善を確認した教会から、共同便所の調査依頼が届きました。


礼拝の日には、百人を超える人々が利用する施設です。


しかし教会では、臭いや汚れを「聖水と香草で清める」方法が長く続けられていました。

 白石教会の鐘は、町のどこにいても聞こえた。


 高い鐘楼。


 白い石壁。


 正面には大きな両開き扉。


 礼拝堂へ続く階段の両側には、季節の花が植えられている。


 町の中心にある建物の中でも、特に手入れが行き届いていた。


「きれいな場所ですね」


 ミーナが見上げる。


「表はね」


 リリアは教会の裏手へ視線を向けた。


「問題があるのは共同便所でしょう?」


「見ていないうちから決めないでください」


 陶山直人が言う。


「治療院の神官が、かなり困った顔で依頼に来たのよ」


「困っていることと、危険であることは分けて確認します」


「はいはい。現場を見るまで決めない」


「覚えてくれましたね」


「何度聞いたと思っているの」


 今回の調査には、直人、リリア、ミーナ、ボルグ、ロッカが参加している。


 便器製造を担当するガルドは来ていない。


 仕立屋用の第二号便器が窯へ入ったばかりで、工房を離れられなかったからだ。


 代わりにテオが焼成記録を取り、炎の色が変われば親方を呼ぶことになっている。


「便器の数だけ聞いて帰ってこい」


 出発前、ガルドはそう言った。


「新しい形を思いつくな」


 直人は返事をしなかった。


 必要なら考えるためである。


          ◇


 教会の正面玄関では、若い神官が待っていた。


 名前はセイル。


 治療院とハンナ宅を確認した人物で、二十代後半ほどの細身の男性だった。


「お待ちしておりました」


「陶山直人です。共同便所と、その周辺設備を確認します」


「よろしくお願いいたします」


「最初に、利用状況を教えてください」


 直人は手帳を開く。


「通常日は、神官、修道士、教会で働く者を合わせて二十七人ほどです」


「礼拝日は?」


「百人から百五十人。祝祭日は、二百人を超えることもあります」


 リリアが目を見開いた。


「二百人?」


「すべての方が便所を使うわけではありません」


「それでも多いです」


 直人は続ける。


「共同便所は何か所ですか」


「男性用が一棟、女性用が一棟。それぞれ穴が三つあります」


「六人が同時に使える?」


「一応は」


「一応?」


 セイルは言いにくそうに目を伏せた。


「現在、女性用の一つが使用停止になっています」


「理由は?」


「床が沈みました」


「いつですか」


「十日前です」


「修理は?」


「板を載せ、立入禁止の縄を張っています」


「床下は確認しましたか」


「大工を呼ぶ予定でした」


 ロッカがため息をつく。


「十日も床が沈んだままか」


「礼拝の準備が続いておりまして」


「穴の横で床が沈んだなら、優先して見た方がいい」


 直人は赤い印を手帳へ付けた。


「まず使用停止箇所から確認します」


「その前に、大神官へご挨拶を」


「危険があるなら、先に便所を見ます」


 セイルが困った顔をした。


「正式な依頼主は大神官です」


「挨拶は必要です。でも、床がさらに崩れる可能性があります」


 リリアが静かに補足する。


「調査を始めてから、結果を持って大神官へお話しする方がいいわ」


「分かりました」


 セイルはうなずいた。


「こちらです」


          ◇


 共同便所は、礼拝堂の裏に建つ細長い石造りの小屋だった。


 男性用と女性用の間には、香草を干す棚。


 入口の上には、それぞれ青と赤の布が掛かっている。


 外から見た限り、古いが崩れかけてはいない。


 しかし、近づくにつれて、強い香りがした。


「ずいぶん香草を使っていますね」


 ミーナが鼻を押さえる。


「臭いを清めるためです」


 セイルが答えた。


 香草。


 香油。


 煙。


 それらが汚物の臭いと混ざり、かえって重い空気を作っている。


「臭いそのものが消えているわけではありません」


 直人が言う。


「教会では、昔から香草を焚いています」


「悪い習慣だとは言いません。ですが、香りを重ねても、汚れは残ります」


 女性用便所の入口には、二人の女性が並んでいた。


 内部は三つの区画に分かれている。


 腰ほどの高さの木壁。


 布の仕切り。


 床には三つの穴。


 一番奥には、縄が張られていた。


「使用中の方が出るまで待ちます」


 直人たちは外へ下がった。


 一人目が出る。


 二人目が入る。


 さらに三人が並ぶ。


「通常日でも、このくらい待ちますか」


「昼の祈り前後は混みます」


 セイルが答えた。


「礼拝日は?」


「列が裏庭まで続きます」


「男性用も?」


「女性用ほどではありません」


「子どもは?」


「保護者と一緒に並びます」


「高齢者や杖を使う人は?」


「先に入れてもらうことがあります」


「決まった優先規則は?」


「周囲の善意に任せています」


 善意があれば譲られる。


 だが、必ず譲られるとは限らない。


 排泄を我慢できない人が、自分から声を上げられるとも限らない。


「礼拝に遅れる人もいますか」


「おります」


「便所へ並んだことで?」


「はい」


 セイルは申し訳なさそうに答えた。


「祈りの場へ来た者を、便所の列で待たせているのです」


          ◇


 利用者が出た後、女性用便所を閉鎖して内部調査を始めた。


「礼拝前に再開できますか」


 セイルが尋ねる。


「状態を見てからです」


 床へ薄い板を敷き、荷重を分散させながら進む。


 一番奥。


 使用停止中の穴。


 縄の内側では、床板が指三本分ほど沈んでいた。


 ロッカが木槌で周囲を叩く。


「音が悪い」


「腐っていますか」


「下から湿気を吸っている」


 床板を一枚外す。


 直人とロッカが同時に顔を背けた。


 下から、強烈な臭いが上がる。


「水膜を張ります」


 ミーナが杖を掲げた。


 薄い水の膜が作業者の顔周りを覆う。


 ボルグが穴の中を灯りで照らした。


「ひどいな」


 便所の下には、石積みの大きな溜め槽がある。


 三つの穴が一つの槽へつながっていた。


 汚物だけではない。


 大量の灰。


 香草。


 布。


 木片。


 白く濁った水。


「この白い水は?」


 直人が尋ねる。


「聖水です」


 セイルが答えた。


「毎朝と礼拝後、清めのために便所へ注ぎます」


「どのくらい?」


「大桶二杯ほどを、男女それぞれへ」


「毎日?」


「はい」


 ボルグが額を押さえた。


「それで槽が早く満杯になる」


「聖水で汚れを薄めているのでは?」


「薄めても、量は減らん」


 ボルグは棒を槽へ入れた。


 底へ届く前に、柔らかな層へ当たる。


「布と香草が絡まっている」


「聖水をかければ、清められると教えられてきました」


 セイルの声には、戸惑いがあった。


 直人は宗教そのものを否定しないよう、言葉を選ぶ。


「聖水を使う意味は、信仰の中にあると思います」


「はい」


「でも、物としての汚物や布は消えません」


「神の加護でも?」


「加護を否定しているのではありません」


 直人は溜め槽を示した。


「実際に、ここへ残っています」


 白く濁った水。


 積み重なった布。


 腐った香草。


 湿気を吸った床板。


「清めの儀式と、設備の清掃を分けましょう」


「分ける?」


「祈りや聖水は、信仰として行う。ただし、溜め槽の量、床の乾燥、汲み取り、布の分別は、設備管理として別に行います」


「聖水をやめろということではない?」


「使用量と場所を変える必要はあります」


「便所へ流さない?」


「入口の手洗いや、清掃後の儀式へ少量使う方法があります」


 セイルは考え込んだ。


「大神官へ相談が必要です」


「もちろんです」


          ◇


 沈んだ床の原因は、溜め槽から上がる湿気だけではなかった。


 便所の外壁沿いに、細い水路がある。


 礼拝堂の屋根から落ちた雨水を流すための溝だ。


 しかし、途中で香草の茎と落ち葉が詰まり、水が便所側へあふれていた。


「雨が降ると、この壁が濡れますか」


 ロッカが尋ねる。


「強い雨の日は」


「壁の下から床組みへ水が入っている」


「溜め槽の湿気と、外からの雨水。両方ですね」


 直人が言う。


「板だけ交換しても、また腐る」


 ロッカは壁の下部を示した。


「雨水溝を直し、床下へ風を通す穴を作る必要がある」


「風穴から臭いが出ませんか」


 セイルが尋ねる。


「槽と床下を分ける」


「今は分かれていない?」


「隙間だらけだ」


 ロッカが腐った板の下を指した。


 床を支える梁の一部まで黒く変色している。


「今日中の再開は無理です」


 直人が言った。


「一つの穴だけではなく?」


「奥の区画全体を閉鎖します」


「礼拝日が二日後です」


「安全な二つだけで運用し、仮設便所を追加します」


「二百人来る可能性があります」


「だから、仮設が必要です」


「何台?」


 直人は利用記録を確認した。


 通常日の列。


 礼拝日の人数。


 男女比。


 高齢者。


 子ども。


「少なくとも、座位式の仮設便所を女性用二台。男性用一台。高齢者や歩行困難者が使える共用便所を一台」


「四台?」


 セイルが驚く。


「水洗便器ではありません。ハンナさん宅で作った交換式密閉便壺の仕組みを使います」


「神殿で支援した設備ですね」


「はい。標準化を始めたところです」


「二日で作れますか」


 ロッカが腕を組む。


「椅子部分は二台分なら端材がある。残りは簡易型になる」


「便壺は?」


 ボルグが言う。


「処理場に六つある。蓋の調整が必要だ」


「回収は礼拝中にも行えますか」


「人目のある場所を運ぶのか?」


「裏側に専用動線を作ります」


「一日二回ならできる」


「利用者から見えないよう囲いが必要ですね」


 リリアが図を描き始めた。


「仮設便所の場所、列、回収路を分ける」


「礼拝の列と便所の列も分けてください」


 直人が言う。


「入口が混ざると、転倒や混乱が起きます」


 便所工事だけではない。


 二日後の礼拝日を安全に運営する計画が必要になった。


          ◇


 男性用便所も調査した。


 床はまだ沈んでいない。


 だが、溜め槽の状態は女性用と同じだった。


 灰。


 香草。


 布。


 聖水。


 さらに、小さな木札や紐まで入っている。


「これは何ですか」


 直人が木札を拾う。


 表面に、祈りの言葉が書かれていた。


「罪や悩みを書き、便所へ捨てる者がいるのです」


 セイルが答えた。


「教会の正式な儀式ですか」


「違います」


「なぜ止めない?」


「人に見られたくない悩みを、汚物とともに捨てれば消えるという噂があります」


「消えていません」


 ボルグが木札を持ち上げる。


「槽の中へ残っている」


「掲示を付けましょう」


 直人は言った。


「便所へ入れてよいものを、絵で示します」


「祈り札を捨てる専用箱も必要ね」


 リリアが提案する。


「見られたくない内容なら、封をして焼却する仕組みは?」


 セイルが答えた。


「教会には祈願札を焚く炉があります」


「便所ではなく、そちらへ持っていけるよう案内してください」


「罪を捨てる箱、という名前にすれば利用されるかもしれません」


「設備としては、紙や木札を便所へ入れないことが目的です」


「人の気持ちも考えなさい」


 リリアが直人を見た。


「ただ禁止するより、代わりの場所を作る方が守られる」


「赤鍋亭の脂と同じですね」


「悩みと脂を同じにしないで」


「処理方法の考え方です」


          ◇


 手洗い場は、便所から離れた礼拝堂脇にあった。


 石の水盤へ水が張られている。


 利用者は同じ水へ手を入れ、清めてから礼拝堂へ入る。


「これは手洗いですか。それとも清めの儀式ですか」


 直人が尋ねる。


「両方です」


「水は交換しますか」


「朝と礼拝後に」


 百人以上が同じ水へ手を入れる。


「汚れた手を、この中へ直接入れます?」


「はい」


「流れる水へ変えられませんか」


「水盤へ触れることに意味があります」


 セイルが答えた。


 信仰上の形式を無視して、単に別の設備へ変えることはできない。


「水盤へ触れる前に、便所用の手洗いを設けましょう」


「二度洗う?」


「最初に汚れを落とす。次に、水盤で清める」


「手順が増えます」


「役割が違います」


 便所の出口に、小型の給水壺を置く。


 栓を開けば、手を入れた水が戻らず、下の受け桶へ落ちる。


 石けん草液。


 乾燥布。


 その後、礼拝堂前の水盤で儀式を行う。


「信仰と衛生を分ける」


 セイルが先ほどの言葉を繰り返した。


「対立させる必要はありません」


「衛生のために儀式をやめるのではない」


「はい。汚れを落としてから儀式を行えば、水盤も汚れにくくなります」


「大神官へ、そう説明します」


          ◇


 大神官エルダは、礼拝堂奥の小会議室で調査報告を聞いた。


 六十歳を越えた女性で、白い法衣の上に銀色の肩掛けをまとっている。


 柔らかな表情をしていたが、話を聞く目は鋭かった。


「便所が信仰の場を汚している、と申すのですか」


「そうは言っていません」


 直人は答えた。


「設備の管理方法に、危険があります」


「聖水を便所へ注ぐことも?」


「聖水の宗教的な意味は、俺には判断できません。ただ、物理的には汚物や布を消せません」


「神の御力を疑う?」


 会議室の空気が硬くなる。


 リリアが口を開こうとしたが、直人は自分で続けた。


「祈りによって、人の心が軽くなることはあると思います」


「ほう」


「でも、重い便壺を運ぶ人の腰は、祈っただけでは軽くなりません」


 大神官の眉がわずかに動く。


「だから、運ばなくてよい仕組みを作ります。転ばない床を作ります。汚れた水を飲み水から離します」


「信仰を否定せず、人の手でできることを行う?」


「はい」


「では、聖水は無意味か」


「意味の置き場所を変えるべきだと思います」


 直人は調査図を広げた。


「便所の中へ大量に流すのではなく、清掃を終えた後、入口や手洗い場を清める儀式へ使う。量も減らせます」


「聖水を節約するというのか」


「聖水を作るにも、水を運ぶ人がいますよね」


 大神官はセイルを見る。


「誰が運んでいる?」


「修道見習いたちです」


「一日、大桶四杯?」


「男女の便所を合わせれば」


「礼拝後は追加することもあります」


「その時間を、床の点検や手洗い場の管理へ使えます」


 直人が言う。


 大神官はしばらく黙った。


「私は、便所へ聖水を注げば清められると教わった」


「目に見える汚れは、清掃が必要です」


「耳の痛い話だ」


「申し訳ありません」


「謝る必要はない」


 大神官は息を吐いた。


「治療院の井戸を見た神官からも、同じような報告を受けた。清めの言葉を唱えていても、便壺は自ら歩いて処理場へ行かぬ、と」


「はい」


「ハンナの壺も、神の手ではなく回収人が運んでいる」


 ボルグが少し驚いて大神官を見る。


「その回収人を、教会は長く低い仕事の者として扱ってきた」


 大神官は続けた。


「汚れへ触れる者は、神聖な場所へ近づけぬと」


 ボルグの表情が固くなる。


 教会の礼拝堂には、汚物回収者が入れない区画がある。


「しかし、その者たちが働かなければ、我々の便所は十日も保たぬ」


「三日だ」


 ボルグが言った。


 全員が彼を見る。


「礼拝日が続けば、三日であふれる」


 大神官は小さく笑った。


「三日か」


「香草と聖水まで入れるからな」


「耳が痛い」


「事実だ」


「ボルグ殿」


 大神官は椅子から立ち上がった。


 そして、深く頭を下げた。


「教会の清潔を支えてきた仕事へ、正当な敬意を払わなかったことを詫びる」


 ボルグは動かなかった。


「今ここで頭を下げても、回収人の扱いは変わらん」


「変える」


「言葉だけなら、何度も聞いた」


「では、契約へ書こう」


 リリアがすぐに反応した。


「汚物回収と清掃を、正式な衛生管理業務として契約する。作業料金、立入場所、手洗い設備、防護具、休憩場所を明記する」


 大神官はうなずく。


「教会の裏門から入れ、仕事を終えたら追い出す今の方法も改める」


「礼拝堂へ入れろとは言わん」


 ボルグが答える。


「だが、仕事中に水を飲む場所くらいはほしい」


「用意する」


「手袋もだ」


「用意する」


「古い桶を押しつけるな」


「新しいものを購入する」


 ボルグは少しだけ目を細めた。


「なら、契約書を見てから決める」


「それでよい」


          ◇


 教会の緊急改善案は、その日のうちに決まった。


 一、沈下した女性用便所の一室を完全閉鎖。


 二、床、梁、雨水溝、換気を改修。


 三、二日後の礼拝へ向け、交換式仮設便所を四台設置。


 四、便所へ大量の聖水を流す習慣を一時停止。


 五、布、祈り札、香草、灰を分別する。


 六、便所出口へ流れる手洗い設備を設置。


 七、礼拝堂前の水盤は、衛生手洗い後の儀式用とする。


 八、ボルグたちと正式な汲み取り・点検契約を結ぶ。


 九、高齢者、妊婦、歩行困難者の優先列を作る。


 十、水洗便所導入の現場調査を続ける。


「最後の水洗便所は、何台必要ですか」


 大神官が尋ねた。


「まだ決められません」


 直人は答えた。


「礼拝日の利用回数を記録します」


「百人以上へ、木玉を動かさせるのか?」


「入口の案内係が数えます」


「男女別、時間帯別?」


「高齢者向け仮設便所の利用数もお願いします」


「記録係が必要だな」


「見習い神官へ任せましょう」


 セイルが言う。


「聖水を運んでいた時間を使えます」


 大神官がうなずいた。


「清めの仕事が、数える仕事へ変わるか」


「設備を安全にするための仕事です」


 直人が言う。


「それもまた、人を守る行いでしょう」


「便器屋に説教されるとは思わなかった」


「説教ではありません」


「分かっている」


 大神官は笑った。


          ◇


 教会を出る頃には、日が傾いていた。


 裏庭では、ロッカが腐った床板を外している。


 ボルグは溜め槽から布と木札を取り除く作業計画を立てていた。


 ミーナは仮設手洗い用の水槽位置を確認している。


 セイルと見習い神官たちは、聖水用大桶の代わりに、仮設便所用の囲い板を運び始めた。


「教会へ便器を売る話になると思ったわ」


 リリアが言った。


「まだ売っていません」


「でも、最後には注文になるでしょう?」


「利用記録と処理槽を見てからです」


「便器が何台必要だと思う?」


「通常運用なら二台から三台。礼拝日は仮設を追加する方が現実的かもしれません」


「六台全部を水洗にしない?」


「年に数回の最大人数だけを基準に、常設便器を増やすと、普段は使われない設備へ保守費がかかります」


「必要な時だけ仮設を増やす」


「はい」


「大きな施設でも、常設だけで全部を解決しないのね」


「利用の波がありますから」


 祝祭日。


 通常日。


 夜間。


 冬。


 行事。


 必要な数は、日によって変わる。


「水洗二台と、交換式仮設四台?」


「現時点の仮案です」


「ガルドが聞いたら、二台で安心するかしら」


「仮設便壺も陶器製です」


「結局、仕事は増えるのね」


          ◇


 銀月亭へ戻ると、ガルドの工房から煙が上がっていた。


 第二号便器の素焼きが続いている。


 直人たちが工房へ入ると、テオが窯の前に座っていた。


「どうですか」


「予定どおりです」


「炎の色は?」


「親方に交代する前と同じ範囲です」


「異音は?」


「ありません」


 ガルドは腕を組み、窯を見ている。


「教会は何台だ」


 直人を見るなり尋ねた。


「まだ確定していません」


「何台になりそうだ」


「常設水洗便器は二台か三台。仮設便所用の交換壺が最低八個ほど」


「増えておるではないか!」


「便器本体は二台か三台です」


「壺も焼き物だ!」


「別の陶工へ依頼する方法もあります」


 工房の空気が凍った。


「何だと?」


 ガルドの声が低くなる。


「便器の製造へ集中してもらうため、交換壺は別工房へ――」


「俺の便器に合う壺を、ほかの陶工が作るのか」


「交換式座位便器は木製椅子なので、便器本体とは別です」


「だから任せろと言うのか?」


「製造方法を標準化し、複数工房で作れる方が――」


「見本を持ってこい」


「え?」


「俺が寸法と釉薬を決める。その後、簡単な部分だけ別工房へ渡す」


「協力してくれるんですか」


「勝手な壺を作られて、漏れたら俺の便器まで悪く言われる!」


 理由は怒っているように聞こえる。


 だが、他工房との分業を完全には拒否しなかった。


「品質基準をガルドさんが作る?」


「そうだ」


「検査方法も?」


「お前が考えろ」


「分かりました」


「仕事を増やすな!」


「今、ガルドさんが頼みました」


「口答えするな!」


 工房に怒声が響く。


 その直後。


 窯の中から、低い音がした。


 ぴしっ。


 全員が黙った。


 第一号の時に聞いた破裂音ほど大きくない。


 だが、陶器か窯道具が鳴った音であることは間違いなかった。


「親方……」


 テオの顔が青ざめる。


 ガルドは窯の火を見る。


「火を急に落とすな」


「第二号が割れた可能性は?」


 直人が尋ねる。


「分からん」


「また窯を開けられない?」


「当たり前だ」


 第二号便器は、テオが初めて鉢を成形した標準型である。


 仕立屋が待っている。


 契約金も受け取っている。


 この一台が失敗すれば、施工予定全体が遅れる。


「記録を確認します」


 テオは震える手で、薪の量と炎の色を見た。


「予定から外れていません」


「なら、そのまま続けろ」


「僕の成形が悪かったのでしょうか」


「まだ決めるな」


 ガルドが強い声で言った。


「窯を開ける前に、自分の失敗だと決めるな」


 それは第一号の焼成時、何も確認できないまま不安を抱えた直人にも必要だった言葉だ。


「音がしたことだけ記録しろ」


「はい」


「原因は、見てからだ」


「はい」


 テオは記録紙へ時刻を書いた。


 教会の便所では、聖水をかければ清められたと考え、目に見える危険が長く残されていた。


 工房では、音がしたから失敗だと決めつけそうになる弟子を、親方が止めた。


 信じることと、確認すること。


 どちらか一方だけでは、設備も人も守れない。


 直人は窯の炎を見つめた。


 仕立屋用便器第二号が無事なのか。


 その答えは、また窯が冷えるまで分からない。


 そして二日後には、二百人が訪れるかもしれない教会の礼拝が迫っていた。

白石教会では、礼拝日に百人から二百人が共同便所を利用していました。


しかし、聖水、香草、灰、布、祈り札まで溜め槽へ入れられ、雨水と湿気によって床も腐食していました。


直人たちは信仰上の清めと、物理的な清掃・汲み取りを分け、礼拝日に向けて四台の交換式仮設便所と流れる手洗い設備を準備します。


一方、仕立屋用の第二号便器を焼く窯から、再び不穏な音が響きました。


次回は教会の大規模礼拝を仮設便所で支えながら、窯から第二号便器を取り出します。

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