第20話 二台あれば足りるとは限りません
一般家庭用の第一号便器は、ナーラの暮らしを支える設備として動き始めました。
続いて相談を受けたのは、八人の職人が働く仕立屋です。
二台設置すれば解決するように見えましたが、家庭と職場では、便所の使われ方が大きく異なります。
午後の鐘が鳴る前に、陶山直人たちは仕立屋へ到着した。
店の名は《金糸の針》。
大通りに面した二階建ての建物で、一階の窓には色鮮やかな服が飾られている。
店内へ入ると、壁一面に布地が積まれていた。
赤。
青。
緑。
金糸を織り込んだ高級布から、仕事着に使う丈夫な麻布まで、種類も価格も幅広い。
奥の作業場では、六人の職人が長机を囲んでいた。
布を裁つ者。
針を動かす者。
寸法を測る者。
完成した服へ飾りを縫い付ける者。
誰も手を休めていない。
「よく来てくれた」
店主のオルドが直人たちを迎えた。
五十歳前後の細身の男で、首から複数の巻き尺を下げている。
「陶山直人です。便所の現場調査に来ました」
「リリアです。契約と費用を担当します」
「ガルドだ」
「ミーナです」
「今日は四人か」
「排水先によっては、ボルグさんにも確認を頼みます」
「便器を置くだけではないのだな」
「置くだけなら、今ここへ持ってきます」
直人が答えると、オルドは笑った。
「噂どおり、細かい職人らしい」
「どの噂でしょうか」
「便器を売る前に床を壊し、売った後も毎朝見に来る」
「間違ってはいません」
「便所が詰まると、客より先に自分の不備を探すとも聞いた」
「それも必要です」
「商人としては変わっているな」
「施工担当者です」
「リリアから便器を買うなら、リリアが商人で、お前が職人ということか?」
直人とリリアは顔を見合わせた。
事業の役割は、まだ完全には決まっていない。
「現時点では、銀月亭が契約窓口です」
リリアが答えた。
「ナオトが現場調査と設計、施工管理。ガルドが便器製造。ほかの職人には、必要な部分を依頼します」
「ずいぶん大がかりだ」
「二台注文するなら、なおさらです」
「まず現場を見せてください」
直人は手帳を開いた。
「従業員は八人と聞きました」
「私を含めれば九人だ」
「男女の内訳は?」
「男が三人。女が六人」
「営業時間は?」
「日の出の二刻後から、日没前まで。繁忙期は夜まで働く」
「全員が同時に休憩しますか」
「昼食は二組に分けている」
「便所を使う時間は?」
「そんなものまで聞くのか?」
「利用が集中する時間を知る必要があります」
オルドは作業場を振り返った。
「朝、仕事を始める前。昼食の前後。帰る前だな」
「一人が使用する時間は?」
「知らん」
「従業員の方にも聞いてよいですか」
「構わんが、便所の時間を答えたがる者がいるとは思えんぞ」
直人は作業場へ向き直った。
「普段の便所について、不便なことだけ教えてください。誰が何分使うかを、全員の前で答える必要はありません」
針を動かしていた若い女性が手を挙げた。
「朝は並びます」
「何人くらいですか」
「多い時は三人」
別の男性職人が言う。
「一人が腹を壊すと、しばらく誰も使えない」
「便所は一か所ですか」
「表向きは一つだ」
オルドの返答に、直人は引っかかった。
「表向き?」
「裏に壺を置いた物置がある。急ぐ時は、そちらを使う」
「男女共用ですか」
「どちらもだ」
「鍵は?」
「便所にはある。物置は外へ見張りを立てる」
女性職人たちの表情がわずかに曇った。
直人はそれ以上、その場では詳しく聞かなかった。
「現場を見せてください」
◇
仕立屋の裏庭は、予想より狭かった。
建物の背後に、細長い通路。
片側に薪と染料の樽。
反対側に古い便所小屋。
奥には井戸がある。
「井戸と便所が近いですね」
「銀月亭ほどではない」
オルドが答える。
直人は距離と高さを確認した。
便所は井戸よりわずかに低い。
地面も井戸から便所とは反対方向へ傾いている。
すぐに汚染すると断定できる配置ではない。
だが、余裕があるとも言えなかった。
「便所の下は?」
「大壺だ。三日に一度、汲み取りを頼んでいる」
便所小屋の床には穴が一つ。
その下へ大型の陶器壺が置かれている。
利用者が多いため、パン屋よりはるかに大きい。
壺を交換するための扉が便所の裏側にある。
「これは重いですね」
「満杯になる前にボルグの仲間が来る」
「三日ごとですか」
「ああ」
「汲み取り費用も大きいのでは?」
「安くはない」
リリアがすぐに尋ねる。
「水洗へ変えた後も、処理槽の汲み取りは必要です」
「回数は減るのか?」
「利用量と処理槽の構造次第です。ただし、水を加える分、全体量は増える場合があります」
「水で流せば、汚物がなくなるのではないのか」
「場所が移るだけです」
オルドの表情が曇る。
「銀月亭では、減ったと聞いた」
「客室の便壺を運ぶ回数は減りました。ですが、処理槽の中身は管理しています」
「汲み取りが不要になると思っていた」
「現時点の仕組みでは、不要にはなりません」
直人は曖昧にしなかった。
水洗便器は、汚物を消滅させる魔法ではない。
便所から安全な処理場所へ移動させる設備だ。
「ポルンを使えば、減るかもしれないわ」
リリアが言う。
「まだ実用化していません」
「分かっている。可能性としてよ」
「何だ、ポルンとは」
「汚物を食べる清掃スライムです」
直人が答えると、オルドは目を輝かせた。
「それを処理槽へ入れればよいではないか」
「成長条件と安全性が確認できていません」
「銀月亭では飼っているのだろう?」
「別の容器で観察中です。営業中の処理槽へは戻していません」
「便利な魔物まで慎重に扱うのだな」
「便所の下で馬車ほどに成長したら、店が使えなくなります」
オルドは黙った。
「それは困る」
「だから、現時点では通常の処理槽として設計します」
直人は裏庭を見回した。
二台の便器を設置する。
二つの個室。
手洗い設備。
貯水槽。
排水管。
処理槽。
それらを置くには、かなり狭い。
「二台を横並びにすると、染料樽を移動する必要があります」
「それは困る」
オルドが即答する。
「高価な染料もある。雨に当てられん」
「薪を移す方法は?」
「厨房から遠くなる」
「二階へ便所を作る方法もありますが、排水管と床補強が大きな工事になります」
「高いのか」
「確実に高くなります」
リリアが帳簿へ何かを書いた。
「今ある便所小屋を広げるのは?」
「通路が狭くなります」
直人は荷物を運ぶ職人の動線を見た。
店の裏口から染料樽や布を運び出すため、この通路は頻繁に使われる。
便所を広げて通路を狭くすれば、荷物と利用者がぶつかる。
「建物の一階を一部使えませんか」
「作業場を狭くするのか?」
「現在、物置として使っている場所がありますね」
直人は裏口の横にある扉を示した。
「そこは急ぐ者が壺を使う場所だ」
「中を見ても?」
オルドが扉を開ける。
物置は、便所小屋より少し広かった。
布の切れ端。
壊れた椅子。
古い型紙。
そして、部屋の隅に蓋のない便壺。
換気口はなく、臭いがこもっている。
「ここを片づければ、一つ設置できます」
直人は床を踏んだ。
沈み込みはない。
だが、便壺周辺の板には汚れが染みている。
「もう一台は、外の便所を改修する?」
リリアが尋ねる。
「その案が現実的です」
「男女で分けられるな」
オルドが言う。
「どちらを室内にしますか」
「女用を室内、男用を外でいいだろう」
女性職人の一人が、作業場の入口から声を上げた。
「外へ行く方は、雨の日に濡れます」
「屋根がある」
「通路の途中までです」
別の女性が続ける。
「室内でも、作業場のすぐ横だと音が聞こえます」
オルドが困った顔をした。
「便所に、そこまで条件があるのか」
「あります」
直人は答えた。
「利用者の意見を聞きましょう」
「全員から?」
「実際に使う人たちです」
オルドは少し不満そうだったが、拒否はしなかった。
◇
作業場の長机を囲み、便所に関する聞き取りが行われた。
最初は誰も話したがらなかった。
オルドと男性職人がいる前で、便所の不満を言うことに抵抗があるらしい。
リリアが直人へ小声で言った。
「男性は外へ出て」
「俺もですか」
「当然でしょう」
「施工条件を聞く必要があります」
「私が聞いて、後で伝える」
「細かな質問が――」
「女性の便所の話を、あなたの前でしたくない人もいるの」
直人はようやく気づいた。
設備調査だからといって、利用者が何でも話せるわけではない。
「分かりました。必要項目を書きます」
直人はリリアへ質問項目を渡した。
利用人数。
利用が集中する時間。
服装。
手すりや足置き。
荷物を置く場所。
清掃。
臭い。
音。
扉と鍵。
衛生用品の処分。
「最後は何?」
リリアが尋ねる。
「使用済みの布などを捨てる蓋付き容器が必要かどうかです」
「それは私が聞くわ」
「お願いします」
直人、ガルド、オルド、男性職人二人は店の外へ出された。
「俺まで出るのか」
オルドが不満そうに言う。
「店主であっても、話しにくいことはあるでしょう」
直人が答えた。
「長年一緒に働いている」
「だからこそ、言いにくい場合もあります」
「便所は面倒だな」
「人が安心して使う場所を作るのは、面倒です」
ガルドが隣で鼻を鳴らす。
「便器の形だけ作っていた頃の方が楽だった」
「まだ二台目も成形していませんよ」
「だから言っている」
しばらくして、リリアが店から出てきた。
手帳には多くの内容が書き込まれている。
「分かったことを話すわ」
「全員の前で話して大丈夫ですか」
「個人が特定されない内容だけ」
リリアは指を折った。
「まず、朝と昼に利用が集中する。特に女性側は、服を整える時間も含めて長くなる」
「作業着は?」
「長いスカートや布を身につける人が多い。裾を床へ触れさせず置ける棚か、掛ける金具がほしいそうよ」
「荷物棚ですね」
「扉の隙間をなくしてほしい。鍵が外から簡単に開かないこと。洗浄音より、作業場へほかの音が聞こえない方が重要」
「防音が必要ですね」
「それと、使用済みの布を捨てる蓋付き箱。定期的に中身を回収する人も決める」
オルドが首を傾げた。
「何の布だ?」
リリアは冷たい目で店主を見た。
「知らなくていいこともあるわ」
「だが、店の費用で箱を――」
「必要な衛生設備よ」
「分かった」
オルドはすぐに引き下がった。
「清掃担当を、女職人の中から勝手に決めないでほしいとも言っていた」
「では、誰が清掃する」
「全員で交代するか、清掃代を払って担当者を決める」
「男が女用便所を掃除するのか?」
「営業時間外なら問題ないという意見が多かった」
オルドは、自分が想像していなかった要求に戸惑っている。
「便器を二台置くだけでは足りないわね」
リリアが言った。
「扉、鍵、防音、荷物棚、廃棄箱、清掃手順。全部必要」
「それだけ費用も増える」
「必要かどうかは、見積もりを見て選んでもらいます」
直人は答えた。
「ただし、プライバシーと安全に関わる部分は削れません」
「どこまでが削れない部分だ?」
オルドが尋ねる。
「扉と鍵。隙間を減らす構造。滑りにくい床。正常な排水。換気。手洗い。使用済み品の蓋付き容器」
「荷物棚は?」
「簡素なものでも構いませんが、必要です」
「飾りは?」
「なくても使えます」
「壁の色は?」
「清掃しやすく、汚れを確認できれば、最低限でも問題ありません」
「なら、装飾は後回しだ」
リリアが帳簿へ書く。
「予算上限は?」
「まだ決めていない」
「決めて」
「便器二台分だろう?」
「建物と処理槽と給水まで含みます」
「銀貨三枚で収まるか?」
ガルドが大声で笑った。
「便器だけでも厳しいぞ」
「一台目は試作費が高かったのだろう。二台目からは安くなるのではないか」
「型は使える。だが、土も薪も工賃も必要だ」
「二台まとめて注文する」
「窯へ同時には入らん」
ガルドとオルドの声が次第に大きくなる。
リリアが机を叩いた。
「現場調査中に価格交渉を始めないで」
二人が黙る。
「費用は項目ごとに出す。削れる部分と削れない部分を分ける。その上で決めてもらうわ」
「銀貨三枚を大きく超えるなら無理だ」
オルドが言った。
「では、予算上限は銀貨三枚を基準にします」
直人は考える。
二台の水洗便器。
二つの個室。
一つは室内改修。
一つは屋外便所改修。
二台分の貯水。
共通排水管。
処理槽。
手洗い。
防音。
銀貨三枚で、すべてを高品質に仕上げるのは難しい。
「段階施工を提案します」
「段階?」
「最初に一台だけ設置する方法です」
オルドが眉をひそめる。
「二台欲しいと言った」
「二台同時に使えれば便利です。しかし、予算を超えて安全性を削るわけにはいきません」
「一台では並ぶ問題が残る」
「まず室内側を女性用として設置する。屋外便所は、現在の汲み取り式を安全に改修して男性用として残す」
「男だけ古い便所か?」
「第一段階では、です」
「不公平ではないか」
男性職人の一人が言った。
「現在、より強い不便を感じている側を優先する案です。第二段階で男性側も水洗へ切り替えます」
「いつになる」
「費用を積み立て、二台目が完成した時です」
「先に男用を水洗にする選択肢もある?」
「技術的にはあります。ただし、従業員全員の意見と、利用状況で決めるべきです」
オルドは考え込んだ。
店主だけで決めれば早い。
だが、毎日使うのは職人たちである。
「一台だけなら、昼の混雑は解消しない」
リリアが言った。
「そこで、休憩時間を少しずらす運用も必要です」
「便所のために仕事の時間を変えるのか」
「設備が完成するまでの一時的な対策です」
「水洗一台と、汲み取り一台を併用する間だけ?」
「はい」
直人は裏庭の図へ線を書いた。
「室内側の便器と、将来の屋外側便器は、同じ処理槽へ接続できるよう配管を先に準備します」
「一台しか置かないのに、二台分の管を作るの?」
「後から床や処理槽を壊し直さずに済みます」
「今の費用は増える」
「将来の工事費は下がります」
オルドはリリアを見る。
「どちらが安い」
「二台目を必ず作るなら、先に共通部分まで施工した方が総額は安くなる可能性が高い」
「必ず作る」
「なら、処理槽と主管は二台分。便器と個室改修は一台分。屋外側は安全改修だけにする案ね」
「その条件で見積もってくれ」
「正式な見積もりを明日出します」
直人が答えた。
「その前に、水の供給を確認します」
◇
仕立屋の井戸は深く、水量も比較的安定していた。
問題は、便所まで誰が水を運ぶかである。
「毎朝、職人が交代で貯水槽を満たせばいい」
オルドが言う。
「何回運ぶ必要がある?」
「一日の利用回数を記録しないと正確には分かりません」
「便所へ入るたびに数えるのか」
「個人名は不要です。洗浄した回数だけ記録します」
「紐を引いた回数を?」
「貯水槽の水位でも確認できます」
ミーナが井戸を見た。
「私が朝にまとめて水を入れることもできます」
「毎日来るのか?」
「給水所の仕事の前に通れる場所です」
「代金は?」
オルドが尋ねる。
ミーナは答えに詰まった。
水魔法で生活用水を供給する仕事は、町でまだ価格が定まっていない。
これまでは緊急時に呼ばれ、その場で少額を受け取るだけだった。
「定期給水契約にしましょう」
リリアが言った。
「毎朝、決まった量を入れる。休みの日や来られない日は事前に伝える。その分の代金を月ごとに支払う」
「井戸水なら無料だぞ」
オルドが言う。
「井戸から汲み、運ぶ人の時間は無料ではありません」
「職人へやらせれば、追加費用はない」
作業場から、若い職人が言った。
「その間、仕立ての仕事が止まります」
直人が答える。
「一回にかかる時間は短くても、毎日積み重なります」
「水魔術師へ払う方が安いか、職人の作業時間を使う方が安いか、比べればいい」
リリアが提案する。
「ミーナ。月いくらなら引き受けられる?」
「私が決めてよいのですか」
「仕事をするのは、あなたでしょう」
「給水所の仕事へ遅れない量なら……」
ミーナは少し考え、控えめな金額を口にした。
リリアがすぐに首を振る。
「安すぎる」
「水を出すだけです」
「毎朝、決まった時刻に来る責任も含まれるわ」
「でも、水魔法は誰でも――」
「誰にでもできないでしょう?」
ミーナは黙った。
戦闘に向かない。
水汲み役。
そう言われ続け、自分の魔法の価値を低く考えている。
「設備を毎日動かすための給水です」
直人が言った。
「水量が不足すれば便器が詰まる可能性があります。正確に補充できる人の仕事です」
「重要な仕事でしょうか」
「重要です」
オルドが腕を組む。
「費用を払うなら、毎日同じ量を保証してもらう」
ミーナは少し緊張した顔でうなずいた。
「できます」
「来られない日は?」
「前日に井戸水で予備槽を満たします」
「予備槽?」
直人は反応した。
「通常の貯水槽とは別に、一日分の水をためておく?」
「はい」
「それなら、ミーナさんが休んでも便器を動かせます」
「大きな壺が必要になりますね」
全員がガルドを見る。
「また俺か!」
「貯水槽は陶器が向いています」
「木の樽でもよいだろう」
「飲料水ではありませんが、漏れと腐食を考えると、内側へ防水処理が必要です」
「樽職人と相談しろ!」
「価格を比べましょう」
リリアが即座にまとめた。
「陶器製と木製。安くて保守しやすい方を選ぶ」
ガルドは不満そうだったが、それ以上は反論しなかった。
◇
現場調査の最後に、直人は現在の便所へ利用回数記録板を設置した。
「今日から三日間、使うたびに、この印を一つ動かしてください」
木板には、小さな玉が並んでいる。
一回使うたび、一つずつ右へ移動する簡単な計数器だった。
「誰が何回使ったかは記録しません」
直人は職人たちへ説明する。
「男女別の合計と、朝、昼、夕方のどこで利用が集中したかだけ確認します」
「それで便器の大きさが変わるの?」
女性職人が尋ねる。
「便器の大きさではなく、貯水槽の量、処理槽の容量、休憩時間、二台目を急ぐ必要性を判断します」
「一台で足りない場合は?」
「最初から分かっている可能性が高いです」
「では、なぜ数えるの?」
「どの程度足りないかを知るためです」
直人は作業場を見渡した。
「二台あれば足りるとは限りません」
「三台必要だと言うのか?」
オルドの顔が引きつる。
「利用が集中すれば、二台でも待つ人は出ます。ただし、九人の職場なら、時間を調整すれば二台で対応できる可能性が高い」
「一台では?」
「混雑は残ります」
「結局、二台買えということだな」
「最終的には、二台を勧めます」
「商売人らしくなったじゃないか」
「必要だから勧めています」
「その違いを、客が信じるかどうかだな」
オルドの言葉は鋭かった。
直人は否定できない。
販売する側が「必要です」と言っても、売上を増やしたいだけだと思われることはある。
だからこそ、利用回数を測る。
現場を見せる。
複数の選択肢を出す。
安全上必要なものと、快適性を上げるものを分ける。
「三日後、記録を一緒に確認します」
直人は言った。
「一台で足りると判断できる結果なら、そう説明します」
「本当に?」
「はい。ただし、故障時に代わりがない問題は残ります」
「二台あれば、一台が壊れても使える」
「それも重要です」
職場の便所は、家庭用とは違う。
使う人が多い。
利用時間が重なる。
一台が止まった時の影響も大きい。
便器を二台置く理由は、男女を分けるためだけではなかった。
故障。
清掃。
点検。
水不足。
一台を止めても、仕事場全体の便所がなくならないようにする。
「設備には、予備が必要な場合があります」
直人は手帳へ書いた。
仕立屋計画。
第一段階。
室内水洗便所一台。
屋外汲み取り便所の安全改修。
二台分の処理槽と主管。
予備給水槽。
利用回数の記録。
第二段階。
屋外側も水洗へ切り替え。
「二台目は、第一段階の運用記録を見て詳細を決めます」
「二台目の予約金は?」
リリアが尋ねる。
オルドは少し考えた。
「最初の一台が正常に動いたら払う」
「製造開始には材料費が必要です」
ガルドが言う。
「では、第一号の設置後に半分」
「便器の製造には時間がかかります」
直人は言った。
「設置後に注文すると、その分だけ二台目の完成が遅れます」
「急いで二台必要だと言ったのは、そちらだろう」
「だから、選択肢を説明しています」
リリアが間へ入る。
「第二号用の材料費だけ、先に預かる。工賃は、一台目の運用確認後。第二号を取り消す場合、未使用の材料は返すか、材料そのものを引き渡す」
「窯へ入れた後は?」
「取り消し不可」
「失敗したら?」
「製造側の負担で作り直す。ただし、天災や窯の損壊などは別途協議」
「別途協議ばかりだな」
「決められないことを、決めたふりはできないわ」
オルドは契約条件を聞き、ようやくうなずいた。
「見積もりを見て決める」
「明日、銀月亭へお届けします」
リリアが答えた。
◇
銀月亭へ戻る途中、ガルドが直人の隣を歩いた。
「二台目と三台目を作ることになるな」
「契約が決まれば」
「一台目の型を修正する」
「後方の洗浄穴と、固定穴ですね」
「それだけではない」
「ほかにも?」
「ナーラ用は低い。仕立屋では、体格の違う八人以上が使う」
「標準的な高さが必要です」
「白い便器と同じ高さか?」
「この町の利用者に合わせます」
「また木の箱を作って、全員を座らせるのか」
「全員でなくても、身長の異なる数人に協力してもらいます」
「面倒だ」
「一つの高さで多くの人が使えるようにするには必要です」
「子どもや小柄な者は?」
「固定式の足置きを追加できる形にします」
「便器は同じで、周りを変える?」
「はい。家庭ごとに本体をすべて変えると、製造が複雑になります」
ガルドはしばらく考えた。
「二台目からは、便器本体を標準化するつもりか」
「できる範囲で」
「ひょうじゅんか、とは何だ」
「同じ寸法、同じ形、同じ接続位置で作ることです」
「工房の器も、同じ注文なら似た形にする」
「似た形ではなく、交換できるほど同じにしたい」
「壊れた便器を外し、別の便器をそのまま置く?」
「はい。排水口や固定穴が同じなら、床や配管を作り直さず交換できます」
ガルドの足が止まった。
「第一号は、ナーラ専用だ」
「そうです」
「第二号からは、ほかの場所にも置ける便器を作る」
「そうしたいです」
「なら、型の作り方を変える必要がある」
「できますか」
「簡単ではない」
ガルドの目が、職人のものへ変わる。
「だが、一つの型から同じ便器を作れるなら、三台目は早くなる」
「十台目は、さらに」
「まだ十台も注文されておらん」
「仕立屋の次にも、必要とする人はいると思います」
「なぜ分かる」
直人は町を見た。
しゃがむ便所。
重い便壺。
腐った床。
井戸に近い溜め穴。
膝を痛めた人。
清掃や汲み取りを担う人。
改善を必要とする場所は、どこにでもある。
「便所は、誰でも使いますから」
ガルドは鼻を鳴らした。
「また、その言葉か」
「何度でも言います」
二人の前を歩いていたリリアが振り返る。
「話している場合ではないわよ」
「何かありましたか」
「銀月亭の前に人が集まっている」
宿の入口には、町人たちが列を作っていた。
水洗便所の利用待ちだけではない。
紙を持った男。
杖をついた老女。
小さな飲食店の主人。
別の宿の従業員。
皆、直人たちを待っている。
「便器の相談だそうよ」
先に宿へ戻っていたマルタが言った。
「何件ですか」
「今のところ、五件でございます」
リリアの目が輝いた。
ガルドの顔が引きつった。
直人は手帳の残り頁を確認した。
「一件ずつ、困っていることを聞きます」
「今日中に?」
ガルドが尋ねる。
「初回相談だけです」
「工房へ戻れんではないか」
「ガルドさんは戻ってください。製造可能数と期間だけ、後で教えてもらいます」
「勝手に注文を取るなよ」
「作れる数を超えて約束はしません」
「本当だな?」
「はい」
リリアが横から付け加える。
「相談を受けるだけなら無料よ」
「また勝手に決める!」
ガルドの怒声を聞き、待っていた町人たちが笑った。
異世界製便器第一号が、一人の暮らしへ入った翌日。
注文は一台から、二台へ。
二台から、その先へ広がろうとしていた。
直人は集まった人々を見た。
便器を売るだけでは追いつかない。
現場調査。
製造。
施工。
給水。
処理。
保守。
そして、相談を順番に管理する仕組みも必要になる。
水洗便器を広める仕事は、すでに直人一人の手に収まらなくなり始めていた。
仕立屋《金糸の針》では、九人が働き、朝や昼に便所の利用が集中していました。
二台の水洗便器を同時に設置するには予算が足りないため、第一段階では一台を水洗化し、処理槽と主管だけ二台分を準備する段階施工を提案します。
また、職場用設備にはプライバシー、防音、荷物棚、廃棄容器、清掃分担、予備給水など、家庭用とは異なる条件が必要だと分かりました。
次回は銀月亭へ集まった五件の相談を整理し、限られた製造能力の中で、どの現場から便器を設置するかを決めます。




