第15話 便器は焼くと縮みます
洗浄水を均等に流す水路は完成しました。
次はいよいよ、水路、鉢、排水路を一体化した実物大の便器作りです。
しかし、見本どおりの大きさで作れば、完成品は小さくなってしまいます。
ガルドの工房中央に、白い便器が置かれていた。
その隣には、白い便器より一回り大きな木枠がある。
陶山直人は二つを見比べ、首を傾げた。
「大きすぎませんか?」
「お前が大きく作れと言ったのだろうが」
ガルドが不機嫌そうに答える。
「焼けば縮むことは分かっています。ただ、ここまで大きいとは思わなくて」
「土によって縮み方が違う」
作業台には、細長い陶器の板が五本並べられていた。
すべて同じ長さに成形し、異なる土の配合で焼いた試験片だ。
焼成前に付けた二本の印の間隔が、それぞれ少しずつ短くなっている。
「一番縮んだものは、指一本分近く短くなった」
「便器全体なら、かなり変わりますね」
「だから先に試した」
ガルドは五本の中から、灰白色の試験片を持ち上げた。
「この土を使う」
「理由は?」
「縮みが比較的少ない。焼いた後の強度もある。表面に釉薬も乗りやすい」
「価格は?」
工房の入口に立っていたリリアが尋ねた。
「ほかの土より少し高い」
「少しとは?」
「便器一台分で銅貨三枚ほどだ」
「それは少しではないわ」
「安い土で割れれば、全部作り直しだぞ」
「それもそうね」
リリアは手にした帳簿へ金額を書き込んだ。
ガルドが顔をしかめる。
「何でも書くな」
「試作費を預かっているの。何に使ったか残す必要があるわ」
「土の一握りまで記録するつもりか」
「値段が分かるものは全部よ」
「工房が宿屋の帳場になっていく……」
弟子のテオは、隣で別の記録用紙へ土の配合を書いていた。
ガルドが使った土。
混ぜた水の量。
焼成前後の長さ。
縮小した割合。
以前なら親方の感覚だけで扱われていたものが、少しずつ数字になっている。
「完成時の便器を、どの高さにする?」
ガルドが尋ねた。
「銀月亭の便器より低くします」
「見本をそのまま写さないのか」
「今回使うのはナーラさんです」
日本から持ち込まれた白い便器は、ナーラには高すぎる。
固定式の足置きを使えば座れるが、膝を持ち上げる動作が負担になる。
「完成後の便座上面を、銀月亭より指二本から三本ほど低くしたい」
「曖昧だな」
「だから、先に座って確認します」
「まだ便器はないぞ」
「木で高さだけ再現します」
工房の外では、ロッカが木製の箱を組み立てていた。
便器とほぼ同じ幅。
上には仮の便座。
箱の底には薄い板を重ね、高さを少しずつ変えられるようになっている。
「陶器を作る前に、木の便器を作るとは思わなかった」
ロッカが言った。
「座りやすい高さを決めるためです」
「ただの椅子では駄目なのか」
「便器は、座面の中央に穴があります。足の位置や立ち上がり方も椅子とは少し違います」
「便所の椅子一つで、よくそこまで考えるな」
「毎日使いますから」
「その言葉は聞き飽きた」
工房にいた全員の声が重なった。
◇
昼前。
パン屋のエッダと、母親のナーラが工房へやってきた。
「これが新しい便器かい?」
ナーラが木製の箱を見て尋ねた。
「高さを確認するための模型です」
「木の便器も悪くなさそうだね」
「実際に使用することはできません」
「分かっているよ」
ナーラは笑い、杖をロッカへ預けた。
木箱の左右には、仮設の手すりも置かれている。
直人が支えながら、ゆっくりと腰を下ろしてもらう。
「どうですか」
「少し高いね」
ナーラの踵が、わずかに床から浮いていた。
直人は木箱の底から、一枚板を抜く。
「もう一度お願いします」
立ち上がる。
座り直す。
「今度は?」
「足は楽になった。でも、立ち上がる時に膝へ力が入らない」
「低すぎますか」
「ほんの少しね」
一度抜いた板の代わりに、半分ほどの厚さの板を入れる。
三回目。
ナーラの足裏が床へつき、膝も大きく曲がりすぎていない。
「これがいい」
「立ち上がれますか」
右側の手すりへ手を置き、体を前へ傾ける。
ナーラはゆっくり立ち上がった。
「銀月亭より楽だよ」
エッダが安堵したように息を吐く。
「この高さで作れるのかい?」
「作れる」
ガルドが答えた。
「ただし、焼けば縮む。今座った高さより大きく成形する必要がある」
「焼く前は、もっと高い便器になるの?」
「そうだ」
「焼いたら、本当にちょうどよくなるのかい?」
「そのために試験片を焼いた」
ガルドは胸を張った。
だが、直人は補足する。
「複雑な形なので、試験片と完全に同じ割合で縮むとは限りません」
「お前は、すぐ不安になることを言うな!」
「完成後に少し違う可能性は説明しておくべきです」
「使えないほど変わるのかい?」
エッダが心配そうに尋ねる。
「わずかな違いなら、便座や床側で調整できます。ただし、大きく歪んだ場合は製品として渡しません」
「作り直す?」
「はい」
ナーラが木製の便座を撫でた。
「急いではいるけれど、転ぶ便器を持ってこられても困るからね」
「必ず、座る前に強度と安定を確認します」
「任せるよ」
直人は木箱の高さを測った。
完成時の便器本体。
便座の厚み。
床へ取り付ける接続部品。
すべてを合わせ、ナーラの足が安定する高さにする。
「便座の前側が、少し脚へ当たるね」
ナーラが付け加えた。
「どの辺りですか」
「膝の裏に近いところ」
直人は仮便座の前端を確認する。
ガルドが銀月亭用に作った便座より、前方の幅が広い。
「前を少し細くして、角を丸くしましょう」
「尻を載せられれば同じではないのか」
ガルドが言う。
「同じではありません」
「水路より便座の方が注文が多いぞ」
「水路は話しません。便座は使う人が直接触れます」
「なるほどねえ」
エッダが笑った。
「ガルド親方は、尻へ聞かなければ分からない仕事を始めたわけだ」
「やかましい!」
◇
高さが決まると、実物大便器の型作りが始まった。
最初に、白い便器の外形を木の板へ写す。
正面。
側面。
上から見た形。
ただし、すべてをそのまま複製するわけではない。
全体の高さはナーラ用に変更する。
排水口の直径は、現地で作れる木管へ合わせる。
便座を固定する穴の位置も、ガルド製の便座に合わせる。
そして、焼成後の収縮を見込んで、型は完成予定寸法より大きく作る。
「ここの幅は、完成後にこの目盛りです」
直人が図を示す。
「なら、型はここまで広げる」
ガルドが別の線を引く。
「左右で同じだけ大きくしてください」
「分かっておる」
「厚みも均一に」
「何度言う」
「水路の接続部分だけ厚くなりやすいので」
ガルドの眉間に皺が深く刻まれる。
「お前は、俺が作業する横でずっと話すつもりか」
「確認が必要な部分だけです」
「最初から最後まで必要だと言うのだろう」
「はい」
「帰れ!」
「寸法が決まるまでは帰れません」
言い争いながらも、作業は進んだ。
今回、便器は大きく三つの部分に分けて成形する。
人が座り、汚物を受ける鉢部分。
洗浄水を全体へ送る縁の水路。
そして、鉢の底から後方へ曲がり、臭いを止める水を残す排水路。
「この曲がった管が、一番厄介だ」
ガルドは白い便器の排水路を外側からなぞった。
「中が見えん。しかも、途中で上へ曲がっている」
「この上り部分があるから、便器の中に水が残ります」
「高すぎれば流れない。低すぎれば水が残らない」
「その通りです」
「面倒な仕組みだ」
「でも、臭いを止めるために必要です」
ガルドは、排水路の内側を作るための芯を用意した。
油を混ぜた細かな砂を固め、白い便器の内部形状に近い曲線へ成形したものだ。
外側へ粘土を巻き、少し乾燥させてから、砂だけを崩して取り出す。
「芯を抜く時に形が潰れませんか」
「乾かしすぎれば抜けん。柔らかすぎれば潰れる」
「ちょうどよい時間は?」
「土を触れば分かる」
「記録できませんか」
「指で押した感触を、どう紙に書けと言う」
直人は考えた。
「同じ重さの木片を載せ、沈む深さを測る方法は?」
ガルドが動きを止めた。
「木片を載せる?」
「柔らかい土なら深く沈む。乾けば浅くなる。同じ木片を使えば、状態を比べられます」
テオがすぐに紙へ書き込む。
「やってみましょう、親方」
「職人なら触れば分かる」
「僕たち弟子は、まだ親方と同じようには分かりません」
ガルドは弟子を睨んだ。
だが、やがて小さな角材を持ってきた。
「これを使う」
「重さを量ります」
「そこまで必要か?」
「次も同じものを使うなら」
直人が答えると、ガルドは何も言わず角材を渡した。
◇
二日間かけて、便器の各部分が成形された。
最初に鉢。
次に縁の水路。
最後に曲がった排水路。
完全に乾く前に、粘土を溶いた接着用の泥を塗り、三つを一体化する。
「持ち上げます」
直人、ガルド、テオの三人がかりで、鉢部分を支えた。
「少し右です」
「お前の右か、俺の右か」
「便器から見て右です」
「便器に右も左もあるか!」
「正面を決めたでしょう!」
「二人とも、動かさないでください!」
テオが珍しく大声を出した。
接合部分がずれかけている。
三人は口を閉じ、慎重に位置を合わせた。
水路と鉢が重なる。
接着泥が端から少し押し出された。
ガルドが木べらで余分な泥を取り、継ぎ目を滑らかにする。
排水路も取り付ける。
形だけなら、便器だった。
白い見本より大きい。
まだ灰色の粘土で、表面も湿っている。
便座も付いていない。
それでも、中央には鉢があり、底から排水路が曲がっている。
後方には給水口。
縁の下には、三号改で決めた洗浄穴が並んでいた。
「便器だ……」
テオが呟いた。
「まだ土の塊だ」
ガルドが答える。
しかし、その声には隠しきれない満足感があった。
工房の弟子たちも作業を止め、異世界で作られた最初の便器を囲んでいる。
「座ってみてもいいですか」
リリアが尋ねた。
「駄目に決まっておる!」
「聞いただけでしょう」
「触るな。近づくな。息もかけるな」
「そこまで?」
「今は自重だけでも形が変わる」
ガルドは便器の周囲へ木の柵を置いた。
見物に来た者が、勝手に触れないようにするためだ。
「乾燥には何日かかりますか」
直人が尋ねる。
「最低でも七日」
「長いですね」
「これだけ大きく、厚みも複雑だ。急げば割れる」
「暖房や風は使わない?」
「表面だけ乾くから駄目だ」
「途中で向きを変えますか」
「底へ湿気が残らんよう、台ごと回す」
直人は乾燥計画を書いた。
一日目。
形状確認。
二日目。
接合部確認。
三日目以降。
重量と木片による硬さの記録。
表面のひび。
歪み。
水路穴の変形。
「毎日、重さも量るの?」
リリアが尋ねる。
「水分が抜ければ軽くなります。重さの変化が小さくなれば、乾燥が進んだ目安になります」
「便器を持ち上げて量る方が壊れない?」
「台ごと量ります」
「そのために、大きな秤を借りた」
ガルドが答える。
「材料商へ銀貨を払ったぞ」
「帳簿に書いておくわ」
「だから何でも書くな!」
◇
四日目。
便器の表面は、少しずつ色が薄くなっていた。
大きなひびはない。
縁の水路も形を保っている。
排水路も潰れていない。
だが、直人は鉢の底に、細い影を見つけた。
「ここです」
携帯用ライトを斜めから当てる。
鉢と排水路を接合した部分に、髪の毛ほどの線があった。
ガルドが爪を当てる。
「表面だけだ」
「中まで続いていませんか」
「今の段階では分からん」
「このまま焼きますか」
「補修する」
接合部分を少し削り、同じ土の泥を埋め込む。
その上から薄い粘土を重ね、厚みを周囲とそろえた。
「原因は?」
テオが尋ねる。
「接着泥が少なかったか、鉢と排水路の乾き方が違った」
「両方の硬さは測りました」
「同じ沈み方でも、内部の水分までは分からん」
ガルドは悔しそうに線を見つめた。
直人は記録へ加える。
次回は、接合する部品を同じ日に成形する。
接合前の重量も測る。
泥の量を一定にする。
「まだ失敗ではありません」
直人が言う。
「焼いて割れれば失敗だ」
「今見つけたから、直せました」
「直した部分が、窯で開くかもしれん」
「その時は原因を調べます」
「お前は、それしか言わんな」
「ほかに方法がありませんから」
ガルドはしばらく黙り、補修した部分を指先で整えた。
「割れさせん」
小さな声だった。
職人としての意地が込められていた。
◇
八日目。
便器第一号は、窯の前へ運ばれた。
成形直後より軽くなっている。
色も淡い灰色へ変わり、表面を指で押しても跡はつかない。
寸法は、すでに少し縮み始めていた。
「これから、さらに縮むのね」
リリアが便器を見上げる。
「完成すれば、ナーラさんに合わせた高さへ近づきます」
「近づく、なの?」
「完全に同じになる保証はありません」
「最後まで慎重ね」
「焼き物は、窯を開けるまで分かりません」
それはガルドの言葉だった。
直人も、この数日で何度も聞かされている。
便器を専用の台へ載せ、四人がかりで窯の中へ運ぶ。
縁が壁へ当たらないように。
排水路へ無理な重さがかからないように。
底全体を均等に支えるように。
「置くぞ」
ガルドの合図で、便器が窯床へ下ろされた。
全員が手を離す。
形は崩れなかった。
「火を入れる」
窯の扉が閉じられる。
ガルドが薪へ火を移した。
最初は弱く。
残った水分を追い出す。
時間をかけ、少しずつ温度を上げる。
「今日は工房から離れるな」
ガルドが弟子たちへ命じた。
「火の状態を交代で見る」
「俺も残ります」
直人が言う。
「陶工でもないお前が何をする」
「異常が起きた時、記録します」
「割れた音を紙に書いても、元には戻らん」
「次のために必要です」
「好きにしろ」
夜が更けても、窯の火は燃え続けた。
リリアとミーナは銀月亭へ戻った。
テオは薪を補充する。
ガルドは炎の色と煙を見ながら、空気の取り入れ口を調整していた。
直人は壁際の椅子に座り、時刻と薪の量を書き続ける。
窯の中は見えない。
便器が無事なのか。
接合部が開いていないか。
水路が潰れていないか。
知る方法はなかった。
「ガルドさん」
「何だ」
「眠くないんですか」
「窯を焚いている時に寝られるか」
「いつも一晩中?」
「大物を焼く時はな」
「便器も大物ですか」
「大きさだけなら、立派な大物だ」
「価値は?」
「焼けてから決める」
ガルドは火へ薪を一本加えた。
「ただの尻の器に、これほど手をかけるとは思わなかった」
「後悔していますか」
「しておる」
「やめますか」
「ここまで来てやめられるか」
直人は少し笑った。
「俺も同じです」
「お前は最初から便器しか見ておらんだろう」
静かな工房へ、薪の爆ぜる音が響く。
ぱちり。
ぱちり。
やがて直人のまぶたが重くなった頃。
窯の奥から、鋭い音が聞こえた。
ぱんっ。
薪の音とは違う。
陶器か、窯道具が割れた時のような乾いた音。
直人は椅子から立ち上がった。
「今の音は?」
テオの顔が青ざめる。
ガルドは窯の扉を見つめたまま、動かなかった。
「親方……」
「開けるな」
ガルドが低く言う。
「今開ければ、無事なものまで割れる」
「便器でしょうか」
「分からん」
炎の向こう側は見えない。
今すぐ確かめることもできない。
ガルドは拳を握り締めた。
「朝まで、火を落とすな」
異世界製便器第一号は、窯の中にある。
成功したのか。
それとも、あの音とともに割れたのか。
答えは、窯が冷えるまで誰にも分からなかった。
ナーラの体格に合わせた高さを木製模型で確認し、焼成時の収縮を計算した実物大便器第一号が成形されました。
水路、鉢、曲がった排水路を接合し、乾燥中の小さなひびも補修して窯へ入れます。
しかし、焼成中の窯から鋭い破裂音が響きました。
次回は窯を開き、異世界製便器第一号が焼成に耐えたのかを確認します。




