☀第8話 王の怒りと虹色の瞳
国王はきっと、城に足を踏み入れてほしくないのだ。
ティアにそう告げられたリオは、思いきり顔をしかめた。
「はあ? なんだよそれ? なんで王様――あんたの父親は、娘を城に近づけねーよーにしてんだ?」
リオの質問に、ティアは困ったように口をつぐんだ。
慎重に言葉を選んでから答えようとしている――そう彼には感じられた。
寸刻の後、ティアは口を開いた。
〈わたくしは……先ほども申しましたように、陛下が何ゆえにそのようなことをなさるのかは存じません。ですが……お優しい陛下があれほどまでにお怒りになるのです。よほどのことがおありになるのだと思いますわ〉
「『よほどのこと』?……ってか、『お怒りに』って何かあったのかよ?」
〈……まだ幼い頃のことです。わたくしはこの塔の下にある庭園で、カティに見守られながら遊んでおりました。遊ぶと申しましても、カティに教えてもらったばかりの歌を口ずさみながら、花々を見て回っていただけでしたが……〉
またしばらく間が空いてから、小さなため息のような音が聞こえた。
〈その時カティが、城と塔とを結ぶ小道から他の侍女に呼ばれ、少しの間わたくしから離れたのです。『すぐ戻ります』と言われたのに、生まれてから一度も一人にされたことなどなかったわたくしは、それだけで心細くなってしまって……。城の方へ向かったカティを追い、走り出してしまったのです。その途中、通りかかったお父様――陛下にぶつかってしまい、わたくしは『ごめんなさい』と言って顔を上げました。するとそこには、今まで見たこともないほど恐ろしいお顔をなさった陛下がいらっしゃって……〉
その時のことを思い出したのか、ティアは三たび沈黙してしまった。
リオは心配になって声をかけたが、彼女は慌てたように詫びてきた。
〈申し訳ございません。その時の陛下のお顔が浮かんだとたん、少しすくんでしまって……。もう大丈夫です。先を続けますね〉
「いや、べつにっ。あんたが辛いんなら、無理に続けなくてもいい……んじゃ、ねーの」
リオはどうにも落ち着かない心持ちで、襟口をギュッと掴みながら視線をあちこちにさまよわせた。
内心、『打ち明け話を聞かされたって、馴れ合うつもりなんてねーし』などとつぶやきながら。
〈……ありがとうございます。お優しいのですね、リオフリード様は――〉
「は、はあッ!?」
リオは素っ頓狂な声を上げた。
まさか、殺したはずの相手に『優しい人認定』されるとは思ってもみなかったのだ。
「あんた、マジでどーかしてんじゃねーのか!? 自分を殺した相手に向かって『優しい』だと!?」
思わず声を荒らげると、再び困惑した様子のティアの弱々しい声が響く。
〈あの……先ほどもそのようにおっしゃっていましたけれど、それは事実なのですか? リオフリード様がわたくしを、あの……殺した、なんて……。夢、ということはないのでしょうか……?〉
「夢なんかじゃねえ、事実に決まってんだろ! あんなにハッキリクッキリした夢があって堪っかよ!」
リオの脳裏に、またしても〝ティアの胸を刺し貫いた瞬間〟の情景が浮かんだ。
柔らかいものに沈んだ短剣から噴き出した鮮血。ドクドクと溢れては腕を伝い、リオの手を、腕を、服を染めていった、王女の赤くヌルヌルとした……。
「ぐ――っ!」
とっさに口を押さえ、肩で大きく息をする。
体の奥からこみ上げてくる吐き気を必死に抑えようと、リオはひたすら深呼吸を繰り返した。
〈リオフリード様? い、いかがなさいました?〉
「なんでもねーよ! いちいち気にすんじゃねえッ!」
〈あ……あの……。申し訳、ございません……〉
叱られた子供のように、徐々に声が小さくなっていく。
完全に八つ当たりだと、リオはたちまち自己嫌悪に陥った。
だが、自分が殺した相手とどう関わっていいのかわからず、どうしても素直に謝れなかった。
リオは扉付近から寝台まで戻り、再びドカッと腰を下ろす。
「とにかく、俺のことはどーでもいい! 放っといてくれ!……それよか、あんたの話の途中だったろ? さっさと話しちまってくれよ」
罪悪感をごまかすように先を急かすと、ティアは気を取り直したように口を開いた。
〈は、はい。それでは――〉
ティアの話によると、城へと続く小道でティアを目にした彼女の父であるエルイグニス王は、もの凄い形相で幼い彼女を叱り飛ばしたらしい。
それまで優しく柔和な父しか見たことがなかったティアは震え上がり、その場から逃げ出すことすらできなくなったのだそうだ。
騒ぎを耳にし、慌てて駆けつけた侍女のカティも王に激しく叱責され、〝侍女を変える〟とまで言われてしまった。
彼女に懐いていたティアは大泣きして王にすがり、どうかそれだけは勘弁してくれ、もう二度と城に近づこうとはしないからと誓った。
落ち着きを取り戻した王は、強く叱ったことをティアとカティに詫び、侍女を変えるという言葉も取り消した――。
「へえ、そんなことがあったのか。そこまでキツく叱られて、気に入ってる侍女まで変えるとまで言われちゃあ、二度と城になんか近づくかって気にもなるだろーけど……。王女さんの父親――王様って、普段は怒ったりしねー人なんだろ?」
〈はい。普段はとても穏やかなお方ですわ。声を荒らげていらっしゃるところなど、その時以外は見たこともございません〉
「そっか。だったら、やっぱ妙に感じちまうよな。城に近づいたってだけで、鬼の形相で叱りつけてくるなんてよ」
〈……ええ〉
ティアは小声で返事したきり、また口を閉ざしてしまった。
リオは居心地の悪さを体を揺すったり足をバタつかせることでごまかしながら、再び部屋中を見回してみた。
「……ん?」
鏡が目に入ったとたん、リオはピタリと動きを止めた。体を乗り出し、じぃっと鏡に映る顔を見つめる。
(……なんだ? 今、妙な違和感が……)
リオは違和感の原因を探ろうとして、寝台から立ち上がった。
そのまま鏡まで歩いていき、ゆっくりと顔を近づける。
「……あ!」
間近で確認すると、違和感の原因はすぐに判明した。
瞳の色だ。
離れて見た時は、ただの〝物悲しい淡い灰色〟に見えた。
だが、窓から差し込む光の中でその瞳を覗き込んだ瞬間、リオは息を呑んだ。
ただの灰色ではない。
鈍色の雲の隙間から、放射状に七色の光が放たれてでもいるかのように、瞳の奥に青や緑や黄色、橙――複数色が絶妙な調和でもって浮かび上がっている。
生まれて初めて目にした神秘的な色合いに見惚れ、リオはしばらく声も出せずに固まっていた。
〈……やはり。先ほどはお気づきにならなかったのですね、わたくしの瞳の色に〉
リオの様子を察したのか、ティアが静かに語りかけてきた。
「王女さん、これ……。この瞳の色……」
瞳から目をそらせぬまま、リオが訊ねる。鼓動が激しく脈打っていた。
〈わたくしの瞳……『虹色の瞳』と呼ばれているそうです。もしかしたらこの瞳が……お父様はお嫌いなのかもしれませんわ〉
寂しげな声色に、リオはハッと我に返った。




