☽第7話 悲劇回避の希望
〝時間が巻き戻った可能性〟に思い至った後、ティアは自分の体を抱き締めながら黙り込んでいた。
すると、心配になったのだろうか。リオがおずおずといった様子で話しかけてきた。
〈えっ、と……。どうかしたのか、王女さん? 気分でも悪くなっちまった……とか?〉
「あ、いいえ。気分が悪いというわけでは……。申し訳ございません。お気を遣わせてしまいましたでしょうか?」
〈えっ?……あ、いや……。べつに、そーゆーわけじゃ……〉
混乱も頂点を過ぎ、徐々に落ち着きを取り戻していたティアは、リオが目の前にいるつもりで丁寧に頭を下げた。
「この度のこと、心から申し訳なく思っておりますわ。あなた様のお体に勝手に入り込んでしまうなんて……。ですが、どうか信じていただきたいのです。わたくしも、何故このようなことになってしまったのか……どうすれば元の体に戻れるのか、少しも思い当たりませんの。あなた様には、ご不便をおかけしてしまって大変心苦しいのですが……わたくしも、この先どうすればよいのかわからないのです」
〈あ、いやっ。あんたのことを信じてねーとか、そーゆーわけじゃねーんだけどさ。さっきのエトナの言うことによりゃー、俺はいきなりぶっ倒れて、今まで寝込んじまってたわけだよな。……で、目が覚めたら、何故かあんたが俺の体にいて、俺の代わりに女言葉でエトナとしゃべってた。そんで俺、わけわかんなくなっちまってさ。思わずカーッとなって……。考えてみたら、王女さんにもすっげーひでーこと言っちまってたよな。ホントごめん。……すんません〉
ぎこちないながらも、先ほどの無礼を詫びてくる少年――リオフリードに、ティアは戸惑いつつも好感を覚えた。
見た目だけで判断すれば、自分を殺した者に相違ない。
だが、先ほどからの態度や言葉の調子、雰囲気などから感じ取れるのは〝ごく普通の少年〟という印象だけだ。
人を殺し、今話している相手がその人物とわかった後でも、平然と嘘をついて殺していないと言い張る。
はたしてそのようなことが、この純朴そうな少年にできるものだろうか?
……いや。違う。
今は夏ということが本当だとするなら、そもそも彼はまだ自分を殺していない。
殺してはいないが……この先、自分を殺す運命にあるということなのか――?
(そう……ですわね。そういうことでしたら、まだ理解できますわ)
ティアは小さくうなずくと、一度大きく息を吸ってから、ゆっくりと吐き出した。
「リオフリード様。あなた様にお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
〈えっ?……あ、あぁ……いーけど〉
「それでは、お伺いさせていただきますわ。あなた様は、王族――特にわたくしに対して、強い憤りや憎しみを抱いていらっしゃるのでしょうか?」
〈へっ? 俺があんた――っ、いや、王女さんに対して……いきどおり? 憎しみ?……いや、べつに? そんなもん抱いてねーけど。……ってか、王族なんて俺からしたら雲の上の存在すぎて、特に何の感情も湧かねーっつーか、湧く余裕もねーっつーか……。せいぜい、『いっつも美味いもん食ってんだろーな』とか『大して働かなくても生きてけんだろーな』とか……そーゆー感情しか浮かばねーけど〉
「……そう……なのですか……」
〈あ、悪りっ! べつに、王女さんに文句言いてーわけじゃなくてっ! えっと、その……っと、とにかく! 羨ましーなーくれーで、特に憎しみなんか抱いてねーから! だ、だからその――っ、あ、安心してくれ!〉
リオはどうにかして〝悪意はない〟ことを伝えようと、必死になってくれているらしい。
その様子があまりにも可愛らしく思え、ティアは気づくと笑みをこぼしてしまっていた。
〈え……っ。……王女さん、もしかして今……笑った?〉
リオの問いかけに、ティアは慌てて首を振った。
「い、いいえ!……あ、いえ……ほんの少しだけ……ですわ……」
否定しようとしたものの、嘘をつくのはかえって失礼かもしれないと思い直し、ティアは消え入りそうな声で笑ったことを認めた。
リオは少しの沈黙の後、プッと吹き出し、大きな声で笑い出した。
「え……え?……リオフリード……様?」
リオの笑い声が、頭の中でグワングワンと反響している。
その音の大きさに、ティアは堪らず頭を押さえた。
〈ハハハッ、ハハ……っ。悪ぃ悪ぃー。あんたがあんまり正直なもんだからさ。つい、おかしくなっちまって〉
「正直に申し上げると……おかしいのですか?」
ティアは困惑したように首を傾げる。リオはククッと笑いながら、
〈いや、そーゆーわけでもねーんだけどさ。ねーんだけど……クッ。フハハッ!〉
……また笑った。
ティアは両手で頭を押さえ、意味がわからないまま押し黙った。
(わかりませんわ。何がそんなにおかしいというのでしょう……?)
戸惑いつつも、ティアは改めて疑問を抱いていた。
やはり、この少年が後に自分を殺すことになる人間だとは、どうしても思えない。
少なくとも今の時点では、自分や貴族に対する憎しみなどないようだし……。
(今はない。でも、この先はわからない――ということなのでしょうか? 夏の終わりから冬にかけての間に、わたくしに強い殺意を抱くに至る何かが……何かが起こる、ということなのでは……?)
彼の明るい笑い声からは、殺意など少しも感じられない。
……だが、彼女は知っている。
約半年後の婚姻式当日、自分はこの少年によって殺されるのだ。
自分が過去に飛ばされたということが事実であるとすれば。
そして、自分の記憶が確かであるとすれば――それは確実に起こることなのだ。
(ですが……こうも考えられますわ。今の時点では、リオフリード様にわたくしに対する殺意はない。――とすると、これから起こるであろう〝リオフリード様が殺意を抱くに至る原因〟。それを排除することができれば、わたくしは死なずに済むのでしょうか? ヴィソル様との婚姻式も、つつがなく行われる。……そういうことなのでは?)
ティアの胸に、未来への大いなる懸念と共に、微かな希望が生まれた。
そしてその希望を大きくするために必要なことは、まずはこのリオフリードという少年を深く知ることなのだと、彼女も気づき始めていた。




