☽第10話 複雑な三角関係と古の寓話
吟遊詩人の歌を聴きにいった日から、しばらくの時が流れた。
リオとティアは、ヴィソルが現れるのをじりじりしながら待っていた。
あの日、吟遊詩人の口から明かされた「一族を代々支援してきた貴族」の存在。
ヴィソルはエルイグニスを通じてその貴族との面会を取り付け、単身で屋敷へと乗り込んでくれたのだが――。
今日は彼から報告を受けることになっているのだ。
〈おっせーなぁ、ヴィソルの奴。昼前には来るって話だったのに、もう昼になっちまうぞ?〉
リオの声からイラ立ちが伝わってくる。
ティアはおっとりと構えながらテーブル前の椅子に腰かけ、木彫りのカップに入ったホエーをちびりちびりと飲んでいた。
ホエーとは、チーズを作った後に残る乳清のことだ。
酪農が盛んなこの国ではタダ同然で手に入るため、喉が渇いた時に口にするのは、リオの家ではだいたいがこれだった。
最初は独特の酸味が口に合わなかったティアだったが、今ではすっかり慣れてしまっている。
飲み込むのさえ苦労していた麦粥も同様で、慣れというのはありがたくも恐ろしいものだと、ティアはしみじみと感じていた。
すると、扉を数回叩く音がし、ヴィソルの声が続けて聞こえてきた。
「遅くなってすまない。ヴィソルだ」
ティアはパアッと顔を輝かせて立ち上がると、いそいそと歩いていって扉を開けた。
「やあ、おはよう。……今日はリオかい? それともセル――」
「セルランティアですわ。おはようございます、ヴィソル様。あなた様がいらっしゃるのを、今か今かと待ちわびておりましたのよ」
「え……っ?」
ヴィソルの頬がほんのりと赤く色づく。「待ちわびた」などと言われ、照れてしまったのかもしれない。
ティアはハッと我に返り、両手で頬を挟んだ。
「も、申し訳ございません。わたくしったら、つい本音を……」
「本音?」
「あ……。い、いいえ! 本音というのは、あの……その……」
ティアは顔を真っ赤にして両手で顔を覆い、いやいやをするように体を左右に揺すっている。
「嫌ですわっ。わたくしったら、わたくしったら……っ」
「セルランティア……」
思わずヴィソルは手を伸ばし、ティア(体はリオだが)の肩に触れようとする。
だが、肩先に触れる寸前、
〈やめろヴィソルッ!! 俺の体だぞ!? 正気に戻れっ!!〉
リオの大声にビクッとなったティアが顔を上げ、ヴィソルもハッとしたように手を引っ込めた。
真正面からティアの顔を見、姿はリオであることを改めて認識したらしい。気まずそうに目をそらす。
「も……申し訳ありません。一瞬、あなたがリオフリードの姿であることを忘れてしまっていました」
「い、いいえ。わたくしこそ、はしたないことを申しましたわ。あの……つい、はしゃいでしまって……。お恥ずかしい限りですわ」
二人は顔を赤くして、扉付近で落ち着きなく視線をさまよわせていた。
だが、ふいにヴィソルはフッと笑みをこぼし、
「ですが……不思議なものですね。あなたがリオフリードの中にいらっしゃると知る前までは、〝女言葉を口にするどことなく不気味な少年〟としか思えなかったというのに。あなたがいらっしゃると理解したとたん、どのような姿であれ……少年の声であってすら、可愛らしく思えてしまうのですから」
「ヴィ、ヴィソル様……。そんな、可愛らしいだなんてお戯れを……」
「いや、戯れなどではないから困っているのですよ。姿がリオフリードであることも、彼が中にいることも忘れ、あなたを抱き寄せてしまいそうになるのですから。これからは、よほど気を引き締めていないといけませんね」
「ヴィソル様……」
二人はしばし見つめ合い、何とも言えない甘い雰囲気が漂う。
リオはいよいよ耐えられなくなり、思い切り叫んだ。
〈いー加減にしろッ!! いつまで見つめ合ってんだ、気色悪ぃッ!! 王女さんも、俺の体だってこと忘れてもらっちゃ困るぜ!!〉
大声に驚いたティアは短い悲鳴を上げ、両手で耳を押さえる。
ヴィソルは「セルランティアっ?」と心配そうに肩に手を置いた。
はにかむように微笑むと、
「と、とりあえず、そちらにお座りください、ヴィソル様。ゆっくりお話をお聞かせください」
ティアはテーブル前の椅子を指し示し、やんわりとヴィソルを促した。
〈で? 吟遊詩人のおっさんの話に出てきた貴族ってのには会えたのかよ? 会えたんだったら、さっさと話を聞かせろ〉
椅子に腰かけて早々、リオは不機嫌な声で切り出した。
これ以上機嫌を損ねてはいけないと、ティアはリオの言葉を柔らかく修正しながらヴィソルに伝える。
彼は小さくうなずいて、予定どおり貴族に会えたことを示した。
「エルイグニス陛下のお力添えのお陰で、貴族にはすんなり会えましたよ。会えたばかりか、陛下直々の仰せとあって屋敷総出で出迎えられましてね。少々引いてしまったくらいでした」
「まあ……。屋敷の方全員にですの? 賑やかでいらっしゃること」
くすくす笑うティアを見て、ヴィソルは気を良くしたように大きくうなずく。
「ええ、そうなのですよ。主人以下、執事や従者、侍女や下働きの者たちまでが敷かれた絨毯の左右に並び、それはそれは大げさな出迎えでした」
〈――って、んなこたぁどーでもいーんだよ! 早く貴族の話をしろって!〉
リオのイラ立ちはかなり積み重なっているようだ。ティアは慌てて先を促した。
「まあ、そう急かすなリオフリード。収穫はかなりあったから心配するな」
「収穫? 鉄の心臓について、わかったことがありましたの?」
ティアの問いに、ヴィソルは真剣な顔になってうなずいた。
「ええ、もちろん。吟遊詩人の一族を長年庇護していた貴族の先祖は、鉄の心臓を開発した科学者のことをよく知る者。そして、吟遊詩人の歌の詞と、古文書の一節を書き記した本人であることが判明しました」
「ええっ? 鉄の心臓の発明者をよく知る者?」
〈おまけにあの歌の詞と古文書の一節を書き記した者ぉ!?〉
思いがけないヴィソルの言葉に、ティアとリオは仰天した。
ヴィソルは再びうなずくと、さらに驚くべきことを告げた。
「それだけではありません。屋敷の書庫で、やはり貴族の祖である科学者による作とされる、一冊の寓話を見つけたのです。そこには『鉄の心臓』誕生の背景と、それを起動させたことによって起こった、ある王家の悲劇的な結末が記されていました」
ある王家の悲劇的な結末――?
その言葉を聞いたティアとリオは、一瞬、息をするのすら忘れて沈黙した。




