☀第8話 侍女の背後に潜む影
カティが飲み物を持ってくるまでの間しか、リオと彼女について話せる機会がない。
そう思ったティアは、カティが階下に着いた頃を見計らってリオに小声で話しかけた。
「リオフリード様。先ほどのカティの様子は、どう考えればよろしいのでしょう? やはり、リオフリード様のおっしゃるとおり、鉄の心臓について何か知っているのでしょうか? それとも他のことで、気になっていることでもあるのでしょうか?」
〈ん~……。様子がおかしかったのは確かだけど、だからって、それが鉄の心臓のことについてかどーかまではわかんねーからなぁ。俺には何とも言えねーよ〉
「そう……ですわね……」
ティアは憂い顔でうつむくと、小さくため息をついた。
カティに思い悩んでいることがあるのなら力になってあげたいとは思うが、理由がわからないのではどうしようもない。
かと言って直接訊ねても、先ほどのように「問題ございません」「私のことは捨て置いてください」と返されるだけのような気がする。
どうしたらよいのだろうと、ティアがもう一度ため息をついた時だった。
〈けどさ。俺、前からちょっと気になってることがあるんだ〉
ふいに放たれたリオの言葉に反応し、ティアは微かに顔を上げた。
「『気になること』? カティについてですか?」
〈いや。カティのことでもあるけど……〉
リオはしばしの沈黙の後、ためらいがちに告げた。
〈前に一度、俺が塔から抜け出した時があったろ? あん時にさ、へんちくりんな貴族が下にいたの、王女さん覚えてるか?〉
「へんちくりん?……あ! あのあごひげがくるんってなっていた方のことですよね? もちろん覚えておりますわ」
確か、「ドルジー・テメンダス」と名乗っていた。その上、「錬金術師」とも言っていたような……。
とにかく、妙に癖のある男だった。
「あのお方がどうかなさったのですか?」
〈どうかなさった……ってわけじゃねーんだけど、あん時にあいつ、カティに何か耳打ちしてただろ? そしたら一瞬、カティの顔色が変わってさ。覚えてねーかな?〉
「カティの顔色が……?」
ティアは数秒考えてから、パアッと顔をほころばせ、胸の前で両手を重ね合わせた。
「思い出しましたわ! わたくしも、あのお方はカティに何をおっしゃったのかしらと、一瞬気にはなりましたの。ですが……その後もいろいろなことがございましたでしょう? リオフリード様が口になさるまで忘れておりましたわ」
そう言ってうなずくと、ティアは僅かに首を傾けた。
「それで、そのお方がどうかなさいましたか? カティの様子がおかしかったことと、何か関係ございますの?」
〈いや、そうは言ってねーけどさ。あん時もおかしかったなって、ちょっと思い出したから……〉
リオはそう言った後、再び沈黙したのだが。
しばらくしてから、不安げにポツリと言った。
〈なあ、あいつ……脅されたりしてねーよな?〉
「え? 脅され……って、そんな! カティが、あの妙なお方に!?」
〈シーッ! 王女さん、声、声っ!〉
慌てたようなリオの声に、ティアはハッとして両手で口を覆った。
瞬間。カティが階段を上ってくる足音がし、ティアは早口のささやき声で告げた。
「カティが戻ってきたようですわ。お話の続きはまた後ほど」
〈わかった! とりあえず、こっちがカティを怪しんでるってことは気づかれねーよーに頼むぜ、王女さん。……まあ、あいつのことだからこっちに怪しまれてることくれーわかってるとは思うけどさ。なるべく刺激しねーよーに。追い詰めちまうことのねーよーにな〉
「ええ、わかっております」
ティアがうなずいたとたん、規則正しく扉が叩かれる音がした。
入室を許可すると、カティがいつもの銀製のトレイを片手に持って入ってくる。
「セルランティア様。蜂蜜酒入りハーブティーをお持ちしました。……蜂蜜酒より、ただの蜂蜜入りの方がよろしかったでしょうか?」
いつものカティらしくなく、自信なさげな様子だ。続けざまに失態を犯したばかりで、調子が乱れているのかもしれない。
「いいえ、蜂蜜酒の方で構わないわ。ありがとう、カティ」
もともと、リオと話す機会を作りたくて頼んだに過ぎない。飲み物の種類は何でも良いのだ。ティアは礼を言ってカティからハーブティー入りのゴブレットを受け取った。
その時、カティの指先が微かに震えているのに気がついた。
思わず見上げると、彼女の伏せられたまつげの奥で瞳が落ち着きなく揺れている。彼女らしくない落ち着きのなさを目の当たりにし、ティアの脳裏に先ほどのリオの言葉がよぎった。
(まさか……本当に脅されてでもいるというの?)
疑惑が強まり、ティアの胸はギュッと締め付けられた。
何か気遣う言葉でもかけようと、ティアが口を開きかけた時だった。
まるで声をかけられるのを恐れてでもいるように、カティは深く頭を下げた。
「それでは、私はこれにて失礼いたします」
「えっ?――カティ?」
訝しむティアの声を振り切り、カティはトレイを胸に抱えたまま背を向けた。静止する暇を与えぬうちに足早で扉に向かい、切羽詰まったかのような素早さで部屋を出ていく。
いつもの落ち着いた足音ではない。まるで駆け下りていくかのような足音が大きく響き、ティアの胸はますます締め付けられた。
(カティ……)
思わず祈るように、ティアは胸の前で両手を組み合わせた。
すると、
〈……なあ、王女さん〉
静まり返った部屋の中に、リオの硬い声が響いた。
「ええ……。いつものカティではございませんわ」
ティアは沈んだ声で応えた。
いつもの彼女であれば、指示があるまで控えているはずなのだ。
〈あいつ、完全に余裕を失ってるな。やっぱ、あの錬金術師に何か弱みでも握られてんじゃねーか? それとも――〉
リオはそこで言葉を切り、重苦しい沈黙が流れる。
カティの背後に潜む「誰か」の真実味がいっそう増した気がして――二人の心に暗い影が落ちた。




