☽第16話 隣国王子の懺悔
ヴィソルは壁に手をついたまま、しばらく微動だにしなかった。
ティアはそんな彼を見つめ、ただ待つしかできなかった。彼が信じてくれることをひたすらに願いながら……。
やがて。
ヴィソルは壁から手を離すと、ふらつきながら歩き出した。
ティアの前を横切り、一言も発しないまま表通りへと向かっていく。
信じてもらえなかったのだろうかと傷つきつつも、ティアはとっさに呼びかけた。
「ヴィソルさ――」
「その名で呼ぶな!」
鋭い声にビクッとし、ティアは身をすくめて口をつぐんだ。
「この街では、俺はただの金工職人見習いのアウェル。それ以外の名では呼ぶな」
低い声でそれだけ言い捨てると、彼は裏路地から表通りへと出ていった。
残されたティアはため息をつき、深くうつむく。
「やはり、信じてはいただけなかったのですね……」
〈き、気にすんなって、王女さん! いきなり男の中に女の意識だけいるとかって言われても、誰だってすぐには受け入れらんねーと思うしさ! 張本人の俺ですら結構かかったし〉
落ち込んでいる様子のティアを励まそうとしているのか、リオはやたらと明るい声で言った。
ティアはその気持ちをありがたく思いながら、小さくうなずく。
「そう……ですわね。すぐには信じていただけなかったとしても、これからまた、少しずつわたくしたちのことをお伝えしていけば、いつかは……」
〈ああ、そーだって! きっといつかは信じてもらえるさ。気長に行こーぜ、王女さん!〉
リオの言葉に希望を見出し、ティアがもう一度うなずいた時だった。
「ああっ、こんなとこにいたのかよ! あちこち捜しちまったぜ、リオ!」
表通りから裏路地を覗き込んでいるアラサブと目が合い、ティアは足早に表通りへと出た。
〈悪ぃーな、アラサブ。心配させちまったみてーだな〉
ティアが慌ててリオの口調を真似ると、アラサブは両手を腰に当ててティアを睨んだ。
「おう! すっげー心配したんだからな! アウェルに引っ張っていかれた時はなんかボーゼンとしちまって、なかなか動き出せなかったんだけどさ。我に返って店の外出て捜し回っても、おまえら全然見つかんねーし! 諦めて店の前まで戻ってきたら、アウェルだけいてさ。『悪いが今日は帰る』って、一人でサッサと帰っちまったよ」
「そう……でしたの……」
「って、まーた女言葉なんか使ってやがるな? もしかして、アウェルの様子が変だったのって、そのせいなんじゃねーの? 女言葉使う妙な男に、いきなり派手な紐なんて贈られてさ、「気味悪ぃー」ってなっちまったんじゃねーか?」
「……気持ち……悪い……」
思わず暗い声が出た。
アラサブはマズいと思ったのか、思いつく限りの言葉でもって謝り、慰めてくれたが……ティアの心が晴れることはなかった。
アラサブに悪気がないことはわかっている。
しかし、二人だけの思い出を語っても、その時の彼の言葉を伝えても、信じてもらえなかったことと。
アラサブが口を滑らせた「気味悪い」という言葉が胸の内で引っかかり、どうしても笑うことができなかった。
翌日。
アウェルは金工工房には来なかったらしい。
アラサブの言うところによると、体調を崩してしまったのだそうだ。
だが、その翌日も、そのまた翌日も、彼は工房を休んだ。
アラサブは「悪い病にかかっちまったんじゃねーか」としきりに心配していたが。ティアもリオも、きっと理由は他にあるだろうことを薄々気づいていた。
それから数日の後。
驚いたことに、アウェルの姿をしたヴィソルが直接リオの家に訪ねてきた。
真剣な顔で「家に入れてもらえるだろうか」と言うので、ティアは驚きつつも彼を迎え入れた。
どこに座ってもらおうかとティアが室内を見回していると、
「今、私と話しているのはどちらだ? リオフリードか? それとも……セルランティア、君なのか?」
背後から訊ねられ、反射的に振り向く。
ティアは彼の真意を確かめようと、まっすぐ彼の目を見つめたが、彼は逃げるように目をそらした。
「教えてくれ。君は今どちらなんだ?」
「ティア……セルランティアですわ。ヴィソル様が訪ねていらっしゃる前まではリオフリード様でしたが、もう一度あなた様とお話したいと無理にお願いして、替わっていただきましたの」
「そう……ですか」
それを聞くと、突然何を思ったか、ヴィソルはティアの前で床に両膝をついた。
一国の王子である彼が、自ら床に膝をつくなどとは――!
ティアが衝撃を受けていると、彼はそっと彼女の手を取り、頭を垂れて額を押し付けた。
「先日は誠に失礼いたしました。我が愛しのセルランティア……! ひどく混乱していたとは言え、あなたにあのような非礼を働いてしまうとは……。どうか、どうか私に罰をお与えください! あなたを深く傷つけたこの罪、命を賭しても償えるものではありません!」
握る手が微かに震えていた。
ティアは大きく目を見開いてしばらく彼を見つめていたが、ふいに柔らかく微笑んだ。
「信じて……いただけたのですね……?」
「はい。……いいえ。あなたから幼き頃の思い出が語られた時には、すでに確信しておりました。ただ、確信を裏付けるためにはもう一押し……もうひとつの疑惑に答えを見出す必要があったのです。そちらの問題を片付けるのと情報を整理するのに少々時間を要しまして、お詫びに伺うのが遅れてしまいました。誠に申し訳ございません……!」
そう言って、ヴィソルは握る手に力を込めた。
ティアはゆるゆると首を振り、彼の手にそっと自分の手を添えた。
「ヴィソル様……。どうかお顔をお上げください。謝罪はもう充分ですわ。信じていただけたのでしたら、それだけで……」
ホッとしたとたん涙が滲んできた。ティアは慌てて目の淵を拭うと、微笑みを浮かべる。
「さあ、もうお立ちくださいませ。過ぎた日のことを悔やんでいても仕方ありませんわ。これからのお話をいたしましょう」
ヴィソルは静かに顔を上げると、「セルランティア……」としみじみとつぶやき、ティアの手を握ったまま立ち上がった。
そして困ったような笑みを浮かべる。
「やはり、まだ慣れませんね。お顔を見てお話するのは……。お言葉だけ聞いていれば、間違いなくセルランティアなのですが、姿はやや幼さの残る少年そのものなのですから。このままでは、お姿を拝見して愛の言葉を捧げるのは難しいでしょう」
「ま、まあ……。『愛の言葉』だなんて……」
頬を染めて恥ずかしがるティアの内側で、
〈やめろッ、気色悪ぃ! そんな言葉一瞬でも耳にしよーもんなら、全力で体奪い取って張り倒してやっからなッ!? 覚えてやがれッ!!〉
今まで声を出すのを必死に我慢していたリオは、ここぞとばかりに声を張り上げた。




