☽第5話 巻き戻った時間
脳内で響いた何者かの声に驚き、ティアはビクッと肩をすくめた。
〈――ってか、おまえ誰なんだよ!? どーして俺の体で好き勝手してんだ!? 人が寝てる間に体乗っ取って気っ色悪ぃ女みてーな言葉でエトナとしゃべって、おまけに『きゃあ』だぁ!?……ったく。エトナもヤベーもんでも見ちまったよーな顔してたし……。俺がおかしくなったと思われたらどーするつもりだ!? 責任取ってくれんだろうなぁ、おいっ!?〉
頭の中で見知らぬ男にギャンギャン吠えつかれ、ティアは無意識に目をつむり、両手で頭を抱えた。
心臓が早鐘のように打ち、息苦しくてめまいまでしてくる。
「あ……あの……も、申し訳ございません。……ですが、あの……わたくしも、何が何だかわからなくて……」
頭を抱えて小さく丸まりながら答えると、若い男のような声は、さらにイラ立ったように大声を上げた。
〈だからッ!! 俺の声で情けねー声出してんじゃねーよ!! 女にでもなったみてーでゾッとすんだろーがッ!!〉
「……で、ですが……。実際にわたくしは女ですし……」
〈――って、やっぱ女なのか!?〉
「は……はい。わたくしは女です。女で……名は、セルランティア。セルランティア・ヴェレス・アルカーランと申します」
〈はあ!? セルランティアぁッ!?……え。セ、セルランティア……ヴェレス……アルカー……ラン、って……〉
それからしばらく沈黙が続いた。
どうしてしまったのだろうと、ティアは怯えながらも心配になってきた。
思い切って声をかけようとした、その時。
〈ア……アルカーランって、確か……こ、この国の王族……? 王家の名前……じゃなかったか?〉
先ほどまでの勢いはどこへやら。打って変わって緊張でもしているかのような声で、若い男の声は訊ねた。
ティアは戸惑いながらも、恐る恐る言葉を返す。
「はい。わたくしはセレンドルム王国の第一王女、セルランティアです。……あの……わたくしをご存知なのですか……?」
〈だ……第一王女……。マジかよ……〉
ティアの問いには答えることなく、男の声は再び沈黙してしまった。
「あの……いかがなさいました?」
訊ねてみるが、やはり返事はない。
脳内で大きな声を響かせられるのも困ったものだが、急に黙り込まれてしまうとなんとなく落ち着かない。
ティアは相変わらず速く打ち続ける鼓動を押さえつけるように、両手を胸元にそっと当てた。
長い沈黙の後、ようやく男の声が響いた。
しかし、声の音量はかなり絞られ、弱々しいものになっていた。
〈え……っと。セルランティア王女……さん、だったよな?……俺はリオ。リオフリードってんだけど……なんであんた、俺の体にいるわけ? 目が覚めるまでは、確かに俺だけの体だったのに……。なんで今は、あんたが自由に俺の体動かしてんの? 俺……あんたに体乗っ取られた……ってこと?〉
相手が王女だと知り、やはり緊張しているのだろう。
それとも、いきなり自分の中に入ってきた王女と名乗る者のことを、どこまで信じていいのか決めかねているのか。
どちらにせよ、妙に遠慮がちな声だった。
ティアは居心地の悪さを感じながらも、素直に彼の問いに答えた。
「乗っ取るだなんて……! わたくしにそのような意図はございませんわ。ただ……先ほども申しましたように、わたくしも、どうしてこのようなことになってしまったのかわからないのです。あなた様がおっしゃったように、わたくしも目覚めたらここにいて、あなた様のお体に入ってしまっていたのですわ。……本当に、どうしたらよいのでしょう。わたくし……あなた様に胸を貫かれて、あのまま死んでしまうと思っておりましたのに……」
〈は!? 俺があんた――っ、いや、王女さんの胸を貫いた?……なんだよ、それ!? なんで俺が、あんたを殺さなきゃなんねーんだ!?〉
「え……?……あの、ですが……」
ティアは困惑した。
先ほど窓に映った人物は、自分の胸を短剣で突き刺した男の顔とそっくりだった。
たった一度しか見ていないが、あれほどまでに強烈な出来事の際に確認した顔だ。忘れられるはずもない。
だが、当の本人には全く覚えがないようだ。
嘘をついていることも充分考えられるが……声からは、本当に驚いているような響きしか感じ取れなかった。
だとすれば、あの時の暗殺者と声の主は別人なのだろうか?
他人の空似で片づけるには、あまりにも似すぎているが……。
ティアはますます混乱し、心細げに両手を握り合わせた。
「ですが……わたくしは確かに、婚姻式の日に胸を刺されて……」
〈へ?……婚姻……式?〉
戸惑ってでもいるのか、リオフリード――リオの声はしばし途切れた。
再びの沈黙の理由がわからず、ティアも口を閉ざしていたのだが。
〈婚姻式って、いつの話だ? そんなたいそうな式があるってんなら、街中――いや、国中で大騒ぎになってるはずだよな? なのにそんな話……俺は今まで聞いたこともねーぜ? 何かの間違いじゃねーのか?〉
「え……っ?」
ティアは絶句した後、ゆるゆると首を横に振った。
「そんな……。そんなはずありませんわ。わたくしは、新年を迎える前にヴィソル様と……隣国の第一王子であらせられるヴィソル様との、婚姻式当日に……」
〈新年? ずいぶん気の早ぇー話だな。まだ夏の終わり頃って時に、もう新年の話かよ〉
「えっ、夏?……夏の終わり……って……」
ティアは言葉を失い、青ざめた。
婚姻式の行われた日は、間違いなく冬だった。
ただでさえ凍てつくような回廊を、たった一人で歩かなければならなかったのだ。あの日の心細さと肌を突き刺すような冷気を、そうそう忘れられるはずもない。
それなのに……今はまだ夏?
婚姻式まで、まだ数ヶ月もあるというのか?
到底、ティアには信じられることではなかった。
しかし、そう言えば……ここは隙間風が入ってくるような頼りない家だというのに、薄着でも寒さは感じない。
このような家であれば、冬場はかなり着込まないと凍死してしまうだろうと思われるが……。
「今は……まだ、夏……」
呆然とつぶやいて、ティアは自分の体を痛みを感じるほど抱き締めた。
暗殺者の体――しかも、男性の体に入ってしまったらしいというだけでも充分に恐ろしかったというのに。
時間までもが巻き戻ってしまったのかと思うと、もう〝恐ろしい〟の一言だけでは片づけられない。
「わたくし……。わたくし、いったいどうしたら……」
気が遠くなりそうになる意識を必死に励まし、寒くもないのに震える体をひたすらに抱き締めながら、ティアはキツく目を閉じた。




