☽第18話 別れの儀式
本来なら、鳴るはずのない弔鐘だった。
それが今、エトナのために街中に響き渡っている。
親方が教会への献金を多めに包んでくれたお陰だろう。
リオは感情が抜け落ちてしまったかのような顔つきで、その物悲しい音を聞いていた。
〈リオフリード様……〉
ティアの声が控えめに響く。
だが、リオは言葉を返さなかった。
言葉もなく、親方たち男衆が棺を土に還していく様子を、まるで人ごとのように眺めていた。
「あの……リオ」
いつものハツラツとした声はすっかり影を潜めていた。アデリンは弱々しい声でリオの名を呼び、遠慮がちに彼の服の袖を引いた。
リオはゆっくりと視線を横にやり、虚ろな目でアデリンを見つめる。
とたん、アデリンの顔が泣き出しそうに歪んだ。しかし、気丈に涙をこらえると、
「ごめん……。アラサブ、お弔いにも野辺送りにも来られなくて。何度も行こうって言ったんだけど、『行きたくない』『エトナは死んでなんかいないから』……って」
そこまで言うと、耐えられなくなったのだろう。アデリンはポロポロと涙を地に落とした。
リオのまぶたがピクッと痙攣したかのように動く。
彼は低く押し殺した声で、アデリンに「あいつ、今……?」と訊ねた。
「……家にいる。エトナが亡くなってから、ずっと部屋に籠もったまま出てこないの。食事もしてないんだ……」
アデリンもすっかり憔悴しきっている。
リオはギリッと歯噛みし、
「悪ぃ。ちょっと抜ける」
アデリンに告げると、止める間もなく走り出した。
「リオ!? 抜けるって、どこへ――!」
「すぐ戻る!」
アデリンの声を後ろに聞きながら、リオは振り向くことなく走り続けた。
アラサブの家の前まで来ると、リオは何度か深呼吸してから呼び鈴も鳴らさず扉を開けた。
「えっ……リオ!? あなた、今野辺送り中じゃ――?」
「悪ぃ、おばさん。邪魔する」
リオはアラサブたちの母親への挨拶もそこそこに、アラサブの部屋へまっすぐ向かった。
声がけもせずに片足を上げ、蹴破る勢いで扉を開ける。
〈リ、リオフリード様っ?〉
ハラハラしながら見守っていたらしいティアが、そこで初めて声を上げた。
リオの家のボロボロの寝台よりはかなりマシな、まだ真新しく見える寝台の上に、アラサブはいた。
頭からスッポリ毛布を被り、隅の方で体を小さく丸めている。
リオは容赦なく毛布をはぎ取ると、強引にアラサブの腕を引いた。
「来い、アラサブ。逃げてねーで、ちゃんとエトナを弔え」
気持ちを無理やり押し込めているような、平坦な声だった。
アラサブはリオの手を振り払い、再び毛布を被って丸まる。
「嫌だッ!!……オレは行かねえ。絶対、絶対認めねえ。……エトナは生きてるんだ。死んでなんかいねえ。だから、行く必要もねえんだ」
リオはギュッと拳を握り、血が滲むほど強く唇を噛んだ。その拳が、肩が、唇が小刻みに震えている。
「……っざけんな!! バカなこと言ってねーで早く来い! エトナの埋葬に間に合わねーだろーが!」
リオはアラサブの体を包んでいる毛布を鷲掴みにすると、引きずるようにして寝台から床に下ろした。
再び毛布をはぎ取ろうとして、アラサブとしばし揉み合いになる。
「離せよッ!! オレのことは放っといてくれ!」
「俺だって放っときてーよッ!! こんなメンドクセーこと、ホントはしたくもねーよ! けど……っ」
ようやく毛布をはぎ取ると、リオはアラサブから遠い位置に毛布を放り投げた。
「けど、放っとけるわけねーだろ!? おまえがいつまでもそーやってグダグダやってたら、エトナが悲しむじゃねーかッ!!」
ビクッと、アラサブの肩が跳ねる。
リオはアラサブの襟元を両手で掴み上げ、顔を近づけて睨みつけた。
「おまえ、覚えてねーのかよ!? エトナがおまえになんて言ったか! 高熱で苦しんでる中、それでもおまえに言った言葉、もう忘れちまったのか!?」
リオの言葉に、アラサブの目が大きく見開かれた。
山に遊びに行った日。
エトナは家で倒れ、そのままリオによって寝台まで運ばれた。
そして二度と、そこから起き上がることはなかった。
リオは生まれた時から世話になっている薬師の老人を呼びに走り、すぐさま診てもらった。
診立ての後、薬師はゆるゆると首を振って「数日が山だろう」とだけ告げ、肩を落として帰っていった。
頭が真っ白になったリオは、その日は眠ることなく、食事もせずにエトナの傍らに居続けた。
心配になったティアは何度も食事するよう勧めたが、彼が受け入れることはなかった。妹の傍から離れたくないと、ずっと彼女の手を握っていた。
アラサブが青い顔で飛び込んできたのは、翌朝のことだった。
寝台に横たわり、苦しそうに息をしているエトナを認めると、呆然とし――次の瞬間、リオに掴みかかってきた。
「何だよこれッ!? どーゆーことなんだよリオッ!? エトナがなんで……なんでこんなことになってんだよッ!?」
リオは何も言えず、ただ目をそらしてアラサブのされるがままになっていた。
アラサブはリオから何も聞き出せないと知るや、今度はエトナの傍らに膝をつき、リオの手から離れた彼女の手を握った。
「エトナ! エトナッ!!……どーしちまったんだよ、おい? いったいいつから――っ! リオ! おまえがついてながら何だよこれッ!? どーしてこんなになるまで気づかなかったんだよッ!?」
事情もよく知らないアラサブは、一方的にリオを責め立てた。いつもの彼らしくなかった。
「やめ……て……。ケンカ、しない……で……」
その時、エトナのかすれ声がした。
リオとアラサブは、並んでエトナの横で膝をついた。
「エトナ!……大丈夫だ、すぐに治る! きっと治るからな!」
アラサブは自分にも言い聞かせるように、エトナに声をかけ続けた。
彼女はうっすらと目を開け、アラサブをまっすぐ見つめると、
「アラサブ……兄ちゃ……ん。あの……ペンダン、ト……」
「ペンダント? オレが渡したペンダントのことか?」
エトナは小さくうなずき、微笑んだ。
「すご……く、嬉しかっ……た。ありがと……ね」
「あんなの、これからだっていっぱい作ってやるよ! もっとずっとキレイな石……本物の宝石でさ! エトナの好きな細工施して……もっとたくさん作ってやる!」
エトナは微かに首を横に振ると、もう一度微笑む。
「あれが……いい、の。あの石……すごく、キレイ……だから……。あれがいい……の……」
「そ……そっか。気に入ってくれたんだな。よかった」
「うん……。でも、ね……。ごめん……ね。あの……ペンダ……ト、お兄ちゃ……に、あげても……いい?」
「えっ? リオに?」
「うん……。最初は、ね……。アラサブ兄ちゃ……に、もらって……もらお……って、思ってたんだ……けど。……アラサブ……なら、大丈……ぶ……だと、思う……から」
「大丈夫?……オレが? オレの何が大丈夫だって?」
「アラサブ……は、優し……し、強い……から……。あれが、なくても……まっすぐ……生きてけ……る……。でも……お兄ちゃ……は……弱……虫、だから……。あれが……ないと……まっす……ぐ、行けな……かも……だか、ら……。だから……ペンダ……トは、お兄ちゃん……に……」
「ああ、いいよ! あれはエトナのものなんだから。エトナが好きなようにしていいんだ」
「……あ……がと……。アラ……サ……。ごめ……ね……?」
「何言ってんだよ! エトナが謝ることなんて何もねーだろ?」
「うぅ……ん。あの……ね? もひとつ……お願……い」
「ああ、何だって聞いてやる!……何だ? どんなお願いがしてーんだ?」
「あたし……の……こと……」
「うん!」
「早……く、忘れて……ね?」
瞬間。アラサブは目を見開いて息を呑んだ。
「……な……何、言って……。何言ってんだよ、エトナ! どーしてオレが、おまえを忘れなきゃなんねーんだ!」
「…………」
それ以上話すことができなかったのか、エトナは静かに目を閉じた。
――エトナが息を引き取ったのは、それから五日後のことだった。
最後の三日ほどは熱に苦しめられることもなく、安らかなまま彼女は逝った。
「あの時、どーしてエトナが『アラサブなら大丈夫』って言ったかわかってんのか!?……信じてっからだよ! おまえならこの先何があったって乗り越えていけるって! 自分がいなくても生きてけるって信じてたからだよ! そんなエトナの気持ちを……エトナの信頼を、おまえはこーやって裏切んのか!?」
「……リ……オ……」
「逃げんなよ! 一時的に苦しみから目をそらしたってムダなんだよ! 向き合おーとしねー限り、いつまでもいつまでも追ってくんだよ! ぜってー逃げられやしねーんだよッ!!」
〈リオフリード様……〉
ティアは「ああ、自分にも言い聞かせているのだな」と、その時思った。
逃げ出したくても逃げ出せない自分に。嫌でも受け入れなければいけない身である、自分自身に。
「逃げずにちゃんと見ろよ! エトナの死を受け入れろ! そして前を向け! でなきゃ……でなきゃエトナが安心して旅立てねーだろーがッ!!」
アラサブは呆然とリオを見返した後、ガクリと頭を垂れた。
「待ってくれ!! 一緒に埋葬してーもんがあるんだ!」
今まさに、エトナの棺に土をかけようとしていた男たちの手が止まった。
リオがいなくなってしまったため中断されていた埋葬だったが。
男衆にもそれぞれこの後の予定があるので、再開されたばかりだったのだ。
穴に下りて棺の前に立つと、アラサブは大事そうに抱えていた花冠をそっと供えた。
「ごめんな、遅くなっちまって……。エトナはオレを強いって言ってくれたけど、オレ、そんな強くなんかねーからさ。これが目につくとこにあると、思い出しちまうからさ。『忘れて』って言われたのに……いつも考えちまうから」
「……アラサブ」
兄の後ろに立って見守っていたアデリンが、辛そうに目をそらす。
アラサブは膝をつき、棺に取りすがるようにして思いを吐露し続けた。
「もちろん、忘れるつもりなんかねーよ? いくらエトナの最後の言葉でも、それだけは叶えてやれそーにねーけど……。エトナさ、頑張っただろ? こんな小さな体でさ。病と闘って……勝つことはできなかったかもしんねーけど、でも……必死に頑張ったろ? だから、今度はオレからエトナに……この花冠を送るよ。よく頑張ったな、エトナ。もう苦しいことは何もねーから……安らかに眠ってくれ」
アラサブはよろりと立ち上がって棺に背を向けた。
引き上げるためにリオが手を伸ばすと、彼はその手を一度は握ろうとしたが、再び棺に向き直ると。
「忘れねーよ! 誰が忘れてなんかやるか! ずっと……ずっと好きだったんだ! ガキの頃からずっと……ずっと!!……なのに……最後まで言えなくてごめん。オレ、意気地なしで……振られたらどーしよーとか、気まずいとか……そんなことばっかり考えて……言えなくてごめん!……好きだよ、エトナ。ずっとずっと、大好きだ……ッ!!」
アラサブは想いを吐き出すと、棺に取りすがって泣いた。泣いて泣いて泣き続けた。
アデリンはそんな兄の姿を見ていられなくなったのか、隣にいたリオに抱きついて、やはり泣いた。
リオはアデリンを抱き返してやることもできず、ギュッと唇を引き結び、拳を握り締めて空を仰いだ。
その時、彼の目尻から……涙が一粒こぼれ落ちた。




