☽第14話 初めての「芽生え」
リオに「消えろ」と言われてしまってから、ティアは真っ暗な空間を漂っていた。
どこかはわからない。
……いや。リオの体の中には違いないのだろうが、それまでの感覚とはまるで違っていた。
今までは、リオの目を通して周囲のものを見ていた。見えていた。
それなのに、今は何も見ることができない。漆黒の闇だ。
過去に送られてから、リオの体を奪った形になっていたが。
リオ本人に強く拒絶されたことで、今度は彼本人が体を動かす主体になったということだろうか。それとも、本来の形に戻ったと言うべきか。
(そう……ですわね。わたくしがリオフリード様のお体に勝手に入り込んできたのですもの。ご本人に拒絶されてしまったら、お体を使わせていただけなくなるばかりか、お話することさえできなくなってしまうのかも……)
瞬間、胸がチクリと痛む感覚がした。
この体はリオのもの。自分の胸など、もうどこにもないというのに。
意識だけ過去に飛ばされただけで、自分の本体は、未来でとっくに死を迎えているはずなのに。
(でしたら何ゆえに……リオフリード様のお体でも、わたくしは痛みを感じるのでしょう? リオフリード様の痛みはリオフリード様のもの。わたくしの痛みとは違うはずですのに……)
そんな考えても答えなど見つけられそうにないことを、ティアが考え始めた時だった。
どこからか、誰かのすすり泣く声が聞こえた気がした。
(この泣き声は……まさか、リオフリード様? リオフリード様が泣いていらっしゃる……?)
注意深く意識を集中させる。
すると、少しずつ少しずつ、すすり泣く声が大きくなっていった。
(やはり、このお声はリオフリード様。泣いていらっしゃる理由は何なのでしょう? いったい、リオフリード様の身に何が――)
さらに意識を集中すると、すすり泣きに混じって微かな声も聞こえてきた。
「王女……さん……。ごめん。傷つけてごめん……。いくらでも謝るから……だから……出てきてくれ……」
(え……?)
リオが自分を呼んでいる?
彼のものとはとても思えない、弱々しい、心細そうな声……。
「エトナが……俺の傍からいなくなっちまう。手の届かない、遠いところへ……。俺……俺、どーしたら……」
(えっ?……エトナが……って、もしや、エトナから聞いてしまわれたのですか? あれほど『もう一人のお兄ちゃんには言わないで』と言っていたのに。……エトナ……)
自分が暗闇にいる間に、エトナはリオに病のことを打ち明けたのだろうか?
それとも、偶然知ってしまったのだろうか?
どちらにせよ、リオがこれほど弱り切っているのだ。エトナの秘密を知ってしまったと考えて、まず間違いないだろう。
できることなら、偶然知ったということではなく、エトナ自身の口から聞いていてくれたらと思う。
誰から聞いても、どのように知っても、事実は変わらないとは言えども。
ある程度身構えてから聞くのとそうでないのとでは、大きな違いがあるようにティアには思えるからだ。
ティアはエトナ自身から聞き、この秘密を知った。
何故かと言うと、エトナはティアのことを〝リオのもうひとつの人格〟と思っていたようなのだ。
そして、どうやら酒場の男たちの中に、二重人格になってしまった男の話をしていた者がいたらしい。
その話と、リオの最近の奇妙な様子が彼女の中でピタリとハマり、
「お兄ちゃん、二重人格になっちゃったんでしょう?」
と、ティアに直接訊ねてきたのだ。
いつものリオにはとても話せないが、〝こちらのリオ〟になら話してもいいような気がしたと、病のことを打ち明けてくれた。
こんな深刻な話を、実際の兄ではなく何故自分に?
ティアは不思議に思ったが、実際の兄ではないからこそ話しやすいのかもしれない、とも思った。
悲しみと寂しさがじわじわと広がっていき、途中、エトナの話が耳に入ってこなくなった時もあった。
そのたびに詫び、もう一度話してもらったりしたわけだが……。
今思えば、何と残酷なことをさせてしまっていたのだろう。
病のことを打ち明けるのは、かなりの苦痛だったに違いない。
それをこちらの聞き漏らしのせいで、何度も説明させてしまった。
(……ですが、知り合ってからまだそれほど経っていないわたくしでさえ、気が遠くなりかけたことが幾度もあったのですもの。リオフリード様のご心痛は、わたくしなどとは比べものにならないほどでしょう)
「……怖ぇ。怖ぇよ……。王女さん、頼む。戻ってきてくれよ……。お願いだから返事してくれ……っ!」
リオの悲痛な声が聞こえる。
強がりで意地っ張りな彼が、誇りをかなぐり捨ててまで、悲しみの淵で助けを求めている。
(わたくしはここにおりますわ、リオフリード様! まだあなた様の中に。どこにも行ったりしませんから、どうかもうお泣きにならないで――!)
ティアが強く呼びかけたとたん、暗闇が消え去り、体の感覚が戻ってきた。
ハッと目を見開くと、そこは過去に飛ばされたティアが初めて目覚めた場所。――リオの部屋の寝台の上だった。
「リオフリード様! わたくしはここにおります!」
ハッキリと告げた時、脳内に弱りきった声が響いた。
〈王女……さん。……よかった。戻ってきてくれたんだな……〉
「ええ、どうかご安心ください。わたくしはどこにも行ったりなどしません。これからも、リオフリード様のお傍におりますわ!」
自分でも驚くほど、確信に満ちた声だった。
それはティアの中に生まれて初めて芽生えた、「この人を守りたい。絶対に守らなければ」という母性だったのかもしれない。




