☽第13話 妹の叫び
エトナが部屋から出ていってから、どれくらい経っただろう。
リオは寝台の上に体を投げ出し、隙間だらけの天井を見るともなしに眺めていた。
(屋根、いー加減どーにかしなきゃな。冬が来たら凍え死んじま――)
瞬間。
急激に吐き気を催し、リオは反射的に起き上がって口元を押さえた。
胸元の服を掴み、大きく肩で息をする。何度か繰り返していると徐々に吐き気は引いていったが、胃の辺りの不快感は消えなかった。
――エトナから、「不治の病にかかっちゃったみたい」と告げられた時。
リオはしばらく固まって、すぐには何の言葉も浮かんではこなかった。
……不治の病?
不治……って、どーゆー意味だっけ?
不治……不治……。不治って確か……。
治らない、って意味じゃなかったか……?
「は……。な……何いってんだよ、いきなり。……あれか? 俺を驚かそうって魂胆か? みんなで示し合わして俺を騙そうって……そーゆーヤツだろ?」
「お兄ちゃん……。違うの、ちゃんと聞いて?」
「ハハッ! その手には乗んねーぞ? どーせアデリンか誰かが考えたんだろ? アラサブは知ってんのか? 知ってたんだったら、後で懲らしめてやんねーとな。俺を騙そーなんて百年早いっての!」
「違うんだってば、お兄ちゃん。あたし――」
「ったく。アデリンもしょーがねー奴だな。人をからかって楽しむくれーならまだ許してやってもいーけど、こりゃーやりすぎだろ。からかうどころの騒ぎじゃ済ま――」
「やめてよお兄ちゃんッ!! アデリンがそんなたちの悪いことするわけないでしょ!? いくらからかうのが好きだからって、していいことと悪いことの区別くらいつくよ! 認めるのが怖いからって、アデリンを悪者にするのはやめてッ!! そんなのお兄ちゃんらしくないよ!!」
「……エトナ」
リオは呆然とエトナを見返した。
今まで軽く注意されるようなことはあったが、ここまで激しく責められたことなどなかった。
エトナはしばらくリオを睨みつけていた。
だが、やがて大きなため息をつくと、気を取り直したようにリオをまっすぐ見つめた。
「お兄ちゃん、お願いだからちゃんと聞いて。はぐらかさないで。あたしはお兄ちゃんをからかってるわけでも騙してるわけでもない。本当のことを言ってるの」
「…………」
リオはエトナの真剣な眼差しを受け止めることができず、ふっと視線をそらした。
再びエトナのため息が聞こえたが、リオはそちらを見ることができなかった。
「……いいよ、もう。そのままで聞いて? あたしのかかった病ね、『黒痣病』っていうらしいの。血がどんどん腐っていっちゃう病なんだって。この病にかかって助かったって人は、今まで一人もいないって」
ピクリとリオの肩が揺れた。
それを見て、エトナの顔にも微かに憂いが横切ったが、彼女は気丈に話し続けた。
「症状としてはね、まずは貧血が続くって。そのうち体のあちこちに黒い痣が出て、鼻血や歯茎から出た血が止まらなくなったりするんだって。お腹の左上の方が腫れて、硬くなったりもすることもあるって。それからね、だんだん――」
「やめろッ!!」
エトナが淡々と話し続けるのに耐えられなくなり、リオは両手で耳を押さえて叫んだ。
「……お兄ちゃん」
「何なんだよ、おまえッ!? 何でそんな――何でそんな冷静でいられんだよ!? 何でそこまで、まるで人ごとみたいに話し続けられんだよ!? 『助からない』って、『治らない病』だって言われたんだろ!? 薬師にさじ投げられたんだろ!? 誰も助けられない……もう、何しても助かんないって!?……怖くねーのかよ!? おまえ、まだ十五だぞ!? これからもっと楽しーこと……してーことだっていっぱいあんだろ!? 恋にだって憧れる年頃じゃねーか! なのに何でそんな――っ」
「怖いに決まってるじゃないッ!!」
「――っ!」
腹の底から絞り出したかのような声に、リオはギクリとして固まった。
エトナは静まり返った部屋で、少しの間うつむいて座っていた。
座ったまま再び口を開き、静かに思いを吐露し始める。
「あたしだって怖い。怖いよ……。怖いけど……仕方ないじゃない。治せないって言われちゃったんだもん。誰よりも信頼してる薬師のお爺さんに」
「薬師……って、あの爺さんか!? 爺さんに診てもらったのか!?」
「……そうだよ。当たり前じゃない。あのお爺さん以外、誰に診てもらえるって言うの? あたしたちみたいに貧しい人間にも優しく手を差し伸べてくれる人なんて……この街では、あのお爺さんくらいしかいないじゃない」
「そ……れは、そう……だけど……」
リオはつぶやいた後、ハッと息を呑んだ。
「け……けど、さっき会った時、爺さんエトナのことなんて何も言ってなかったぞ? 『本人が大丈夫だって言ってるんなら大丈夫だろう』って、まるで突き放すみてーにっ」
「あたしが『お兄ちゃんには絶対言わないで』って頼んだからだよ。特に『不治の病なんてことは伝えないで』って。ギリギリまで伝えなければ、『きっと薬師に診せた時には手遅れだったんだ』って、諦めてくれるだろうと思ったの」
「な――っ!……何だよそれ!? 何でそんな――」
「だって! 初期段階で病が発覚しちゃったら、お兄ちゃん、どんな無理してでも薬を手に入れようとしちゃうでしょ!? 治らないのに! 薬なんかじゃ治せないのに、きっと納得しようとしないでしょ!? 元気に見えるうちは、絶対諦めてなんかくれないでしょ!?」
「……な……何で諦めなきゃなんねーんだよ? どんな病だって、最初の頃なら薬で治せ――」
「治せないんだってば! この病にかかった時点でもうダメなの!! 何したって助からないの!! どんな薬でも治せないの!!」
「そんなのわかんねーじゃねーか!! 今まで助かった例がねーってだけで、これからもねーとは限んねーだろ!? エトナが、助かった初めての例になっかもしんねーじゃねーか!!」
「ならないよ!! 他の誰でもない、お爺さんの診立てなんだもん。治らないんだよッ!!」
「……エトナ……」
「あのお爺さんがどれだけすごい人か、お兄ちゃんだって知ってるでしょ? 今はお店は閉めちゃってるけど、腕は鈍ってなんかない。街一番の――ううん、国一番の薬師って言われてた人だもん。その人が診てくれたんだよ? 最初のうちは世界中の医学書ひっくり返して、毎日寝不足の状態で、それでもどこかに特効薬がないかって調べてくれて……それでも見つからなかったんだもん。諦めるしか……諦めるしかないじゃない」
いつしか、エトナの両目からは大粒の涙がとめどなく溢れ出ていた。
「あたしだって……諦めたくなかった。まだまだやりたいこといっぱいあるし……夢だってあるし……恋だってしたいし。でも……でも、世界中で一番信頼してる薬師のお爺さんが、フラフラになるまで探し回っても見つけられなかったんだよ?」
「け……けど、爺さんが全てってわけじゃ……」
「お爺さん、泣いてた。『すまない。どれだけ探しても見つからない。黒痣病の特効薬がどこにもないんだ。……すまない。何もしてやれなくて申し訳ない』って、あたしの前でうずくまるようにして謝って……いっぱいいっぱい泣いてた」
「爺さん、が……」
エトナは両手で涙を拭いながら、フッと笑った。
「おかしいよね、謝るなんて。お爺さん、なんにも悪くないのに。むしろ『今は金のことなんて考えるな。どうしても払いたいってんなら、リオに大人になってから払わせてやる』なんて言って、少しでも病の進行を遅らせられるようなお薬をって、いろいろ考えて調合して、分けてくれたりしたのに。……おかしいよね、ほんとに。自分だって、そろそろ体のこと気遣ってあげなきゃいけない歳なのに、こんな小娘のことに必死になって、フラフラになって……最後には泣いて謝って。ほんとに……どこまでも人のことばかり」
また溢れ出そうになる涙を懸命に両手で拭い続けながら、エトナは笑った。
「だからね、もう充分だなって思ったの。あたしの周りには、こんなに親身になってくれる、優しい人たちがたっくさんいるんだから。あたし、すごく幸せなんだなって……心から思えたの」
「……幸……せ?」
「うん! あたし、幸せだよ? 無理して言ってるんじゃない。本当にそう思ってるの。それに……幸せって『どれだけ長く生きるか』じゃないと思うんだ。たとえ短くても一生懸命生きてれば……生きることができれば、その人は幸せなんだよ。他の人はどう思うかわからないけど……あたしはそう思うな」
エトナは吹っ切れたかのような笑顔を見せると、
「とにかく、言いたかったのは今ので全部。あたし、もうこれくらいのとこまではきちゃってるから――」
そう言って服の袖をまくり、二の腕の裏側を見せた。そこには、黒に近い紫色の痣ができていた。
「だから、これからお兄ちゃんにもいろいろと迷惑かけちゃうことになると思うけど、ごめんね? 今からちょっと覚悟しててね?」
エヘヘと照れくさそうに笑い、再び袖で腕を隠すと、エトナはリオの部屋から出ていった。
閉じられた扉をしばらく見つめてからふらりと立ち上がり、リオは身を投げ出すように寝台へと倒れ込んだ。
エトナの告白を聞いてから、もうどれくらい経った?
自分はこれからどうすればいい?
頭の中がグチャグチャで、どうにかなりそうだった。
……エトナが不治の病?
もう絶対助からないって?
「なんだよ、それ……」
リオは再び寝台に倒れ込み、両腕で顔を隠した。
「……王女さん。出てきてくれよ……」
救いを求めるようにつぶやく。
「あれだけひでーこと言って傷つけといて、勝手だって……ひでー奴だってわかってっけど……。頼むから、俺の傍にいてくれよ。一人に……一人にしねーでくれ……っ」
気がつくと涙が溢れていた。
リオは涙を拭うこともせず、すっかり日の落ちた部屋でティアに語りかけ続けた。




