☽第10話 兄妹の対話
家に戻ると、リオはすぐさま自室に向かおうとした。
だが、その手前でエトナと出くわし、思わず立ち止まる。
「お兄ちゃん? どうかしたの、顔色悪いよ?」
リオはとっさに顔を背けた。今の自分の表情を、エトナにだけは見られたくなかったからだ。
「顔色悪ぃのはおまえの方だろ」
ごまかそうとして、つい余計なことをつぶやいてしまう。
すぐさま後悔し、謝ろうと顔を上げると、エトナは自嘲するような笑みを浮かべていた。
「アハハ。確かにね。……でも、ホントにお兄ちゃんも顔色悪いよ? 昨夜のこと気にしてるの?」
「は? 昨夜?」
意味がわからず顔をしかめたとたん、エトナが「あっ」と言って口元を押さえた。
リオの顔色を窺うように、上目遣いでじっと見つめる。
「ヤダ……。もしかして、昨夜のお兄ちゃんとは違うお兄ちゃん……の方?」
「『昨夜の俺とは違う』?……って、おい! まさかおまえ――!」
リオがある可能性に気づいて声を上げると、エトナは観念したように深いため息をついた。
再びリオをじっと見つめ、落ち着いた声で告げる。
「やっぱり、もうごまかすのは無理みたい。……ちょっと話そうか、お兄ちゃん」
自室に入ると、リオはエトナにベッドに座るよう促した。
エトナは言われたとおりにし、リオは隅にある丸椅子をベッド脇に移動させて座った。
「……で? さっき言ってたことはどーゆーことなんだ? おまえ、昨夜『俺』と話したのか?」
エトナは自分の膝の上で両手を握り合わせてうなずいた。
「うん、話したよ。あたしからお兄ちゃんの部屋に行ったの。『話がある』って」
「……そーか」
(俺が爆睡してる間に、王女さんはエトナと話してたのか。エトナから話があるって、いったい……)
改まって「話がある」などと言われると、どうしても身構えてしまう。
聞くのが怖いという気持ちもあったが、沈黙が長く続くのも嫌だった。
リオは覚悟を決めて切り出した。
「昨夜、俺と何を話したんだ?」
「覚えてないの、お兄ちゃん?」
「う……っ。いや、だから――」
逆に訊ねられてしまい、リオは言葉を詰まらせた。
うろたえるリオを見て、エトナはクスクス笑っている。
「ごめんごめん。昨夜のお兄ちゃんは今のお兄ちゃんとは違うんだから、覚えてるわけ――ううん、知ってるわけないんだよね」
「エトナ……」
そう言ったきり、リオは言葉を失った。
エトナは今、「昨夜のお兄ちゃんは今のお兄ちゃんとは違う」と確かに言った。
それは何を意味するのだろう?
(まさか、昨夜話した時に王女さんから全部聞いたのか? 俺の中に王女さんがいるって?)
ゴクリとツバを飲み込み、次のエトナの言葉を待つ。
エトナはフッと真顔に戻ると、少し声を抑えて訊ねた。
「お兄ちゃん、ここのところ変だったよね」
「えっ? あ、ああ……。ごめんな。気持ち悪かったろ?」
「フフッ。そりゃあ、初めはちょっと驚いたけど。でも……あたし、変な時のお兄ちゃんも好きだよ」
「えっ?」
「言葉遣いが妙に丁寧で、上品な女の人みたいになっちゃうお兄ちゃん。あの時のお兄ちゃんも、すごく好き」
「…………」
「だって、昨日も言ってくれたでしょう? 『たった二人の兄妹なんだから、遠慮なんかしちゃダメだ』って。苦しいこと、辛いことがあるなら我慢しないで言った方が良いって。その方がお兄ちゃんも嬉しいはずだって」
「…………」
「『はずだ』っていうのがよくわからなかったけどね、その時は。自分のことなのにって」
「そう……だな」
気の抜けた声で返しつつ、リオは急に一切反応しなくなったティアのことを考えていた。
ひどいことを言ってしまったから、傷ついていることは確かだろうが。
彼女の性格を考えれば、意識があるのにこちらから話を振っても一切反応しないというのは考えられない。
――ということは、眠ってしまっているのか?
いや。投げつけられた言葉に衝撃を受け、気絶してしまったとも考えられる。
(さすがに言い過ぎたよな、『出てけ』なんて。王女さんだって、好きで俺の体に入り込んだわけでもねーって感じだったのに……)
「ねえ。お兄ちゃん、聞いてる?」
エトナの声で我に返る。
ティアのことを考えていたせいで、エトナの声が入ってこなくなってしまっていたようだ。
「あ……。悪ぃ。ちょっとボーッとしちまってた」
「えぇー? ひっどい。これから真剣な話しようとしてる時に」
「ご、ごめん。今度はちゃんと聞くよ」
「ホントにぃ? また途中でボーッとしたりしないでよ?」
「わかってるって。もう絶対、ボーッとなんてしねーから」
エトナは可愛らしく頬を膨らませ、腕を組んだりしながら、しばらくリオを睨みつけていた。
やがて、「しょうがないなぁ」とでも言うように大きな溜め息をつくと。
「あたしね、〝不治の病〟にかかっちゃったみたいなの。もう、どんな薬を飲んでも治らないって。この病にかかってから快復した人は、今まで一人もいないんだって」
エトナは妙に淡々と、達観しているかのように乱れひとつない声で告げた。




