☽第9話 薬師の老人と闇の底
リオに「昔から世話んなってる薬師の爺さん」に頼みたいことがあるからと言われ、その家の前までやってきたまではよかったが。
どうしても扉を開く勇気が持てず、ティアは両手を胸の前で握り締めたまま立ちすくんでいた。
〈どーしたんだよ、王女さん? 薬師の爺さんは、別に怖い人じゃねーぜ? 取って食ったりしねーから安心してくれよ〉
いつまで経っても入ろうとしないティアのことを、見知らぬ老人に会うのを怖がっていると受け取ったらしい。リオは気休めのようなことを言って、ティアに家に入るよう促した。
だが、ティアは薬師の老人を怖がっているわけではない。すでにエトナと話をしているという老人の態度から、リオが何かを察してしまうことを恐れているのだ。
(どうすればよいのでしょう。エトナと交わした約束を破るわけにはまいりませんし……。でも、このままここで佇んでいても怪しまれるだけですもの。覚悟を決めて入るしかありませんわね)
そう自分に言い聞かせると、ティアは恐る恐る取っ手に手を伸ばし、運を天に任せるつもりで扉を開けた。
「いらっしゃ――……なんだ、ホップんとこの坊やか」
ティアと目が合ったとたん、驚いたように固まった老人は、素早く視線をそらして自分の仕事に戻った。
老人は年季の入った机の前に座り、黙々と乳鉢に入った何かを擦り潰している。何かとはたぶん、薬草の類だろう。
〈王女さん。悪ぃけど、爺さんにエトナのこと訊いてみてくんねーかな? 最近貧血だかなんだかってーので具合悪そうなんだけど、このまま放っといても大丈夫なのかって。あと、何か良い薬ねーかって〉
「えっ?……あ、はい……」
ティアはためらいながらも、リオが脳内で繰り返す言葉を必死に真似て老人に伝えた。
老人は僅かに顔を上げてリオをチラ見すると、再び視線を下に戻した。
「本人が大丈夫だって言ってるんだ、大丈夫なんだろう。……あと、薬のことだがな。もうおまえたちにタダ同然で分けてやることはできん。最近、貴族連中の薬の買い占めが多くてな。そのせいで、どんどん価格が吊り上がってやがるんだ。こっちもいろいろ厳しいんだよ、悪いな」
〈な……っ! 何だよ、それ!? 貴族が薬を買い占め!? 俺たちに分けてやれる薬はねーって……〉
リオは老人の言葉に衝撃を受けたようだったが、それはティアも同じだった。
今、「貴族が薬を買い占めている」と老人は言っていた。それは事実なのだろうか? 事実だとしたら、その理由は?
ここのところ流行病の噂も、大量の薬が必要なやっかいな病が発生したという噂も耳にしたことがない。当然、「貴族が薬を買い占めている」という噂もだ。
だが、現に薬師である老人が「貴族が薬を買い占めている」から「薬の価格が吊り上がっている」と言っているのだ。事実には違いないのだろう。
しかし、何故……?
ティアが呆然としていると、リオがいきなり大声を上げた。
〈っざけんじゃねーよ! 貴族が薬を買い占めてるってどーゆーことだよ!?――王女さん、何でそんなことになってんのか爺さんに訊いてくれ!〉
「え……。あ、は……はい」
ティアは気が遠くなりそうになるのを必死にこらえ、老人に訊ねた。
すると老人は、再びティアをチラ見だけして、
「さぁてな、ワシも詳しいことはわからん。……ただ、こういう噂もあった。『国王の娘が幼い頃から重病を患っており、それを治すために新薬を開発せねばならんのだと。そのために大量の薬が必要で、貴族どもは国王のご機嫌取りのために薬を買い漁り、貢いでいるのではないか』とな」
〈な――っ! 国王が娘のために……だと!?〉
「そんな――! そんなはずございませんわ! お父さ――っ、……陛下がそのようなこと、するはずがございません!」
妙に思われるのはわかりきっていたが、それでも声を上げずにはいられなかった。ティアは老人をまっすぐ見据え、彼の言葉を否定した。
老人はギョッとしたように顔を上げ、ポカンとした顔でティアを見つめていた。
「……リオ、おまえさん……いつからそんな、女みてえな言葉使うようになったんだい? あんまりビックリして心臓止まるかと思っちまったよ」
「そ、そのようなこと、どうでもよろしいではございませんか。そのようなことよりも、今の発言には完全に誤りがございます。わたくし――っ、……いいえ、王女は重い病になどかかっておりません。ですから、陛下が『新薬の開発のために大量の薬を必要としている』などと、絶対にあり得ません! どこから出た噂かは存じませんが、それだけはハッキリと否定させていただきます!」
今のティアにとっては、「リオの真似をしなければ」という義務感より「国王についての誤った情報を正さなければ」という使命感のようなものの方が勝っていた。
老人に怪しまれるのを覚悟でキッパリ言い切ると、彼はしきりに目をしばしばさせ、
「あ……いや……。だから、ワシも詳しいことはわからんよ。そういう噂があるっちゅう話を聞いただけだからな。けど、『王女は病にかかってない』とやけに自信ありげに言い切っとったが……おまえさん、王室について何か知っとるのか?」
疑うと言うよりは、ただただ驚いている様子ではあった。
だが、これ以上ここにいるのは危険だと判断し、ティアはリオに確認することなく、慌てて適当なことを言って外に出た。
足早に薬師の老人の家から離れ、街の広場に出てからようやく息をつく。
まだ激しく脈打っている胸を押さえつつ、ティアは真っ先にリオに詫びた。
「申し訳ございません、リオフリード様。勝手な判断で外へ出てしまって……。その上、リオフリード様を真似ることも忘れてあのような発言を――」
〈……てけ……〉
「え? 今、何とおっしゃいましたの? 申し訳ございません、よく聞こえなくて。もう一度――」
〈出てってくれって言ったんだよ! 今すぐ! 俺の中から!〉
「え……。あ……ですが、わたくし……」
〈もうたくさんなんだよ! あんたが俺ん中に入ってきた時から、俺の生活はメチャクチャになっちまった! エトナだって、時々妙な目で俺を見るよーになっちまったし、俺の言うことだって全然聞かねーし! あんたが俺の体奪うまではいつも素直な良い妹だったんだよ! なのに――っ〉
「リ……リオフリード……様……」
〈薬師の爺さんだって! 昔はすっげー良い人だったのに、ちょっと会わねーうちによそよそしくなっちまって……俺たちにやれる薬もねーって!……なんなんだよ、それ? 貴族が薬買い占めてっとか、あんたの親父があんたのために新薬開発させてっとか!〉
「で、ですからそれは誤解なのです! わたくしは病弱などではございません。お父様が新薬開発などする必要など――」
〈けど、貴族があんたの親父に取り入るために薬買い漁ってんだろ!? それも誤解なのかよ!?〉
「そ……それは……。わたくしにはわかりません、けれど……。でも――っ」
〈だったら同じことだ! あんたの親父がホントに新薬開発なんてしてなくたって、貴族はそう思ってんだろ!? だから貢いで薬が足りなくなったんだろ!?……あんたら貴族はいつもそーだ! いつだって自分たちのことしか考えてねー! 自分たちさえよけりゃ、オレたち平民が苦しんでよーか死んじまいそーだろーが構やしねーんだ!〉
「そ、そのような……」
〈うるせー、うるせーッ!! 早く返せよ俺の体ッ!! とっとと俺の中から出てってくれ! 今すぐ消えろぉおおおーーーーーッ!!〉
瞬間。
ティアの意識は急速に遠のき、深い深い闇の底に沈んだ。




