☀第7話 寝不足も一瞬で覚める報告
カティが共に部屋に住むと知った日の夜。
結局、リオは一睡もすることができなかった。
何せ、隣の寝台で彼女が眠りに就いているのだ。
気になって気になって目はギンギンに冴えてしまい、微かな寝息や寝返りの音にさえビクビクする始末だった。
そのせいで、ティアに体を返すこともできなかった。
とにかくリオにとっては、最低最悪の夜になってしまった。
カティが着替えるために部屋の外へと出ている間に、リオはティアに謝った。
「ごめん、王女さん! 俺が全然眠れなかったせいで、昨夜はあんたに体を返すことができなくなっちまって……。湯浴みもできなかったし、毎日体を清潔にしてるあんたにとっちゃ辛い夜だったろ? ホントにごめんな」
思わず落ち込んでしまうリオだったが、ティアは少しも気にしていない様子だった。
〈そんな……。どうかお気になさらないでください。体を清められなかったことは確かに少々気になりますけれど、一日湯浴みすることができなかったくらい、どうということもございませんわ。死ぬわけではないのですもの〉
とたん、リオはハッとなった。
ティアは気にしてほしくなくて言ったに違いない「死ぬわけではない」という言葉が、胸に突き刺さったのだ。
(『死ぬわけではない』って……。俺は一度、あんたのことを殺しちまってんだぜ? なのに……そんな無邪気に『死ぬわけではない』なんて……)
リオの胸に、再び強力な罪悪感が蘇ってきた。
彼女を殺したという事実を、忘れていたわけではない。
忘れられるはずもないのだが、ティアがあまりにも優しくて穏やかなものだから、最近はなるべく考えないようにしてしまっている自分がいた。
ティアと過ごす時が温かくて……。
彼女の無知であるがゆえの純粋さ、懐の深さに甘え、全て忘れてここからやり直そうか――そんな都合の良い思いすら抱くようになってしまっていたのだ。
(……ったく。ふざけんな、だよな。人を殺しておいて『全部忘れてやり直そう』だなんて。王女さんと一緒なら、このまま元に戻らなくても楽しく暮らせんじゃねーかなんて……そんなことが許されるはずもねーのに)
そんな思いに囚われ、リオが自己嫌悪に陥っていると、ティアが心配そうに声をかけてきた。
〈リオフリード様? 本当に、わたくしのことでしたらお気になさらなくて構いませんのよ? 今までにも、軽い熱を出した時など、湯浴みできないようなことは何度かございましたし……。それほどお気になさることではございませんわ。ですからどうか、いつものお元気なリオフリード様に戻ってくださいませ〉
リオが落ち込んでいるのは、あくまでティアに湯浴みさせてあげられなかったせいだと思っているのだろう。
必死に励まそうとしてくれている彼女に、リオの心はますます重くなっていった。
その時、いつものように扉が規則正しい調子で叩かれ、リオは慌ててカティに入室の許可を出した。
カティは濃紺のウール地の素朴なドレスに繊細な刺繍が入ったエプロンを重ね、腰には太めの紐を巻くという、いつもの服装で現れた。
後ろで編み込まれた髪は、レースをあしらった清潔なリネンで包みこまれている。今日も完璧なこの国の侍女の装いだ。
カティは日課のひとつである、この言葉を口にした。
「おはようございます、セルランティア様。今朝は、ご加減の方はいかがですか?」
「おはよう、カティ。気分は特に悪くはないわ」
この言葉にはもう慣れた。リオはスラスラと、最初にティアに教わった言葉で返事した。
カティは小さくうなずくと、次のお決まりの言葉を発する。
「さようでございますか。ご加減がよろしいようで安心いたしました。それでは至急、清めの水をご用意いたします」
リオがこの部屋で初めて目覚めた日と全く変わらない。カティは小脇に抱えていた鉢をサイドテーブルに置き、水差しの水を慎重に注ぐ。
リオは立ち上がると顔を洗い、カティから差し出された布で顔を拭った。
「髪をお整えいたします。本日は被り髪をいかがいたしましょう?」
「ああ……今日はこのままでいいわ。どうせ誰も――どなたもいらっしゃらないんでしょう?」
あの日から、カティは「被り髪を身につけるかどうか」を律儀に訊ねるようになった。
「あの日」とは、リオが初めてここで目覚めた日。頭をかきむしって被り髪を落としてしまった日のことだ。
あの一件で、カティは「ティアが被り髪を本当は心底嫌がっている」と思い込んでしまったらしい。
それとも、訪問者がいない日であれば、わざわざ被らなくても構わないだろうと判断したか。――たぶん、そのどちらかだろう。
「本日もどなたのご訪問も予定されてはおりません」
「でしょう? だったら――」
「というはずだったのですが」
意味ありげに言葉を切り、カティがリオをじっと見返す。
「えっ? も、もしかして誰か来――っ、……ど、どなたかいらっしゃるの? お父様かしらっ?」
訪問があるとしたら国王くらいだと聞いている。当然、「はい」の二文字が返ってくると思ったのだが。
予想に反し、カティはゆるゆると首を横に振った。
「いいえ、ご訪問なさるのは陛下ではございません。隣国の王子であらせられるヴィソル殿下、とのことでございます」
予想外の名が淡々と告げられ、リオは思わずポカンとしてしまった。
だが、脳内では珍しく、「ええっ、ヴィソル様が!?」とティアの声が裏返っている。
(隣国? ヴィソルでんか?……って、まさか……!)
「うぇええーーーッ!? 隣国王子って王女さ――っ、お、いやっ! わたくしの婚約者ぁああーーーーーッ!?」
慌てて言い直したものの、完全にティアらしくはない言葉と声量で、リオは驚愕の声を上げた。




