☽第6話 現実逃避の街散策
よほど疲れ切っていたのだろう。リオが目を覚ましたのは翌朝だった。
〈すまねー、王女さん。夜中には起きるつもりだったのに、朝まで眠っちまった。体拭く暇なくなっちまったけど……今から拭こうか?〉
夏場は夜中、ティアが眠っている間にリオがこっそり家を抜け出し、川まで体を洗いにいっていたのだ。
秋にもなるとさすがに川では辛くなり、朝のうちに汲んでおいた井戸水を布に含ませ、体を拭くのが日課となっていた。
だが、あることで頭がいっぱいになっていたティアは、リオの問いにすぐ返事することができなかった。
リオはティアが腹を立てていると思ったのか、
〈王女さん……もしかして怒ってんのか?〉
恐る恐るといった風に重ねて訊ねられ、ティアはようやく我に返った。
「返事が遅れてしまって申し訳ございません。少し考えごとをしておりましたの。怒ってなどおりませんわ」
〈そっか? ならいーけど……〉
しばし沈黙が流れた後、ティアは努めて明るくリオに切り出した。
「リオフリード様、本日はお休みなのですよね? もしよろしければ、街を案内していただけませんか? わたくし、この街のことをもっとよく知りたいのです。リオフリード様のお疲れがまだ残っていらっしゃるなら、無理にとは申せませんけれど……」
〈街? まー、ガッツリ眠って疲れも取れたし、別に構わねーけど……〉
「まあ、ありがとうございます。それでは、支度を整えて早速参りましょう」
できるだけエトナと顔を合わせていたくない。その一心で、珍しくリオを急かしてティアは街へと繰り出した。
〈なあ、王女さん。さっきからずっと黙ってっけど、どーかしたのか? 俺の案内じゃ、やっぱつまんねーのかな?〉
自分から誘ったにもかかわらず、ティアはいろいろ案内してくれているリオの言葉にも上の空で、ずっとうつむきながら歩いていた。
そんな自分に気づき、ティアは慌てて首を横に振った。
「そんなことございません! とっても素敵な街なものですから、見惚れてしまっていただけですわ」
無理やりに笑顔を作り、ティアは必死にごまかした。
だが、リオを完全にごまかすことはできなかったらしい。「そーかぁ? 『見惚れてた』わりには、ずっと下向いてたじゃねーか」などと不満げだ。
「も、申し訳ございません……。ですが、素敵な街だと思っているのは本当のことですのよ?」
〈んん~? ホントかねぇ~?〉
「本当ですわ! わたくし、街を隅々まで見て回るのは生まれて初めてですけれど、これほどまでに街の施設や仕組みが整っているとは思っておりませんでしたの。とても暮らしやすそうで、街の人々も活き活きしていらして……。正直なところを申しますと、安堵しておりますの」
〈あんど?〉
「はい。お父様――陛下がこのような治世を生み出していらっしゃるのかと思うと、とても誇らしくて。……もちろん、わたくしの目に入っている範囲などまだまだほんの一部なのでしょうし、世の全てが上手く回っているとは思いませんけれど。……ですが少なくとも、本日わたくしの目に映った方々はとても幸せそうに笑っていらっしゃいましたわ。そのことが心から嬉しいのです」
そう言って、ティアは幸せそうに微笑んだ。
〈そっか、なるほどな。王女さんの父親がこの国の王様なんだもんな。親父さんのしてることが上手く行ってるように見えりゃー、嬉しーに決まってるよな〉
「ええ。……あ。ですが、貧富の差がないわけではございませんし、全ての人々が平等にお幸せなわけではないのでしょうけれど――」
ティアが言い足すと、リオは愉快そうにククッと笑った。
〈王女さん、今……俺ん家のこと考えたろ?〉
「えっ?……あ、いいえ。決してそのような……」
ティアが言い淀むと、リオはますます楽しそうにカラカラと笑った。
〈いーっていーって。俺ん家が他の家より貧しいのはホントのことだし。……何せ、俺の家を見て王女さん、この街のこと『貧民街』って思っちまったんだもんなー?〉
「リ、リオフリード様……! ですから、その節は誠に失礼なことを思ってしまったと反省しておりますわ。もう何度も謝罪したではございませんか……」
初めて目覚めた時の印象をポロッと口に出してしまった日のことを思い出し、ティアは全身を熱くした。
誤解だと知った時は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。「消えてしまえるなら消えてしまいたい」と、真剣に願ってしまったほどだ。
〈ククッ。ま、そー思っちまっても仕方ねーよ。屋根やら壁やら隙間だらけになっちまってるもんな。冬になる前に直さなきゃって思ってはいるんだけどさ。なかなか時間が取れなくて……。でもさ、王女さん。うちは確かに貧しいけどさ、だからって『不幸だ』なんて思ってねーし、王女さんの感じたことも間違っちゃいねーと思うぜ?〉
「え?」
〈さっき王女さん言ったろ、『目に映った方々はとても幸せそうに笑って』たって〉
「あ……はい」
〈この街の奴らはさ、確かに俺らみてーに貧しい奴も少なくねーけど、街のみんながそれぞれ支え合って生きてんだ。うちの親方みてーな良い人もたくさんいるし。……幸せってさ、金持ってるかどーかってことは、それほど関係ねーんじゃねーかな。そりゃ、金はあるに越したことはねーとは思うぜ? けど、そんだけじゃ計れねーことも、きっとたくさんあるんだよ〉
「……リオフリード様」
〈なーんて。ガラにもなく偉そーなこと言っちまったな。忘れてくれ〉
リオは照れくさそうに笑ったが、ティアは胸に温かなものがじんわりと広がっていくのを感じた。
しみじみ感動していると、唐突にリオが声を上げた。
〈あ! 王女さん。悪ぃーけど、そこの角曲がってくんねーか? 昔から世話んなってる薬師の爺さんが、あの角の家に住んでんだ〉
「く、薬師――?」
一瞬で現実に引き戻されたティアは思わず立ち止まり、ギュッと両手を握り締めた。




