☽第5話 すれ違う兄妹と親方の気遣い
エトナは「ただの貧血」だと言い張り、笑っていた。
だが、酒場で倒れた日以降、顔色は悪くなる一方だ。ティアもリオも、毎日生きた心地がしなかった。
リオから「知り合いの薬師に診てもらうよう言ってくれ」と頼まれたティアは、エトナにそのまま伝えたこともあった。
それでもエトナは「大丈夫だから」の一点張りで、決して診てもらおうとはしないのだ。
「お兄ちゃん、心配し過ぎだってば。本人が大丈夫だって言ってるんだから……ね? 信じてよ」
そう言ってエトナは笑う。
それでも、以前のようなまぶしい笑顔ではなく、どこか影のある笑顔に変わってしまったように感じられ、ティアの胸は締め付けられるように痛んだ。
〈エトナのバカ野郎! なんで薬師の爺さんのとこに行かないんだよ? あの爺さんなら、『見立て料や薬代はもっと大人になってからでいい』って言ってくれるに決まってんのに!〉
初めは心から心配していたようだったリオは、あまりにも言うことを聞かないエトナに腹が立ってきてしまったらしい。
もちろん、腹が立つのは心からエトナの身を案じているからだろう。
もしものことがあったら大変だから、一日でも早く薬師に診てもらいたいのだ。
それがわかるからこそ、ティアも板挟みのようになって辛かった。
説得するのが自分ではなくリオであったなら、エトナももう少しは言うことを聞く気になっていたかもしれない。
自分が上手くリオを演じられていないから、エトナも不信感を抱いてしまっているのではないか。
そんな気がしてきて、ここのところ、罪悪感であまり眠れていないのだ。
(……いけませんわね。こんなことでわたくしまで倒れてしまっては、リオフリード様にますますご迷惑が――)
そこまで考えて、ハッとした。
むしろ、自分の意識がずっと消えてしまっていた方が良いのではないか?
そうしたらリオに体を戻せるし、その間にエトナを上手く説得してもらうなり、強引に薬師のところに連れていくなりできるのでは?
(そうだわ! どうして今まで考えつかなかったのでしょう。昼間、リオフリード様に体をお返しすればよいのですよね)
ティアは「早速行動に移さなければ」と意気込んだが、今は仕事中であったことを思い出した。
さすがに、今眠るのはまずい。リオが怠けていると思われでもしたら、仕事をやめさせられてしまうかもしれない。
(……いいえ。親方様とリオフリード様の亡くなられたご両親は仲がおよろしかったのですもの。一度や二度そのように思えることがあったとしても、お仕事を奪うようなことはなさらないとは思いますけれど)
そうは思っても、リオの評判を落とすわけにはいかない。
それによく考えてみれば、今この場でリオに体を渡しても意味がないのだ。エトナとじっくり話せるような時間帯でなければ。
(だとすると……帰宅後が最適かもしれませんわね。家に戻ってすぐ、『今日は疲れたから』とでも言ってわたくしが眠ってしまえれば、リオフリード様とエトナがじっくり話す機会を持っていただけますわ)
ティアが「これだ!」と思ってうなずいた時だった。
背後から「大丈夫か、リオ?」といきなり声をかけられ、ティアはビクッとなって振り向いた。
「あ……。親方様」
親方は「様」を付けて呼ばれて苦笑したが、特に何も言ってはこなかった。
ここのところリオの様子が変なことには気づいていたが、心労がたたっているのだろうと思っているらしい。
「エトナのこと、うちのやつから聞いてるよ。おめえのことだ。気がかりで、夜もろくに眠れてねえんじゃねえか?」
(え? 『うちのやつ』……?)
ティアは一瞬、何のことを言われているのかわからなかった。
だが、すぐに酒場の女将のことだと気づき、
「あ……。ええ、あの……」
と言葉を濁した。よく眠れていないのは事実だったが、正直に言っていいものかどうかわからなかったからだ。
親方はティアの肩に手を置くと、気遣わしげに微笑した。
「まあ、気持ちはわかるが、あまり無理すんじゃねえぞ。何かあったら遠慮なく言えよ? 俺はおめえの親父から『二人のことを頼む』って何度も言われてんだからな。おめえたちに何かあったら、いずれ俺があの世に行った時、おめえの親父にぶん殴られちまう」
「親方様……」
〈親方……〉
ティアとリオは同時につぶやいた。
親方の気持ちがありがたかった。
ティアはリオを羨ましく思い、リオは「一人じゃない」と心から安堵できた。
「ほれっ、ボサッとしてんな! 今日中にここの丸太、運んじまわにゃあいけねえんだからよ」
親方は照れくさそうにニカッと笑い、丸太を軽々と担ぎ上げた。
ティアとリオは、まるで示し合わせたかのように勢いよく返事すると、親方のものより細めの丸太を肩に担いだ。
仕事が終わり、いつものように酒場で夕食をとってエトナと共に帰宅すると、
〈すまねー、王女さん。親方が言ってた通り、ここんとこあんま眠れてねーんだ。夜まで眠ってていーか?〉
すぐにリオからそう言われてしまい、ティアはとっさに言葉を返せなかった。
〈王女さん?……ダメ、かな?〉
すぐに返事がないことを「嫌だ」という意味と受け取ったのか、リオがためらいがちに訊ねてくる。
ティアはすぐさま我に返り、
「い、いいえ! ダメなはずありませんわ。わたくしにお気遣いなど無用です。ゆっくりとお眠りくださいませ」
慌てて答えると、リオはホッとしたように「ありがとな。じゃあ、そうさせてもらうよ」と返してきた。
正直なところ、家に着いたら即眠ろうと思っていたのは自分の方なのだが。
今日を逃したら機会がないというわけでもないだろうと思い直し、ティアはリオが眠りに就くことを受け入れた。
(では、リオフリード様がお目覚めになるまでは、わたくし一人ですのね。一人の時間を持てるなんて久々のことで、何をすればよいかわかりませんわ)
リオとの共同生活のようなものにすっかり慣れてしまい、ティアはリオの部屋で「さて。何をして時を過ごそう」と考えていた。
すると、扉を叩く音がし、
「お兄ちゃん。ちょっと話があるんだけど……いいかな?」
久しぶりにエトナの方から声をかけてきた。
顔を合わせば「『薬師に診てもらえ』と言ってくれ」とリオに頼まれ、そのたびに言う通りにしていたら、避けられるようになってしまったのだ。
「まあ。エトナからお話があるそうですわ。いかがいたしましょう?」
小声で話しかけても、リオからの返事はない。どうやらもう眠ってしまったらしい。よほど疲れが溜まっていたのだろう。
(久しぶりにエトナとゆっくり話せそうですのに……。でも、仕方ありませんわね。わたくしが代わりに話を聞いて、リオフリード様にお伝えすればよいのですし)
ティアは小さくうなずくと、エトナを迎え入れるため扉を開けた。




