☽第9話 収穫祭前夜
ティアがリオとの〝魂の同居生活〟を始めてから、二週間ほどが経った。
大工仕事にも慣れ、エトナとの生活も少しずつ違和感なく過ごせるようになったと、ティアは内心ホッとしていた。
片方の意識が眠っている間は、もう片方の意識が体を動かせる。
それがわかったお陰で、〝体はティアの意識が眠っている間に洗う〟という決まりを作ることもできた。
全く不都合がないというわけではないが、いろいろな会話や経験を積み重ねていくことにより、二人には不思議な信頼関係が生まれ始めていた。
そんなある日のこと。
ティアはリオに教えてもらいながら、家の自室で木彫りの人形を作っていた。
「リオフリード様。この部分はどのように彫ればよいのですか?」
彫りかけのウサギを目の前にかざし、ティアはリオの次の指示を待つ。
〈んー……。王女さんの好きなよーに彫ればいーんじゃねーかな。俺が教えることは、もう何もねー気がするし〉
あっさりと告げられ、ティアは驚いて目を見張った。
「そんな、好きなようにだなんて……。わたくしにはまだ早すぎますわ。もっといろいろ教えてくださいませ」
不安げなティアの声に、リオがプッと吹き出すのがわかった。
「リオフリード様……! ひどいですわ、どうしてお笑いになりましたの? わたくし真剣ですのに……」
師匠から見放された弟子のような心持ちになり、ティアはしょんぼりと肩を落とす。
〈いやっ、べつにおかしくて笑ったわけじゃねーんだって!……悪かったよ。『王女が真剣に木彫りの人形を作ってるなんて信じらんねーな』って思ったら、つい……さ〉
リオは慌てたようにモゴモゴと言い訳のようなことをつぶやくと、気まずく沈黙した。
「まあ。どうして信じられないのです? わたくし、これでも手先は器用な方だと思いますのよ? 侍女のカティに針仕事を教わっていた時も、よく褒めてもらっておりましたわ」
少し誇らしげに胸を張ると、リオが再びフッと笑った気配がした。
「もう、リオフリード様ったら。またお笑いになりましたわね? わたくしが褒められるとおかしいのですか?」
〈ちげーって。そんな意味で笑ったんじゃねーんだって〉
「本当に?」
〈ホントホント。王女さんがあまりにかわ――っ〉
「……『かわ』?」
妙なところで言葉を切られたのが気になり、ティアはもう一度訊ねた。
「『かわ』……なんですの?」
〈…………〉
「リオフリード様? 『かわ』とはどのような――」
〈だっ、だからなんでもねーって! ちょっと口が滑っただけだ!〉
「そう……なの、ですか?」
〈……ああ〉
それっきり、リオは何も発しなくなった。
呼びかけても返事はなく、無言状態が長く続いて――ティアが眠ってしまったのだろうかと思い始めた頃、
〈もう寝よーぜ。明日はいよいよ収穫祭だ〉
元気のない声で、リオはポツリと告げた。
「収穫、祭?」
〈ああ。王女さんは知ってるかどーかわかんねーけど、俺らにとっちゃ一年のうちで一番楽しみな祭りなんだ。一日中大騒ぎして、食って飲んで踊って、食って飲んで踊ってって、そんな感じでさ。この日ばかりはみんな腹いっぱい食えて、めいっぱい楽しんで……。そーゆー特別な日なんだ〉
「特別、な……」
そこでふと、ティアは思い出した。
いつだったか侍女のカティが、
「収穫祭の前になると、皆が浮足立って困ります。城の侍女たちも気もそぞろで、小さな失敗を仕出かす者が普段の倍以上に跳ね上がるのです。そのせいでこちらにもとばっちりが……。ハァ。今からとても憂鬱ですわ」
などと、滅多にない〝感情むき出し〟の表情をしてみせた時のことを――。
「フフッ。街の皆様には楽しみな日なのでしょうけれど……わたくしの侍女にとっては〝一年で最も憂鬱な日〟らしいですわ」
貴重なカティの不満顔を思い浮かべながら、ティアは思わず笑みをこぼした。
〈収穫祭がゆううつ?……へえ。その侍女変わってんな。もしかして、一緒に楽しめる奴がいねーんじゃねーの?〉
「え?……さあ、それはわかりませんけれど……。いたとしてもわたくしのせいで、今まで収穫祭には参加できなかったのかもしれませんわ。カティはほとんど一日中、わたくしの相手をしてくれておりましたから」
そこに思い至った瞬間、ティアはカティへの罪悪感で胸が苦しくなった。
彼女が楽しい祭りに参加する機会を、自分がずっと奪ってきてしまったのだろうかと思うと、どうしようもなく心が沈んだ。
「わたくし……カティが傍にいてくれることが当たり前のようになっていましたから、今さらながら己の罪深さを思い知りましたわ。カティの自由を、わたくしが奪い続けていたのですね……」
ティアは寝台脇の小さな木箱の上に、コトリとナイフを置いた。
指先には、いくつかの切り傷があった。この二週間ほどでこしらえてしまった傷だった。
ナイフにまだ慣れていなかったティアが、木片を削ろうとしてできた傷がほとんどだ。
指先を切るたびにエトナに告げに行き、薬草を塗ってもらわなければいけなかった。
薬草も安くはないということだったので、申し訳なくて身の縮む思いだったが、
「お兄ちゃんがこんなに頻繁に指切るなんて初めてのことだったから、驚きはしたけど。薬草代のことなんて気にしなくていいってば。傷口に塗る薬草くらいならそこら辺に生えてるし。採ってきてすり潰せばいいだけだもん、簡単だよ。だから、ね? ホントに気にしなくても大丈夫だよ」
エトナはそう言って笑っていた。
(カティと言いエトナと言い……わたくしは、人に迷惑をかけてばかり)
つくづく自分という存在が情けなく、恥ずかしく思えた。
しかし、
〈そんな落ち込むなよ。カティって侍女も、それが仕事なんだろ? 王女さんがどーこーできることじゃねーんだろーし、気にすることねーって〉
リオが懸命に慰めてくれ、ティアの心はほんの少しだけ軽くなった。
「そうですわね。わたくしが落ち込んでいたところで、どうにかなるものではございませんし。ですが……次の収穫祭が行われる折には、彼女に一日休んでもらうことにしようと思いますわ」
〈ああ! いいな、それ! 今までのことはどーにもなんねーけど、これからのことなら変えていけるもんな!〉
「……ええ」
もし、元の体に戻れることがあるのなら――と、ティアは心の内でつぶやいた。
〈ま、とにかく! 明日の収穫祭に備えて、今日はもう寝ちまおーぜ。いつも以上に早起きして、やることいっぱいあるんだからな!〉
発破をかけるようなリオの声に、ティアは微笑みながらうなずいた。




