☀第8話 塔からの脱出
今日もどうにかこうにか日課をこなして夕食を済ませたリオは、テーブルの前で大きなため息を漏らした。
カティは少し前に部屋から出ていき、室内にはいくつかの燭台の炎と、弱々しい暖炉の炎が揺らめいているばかり。
静寂が満たすその場所で、リオは決意したようにつぶやいた。
「よし。カティもいなくなったことだし、そろそろ抜け出すか」
〈えっ? ぬ、脱け出す?……どういうことですの?〉
不安げなティアの声を聞きながら、リオは椅子から立ち上がった。
「どういうって、決まってんだろ。この塔から抜け出すんだよ。城を出て、まっすぐ街へ向かう」
〈街……? お待ちください、リオフリード様。抜け出すなんて無理に決まってますわ。扉には外側から鍵がかかっているとお伝えしましたでしょう? 窓だって、とても飛び降りられるような高さではございませんわ〉
「ああ、確かに飛び降りんのは無理だろう。けど……〝飛び移る〟ことならできそーなんだよな」
言いながら窓まで歩いていき、物音がしないようにそっと開ける。
リオは自分の身長分に加えてあと少しほど離れたところに生えている、大きな樹を指差した。
「ほら、あの樹だ。あれに飛び移ればどーにかなんだろ」
〈そんな……! 樹に飛び移るなど、できるはずもございませんわ! リオフリード様のお体でしたら、可能なのかもしれませんけれど……。わたくし、何かに飛び移った経験などございませんのよ?〉
「大丈夫だ、あんたの体ならできる!」
確信めいた言い方に、ティアは不思議そうに訊ねる。
〈わたくしの体であれば……? 何故、そのように思われますの?〉
「ダンスだよ! 毎日のように社交ダンスだかの練習してんだろ? あんだけ動けりゃできるって! あんたの体、俺より軽いだろーし」
〈毎日のようにと申しましても……。ダンスの練習を始めてから、まだ二年ほどしか経っておりませんし〉
「二年もやってりゃ問題ねーよ。……とにかく、一度は試してみねーとな。他に出られそうなとこがねーんだから」
そう言うと、リオは窓枠に手をかけて軽々と飛び乗った。
とたん、ティアが短い悲鳴を上げる。
窓枠の上で、ぐらつかないよう慎重に立ち上がったリオは、満足そうな笑みをこぼした。
「ほらな。あんたの体、こういうこともできちまうんだぜ。すげーだろ?」
〈わ、わたくしの体と申しますより……リオフリード様の扱い方が、お上手なだけなのでは……?〉
「あっ、扱いぃ!?……バ、ババっ、バカヤロー! 妙な言い方すんじゃねーよ!」
〈え……? 妙な言い方、ですか……?〉
ティアは何を言われているのか、よくわかっていないらしい。
考えすぎだったかと、リオは無性に恥ずかしくなった。
「と、とにかく時間がねーんだ! グズグズしてっと、カティが様子見に来ちまうからな! どーせ今日だって、ユアミとやらをしろって言いにくんだろ? その前に抜け出しちまわねーと!」
話をそらす目的もあり、リオは早口で告げると早々に樹へと飛び移った。
再びティアが悲鳴を上げたが、呆気ないほど簡単に飛び移ることができ、リオは自慢げに胸を張った。
「ほーら、余裕だったじゃねーか! やろうと思やー、意外となんだってできちまうもんなんだよ!」
言いながら、リオは子猿のようにスルスルと樹から滑り降りていく。夜着のひらひらとした裾が邪魔ではあったが、予想以上に簡単に、地面へ足をつくことができた。
「あ、ヤベー。外靴のこと考えてなかったな」
室内履きのままだったことを今さらながら思い出し、リオは「失敗した」と言うように舌打ちした。
だが、そもそも外靴なるものがティアの部屋にあるのかどうかもわからない。ここは潔く諦め、城外に出る方法を探すことにした。
「王女さん。あんた確か、『表に出て、庭園を見て回ることもある』とかって言ってたよな? 庭園ってどっちだ?」
〈え?……あ、あの……庭園はあちら……いえ、このまま前方へもう少し歩いていただき、右手の方向へ進んだところにございますわ〉
「こっちに歩いてけばいーのか?」
リオが前方を指差すと、ティアがそうだと返事をした。
「よし! じゃあ、まずはあんたが知ってる庭園ってとこに向かって、そこから城の外に出られる場所を探すか」
ティアの返事はなかったが、リオは構わず前進した。
彼女のことだ。心配してくれているのだろうが、リオは一刻も早く街に行き、自分の家へ帰りたかったのだ。
(家に戻りさえすりゃー、まだエトナがいるはずだ。まだ元気で……きっと元気で待っててくれる!)
そんなことを思いながら黙々と歩いていると、小路のようなものが現れた。ここを右に行けばいいんだなと、リオは思わず早足になった。
すると突然、人影のようなものが視界をさえぎり、リオはその人のようなものに正面からぶつかった。
「痛てッ!」
思わず声に出すと、リオは数歩足を引いて、その人らしきものから離れた。
「むっ?……おやおやおや~あ? このようなところからお出であそばしたということは……もしやあなた様は、セルランティア王女殿下ではございませんかぁ? このようなところでお目にかかれるなど、光栄至極ではございますが……そのお姿は、淑女としてはいささかふさわしくないと思われますなぁ。……フフン。王女殿下は、いかがお考えでいらっしゃいますかな?」
ぶつかった鼻を押さえて見上げると、そこには貴族らしき服装の中年男が立っていた。
貴族風の男はニタニタとした笑みを浮かべ、先がくるんと丸まったあごひげを、何度も撫でるようにしながら整えていた。




