☽第1話 初めての肉体労働
自分の背丈の倍以上あるだろうと思われる木材を前に、ティアは長いこと固まっていた。
この大きな物体を、向こうの建てかけの家の前まで運ばなければならない。
しかし、なかなか担ぐ勇気が持てず、ティアは両手を胸の前でしっかりと重ね合わせていた。
〈だーかーら! 大丈夫だって言ってんだろ? 体は俺なんだし、担げねーわけねーんだって。毎日毎日、こんなの何十本って運んでんだから〉
「なっ、何十本!?……ですか……?」
ティアは顔面蒼白になった。
これだけ重そうな木材を持ち上げ、担ぎ、少し離れた場所まで持っていく。それを幾度も繰り返さなければならないなんてと、考えただけで目が回りそうだった。
「おい! どうしたんだ、リオ? さっきから全然動いてねえじゃねえか。具合でも悪いのか?」
思いきり背中を叩かれ、ティアはビクッと肩を揺らした。
恐る恐る振り返ると、「兄弟子」だとリオから説明を受けた大柄の男が怪訝顔で見下ろしている。
「あ……。いえ、あの……」
ティアは「このように大きくて重そうなもの、運べるかどうか不安で」などとは当然言えず、うつむくばかりだったのだが。
〈ほらっ、言われちまったじゃねーか! とにかく一度持ち上げてみろって! ぜってーダイジョーブだから!〉
リオに急かされ励まされ、ティアは覚悟を決めたように木材を見つめると、のろのろと両手を伸ばした。
(このような巨木の一部、とても持ち上げられる気がしませんわ。……ですが、この体の持ち主であるリオフリード様がああまでおっしゃるんですもの。きっと、わたくしにだって――)
そんなことを思いながら、のろのろと持ち上げてみる。
「……え?」
ティアは信じられないというように、今自分が抱えている木材をじっと見つめた。
軽いとまでは言えない。だが、普通に持てる。
足元もふらつかず、背筋もピンと伸ばせた。
「まあ……! 持てましたわ! わたくしにも持てましたわ、リオフリード様!」
思わず感激して、ティアは喜びの声を上げてしまった。
すると、すぐ側で様子を見守っていた兄弟子が、幽霊でも見たかのような顔つきで一歩足を引いている。
〈ちょ……っ、やめてくれよ王女さん! 俺がおかしくなっちまったと思われちまうだろ!〉
脳内でリオに抗議され、ティアは慌ててごまかそうとしたのだが、どういえばごまかせるのかがわからない。「あの」「その」と、しどろもどろになるしかなかった。
「ま、まあ……そういう日もあるよな、うん。……け、ケガしねえように気ぃつけろよ~……」
兄弟子は引きつり笑いを浮かべ、ジリジリと後退していった。
ティアは「は、はい。お心遣い感謝いたします」と口にしながら、彼がそそくさと去っていくのを見送った。
(怪我しないようにと心配してくださるなんて……。なんてお優しいのでしょう、リオフリード様の兄弟子様は)
しみじみ感動していると、
〈ああーっ、サイテーだぁッ! ぜってー、おかしくなったと思われた!……王女さん。頼むから妙な言葉を口にしねーでくれよ。今はあんたが俺なんだぜ? あんたが女言葉使うたび、俺がヤベーことになっちまうんだよ~〉
情けない声のリオに注意され、ティアは再び憂い顔でうつむいた。
「も……申し訳ございません。『リオフリード様の口調を真似なくては』と思ってはいるのですが……。なにぶん、不慣れなもので……」
ティアの声が暗いことにハッとしたのか、リオは「いや、待てって!」と焦っている。
〈べっ、べつに、怒ってるわけじゃねーから! 王女さんが俺の汚ぇー言葉しゃべんなきゃいけねーのは、すっげー大変なことだろーと思うしさ。怒ってるわけじゃねーんだよ。けどさ……〉
もっと強く非難したいはずなのに、リオは懸命に自分を傷つけないように言葉を選んでくれている。
やはり優しい人なのだと、ティアはしみじみ感じ入った。
(リオフリード様が粗暴でいらっしゃるのは言葉遣いだけ。……では、どうしてわたくしを……)
リオの不器用な優しさを感じれば感じるほど、ティアはわからなくなるのだ。
あの日。
あの凍てつく冬の日に、何故、この少年はわたくしを殺しに来たのだろうと――。
(……きっと、深い理由があってのことに違いありませんわ。その理由が、この先わかる時が来るのでしょうか……)
気持ちが沈み込もうとする寸前、リオの大きな声が響いた。
〈とにかく! もう運べるってわかったんだからさ! ここにある木材、サッサとあっちに運んじまってくれよ! いつまでもそーやって突っ立ってたら、親方の拳でガツンとやられちまうぞ!?〉
「ええっ、拳で……?」
親方と呼ばれるリオの大工の師匠は、見た目の印象だと「面倒見の良い、大柄な大人の男性」という感じだった。
頼り甲斐もありそうで、優しそうな人だったが……〝拳で人を殴る〟ことなどあるのだろうか?
「リオフリード様は、親方様に殴られたご経験がおありなのですか……?」
ビクビクしつつ訊ねると、リオは「当たりめーだろ。数えきれねーくれーあるぜ」と平然と答えた。
「か……数え切れない、ほど……」
生まれてこの方殴られたことなど一度もないティアは、想像するだけで震え上がった。
「き、きっと問題ございませんわ! リオフリード様のご立派なお体ですもの。木材など恐れるに足らずです! さあ、どんどん運んで参りますね!」
両手で木材を抱え、ティアはしっかりとした足取りで歩き出した。
夏の終わりの風が頬を撫で、まだ強い日差しが降り注ぐ中。楽しげに、歌でも口ずさみそうになりながら――。




