☀第11話 底知れない侍女
扉を叩く音にギクリとして、リオもティアもしばらく言葉を失ってしまっていた。
だが、再び数回ドアを叩く音がし、リオがぎこちなく扉に目を向けると、
「セルランティア様、いかがなさいました? 大きな音が聞こえたので、様子を見に参ったのですが……。お飲み物もお持ちいたしました」
心配して見にきたにしては、妙に落ち着いた声が響いた。
〈まあ、侍女のカティですわ。リオフリード様も、先ほどお会いしましたよね?〉
「えっ?……あ、ああ……」
リオは侍女――カティに聞こえないように小声で返す。
まだ一度会っただけの相手だが、リオは早くも彼女に警戒心を抱いていた。
終始無表情で感情が読めず、淡々としていて親しみが感じられない。
一瞬だけ見せた疑うような目つきも気になった。
(もしかして、あのカティって侍女……王女の様子がいつもと違うってんで、どっかに報告したんじゃねーだろーな?)
多少不安がよぎったが、報告するとしても「王女の様子がいつもと違う」だけでは、まず自分の存在に気づかれることはないだろう。
第一、自分でも理解できない〝ひとつの体にふたつの意識が同居している〟などという状況、誰がすんなりと受け入れられるというのか。
〈リオフリード様?……あの……あまり反応が遅れては怪しまれてしまいますわ。お早くお返事を――入室の許可を、カティにしてあげてくださいませんか?〉
ティアに促され、リオは再び寝台に戻って枕付近に腰を下ろした。
王女としてはかなり行儀が悪いが、下級庶民の街で育ったリオに、そんなことまでわかるわけがなかった。
リオは大きなため息をつくと、気の進まぬままにカティの入室を許可した。
扉が開き、カティが入ってきた。銀のトレイを片手で器用に支えている。その上には、やはり銀製らしきゴブレットが載っていた。
「セルランティア様、お目覚めの一杯をお持ちいたしました」
カティはそう告げると、寝台の脇にある小卓にトレイごとゴブレットを置いた。
(目覚めの一杯? 貴族様って奴は、朝は飯食わねーのか? それでよく昼まで体が持つな……)
そんなことを思いながらリオは恐る恐る手を伸ばし、ゴブレットの細い脚を指先でつまむようにして持ち上げた。
立ち上る白い湯気からハーブの香りが広がる。微かに酒のような匂いがした。
なんだこれ? 飲んでも大丈夫なのか? と口にするのをためらっていると、
〈ハーブティーに、ほんの少ぅしワインとハチミツを加えたものです。リオフリード様のお口に合うかはわかりませんけれど、わたくしは飲むとホッといたしますわ〉
リオの迷いを察してか、ティアがそっと説明してくれた。
(まあ、朝飯がこれしかねーってんなら飲んでおいた方がいいか。……腹の足しにもなんねーけど)
心で軽く愚痴りつつ、リオはその飲み物を少しだけ口に含んだ。
スッとハーブの香りが鼻を抜け、じんわりとした温かさが体中に広がっていく。
(……美味え、ってほどじゃねーけど……。確かにホッとする気はするな)
不味くなければいいかと、リオは一気にその飲み物を煽った。
〈まあ、一度に……! お気に召してくださったのですか、リオフリード様?〉
心なしか声が弾んでいる。ティアからそわそわしながら返事を待っているような気配を感じ、リオは渋々小声で応じる。
「ん、まあ……悪くはねー……んじゃねーの……」
〈よかった。お気に召していただけて嬉しいですわ〉
声の調子からすると、本当に嬉しがっているようだ。
美味しいと言ったわけじゃないのにと、リオは少々気まずくなって視線をあちこちさまよわせた。
とたん、じいっとこちらを見つめているカティと目が合い、ドキリとする。
(ヤベ……っ! 今『悪くはねー』とかって、王女さんっぽくねーこと言っちまった!)
リオは慌てて目をそらし、なんとか王女らしい言葉を口にせねばと、高速で考えを巡らせた。
「あっ、あ……アリガトウ、カ……カティ。と、トテモウマ……っ、お……オイシカッタ、ワ……」
慣れない言葉遣いに、思わずカタコトになってしまった。リオは内心だらだらと冷や汗をかきながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。
カティは「それはようございました」と言ったきり、黙って寝台横に控えている。
(なんだ、まだなんかあんのか? 用が済んだんなら、さっさと出てってくんねーかな……)
監視されているようで、妙に落ち着かなかった。
ひたすらカティが出ていってくれることを祈りながら、リオが黙り込んでいると、ようやくカティが口を開いた。
「セルランティア様。あちらに被り髪が落ちていますが、本日はそのままでよろしいのですか?」
(――あっ!)
リオもティアも息を呑んだ。
そういえば、興奮したリオが被り髪を床に叩きつけたのだった。
すぐに拾い上げて被り直せばよかったのだが、すっかり忘れて、放置したままになっていた。
「あ……いや、あれは、その……」
しどろもどろで状況を説明しようとするが、どう言えば納得してもらえるかわからない。
リオは夜着ごと膝頭をがっしり掴み、先ほどよりも一層激しく視線をさまよわせた。カティと目を合わせるのが怖かった。
カティは無言で歩いていって被り髪を拾い、再びリオの前に立った。
そして、もう一度念を押すように、
「本日は、そのままでもよろしいのですね?」
抑揚はないがハッキリとした口調で訊ねた。
〈リオフリード様。『ええ、このままで構わないわ』とお答えください。この塔には、ほとんどカティしか参りません。陛下がいらっしゃる場合は、事前にカティが教えてくれますし……。本日はこのままでも問題ありませんわ〉
どう答えればいいのかと青くなって固まっていたリオは、「助かった」と胸を撫で下ろした。
目をそらしたまま、ティアの言葉をそのまま伝える。
「……さようでございますか。それでは、こちらはいつもの場所に仕舞っておきますね」
「あっ、はい!……じゃない。え……ええ、ありがとう」
カティは寝台から少し離れた収納箱に被り髪を収め、リオが飲み干した後のゴブレットをトレイごと持ち上げた。
「それでは失礼いたします」
一礼して部屋から出ていこうと背を向けたカティに、リオは思わず「よし!」と小声でつぶやく。
しかし、カティは何かを思い出したかのように立ち止まると、
「ああ、肝心なことをお伝えするのを忘れておりました。セルランティア様はご存知なかったようですが、岩で囲まれた建物は音がよく響くのです。大声を上げられますと外に筒抜けになりますので……どうかお気をつけください」
それだけ言い、再び一礼して出ていった。
リオとティアの間に、しばし沈黙が流れたのは言うまでもない。




