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第六十六話 絶望と希望

 いつも熱気が流れてくるので、覚悟して扉を開いた。

 だけど、迎えてくれたのはひんやりした空気。炉の音も、槌の響きもなかった。


 鍛冶場は休みなのかと、店内をのぞき込んでみる。


 客とのやりとりなどする気もない、散らかったカウンター。

 その向こう側にいるのは腕を組み、目を閉じたままのおっちゃん。


「やはり、来たか」


 低くて重い声が、マイコールを出迎えてくれる。


「おっちゃん。急に来てごめんなあ。話を聞いたら邪魔しないように、すぐ出てくから――」

「少し待て」


 マイコールの言葉を遮り、店の奥へと姿を消した。

 木のジョッキを二つ、粗い作りの瓶を手にして、戻ってくる。

 腕でカウンターにある小物を雑に押しのけ、持っていた木のジョッキをドンッと置いた。

 瓶を傾け、ミルクが小気味よく注がれていく。


「……飲め。まずは、一息だ」

「おっちゃん……」

「ありがと」


 ジョッキでなみなみと揺れるミルクに、マイコールたちは口をつけた。

 ほのかな甘い味わい。渇いた喉を潤してくれる。


「はふぅ」

「にゃふう」


 一緒にジョッキを置いた二人。疲れている身体に、活力が戻ってくる気がした。


「それでいい」


 ドワーフのおっちゃんが、小さくうなずいた。


「オイラたち、しばらくこの都市から離れててさ。最近のことで、ちょっと聞きたいことがあって来たんだ」

「何が知りたい?」

「この何日かで、騒ぎがあったとか、急に頼まれた仕事とか。そういうことは、なかったか?」

「騒ぎか……」


 おっちゃんがヒゲを撫でながら、何かを考え始めた。


「虎猫のにいちゃんと関係がありそうで、思い当たるもんが一つある」

「ホントか? 教えてくれ」

「昨日のことだ。赤毛の女が、現れてな。『一角獣の角がないか。あったら渡せ』と喚き散らしていったんだ」

「ええっ! あいつが来たのか? おっちゃんのヒゲ、燃やされなかったか?」


 マイコールはおっちゃんのヒゲを、まじまじと眺めた。

 焦げ跡や臭いがないので、大丈夫そうではあったが。


「それは問題ない。なにやら時間があまりない様子だった。ワシが『ない』、と答えたらすぐに出ていった。赤毛の女は、必死で、少し怯えているように見えたな」

「え、でも……、一角獣の角って……。前に……」

「お前にくれてやるためのものは『ない』。そういうことだ」


 おっちゃんが、不快そうに鼻をならす。


「でも、間違いなく来たんだな。赤毛の女が……」


 マイコールは微かにうつむき、口元に肉球を当てた。


「あの女の目はな……、何かに追われている目だった」

「追われてる、かあ」


 マイコールは、ふと森でのやりとりを思い出していた。


「……気になったんでな。鍛冶屋のツテを使って、少し聞いてみたんだ。そうしたら、素材の提供と修理をすることになった奴から、話が聞けたんだ」

「ホントか? なんて言ってたんだ?」

「『明日の昼過ぎに結婚式なのよっ! この金具は絶対、今日中に直しなさい!』とのことだ」

「おっちゃんがその話を聞いたのって……」

「昨日だな」

「つまり、結婚式は……、今日の昼過ぎってことか……」


 冒険都市にいつも鳴る鐘の音。

 太陽が頂点に来たという合図は、まだ聞いてない。

 だが、さっきみたお日様は、かなり真上に近づいてたはず。

 猶予は、あまりない。


 マイコールの視線が、まっすぐ扉へと向かった。


「なあ、おっちゃん。この都市の教会とかって……」

「いくつか小さいのもあるが、一番でかいのは大広場のとこにあるやつだ」

「都市の近くで、結婚式をあげるのに向きそうなとこは?」

「ハッキリ言って、ない。大森林の魔物や、転移型ダンジョンが、この都市に人を惹きつける。逆にいえば、洒落た場所は存在しない」


 臭いで確信を得る必要はあるが、おそらくはそこで式を挙げるのではないか。

 ジェルダンは、小さい場所で満足する奴ではない。

 場所の当たりはつけられたが、問題はもっと別のところにある。


「どうすりゃいい……。時間が足んなすぎるぞ……」


 マイコールは、ぽつりとこぼした。

 エルーナの結婚式は昼過ぎ。これが時間制限だ。

 しかし、助ける相手は、エルーナだけではない。


「ユキマルを先に助けたら、どうなる?」


 マイコールは考えてみた。

 ユキマルの居場所を探し出し、救出してから、エルーナの元へ向かう?

  いくらマイコールの足が速いといっても、あまりにも運頼みすぎる。


 それにユキマルを助ける騒ぎを起こせば、ジェルダンの耳にすぐさま入る可能性もある。

 そうなればエルーナを連れて、雲隠れするだろう。

 これまでのことを考えればわかる。あいつは、そういう奴だ。


 結婚式は時間制限だが、確実にジェルダンがエルーナを連れてくる瞬間でもある。


「じゃあ、エルーナを先にしてみるか?」


 エルーナを助けたら、ジェルダンはあえて引き下がる気がする。戦う必要すらない。

 なぜなら、ユキマルがいるから。人質にして脅す方が、マイコールが苦しむとわかっているはず。


 仮に追いかけるとしても、エルーナを守りながらは危険だ。

 ジェルダンは決して弱くない。

 そして、面倒なことに、あいつの手足になるやつはあちこちにいる。


 改めて思う。数も一つの力なのだと。


 マイコールは腕を組んだまま、何度も尻尾の先端で床を軽く叩いていた。

 しばらく、リアノンたちは見守ってくれていたが、やがてそっと口を開いた。


「虎猫のにいちゃん――」

「マイコー」



「到着したよ。僕たちの新たな明日を祝福する、この場所へ」


 馬車の中でうつむいていたエルーナへ、言葉が投げかけられる。

 屋敷からずっと響いていた、馬の蹄の音が聞こえなくなった。


「さあ、エルーナ。手を……」


 馬車から颯爽と降り、マントを翻して向き直ったジェルダンが、手を差し伸べてきた。

 エルーナは静かな瞳で見つめてから、彼の手をとった。


 馬車の外で、並ぶ二人。

 曇天に遮られ、陽だまりはどこにも見当たらない。


 周りに聴衆の影はなく、居るのは教会への道の左右に並ぶ、五人の妻だけだった。

 彼女らは頭を垂れたまま、ほんのわずかも動かない。


 妻たちが身にまとうのは、白を基調とした動きやすい簡素なデザインのドレス。

 そのため、エルーナの婚礼衣装がよく映える。


 光を吸い込む黒。金の糸による控えめな刺繍が、唯一の色。

 裾の広がりは控えめに、静かに長いドレスとなっている。

 胸元から腰元のくびれの曲線を最大限に表現。うなじから背中を強調するように、大きく空いており、いつもは肩に掛かる髪は後ろで束ねていた。


 ジェルダンもまた、同じ黒と金糸で縫われた礼装に、マントを羽織っていた。


「エルーナ。僕の愛しの君。行こう」


 ジェルダンに手を引かれ、教会の入り口へと誘われる。

 妻の二人がエルーナの後ろへと回り、粛々とドレスの裾を手にとった。

 そうして、残された三人の妻の前を通る。


 人形みたいだ。妻たちを見て、そう思う。

 ジェルダンが言葉を掛けずとも、すぐさま動けるのだから、何かを考えてはいるのだと思う。


 だけど、表情は動かない。

 赤毛の女性を除いて、妻たちが一言でも話した姿を、見たことがない。何を思っているのか、わからない。


 ――私もこうなっていくのだろうか。

 ふと、そんな考えが過ぎる。


 マイコールやリアノンとの穏やかで、楽しい日々。

 バルカンやユキマルが変わっていく姿。

 カイとミナがくれた、温かい記憶。

 そんなものは、必要ないと。

 黒い記憶に塗りつぶされてしまうのだろうか。


 教会の中へと、一歩を踏み出す。

 そして、妻たちは外側から扉を閉め、ジェルダンと二人きりになる。


 エルーナは扉を背にしたまま、これから向かう先を眺めた。

 教会の中は薄暗い。

 入り口から真っすぐ伸びる壇上。

 その壁を見上げれば三つのステンドグラスがある。そこから注がれる光が、通路の中央辺りを薄っすら照らしていた。


「何を考えているのかな?」


 口元を微笑みに歪めて、ジェルダンが尋ねてくる。


「ジェルダン……様。……私は何も――」

「夫婦の間で、嘘は良くないな」


 ジェルダンの目は、見抜くように鋭いものを宿している。


「新たな門出だというのに、僕以外のことを想っていただろう?」

「その……」


 エルーナは言葉に出来なかった。その反応そのものが答えだとしても、何も言えなかった。


「君の優しさは素敵だ。それを僕だけに向けてくれれば、完璧になるのにね」

「申し訳……ありません……」

「責めてはいない。君は……、これからなんだから」


 ジェルダンは肩をすくめた。

 だが、目元は決して笑ってはいなかった。


「ならば、こうしよう。君の献身さえあれぱ、僕も相応に報いようじゃないか」

「献身……」

「例えばの話、だけれども」


 ジェルダンがエルーナへと向き合い、両手をとった。

 そして微笑みながら、言う。


「君の心に住んでる人たち。それを忘れて、僕のことだけを考えてくれる。そう誓うなら――」


 ジェルダンはそこで一息を入れ、言葉をこぼした。


「マイコール君たちに、酷いことはもうしない」

「え?」


 エルーナはジェルダンを見つめた。


「本当はマイコール君やその仲間たちがしたことを、許すつもりはなかった。あの森でボロボロした男みたいに、痛めつけようと思っていた」


 バルカンのことが頭に過って、エルーナの指先が微かに震える。


「だけど、その全てを水に流そう。

 君の献身で、救えるものがある。

 争いは良くないものだ。仲良くしよう。

 そうすれば、皆が幸せになれる」

「私があなただけを、思うようになれば……」


 カイやミナ、バルカンとユキマル、リアノン……、そしてマイコールとの思い出を置いて、ジェルダンだけに向き合えば……。

 自分だけの犠牲で、マイコールたちが救われる。


 自分だけが、消えればいい。

 記憶も、想いも、全部。

 そうすれば、マイコールは傷つかない。

 リアノンも泣かない。

  ユキマルも守られる。

  バルカンも、もう戦わなくていい。

 それなら。


 それなら――


「もうすぐ、鐘がなる。僕は壇上の前で待つ。鐘がなったら、決断するんだ」


 ジェルダンが胸のポケットから指輪を取り出した。

 それは六人の妻たちが、身につけているものと同じだった。


「この指輪を付けることで契約としよう」


 自らの手のひらに乗せた指輪を、ジェルダンはそっと握りこんだ。


 ふわりと笑みを残して、ジェルダンは優雅に床を蹴る。

 エルーナはうつむいた。小気味よい靴音が、ゆっくりと遠ざかっていく。


 広い教会。

 足元の石床が、ひどく冷たく見えた。

 自分の指先が、思っていたよりも白くなっていることに、気づいた。


 決断。

 全ての過去を置いて、陽が昇らない明日を選ぶこと。


 たった二日。それでもたくさんの思い出くれた街での時間。

 恋の話をする友達ができて、美味しい串を食べ歩きして、たくさんの魔物を見て、怒って、笑って……。


 街へ行くのに、一歩を踏み出せなかったエルーナ。

 その手を引いてくれたリアノン。彼女の手は優しかった。


 森で過ごした穏やかな時間。

 鍛えることに夢中なバルカン。絵本をじっくりと見つめるユキマル。モフモフに顔をうずめて幸せそうなリアノン。


 そして瞳を閉じれば、いつだって最初に思い出される、――あなた。


 温かさ。

 匂い。

 そして……、笑顔。

 側にいて、幾度となくエルーナを照らしてくれた。

 あなたは、陽だまりそのものだった。


 だから。

 ――その光を守れるなら、私は影になってもいい。


 あなたが笑っていられるなら、

 陽が昇らない明日でもいい。

 それでもいいと、それがいいのだと、思おうとした。

 胸の奥で、何かが静かに割れる音がした。


 教会の鐘が鳴る。


 決断の合図に、エルーナは顔をあげた。壇上に立つ、黒衣の礼装に身を包む男。視線が交わり、彼は満足そうにうなずいた。


 さようなら。


 心でぽつりとこぼして、一歩を踏み出す。

 黒い裾が石床を擦る。


 そのとき。

 ぱきり、と。

 高い場所で乾いた音がした。

 ステンドグラスの向こうに、小さな影が見えた気がした――次の瞬間。


 細い亀裂が一気に広がり、盛大な破砕音と共に、それは粉々に散った。

 ガラスの雨が、きらきらと輝きながら落ちてくる。そんな教会の中央に――。


 陽だまりが、飛び込んできた。

 時間が、止まる。

 どうして? 夢でも見ているの? 都合のいい想像?


「エルーナ」


 温かい声が、ふわりと届いた。

 耳に心地よい声で、胸の奥がきゅっと引き寄せられる。

 光の粒が舞う中で、そこに立っていたのは。


「遅くなって、ごめんなあ」



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