第六十五話 受け継がれる意思
星々が姿を隠し始めた頃。
王都を抜け出してから、どれほどの枝や木の世話になったことか。流石に眠気に襲われていたが、どうにか動き続け、穴倉まで戻ってこれた。
しかし、そこでマイコールの鼻は嗅ぎとってしまう。
なんらかの異常があったことを。
風に乗って運ばれてくる、微かな焦げと血の臭い。
気のせいであって欲しいという想いを、嘲笑うかのように刺激は増していく。
そうしてたどり着いた穴倉で。
陽が昇る前で、まだ地面は冷たい。
だが、そんなことを気にする余裕もなく、立ち尽くすしかなかった。
穴倉の天井があったはずの場所は破壊され、中が覗けるようになっていた。
「ルナ……、バルバル……、ユキマル……」
マイコールの背中から離れたリアノンが、壊れた穴倉へと降りようとする。
そこでようやく我に返ることが出来た。
「リア。たぶん、ここにはいねえ」
別のところから漂う血の臭いが、そう告げている。そんな気がした。
「じゃあ、どこにいるの?」
「こっちの方向には、エルーナの家があったな。バルカンは、そこにいる」
「え……、ルナとユキマルは?」
「……急がねーと。バルカンが、やばそうだ」
リアノンの問いかけに、答えられなかった。リアノンを背負って、駆け出した。
その時、景色がわずかに歪んだ。
木が……、花が……、地面が……。
普通なら気付かない速度で。
家に近づくことを阻んでいた。
初めて家にたどり着いた時のことが、脳裏に過った。
「でも……、なんで精霊術が……。オイラたちが来てから、エルーナは家の近くで精霊の惑わしを使ってなかったのに……」
森を抜けた瞬間、景色が変わる。庭の様子は一変していた。
まず目に入ったのは、大木だった。倒れているのではない。引き抜かれ、叩きつけられ、途中で折れたまま放置されていた。
土は抉れ、周囲の草が焦げている。
明らかに争った痕跡だった。
血の臭いは、大木が一番強い。
そして、不自然に這いずった後がある。その行き先はエルーナの家。
森の中で、安心出来るはずだった場所。扉の前で、崩れるように座り込んでいる影があった。
「バルバルっ!」
「あっ、リアっ!」
リアノンがすぐさま背中から飛び降りて、駆けていく。
近づくと手のひらをかざした。回復魔術を使うつもりなのだろう。
だが、その指先はわずかに震えていた。
あまりの状況に、リアノンも心が乱れている。無理もない。バルカンは乾いた血にまみれていた。
誰だって、想像してしまうものがある。
もっとも、そうなっていたのなら、リアノンの回復魔術ですら意味はないのだが……。
マイコールは落ち着いた声で、彼女を止めた。
「リア、待ってくれ」
「マイコー。でも……」
「生きてる。そんでもって、血の臭いは薄い。見た目ほどの傷に、今はなってねえみたいだ」
呼吸も平静だ。人が死ぬ間際とは違う。
マイコールはバルカンの側に膝をついた。
落ち着いて、怪我の程度を確認していく。
かなりの重症だ。
まず骨が折れている。大きなものとしては、両腕の付け根、そして顎といったところか。かなり強力な打撃を受けた跡が、生々しく残っていた。
切傷は浅いものが多い。
それも戦いでというより、弄ばれたようなものばかりだ。
正確にいうと、深い傷もあるのだが、出血を抑える程度にだけ、治癒されている。
そこまで確認したところで、バルカンの指先がわずかに動いた。
「バルバルっ!」
「あ……、嬢ちゃん……。ぐっ……!」
「ムリすんな。顎も痛めてんだろ」
「ア……ニキ……。これ……、夢じゃ……、ねえよな」
割れた顎で喋るバルカンに、マイコールはそっと肉球で触れた。
「は……、やわらけえや……。確かに……、夢じゃねえ」
わずかにバルカンが、肩の力を抜いた。
「アニキと嬢ちゃんに……、伝えねえと……、いけねえことが……」
「ちゃんと話は聞くぞ。でも、先に治療が必要だろ」
命に別状がないとはいえ、大怪我なのは間違いない。
ベッドへと運んで、回復薬や薬草を使って――。
「ユキマルとエルーナが……、さらわれた……」
マイコールの尻尾の先が、ピクリと反応した。
「敵は……、ジェルダンだ」
マイコールは、目を閉じた。
「あいつか……」
想像は確信へ。霧のなかにいた首謀者の姿が、ようやくハッキリとする。
「エルーナが……、俺の命を……、守ってくれたんだ……」
バルカンは呟き、微かに肩を震わせる。
どうにか動かせる首で、空を仰いだ。
「戦ったけど……、相手にならなかった……。マントの金具を壊すのが……、精一杯だった……」
何かを堪えるような声だった。
「俺は弱い……。だから……、エルーナが庇ってくれた。結婚を……、無理やり迫るジェルダンに……、ついて行かせちまった」
リアノンが息を飲む音が聞こえた。
「本当に、すまねえ」
天を見上げるバルカン。その瞳からこぼれたものが頬を伝っていく。
リアノンも、マイコールも、動かずにいた。
バルカンの姿を、言葉を、深く噛み締めていた。
「バルカン……」
一拍おいてから、マイコールがぽつりとこぼす。
「お前の思いは、オイラが持っていく」
バルカンが、マイコールを見つめた。
「任せとけ」
◇
マイコールは木の幹を足場として蹴った。
大森林の木や枝が、後ろへと流れていく。
「エルーナたちが心配」
マイコールに掴まるリアノンの手に、いつもより力がこもっている。
「そりゃ、オイラも同じだ。でも、こういう時こそ、ちゃんと考えるぞ」
「急ぐ、でも焦らない」
「とにかく、冒険都市まで行くぞっ」
前進の勢いをそのままに、肉薄する枝に掴まり、身体を前に飛ばしていく。
エルーナの家でバルカンに必要最低限の治療を施し、水や喉を通りやすいものを置き、もう少しだけ話を聞いた。
それから二人は、冒険都市へと向かっていた。
森の出口を抜けた。
しかし、そこは街道のある場所とは、離れたところだった。
空の真上を目指してゆっくり昇りつつある太陽が、マイコールたちを照らす。
世間は朝食は終えて、働き始める時間ぐらいだろうか。街道には人が増えつつある。
遠くにあるそんな道を横目に、少し伸びた草原をひた走る。
全ては冒険都市へ入るのに、可能な限り目立たないようにするためだ。
マイコールたちが有利なところは、王都からすでに戻ってきていると、悟られてないこと。どこにジェルダンに通じる者がいるか、わからない。
少なくとも都市の冒険者ギルド長は、ジェルダンとやりとりをしている。王都にマイコールを送り込む手筈を整えたのは、あの男だからだ。
だが、王都の冒険者ギルドまで手は及んでないはず。
そこまで影響力があったとしたら、昨夜の襲撃は完全に悪手になる。話し合いの約束を使って、マイコールたちを翌日まで引っ張ったほうが時間稼ぎになるからだ。
だが、約束は存在していなかった。
ゆえに連絡の魔道具で、冒険都市のギルド長に情報が届くことはないはず。
ジェルダンの耳に入るとしたら、最速でも慌てて戻ってくるジェルダンの関係者からだろう。
「もうすぐ、壁につく」
「玄関から入るわけには、いかねーな」
「王都より、小さいね」
王都の監視塔ぐらいの高さしかない。
だが、油断は禁物だ。
「さっと、飛び込むぞ」
人影なし。臭いと音にも違和感なし。これなら、いける。
草むらから弾けるように飛び出し、綺麗な弧を描いて城壁へと着地する。その反動のまま、さらに飛び降りて、路地の影へと溶け込んでいく。
「ここまでは予定通りだな。問題は、こっからどーするか」
「エルーナとユキマル、どこかな……」
「そこなんだよ。バルカンの話だと、たぶん別々のとこで捕まってんだろうな」
少し湿っぽい空間で、ヒソヒソと相談する。
互いが見えないところにいるからこそ、相手を案じて動けない。エルーナは、そういうやつだ。
「片方だけ上手く取り返しても、もう一方が捕まってたら、オイラたちにも脅しは効くからな」
「どっちも助けないといけない」
「そのためには、まず情報が必要だな」
冒険都市で仲良くなった人たちを、思い浮かべる。
マリアのとこは、ちょっと良くない。
子供が多いし、岩石団の連中が来るかもしれない。
人が多いと話は聞けるが、悪気なくこっちの存在が漏れてしまうかもしれない。
「マイコー、ちょっと思ったことがある」
「なんだ?」
「バルバルが、壊したって言ってた……」
「マントの金具か?」
「そう。壊れたら直す。わたしは、そうする」
そう言われ、マイコールは頬に手を当て、首を傾げる。
「んー、どうだろうなあ。ジェルダンのことだから、新しいのを買うような気もするけどなあ」
「でも、庭にマントはなかった」
「風で飛んでった、とかじゃねえか?」
「金具ついてるのに?」
「確かに……、金具の重さにもよるだろーけど、気にはなるな。もしも壊れて、いらなきゃ、捨てていきそうだしな」
言われてみれば、庭をあれこれ見た時に、マントやその金具の残骸みたいなものは、なかった気がする。
「だから、大切なのかなって」
「大切かあ。そうなのかもな」
「だとしたら、きっと直そうとする」
「どんな奴が直すか……」
マイコールは尻尾で、とんっと地面に触れた。
壊れたのはマントそのものじゃない。
「金属とか、得意な人」
「にゃるほど」
そんなリアノンの言葉で、脳裏をよぎった人物がいた。
頑固で、腕は確かで、そしてジェルダンの頼みでも、首を縦に振らない男。
「ブラスのおっちゃんのとこ、行ってみるか」
決定的な情報じゃなくてもいい。
何か、繋がるものが欲しかった。
願いにも似た思いを抱きながら、マイコールはおっちゃんの鍛冶場へと向かった。




